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ひなげし
2024-10-06 15:08:31
4378文字
Public
狛日
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習慣強度という証明
狛日版週ドロライ第13回「耳打ち」「癖」
余儀なくされた狛枝の長期戦と、真意に気がついた日向の話
ぐぅ、と腹の音がなる。
あわてて腹を押さえるも、あまりの忙しさからか日向の腹の虫を指摘し、笑う人間は誰もいなかった。
顔を上げれば時計はちょうど十三時半を指していた。
「あー、もうこんな時間か」
社内ツールアプリからログアウトし、メール作成画面も途中保存して画面を消す。
のっそりと重たい腰を上げた。
向かう先は食堂だ。
廊下に出れば、すっと日向の左隣に一人の男が並んだ。
「キミさぁ、もっと早くご飯食べようって思わないの? 最低限ご飯は食べろって散々ボクに言い散らかしたのはキミだよね? そんなキミがご飯をおろそかにするわけ? ボクもうお腹すいちゃったんだけど」
「そんなに腹減ったのなら一人で食べに行けばいいだろ」
日向は、隣に並んだ男──狛枝の横顔に目をやった。相変わらず可愛くない言い方をする男だ。律儀に日向を待つ必要などないのに、狛枝は日向を待つ。
日向が突き放すように大股で歩けば、隣の男も歩幅を合わせてくる。
「それはキミが適切な時間に食事を取ればいいことじゃない? 元予備学科は時間も読めないの? ああ、だから身の程に合わない仕事量を引き受けちゃってスケジュール崩壊しちゃうんだ?」
「だ、ま、れ」
「落ち着きなよ、事実じゃない」
二人でもつれ込むように食堂に足を踏み入れる。
明るく広い食堂はピークを過ぎていたせいか、人は閑散としていた。食堂には皿を洗う水の音、洗われた皿を積み重ねる音が響いている。
「お、日向! と狛枝
……
。昼今からか?」
強いピンクの色の髪をした作業着を着た男が、日向に向かって手を挙げる。彼はもう片方の手で、空いている机の上を叩き、日向を招く。
「左右田お疲れ。今からだ
……
」
「日向クンが仕事にのめり込んじゃったからこんな時間だよ。いい加減にしてほしいよね」
「いや、オメーは一人で食べに行けばいいだろ」
「あは、日向クンがお腹を空かせたボクに罪悪感でも覚えてくれたら、日向クンが昼抜くこともないかなって」
「いい年こいた子どもか?! つかもうこの時間じゃねーか! 作戦失敗してるだろそれ」
「ボクを起こして数ヶ月毎日しつこく言ってきた言葉を今度はボクが代わりに繰り返してあげているだけだよ。日向クンってば、もう耄碌してるんだもの」
「うるさいぞ狛枝」
埒が開かない。日向は左右田と戯れあっている狛枝を置いて券売機の前に立つ。
「あーー、そういうとこあるよな。俺が言うのもなんだけどちゃんと食えよな日向」
背中にかけられる声は親友の案ずる声だ。どうしようもない現状はある。けれど、打算もなくただ日向の身体を案じる声は素直にうれしい。
食べ慣れた和食の定食のボタンを押す。券売機は仕事通り券を吐き出した。
みんな券売機のように素直に仕事が回れば、日向がこうして昼過ぎにご飯を食べることはなくなる。あり得ない夢想を日向は首を振って掻き消した。
「ああ、
……
気をつけるよ」
「まったく、外面だけはいいんだから」
仰々しいため息が日向を追いかけてくる。
「なんか言ったか?」
日向が後ろを振り向けば仏頂面をした狛枝が真後ろに突っ立っていた。
「別に?」
ぬっと伸びてきた白い手が釣り銭を吐き出す前の券売機のボタンに伸びる。日向が気がついた時には遅く、券売機は一番安いカレーライスの券を吐き出していた。
