ひなげし
2024-10-11 18:40:01
3766文字
Public 狛日
 

荒野の止まり木

狛日版週ドロライ第14回「噛む」「おそろい」「夕暮れ」
ハピ軸大学生狛日
普通の手段で自分自身と現実を見つめて少し疲れている日くんと、友達を見守る狛の話。

本編だと日くんはかなり強い刺激と大きなイベントを得て自己確立を成したけれど、それがなかった育成やハピはひっそりずっと戦い続けているんだろうなと思いました。

空が真っ赤に燃えていた。
地平に触れ、天と地を燃やし尽くそうとする太陽を反射するガラスに日向は思わず目を細める。
風が吹く。肌が震えた。冬の足音だ。
日陰に座っていると冷気が、足元から這い上がってくる。日向は思わず黒色のパーカーのジッパーを上げた。狛枝が突然送りつけてきたパーカーは日向を風から少しだけ守った。
日陰から出ればいい。少しずれたら陽光が差している。わかっているのに腰を下ろしたベンチから体が動かない。まるで四肢に鉛をつけられているようだった。
「あ、お待たせ日向クン」
柔らかな声が上からかかる。
「おかえり、狛枝。無事買えたか?」
「うん、ボクにこんな日が来るなんて、ね……
日向と色違いの灰色のパーカーを着た狛枝が、喜びに体を小さく振るわせる。狛枝につられて両手にそれぞれ持っていたコーヒーのテイクアウトカップもカタカタと震えていた。
「ほんとうにな。とりあえずコーヒー一回置けよ」
「そうだね」
狛枝は悲劇が起こる前に日陰に二つのコーヒーを置いた。
……
「ほら、座れよ。どっちでもいいぞ?」
日向は空いているスペースを叩く。けれど、日向の前に立ち首を傾げている狛枝はそのままだ。日向も首を傾げたところで、白い手が日向の腕を掴み引っ張った。
「ちょ、なに」
無理やり体を横にずらされ、燃えるような陽光が日向の顔を差した。日向が座っていた場所にそのまま狛枝が座る。
「寒いんでしょ、ずらしてあげようと思って」
「お前なぁ〜、一言言えよ」
……動くのそんなに億劫だったんだ? 疲れちゃった?」
「そんなわけないだろ、お前と違って体力はある」
日向は長い息を吐き出した。
狛枝から差し出されたコーヒーを受け取る。まだしっかり熱く、カップにはどこにもこぼした跡がなかった。一口、小さく口に含む。しっかりとコーヒーの味がした。自然と口元が綻ぶ。狛枝が日向に悲劇を起こさずコーヒーを買ってきたのは、今日が初めてだった。

