ひなげし
2025-07-13 22:10:11
2447文字
Public 狛日
 

次の朝を、きみに

2025.07.06.CC福岡無配
狛日 初夜朝チュン話

 素肌を撫でる冷たい空調に、意識を揺り起こされる。白いベールを一枚一枚剥いでいくように、日向は景色を認知した。起きたての太陽は低い位置に輝き、部屋に差し込む光は白く淡く煌めいている。
 日向は身体をそっと起こした。見渡せば、ものの少ない見慣れない部屋だった。視線を落とすとチリも髪の毛も落ちていない床に、昨夜着ていた自分の服と見覚えのある服が重なるように落ちている。
 ああ、そうだと思い出す。
 別れ際にそっと引かれた手。
 ほんのりと酒精に潤んだ薄灰の瞳。
 部屋に連れ込まれて胸いっぱいに吸い込んだ、嗅ぎ慣れてきた匂い。
 言葉なく、甘やかに日向の身体にそっと触れてくる熱のある手。
 涼やかな顔の下に隠されていた、余裕のない歪んだ顔。
 真っ赤に上気した白い肌。
 上からぽたりぽたりと落ちて、日向の身体を撫でていった汗。
 ぐるりと視線をめぐらせれば、日向の隣には予想通り、うねりのある特徴的な白髪が薄手の羽毛布団から見え隠れしていた。日向は、分け与えられた薄手の布団の上でそっと手を握る。側に寄り添うような人の熱も、身体の奥が覚える甘やかな気だるさも、なんだかどうしても気恥ずかしい。シーツと薄手の毛布が作る海の隙間から見え隠れする、白い素肌から目を逸らす。日向はぶり返す微熱を振り払うように、素足を冷房に冷やされ切ったフローリングに下した。
 そっと身体を持ち上げようとした瞬間、あっと声をあげそうになった。熱が──白い腕が、日向の素肌に、腹にぐるりと巻きついていた。
 音になりそうになった空気の塊をなんとか飲み込み、日向は努めて冷静を装った。
「どこ、いくの……
 ぼやけて輪郭のない甘く掠れた男の声が、密やかに空気に溢れる。
「朝ごはんの準備だよ。眠いなら寝てていいぞ?」
「いやだ。ひなたクン……いるからおき……る」
 狛枝が枕に頭を擦り付けるように首を振る。まぶたがぴくりと震え、ゆっくりとあがる。重たいまぶたの隙間から覗いた薄灰は、日向を迷うことなく捉えた。
「まだねむいんだろ? 無理に起きなくても」
「ううん……おきる。……せっかくキミが……いるのに、もったいない……でしょ」
 狛枝は身じろぎ、身体の向きを変える。起こそうとした上半身はぐらりと揺れ、再びシーツの上へ落ちた。日向は腹に巻きついた白い腕に触れる。離されてしまうと思ったのか、狛枝はうなり、日向を捉えた腕に強く力を込めた。
 肌がそわりと震える。日向は小さく息を吐いた。
「なぁ、狛枝。……ちゃんと起きたらお前、大変なことにならないか」
……なに……が」
「だって、お前……
 日向をただ一人見つめる狛枝の空気を震わせる声は、甘く柔らかい。冷たい雨に打たれ不安に揺れる日々でも、他人から差し出されたこの柔らかさを知っていれば心強く思うだろう。
 ああ、何を考えているんだろう。
 今の狛枝は眠気に蕩けているだけだと知っている。それなのに、たった一夜でただ一人にこんなに求められることへの心地よさを覚えてしまった。受け入れてもらえることへのあたたかさを知ってしまった。
 だけど、狛枝も狛枝だ。お前も、こんなにも無防備に俺に心根を開き切ってしまって。狛枝に自覚はあるのだろうか。自覚がないのだとしたら、この柔らかな感情を、実感を、気づきを教えてしまっていいのだろうか。
 迷う。
 狛枝が、狂ってしまわないだろうかと。日向の存在は、元々この男が持っていた価値観とは相入れないはずだ。水と油で、混じり合うことはない。それなのに、この男は手を伸ばしてきた。
 一度目は、酒精に濡れて。
 二度目は、抗えない眠気に覆われながら。
 俺は、この男の中で確かに起きたであろう小さな変化を、信じてもいいだろうか。
……だから……キミ……なに……考えている……の」
 穏やかな寝息が聞こえ始めた。
 しばらく狛枝の寝顔を見つめ、ずれてしまった薄手の羽毛布団をかけてやる。無防備な、穏やかな顔だ。どきどきと、心臓が高い音を立てていた。涼しい顔をしているくせに、急に不器用にも差し出された、ぬくもりに戸惑っている。頬が熱い。
 日向は一息付き、隣で寝息を立てる男の名を呼んだ。
「狛枝。お前、色々あったけど結構俺のこと好きだろ」
 声をかけてみる。返事は、ない。だからこそ言ったのもある。ずるいとわかっている。無抵抗に身体を開いたくせに、最後まで迷って言えなかった言葉だ。
 たぶん、俺も。
 日向は呟き、狛枝の隣にそっと潜り込んだ。白い腕が日向の身体を、まるで抱き枕を引き寄せるように巻き付く。満足げなため息が、日向の素肌を撫でた。滑らかな人肌のあたたかな熱が伝わってくる。身体はじんわりと重たいのに、今は渇いた感覚も、飢えた感覚も遠い。
 言葉にはできないくせに、離れることが嫌だと言うように、縋り付く熱にただ満たされる。心地がいい。悪くない。……愛しい。
 くすりと、空気が震える。
 その声が確かに、自分の名を呼んだ。
「はは、なんの夢見てるんだよ」
 どうやら、この男は夢の中でも共にいてくれるらしい。
 なんだか急に愉快な気分になってきた。
 光の粒が舞う静かな部屋で、日向は薄く笑っていた。悩んでしまった自分が馬鹿らしくなってくる。
 信じてやろう。
 次の目覚めに、こいつはどんな顔をするのだろう。
 酒精に負け、羽目を外した現実を見て苦い顔をする? いつものように辛辣な言葉を投げる? それとも、日向が初めてみる顔を見せてくれるのだろうか?
 なんであってもひとしきり笑ってやって、このとびきりの気づきと、言えなかった言葉を手渡して、最高の朝を教えてやろう。
 そしていつか、昨夜手を伸ばしてきた理由を聞いてみたいなと思っていた。
 ふっと閃く。米を炊いてやろうと思っていたが、とびきりのパンといれたてのコーヒーを用意して、涼しげな顔が驚く様をつまみに遅すぎる朝食を共にしてもいいだろう。