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ひなげし
2025-08-12 12:03:27
6610文字
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狛日
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Apostate.④
天使悪魔狛日パロ。
怒涛のパロディと、ロウフルな世界観にご注意ください。狛枝が堕天するまでの話。全4話。最終話です。
【生きることと正しくあることは、時に相容れない】
ぼこぼこに凹んだ年季の入ったボウルから、湯気が出ている。ボウルの中には日向が茹でたじゃがいもを入れられている。狛枝は、真剣な表情でほくほくの芋を木べらで押し潰していた。貴重な食材が飛び散らないように、慎重に。
「さすがに、じゃがいもをつぶすくらいはできるんじゃないか? いや、俺もお前と同じで料理ができるとは到底いえないけど
……
」
水を汲みにいくからと、大きな水差しを持った日向はそう言った。料理なんて何もできないと呟いた狛枝に、日向は木べらを持たせた。彼に期待をされている。それは、奇妙な感覚だった。
キミのせいで
……
、わからないことだらけだ。
悪くないと思っている自分も、わからない。わからないことは、迷いを増やす。それは恐ろしく、厄介だ。日向と共にいると、急に心拍が上がる身体不調が増え、羽は重石をつけられたように窮屈になってしまった。
一番厄介なのは、明らかな身体不調が出ているにも関わらず、日向の側を離れようと思わない自分自身なのかもしれない。
一度もじゃかいもの破片を飛ばすことなく、ほぐしきる。うっすら額に滲んだ汗を拭い取って
……
外から聞こえる弾むような足音。狛枝は木べらを置き、顔を上げた。開けるのにコツがいる、壊れかけの戸に向かって無意識に微笑んでいた。
「おかえり、日向クン」
戸が開かない。首を傾げていると、小さな音でノック。小さな音は、扉の真ん中より下の方で鳴っていた。
……
日向クンじゃない。小さな子どもだ。
「たすけて。しろいおにいさん、はじめおにいちゃんをたすけて」
たすけて。
目を見開いていた。転がるように駆け寄り、ドアを開け放つ。冷たい風が部屋に吹き込んでくる。
視線を下げると、そこには少年が目に溢れそうになるほどの水を湛えて立っていた。昼の陽光の元に全く似合わない、追い詰められた表情をした子どもに見覚えがあった。忘れるわけがない。天使である狛枝の前で、日向からりんごを盗んだ子どもだった。
「日向クンが、なに」
子どもから、微かに血の匂いがした。口内に張り付いた舌を引きはがす。緊張で、声はかすれていた。
「しろいおにいさんみたいな、天使さまがきて
……
。白い羽がふたつあってカチカチの服で、それではじめおにいちゃんが動かなくなってね。おれ、おれ、パパに言われて、おにいちゃんに、あやまりたかったのに」
「ねぇ、どこで」
「ここで一番水が出るいどの近く。少しひらけたところの」
狛枝は最後まで聞かずに飛び出していた。冷たい風を切って空を飛ぶ。身体を芯から冷やしていく風は、もう冬の気配を纏っていた。
舌打ちをしていた。
ボクのせいだ。ボクのせいだ。
キミとの日々があまりにも手放し難くて、穏やかだったから。いつのまにかぬるま湯に浸かっていた。忘れてはいけなかった。何かを犠牲にしながら最良を運んでくるボクの性質を。
任務が告げられてもう何ヶ月経った? ボクが、ボクの存在が他の天使をこの地に呼んだと言ってもいい。
木の間を縫い、最短を駆け抜ける。水の気配の強い、ひらけた土地。寒風の中、鼻を覆いたくなるような血の匂いが狛枝を襲った。
頭を重たい鈍器で殴られたようだった。頭の中が熱くなって、急激に冷えていく。視界に入るその光景はあまりにも暴力的だった。色彩を徐々に失っていく。血だけが嫌に鮮やかだった。
真っ赤な血に伏せられた顔がそこにはあった。血に濡れた身体は見たこともない特徴がいくつかあった。うまく飛べるかもわからないコウモリ状の形をした奇形の翼は、何ヶ所も翼手や指が折れている。臀部から伸びる、力の入っていない矢尻のしっぽ。少し離れた場所に落ちている、割れた水差し。