言葉少なく二人で並んでコーヒーを飲む。
静寂を破ったのは狛枝だった。
「最近何学んだの? 大学で」
言葉に詰まる。
両手で抱えたあたたかなカップは日向の背を押した。
……人間の発達課題と家族というコミュニティにおける心理学」
「ふーん、そっか」
狛枝が小さく頷く。
狛枝の視線が日向の指先をなぞっていた。ボロボロの、噛み跡のある不揃いの爪。
それっきり、狛枝は深くは聞いてこなかった。
それだけで、狛枝には伝わった。
「なあ、今日お前が誘ってきたのって誰かの差し金か?」
「ボクもそうだけど、日向クンも左右田クンに感謝すべきだよ。彼、キミに連絡送っても返ってこないって心配してたから」
スマートフォンの画面上で増え続けていたバッジが頭をよぎる。あれは、彼だったか。
……ああ、そうするよ」
「それから、別に差し金ってわけじゃないんだよね」
「はぁ?」
「ボクは日向クンの友達、でしょ。……友達の心配して何が悪いのさ」
狛枝が唇を尖らせて、日向から視線を外した。
雪のように白い頬が紅色している。
本当に珍しいものを見た。日向は目を丸く見開く。コーヒーを飲む手さえ止まっていた。
「ちょっと?」
日向の表情に気がついた狛枝の目元と口元が歪む。
そのしかめ面に日向は小さく吹き出した。
「いや、悪い。……ちょっと嬉しかっただけだ」
「キミねぇ、もっと自覚しなよ。人一人の人生誑かしちゃった自覚をさ!」
我慢ならないと指を突きつけて狛枝が迫ってくる。
狛枝の必死の形相に日向は言葉を呑んだ。
耐えられない。
ついに日向は腹を抱えて笑い出した。
「ふっ、くくっ……、誑かすってお前、人聞きの悪い表現だな」
お前どうしちゃったんだ? 誑かすのは口が回るお前のほうが似合ってるよ、なんて言い返す。柔らかな空気と温かなコーヒーは日向の身体を軽くした。
ひとしきり笑い終えた日向に、狛枝が小さく問いかける。
「眠れそう?」
……さぁ、どうだろうな」
……日向クン、手出して」
「こうか?」
日向がなんの躊躇いもなく、手のひらを狛枝に差し出す。狛枝の唇は喜びに吊り上がる。日向の手のひらの上に狛枝の熱が移った銀色が落とされた。
「なんだこれ」
「ボクの部屋の鍵」
「なんで?」
……保険になろうかなって」
「わかりやすいように言えよ」
「日向クンが飛んでいっちゃわないように、ボクが楔になろうかなって。ねぇ、日向クン。今どういう目してるか、自覚ある?」
日向は口をつぐんだ。
「人間は社会に生きる生き物だって、人と関わることを、関わって自分を知ることを恐れちゃダメだって言ったのはキミじゃない。忘れちゃった?」
「いいや。覚えているさ。そうやって、現実を見て歩いていくしかないんだ。そうだろ?」
木枯らしのような声が吐き出される。滲んでいるのは誤魔化しようのない、疲労だ。
「そうだよ。でも、ボクとキミは似ている。ボクらが持つそれぞれの信念と信仰のために全て投げ打つ選択肢が、選ばないにしても頭の片隅に存在してしまえる。そんな身軽なところがね」
「最悪だな」
「そう、ほんっとに最悪だよね!」
あはは、と狛枝も笑い出す。
どうしようもないところがおそろいだなんて、笑えない話だ。それを笑えるようになったのはいつからだっただろうか。
「でも、積み重ねた時間は人を少しだけより良く変えることができる。停滞じゃなくて、進歩していける。今日ボクがコーヒーを全くこぼさずに日向クンに届けられたようにね。今は疲れちゃってるけど、キミもそうでしょう。停滞を否定した。だから人間を見つめる学問を選んだんだよね?」
……超高校級のみんなはもう自分を理解していた。やりたいことを、できることを。それから夢を知っていた。自分に軸を持っていたんだ。自分を理解できない、許してやれないまま闇雲に手を伸ばしたって夢も何もつかめやしないってあの日々で知った。勉強代は高くついたけど、無意味じゃなかったって俺は思ってる。知識は眼鏡だ。……自分自身の解像度を上げて自分と向き合う気分は、……まあ最悪だな」
今まで、理由のわからない慢性的な徒労感と疲労に日向は悩んでいた。知識という眼鏡をかけて出会った自分は、見るに耐えないほどボロボロだった。
誰かにそんな自分を話す勇気はまだ、ない。
けれど、逃げることはもうしない。
そうありたいと、願ってはいる。
そうやって戦っている日向を、日向を案じる人間はそっと見守っていた。
「つまり、キミが最悪の選択肢を選ばないようにボクはボクの為にキミを見張りたいし、キミに雨宿りする部屋くらい貸してあげられるよって話なんだけど。この鍵はね、あの日々の予備学科だった日向クンは無自覚だったんだろうけど、ボクにも同じものをキミに返してあげられる準備ができてるよってことの証明、かな。まあ、日向クンがボクを頼ってくれるかはキミ次第なんだけれど」
揺れる灰色が日向を捉える。
狛枝は日向が時折遠い場所を見つめていることを知っていた。過去の選択を何度も何度も「これでよかったのか」と自問していることも。
狛枝にとっては才能を付与する手術だなんて愚かしいものでしかない。けれど、日向の目にはそれが希望にすら映った。己を投げ出す価値を見出していた。
掴めないことも、分かり合えないことも、理解できないこともある。日向も狛枝も別の人間だ。どうやったって埋められない溝があるのは理解している。
けれど、自分たちはお互いの傷の形を知っている。
己を投げ打つ先を理解できずとも、投げ打つ衝動だけは、狛枝は理解できてしまえた。
全て理解するとはいかずとも。一人ではないと教え合うことはできる。
あの日、日向から伸ばされた手を自ら掴んだ感触を、温度を狛枝は今でも覚えている。
日向と狛枝の間に横たわる溝は、そこに一生あるかもしれない。
わかった上で、手を伸ばす。
わかった上で、共に生きるのだ。
そうやって未熟な自分たちは世界を知り、自分を知り、希望を見つけてきたのだから。

…………お前がご飯をつくらないなら」

狛枝の顔がわかりやすく喜色に染まる。
「任せてよ。それなら出前頼んじゃおうよ! 何がいい?」
「いや、俺が」
「ボクがお金出すんだからいいじゃない。色々頼んじゃうのもいいかもね」
「二人しかいないんだからもったいないだろ。食べきれなかったらどうするんだ?」
「もったいなくなんかないよ。お金の心配もしないで、食べきれないくらいたくさんある選択肢の中から日向クンがわざわざ選んで食べるんだよ? 日向クンの好みがわかるかもしれないでしょ?」
……変なやつ」
「ちゃんと統計取ってあげるから。意外と得意なんだよね、そういうの」
「もっと違うところで発揮したほうがいいぞ、その特技」
手のひらの鍵は、日向のポケットへしまわれた。
何度目かわからない吐息が、呆れと疲労の色を持って細く長く日向の唇から吐き出される。
狛枝から背けられた日向の顔。表情から窺い知ることはできない。けれど、狛枝は日向の感情を汲み取る術をもう知っている。
そっぽを向いた日向の耳は、夕日で誤魔化されないほどに赤く染まっていた。