「馬鹿枝!! 何してんだ!」
「これくらいいいじゃない。キミのせいでボクのご飯が遅くなったんだからさ」
「くっ
……
! 百歩譲るとしても、サラダくらい食え!」
「うるさいなぁ
……
」
沸々と湧き上がる怒りのままに、盆を持って食券を配膳口に置く。
しまった、怒りのままに歩いてきてしまったせいで箸を取り損ねた。戻ろうか思案していると、白い手が日向の盆に箸を一膳落とした。
隣に並んだ狛枝は日向と同じようにカレーライスとサラダの食券を置く。
「何?」
「いや、別に
……
」
思わず向けた視線を狛枝に拾われて言い淀む。
日向は視線を伏せ、盆を握る自分の指に視線を落とした。
整備であちこちから依頼がかかる左右田とゆっくり話せるのは稀だ。日向が食器を空っぽにしても、積もる話は続いていた。
日向にくっついてまわっていた狛枝も席を立つことはなく、言葉少なく日向と左右田の話に耳を傾ける。白くて長い指は汗をかいたグラスを指先で弾いていた。
「希望輝く左右田くんが楽しんでいるところこんなゴミクズが水を差して申し訳ないよ。ねぇ日向クン、悠長に話してていいの? 時間まずいんじゃない? 安全対策委員会十四時からでしょ?」
「うわ、まずい! ありがとな」
「
……
なんで予定の把握してんだよ。部署は同じだけど班がちがうだろ」
身を振るわせながら溢した左右田の呟きに、日向は苦笑しながら席を立った。狛枝はなぜか日向の日程を把握している。これは仮想現実の真夏の島でなんの危険もない修学旅行をしていた頃からだ。
左右田は腕を抱えて怯えていたが、日向は別に悪い気はしていない。狛枝はああ見えてまめな男で、日向の一直線で見えなくなってしまった足りないところを嫌味を言いながら拾い上げてくれるのだ。実際狛枝との共同生活はうまくいっていた。もう三年にもなる。
ただ、左右田の言う通りだ。確かにそうだ。どうしてだろう。日向の胸に疑念が一つ影を落とす。
狛枝の行動について、日向が今まで深く考えたことがないことだった。
偉い人の間に挟まる居心地の悪い委員会を終えて、部署へ戻る。
日向のデスクにはぽつんと湯気をあげるコーヒーが置いてあった。いつも日向の引き出しに入れているカップは、いつもの香りをふんわりと漂わせている。香ばしい香りは日向の薄ぼけていた思考をスッキリと引き締め、縮こまっていた胸を優しく撫でた。
後ろを振り向く。心当たりの人物は笑みで顔の形を止めたまま、受話器を握り潰さんとばかりにしていた。
かわいそうに。
ここは比較的新しい支部だからか、なんでもやらされる。狛枝がたまに確認のために繰り返す先方の話す内容に、これ違う支部担当だろ
……
と日向はため息を飲み込んだ。色んな支部を回りに回って悪質なクレームを押し付けられてしまったのだろう。
日向は引き出しの奥から秘蔵のクッキーを手に取り、席を立った。
そっと音もなく狛枝の後ろに立つ。狛枝のデスクの上には湯気が立つカップが置いてある。日向の予想通り狛枝の並々と注がれたカップからは、日向のカップと同じ香りが匂い立っていた。カップの隣にクッキーの包みを置く。狛枝のまあるく見開かれた視線が突き刺さるが、無視してそっと離れる。
狛枝は日向より弁が立つ。日向が気にかけずとも、狛枝のことだろうから上手いことやるだろう。それでも、日向にコーヒーを用意した妖精に免じて、湯気が生きている間に終わることをそっと祈ってやることにした。
風呂から上がって、髪を乾かしてから脱衣所を出て、リビングに足を踏み入れる。
狛枝はソファーに腰掛け、本を開いていた。それも、一人分空間を開けて。ソファー前のローテーブルには湯気を上げるカップが二つ並んでいた。