見たこともない容姿が混じっているが、一瞬でわかった。ボクが見間違えるわけがない。日向クンだ。
日向クン。
名前を呼んでみる。動ける? 生きてる? ボク、キミのお願いごと、ちゃんとできたんだ。キミに、見て欲しくて。
ふらりと吸い寄せられるように近づく狛枝に、立ち塞がる影があった。彼のそばに立つのは、二枚羽の男性型の天使。ゴテゴテとしたアーマーは傷ひとつないほど新しく、階級が上がって日が浅いようだ。彼の持つ西洋剣はぽたぽたと、血を溢していた。名前は
……
、誰だっけ。わからない。
狛枝を認め、男の眉尻が吊り上がる。
「お前は、前任の狛枝だな? こんなクズにどれだけ時間をかけるつもりだ」
日向を見下ろした男の眼差しに、侮蔑が滲む。
ああ、うるさいな。
キミは何を知っているというんだ。彼の癖、彼の生き汚いところ、彼の悪魔以外の何にもなれない悲しみ、彼の罪、彼の願い、彼の優しく善性に従おうともがく強さ。ボクはキミより日向クンのことをよく知っている。
彼が醜い人間よりもこんな目にあっていいわけがない。それを、よく知っている。
わかっている。わかっている
……
。
彼は悪魔だ。
だけど、ボクは
……
、キミの何者かになりたいと善性を持ったまま醜くもがくその有り様を、もう一度
……
いいや、まだ見ていたいのだ。
神は全てを救わない。神はキミを救わない。
だから、神には祈らない。縋らない。よるべなく今を生きる天使以外の生き物は、自分を信じ、自分に祈るのだ。少なくとも、キミはそうだった。
手に馴染むそれに触れる。
「
……
お前、何をしているのかわかっているのか」
目の前の天使の全身がわなないた。殺意に瞳を光らせ、顔が歪む。
これが天使の顔だって? ああ、なんて醜い顔なんだろう。
「あはっ、ボクが何をしてるかだって? そりゃあ、もちろん」
「悪魔の魅了か? それとも狂ったか?」
「魅了? 狂った? やだなぁ、ボクはどんな時でも希望の味方なんだ。心配されなくても、ボクは至って正常だよ」
狛枝は、音もなく目の前の天使に向けて構えた銃口を、一ミリも動かさないまま自らの身体を抱えた。少しだけ早口になる。惨状を認め引き攣っていたはずの顔は、薄ら笑いを浮かべていた。
なんの躊躇いもなかった。
なんの後悔もなかった。
西洋剣が振り上げられ、狛枝の頭上に影を作る。
望む自由はある。
求める自由もある。
張りのある日向の声が、耳の奥でこだまする。
それなら、今の秩序よりも多くの人間を、生き物を包括できる救いを、より良き秩序を──より輝く希望を求める自由だってあるよね。
ねぇ、そうでしょ、日向クン。
別にボクは変わったわけじゃない。
ボクは、いつだって希望のためにこの身を尽くすんだから。
瞬き一つしないまま、引き金を引いた。
すぐ側で、乾いた銃声が鳴った。
朦朧としていた意識を繋ぎ合わせる。
「日向クン」
上から降り注ぐ柔らかな声が、あやふやだった日向の自我を引き戻す。うっすら目を開くと、自分の身体は倒れたまま血の海に顔を突っ込んでいた。血の海で靴を汚しながら、日向の目の前に誰かが立っている。
ほんの少し冷たい白い手が、肌に触れた。
ああ、お前か。
「ああ、よかった、生きてる。少し待ってて、すぐに傷を塞ぐから」
日向のかたわらで天使が膝をつく。黒いスラックスが、じわりじわりと血を吸っていくのが見えた。
硝煙の匂い。
咳が込み上げる。硝煙と血の匂いが肺の奥深くまで入り込む。軋む身体に鞭を打ち、顔を上げて前を向く。天使が日向のために、血の海に膝をつき手を伸ばしていた。
それにしても、静かすぎる。おかしい。下品に笑い、日向をなぶっていた天使の姿が見えない。
「おまえ、いま
……
なにを」
「キミは何も気にしなくていいよ。ほら、身体を楽にして」
霞む視界の中で、灰色の瞳と目が合う。
影が日向を覆った。六つの白い羽が、日向を囲っている。
言われた通りに身体を伏せる。
