ひなげし
2025-10-31 18:36:56
1914文字
Public 狛日
 

魔法が解けるまで

本予備/狛日
第69回狛日版週ドロライ「ハロウィン」
ハロウィン小話🎃(ワンライ)

店のブラインドを閉める直前に、からりとドアの音が鳴る。
「あの、もう店じまいで」
日向は、顔を上げずモップを動かす。
しっとりとした別れの音楽が流れる空間に、男の声がした。
「やあ、日向クン。トリック・オア・トリート?」
紆余曲折の果てに友達になった、白い髪をした背の高い男だった。一瞬、日向は言葉を失った。マントを羽織り、うねる髪を一つにまとめた珍しい姿は、人目を引く。
街の様相を見ていたらわかる。今日はハロウィンの日だ。
「狛枝? 今日はクラスのハロウィンパーティじゃなかったか。どうしたんだよ」
「すごく楽しかったよ。みんな、希望に満ちていて、ほんっとうに素晴らしかったよ」
「そうか、よかったな」
長い足が、悠々と店の中に入ってくる。狛枝は、カウンター席にそのままどかりとかけた。
「だけど、もうだいたいお開きになったかな」
「だいたいって……
「わかるでしょ」
「ああ……ぐだぐだになっていくあの感じな」
「そう、それだよ」
白い指先が、くるりとまわる。日向は、あの次第に身の置き場がなくなっていくような空間を思い出す。ああなると、大抵は部屋の隅っこで、この男と言葉少なくみんなを眺めるのが常だ。くすりと思わず苦笑する。
「で、お前は何しにきたんだ」
「ちゃんと誘ったのに、キミが来ないからでしょ。……友達なのに」
狛枝の目元と口元が、小さく歪む。
そのしかめ面は、拗ねた子どもそのものだった。
……シフト入れてて、悪かった。でも来るのが遅かったな。こんな時間に来て何にも出せるものないぞ」
「何も、ないの?」
灰色の瞳がまあるく見開く。
ちくりと痛みが胸を刺す。モップをカウンターに立てかけ、作業台を覗いてみる。無意識に閉店作業をしてしまって、シンクに水滴ひとつ残ってない有様だ。日向は肩を落とし、首を横に振った。
「ない。全部洗ってしまったから、コーヒーも淹れられない。悪い。今お前に出せるのは水道水だけだな」
「ふうん、そっか」
狛枝は顎に手を当て、黙り込んだ。思案に沈んでいるようだった。
この男が、行事にここまで積極的になるとは思ってもいなかった。クリスマスは、空けておいてやったほうがいいのだろうか。
邪魔しないほうがいいかもしれない。罪悪感を振り切るように、立てかけていたモップを手に取る。
「ねぇ、日向クン」
狛枝に背を向けた瞬間、空いた手を引かれた。ぐらりと身体が揺れる。その場でたたらを踏むと、もう一つの白い手が日向の身体を支えた。
「なんだよ、危ないだろ。モップの柄が目に刺さったらどうするんだよ」
「あはっ、ボクが考えそうなことがわかるようになってくれて嬉しいよ。じゃあさ、お菓子もコーヒーも持っていないキミにやってほしいことがあるんだけど、それも分かったりするのかな」
……変なのはやめてくれ」
諦めの気持ちを持って、胸の内の空気を全て吐き出す。狛枝の柔らかな笑い声が、しっとりとした音楽にふわりと溶けた。
狛枝が髪の毛を纏めていた赤いリボンを引っぱり、髪の毛を解く。肩にふわりと、柔らかな髪が落ちた。店のあたたかな光を受けて、細い白色がオレンジ色にきらめく。
「ねぇ、日向クン。ボクの使い魔になってよ」
狛枝の手が伸び、日向の首に赤いリボンをくるりと結びつける。
狛枝はそのままそっと身を寄せ、日向の耳元に囁いた。
「今日の魔法が解けるまで、ね?」
空気と熱のこもった、人を惑わす声音だった。どくりと心臓が音を立てる。日向が唇を震わせる前に、白い指先がそのまま日向の首筋を撫でていった。
背が甘く、ぞくりとした。
深呼吸をしてみる。首元をリボンが圧迫して身体がそわりと疼く。一瞬上げた身体の熱が、冷たい空気に冷やされてほっとした。
「魔法……か。で、お前は俺に何をして欲しいんだ」
日向は、肩をすくめてため息混じりに言葉を吐き出した。
……主人と一緒の家に帰って……一緒に眠る、とか?」
ふいと横を向いた白い顔が、ほんのりと朱色に染まっていく。
「ま、待ってるから」
狛枝は俯き、そのまま店のドアの向こうへ駆け出していく。からりと音を鳴らしたドアが、狛枝の長いマントを挟んで閉まる。
「いてっ」
薄闇の向こうから、狛枝のちょっとした不運に見舞われた声が響いてきた。
「ははっ」
思わず声が出た。
「何やってんだよ、ご主人様」
口元が緩む。
ドアを開けて、かわいそうなご主人を助けてやる。
ふふっと忍び笑いが溢れる。じっとりとした灰色の視線を受けながら、日向は白い手を引いた。
二人の青年を受け入れ、店のドアが再び閉まる。
まだ明かりを残す店の中で、日向の笑い声が響いていた。