どきりと、心臓がなったのを日向は自覚した。
「どうしたの? 座らないの?」
「あ、ああ」
まっすぐ向けられた静かな灰の視線に、さまよっていた視線が絡め取られる。
無意識のうちにふらりと日向の身体は狛枝の隣におさまっていた。
用意されていたカップに手を伸ばす。白湯だ。
温かいカップを抱えて思考に耽る。
今日一日狛枝を観察して分かったことがある。狛枝の癖は、日向が隣にいることが前提で動作が設えられていた。
朝、日向の日程を耳に入れる。
食事のどきに一列ずれている日向の様子を盗み見る。
無言で渡される日向の分の箸。
注がれた二杯分のコーヒー。
日向が座れるように一人分ソファーを空ける。
狛枝の小さな癖は日向と共に時を積み重ねて、強い癖となり最終的には習慣になっていた。
ドッと心臓が鳴る。
見えてきたものに、自問する。
自分は狛枝を見ていたようで、まるで見えていなかったのかもしれない。
突然苛立つ狛枝のことがわからなかった。
狛枝は自分なりの信念と宗教を持った殉教者だ。日向は彼のことを全てを理解するのは不可能だと思っている。
それでも、日向は彼の側にいた。
苛立つ狛枝を宥めるために曖昧に微笑めば、彼は常に顔を歪め、憎まれ口を叩いてそっぽを向いていた。
日向は狛枝の表現する表面に引っ張られて小難しく考えすぎていただけかもしれない。そう、
……
つまり単純なことだったのかもしれない。
狛枝は日向に対する普段の口が悪すぎる。それも仕方のないことなのだと、飲み込んで早五年。ルームメイトになってもう三年。
口の悪さとは対照に、示され続けていたのは日向に対する純粋な好意だ。気づかないうちに日向に向かって開かれていた心に悪い気は、しなかった。
今まで不器用に投げ続けられていた狛枝からのボールを、日向は数年越しにようやく拾えたのだ。
異様に喉が渇いていた。白湯をゆっくりと嚥下する。
「なぁ」
「なに?」
「お前ってその
……
」
「はっきり言いなよ。ボクたちで部屋に監視カメラも集音器もないことを確認したのもう忘れちゃったの? ここにはボクとキミしかいないでしょ?」
狛枝が音を立てて本を閉じた。意識を日向に傾けているのがわかる。
静かな声に、逃げ道を断たれた。
「
……
俺のこと結構好きだよな」
言い切った後で、言わなければよかったと後悔した。
口をつぐみ、床に視線を落とす。
長年蓄積されてきた狛枝への疑心は根深い。もはや日向にとって、それが狛枝への信頼だと言っていいものだ。
あの狛枝だぞ? いくらなんでも自惚れがすぎる。
たった一日の気付きでせっかくうまくいっていた狛枝との関係性を棒に振ったかもしれない。
日向は羞恥で頬が赤らんできているのをはっきり感じていた。偉い人に囲まれる委員会以上に居心地が悪い。逃げるように腰を上げた途端、左手首を引かれた。身体が狛枝の方に傾く。ソファーが日向の身体を受け止めた。左腕が狛枝の右腕と触れて、熱が伝わる。
「
……
嫌いだったら側にいないよ」
秘密を打ち明けるように耳に直接吹きかけられた、いつもより少しだけ素直な好意。
不意を突かれて、少しだけ肩と心臓が跳ねる。
狛枝が触れた日向の手首の内側。日向の身体はどこまでも素直だった。
「あは、やっと気づいた」
笑いを含んだ声が日向の首筋を撫でる。
ゆるりと拘束した手首はそのままに、狛枝は日向に身体を寄せた。
重い。あたたかい。
軽く、目が回っている。
「愛してるよ、日向クン」
触れた脈に狛枝の灰の瞳は安堵と、それからどこか勝ち誇ったように唇を吊り上げていた。
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