するりと音がした。布が擦れる音で、自分の身体に何かがかけられるのがわかる。今まで彼が肌身離さず肩にかけていた若草の長い布が視界の隅に映った。汚れ一つない若草色が、じわじわと血で黒く染まっていく。
あたたかい何かが身体に降り注ぐ。脈打ち、鈍痛を訴え続けていた身体が楽になる。深く息を吸えた。
「お前の綺麗な布、汚れるぞ
……
」
「傷が深いんだから喋らないでよ。あと、少しなんだから」
どのくらい時間が経っただろう。ふと、そっと吐かれる息が聞こえた。日向は血の海で身じろぎをする。身体に響く痛みは全て消えていた。
天使が囲う翼のゆりかごの中で、ゆっくり身体を起こし、座り込む。そっと、腹に触れる。斬撃を受けた腹の傷は、服が破けていなければ気が付かないほどになっていた。
「ありがとな」
日向は顎をあげ、日向を癒した天使にまっすぐな視線を向けた。
恐ろしいものが目に入る。
口を感謝の形に開けたまま、凍っていく。
うそだ。
見たものが信じられない。言葉を失う。
ぞくり。鳥肌がたった。寒い。酷い悪寒がする。見てはいけないものを、見てしまっている。
どういうことだ。
唇が震える。手が震える。全身が震える。
悲鳴のような、絶叫のような、情けない声が出た。
「なぁ、お前っ! は、はねが、羽が!」
じわりじわりと、真っ白で柔らかな紙に墨を垂らすように彼の羽の根本から黒く黒く染まっていく。
「あーあ、そりゃそうか。あはっ、同族を殺したんだから、ノーリスクなわけがないよね」
天使が
……
天使だった男が、自分の羽を一瞥し、からりと笑ってみせる。そこには執着も後悔もない。ただ凪いだ湖畔のような穏やかさだけがあった。
こぶしを握りしめていた。日向の身体は恐怖の後、怒りにわなないていた。
「どうして、どうしてこんなことをしたんだ! お前、これじゃあ帰る場所がなくなるだろ!」
彼は簡単に手を離してしまった。
日向がずっとずっと欲しくて、飢えも、悲しみも、孤独も耐えてきた。それでも手に入らなかった居場所を、彼はたった今簡単に手放してしまった。これは、嫉妬かもしれない。
「喉から手が出るほど帰る場所が欲しかったキミにはわかってもらえないと思うけど、ボクは別にこの選択に後悔はないんだ。見たいものを見たいがために手放した。ボクの信念のために動いた結果がこれだというなら、ボクはそれを甘んじて受け入れるよ」
「そんな
……
悪魔みたいなことをしてまで、お前は何が見たかったんだ」
「悪魔?」
「自分の望むもののためだけに、力を振るう。今のお前は、俺たち悪魔の
……
原風景とたいして変わらない」
「そうなんだ。じゃあ、ボクは日向クンとおそろいってこと?」
「そんな
……
。喜ぶなよ」
「ボクが見たかったものか。簡単な話だよ」
腕が伸びてくる。指先が、日向の頬にするりと触れる。白い指先が、日向の顔の血を拭って汚れていく。
「ボクはキミ中により良き秩序を見た。って言ったら伝わるかな? 望む自由はある。求める自由もある。これは、キミが言ったことだ。ボクはより良き秩序を──キミの希望をもっと、もっと見ていたかった。ただそれだけだよ」
天使の口調には温もりがあった。日向を求め、日向に触れる、愛しみが漂う仕草。彼は日向を瞳に映したまま、美しい笑みを浮かべる。激情を忘れ、思わず見惚れてしまうような笑みだった。
彼の柔らかな希求とは裏腹に、見上げるその光輪もじわじわと色が黒色へと変わっていく。
日向は胸を押さえた。ひやりと胸に冷たいものを押し付けられたようだった。動悸がする。息さえまともにできていない気がする。
「俺には
……
、俺は
……
」
させてはいけない選択をさせてしまったのではないか。
自由から生まれる選択を知らなければ、彼は帰る場所を失わなかったのではないか。
無垢で潔癖な天使に、自由を教えてしまった。それを罪ではないと、誰が言い切れる。
汗が滲む。身体の肝が冷えていく。目を閉じていた。身体の傷を塞いでもらっているというのに、貧血を起こしているようで気持ちが悪い。
「ボクがキミを望んで助けてあげたのに、そんな顔しないでよ。ボクは後悔してないんだから」
両腕が身体に回された。そっと抱き寄せられる。
「キミは生き残れたことをもう少し喜んだら? リスクを抱えてまで、キミに生きて欲しいって願う存在が少なくとも二人いたんだよ」
「ふたり?」
「日向クンのりんごを盗んだ子が血濡れになったキミをみて、おにいちゃんを助けてって家まで来たんだ」
「そう、か」
かつて一度だけ、子どもに呼ばれた自分の名前が耳の奥で鳴る。二人の他者から呼ばれる、自分の名前。薄ぼやけた輪郭を日向という型に入れられる。その感覚は日向を確かに支えた。力の抜けた身体で、そっと息をはく。
「ねぇ、日向クン。一つ聞きたいんだけどさ、どうしてあれを殺さなかったの? 誤魔化さなくたっていいよ。キミならあれを殺せたよね」
だって、あんなに弱いんだから。歌うような語調で彼はそう言い、囲う羽にそっと隙間を作る。
彼の肩越しに見えた空間。日向に暴力を与えた天使が立っていた場所には、血飛沫が地面に模様を作っていた。その近くに横たわる物言わぬ物体は、構成していたモノが解けるように空気に徐々に溶けていく。もうほとんど身体が残っていなかった。天使の──人外の終わりの姿だ。
「
……
俺の後ろに、子どもがいた。人間に信用してもらいたかったんだ。誰かの心に残りたかった、たとえそれで死ぬのだとしても」
「ふうん。緩やかな自殺願望だね」
回された腕に力がこもる。天使が鼻を鳴らした。
「別に悲しい話じゃないぞ。天使とは大事にしてるものが違う。ただそれだけのことだろ」
「そうなんだろうね」
「お前は
……
俺も、お前がわからない」
「今すぐわからなくてもいいよ。こういったらなんだけど、ボクはこんなに衝動で動いたのは生まれて初めてだったんだ。ボクのことをキミに知ってもらおうと思っても、説明するのは難しいかもしれないね。だけど一つだけ言いたいんだけどさ、さっきからボクのことをお前なんてさみしいこと言うのだけはどうにかならない?」
そっと身体を離される。覗き込んできた灰色の瞳は細められ、眉根は寄り、唇は横に線を引いていた。
「
……
俺、お前の名前知らないぞ」
「あれ、そうだっけ」
「何をいってるんだよ。お前は俺が悪魔だと知って名乗らなかった」
「ああ、ごめんね。愚かなボクを許してよ
……
。ボクの名前は狛枝凪斗だよ。日向クン」
「こまえだ、なぎと
……
」
噛み締めるように呟くと、灰色の瞳はゆるりと弧を描いた。
「うん。こんごともよろしくね」
狛枝が立ち上がる。白い手が目の前に差し出された。
「立てる?」
日向は息を整え、狛枝の顔を見つめた。
黒い光輪。黒い六枚羽。
たった一瞬で変わり果てても、彼の浮かべる表情や瞳に映る柔らかなものは、日向が見慣れたものだった。
そっと手を重ねると、すぐさま握られた。指先が痺れるほど、強い力だった。身体が引き上げられる。
「それじゃあ、帰ろうか。ボクたちの愛の巣へ。そこでキミが望む未来の話と、ボクがじゃがいもを綺麗に潰せた話でもしようか」
「あのなぁ
……
なんでこんなでかいことをしでかしておいて、じゃがいもが同列にあがるんだよ」
「それじゃあ、キミやキミのようにこぼれ落ちてしまう人間の居場所を作るために、天使を皆殺しにしてセンターにクーデターでも仕掛ける計画の話でもしてみる?」
狛枝の白い指が、センターがあるであろう方向の空を指す。
「存分にじゃがいもについて話してくれ」
「あはっ、仰せの通りに」
狛枝がさもおかしそうに、身体を揺する。日向はそっと息を吐いていた。
手を引かれて、山を降りる。
肌を切るような、冷たい風が吹いていた。
風が白い髪と、黒く染まった羽をなぶってすぎていく。日向は立ちすくむ。遠くの空、狛枝が差し示した空を見上げる。日向には見ることさえ叶わないこの世で最も平和で、光り輝く街。この男は、美しいものを捨てたのか。
握られていた手が、ぐっと引き寄せられる。その場でたたらをふむ。狛枝が堕天するとともに全て黒色に染まった長布が、日向の肩の上でゆらりと揺れた。
柔らかく、あたたかなものが頬に触れた。
日向の身体を風から守るように包む黒い羽はそれでもあたたかく、日向のために祈った夜と同じ温度を持っていた。
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