ひなげし
2024-09-07 19:28:26
4769文字
Public 狛日
 

荒地に萌芽する

未機パロ狛日。日向にカムの側面が残っており、才能を限定的に一部引き出して使えます。
素直になれない狛と、狛に好かれるはずがないと信じきっている日の話

 光が目に突き刺さる。薄ぼんやりとした世界は白で埋め尽くされていた。頭部と右腕、それと右大腿部に鈍い痛みを覚えて眉間に皺が寄る。背が重だるい。まるで長時間動かず凝り固まった岩のようだ。
 瞬きを一つ。満々と水を湛えた湖面から溢れた水が頬を伝って落水していった。視界が晴れる。
 真っ白の見知らぬ天井。
 真っ白の壁。
 日向創は、病院の個室で目が覚めた。

 慌てる看護師に「名前を言えますか」と、声をかけられながら意識半分でそれに応じる。後天的に付属された才能は冷静に日向へと分析結果を伝えていた。
 どうやら予測通り、生きて帰って来れたらしい。
 日向は思うように動かない体で、細く息を吐いた。機関から与えられた任務は重要拠点の防衛。流通の要である土地を、そこに住まう無辜の民を資源に枯渇した絶望の残党から防衛、それから暴動を鎮圧するものだった。激しい抗戦もあり、隊員に救出した民間人を連れて一時撤退指示を入れて、日向は殿を務めた。
 廃墟の空気がざわめく。突然聞こえた、啜り泣く子どもの声に心が揺れる。
 ああ、神様。
 ここで戻れば、残党にこの身が曝露される。仲間の位置も特定されやすくなる。自分の身は怪我どころでは済まない。仲間の撤退を第一とする殿としての役割を半分放棄することになる。
 けれど今日向が動かなければ、小さな命は死ぬ。死なせるために来たわけではない。迷うことを許される立場でもないことはわかっている。わかっている。……わかっているけど。
 後天的に付与されたもう一つの自分の心は、どれを選び取ったとしても、あなたは生き残れますよ。と、感情のない声で日向に伝えた。
 無意識だった。走って小さくまだあたたかな熱を持ついきものを胸に抱える。走る日向を追いかけるように破裂音がした。肩と、右太腿部に燃えるような痛みが走る。歯を食いしばる。一瞬にして汗が吹き出し、息が詰まる。
 続けてゆく手を阻むように隣の建物が爆発する。全身を殴りつけられるような衝撃を右腕で庇い、つんのめり、転がり落ちそうな体をもう片方の足を前に出すことでかろうじて体勢を維持する。血の滲むような味が口内に広がる。安全帯の物陰まで走り切り、飛び込んできた日向を一目見て目を剥く隊員に胸に抱えていた泣きじゃくる子どもを手渡して、立っていられないほどの眩暈に襲われた。日向の足元をじわりと赤が染めていく。視界が狭い。貧血を起こしているのは明らかだ。
 生き残れるだろうか。
 心残りがあるまま死ぬのはごめんだった。
 喧嘩別れした白いふわふわの頭を持つ保護観察中の日向の同居人。任務に出る朝、アイツの言葉に引っかかりを覚えて言い合いになったのだ。
 今思えば非常にくだらない。昨夜、前後不覚になった同居人の酔っ払いから嫌味を言われながら、嫌がらせに首につけられた跡ひとつくらい犬に噛まれたと思って許してやればよかったのだ。売り言葉に買い言葉。意固地になって出てきてしまった。
 真実を知ったアイツに更生プログラムの中の時のように自分が好かれてるだなんて思っちゃいない。だけど、せっかくトラウマを持ちながらも生きることを始めてみてくれたばかりの男の新しい疵になる可能性は遺したくなかった。あの夏の島で日向を友達だと思ってくれた、もうかけらさえ残っていないアイツの友達としての矜持が喚いている。
 俺はアイツの幸運にも、不運にもなるつもりはない。
 生き残れるだろうか。
 帰れるだろうか。
 帰るんだ。
 不機嫌な顔をしたアイツのいるあの部屋に。
 ──はい、必ず。
 一瞬の安堵の後、そこで視界が真っ黒になって。日向が覚えているのはここまでだ。


 病院にはどうやら、ごんぎつねがいるらしい。
 今日も床頭台から引き出された天板の上には、しわしわになった紙袋が心許なくポツンと置いてあった。日向は鎮痛剤の効いた体で、紙袋を引き寄せる。不便だが利き手の左手は自由に使えるのが幸いだ。中には昨日と同じ、買いたての新しい肌着と、栗の代わりにパックに入った草餅が入っていた。
「今日もある。誰なんだ……?」
 連日律儀に荷物を届けるごんぎつねの正体を、日向はいまだに突き止められていない。体を整えるためなのか、入院中はほぼ意識を溶かして夢の中にいる。日付の経過すらわからないまま、理性を取り戻し始めた意識がようやく周りを認識し始めた。かなり不便だ。
 作戦日から五日経った今も経緯書も作りきれていない。布団を横へ押しやり、パソコンをベッドに持ち込んで作業していたはずなのにいつのまにか眠りこけて頭が枕の上へ逆戻り。布団を肩までかけられ、電源を切られたパソコンが床頭台に移動していることなんてザラにある。そんな日は決まってパソコンの隣に紙袋の差し入れが置かれていた。
 与えられた仕事も完遂できなければ、姿を見せないごんぎつねにお礼さえ言えていない。幼い命を守った代償だと思えば軽いものだが、中途半端な覚悟と判断で招いた、白い牢に寝たきりで社会から遅れをとるこの現状は確実に日向の精神を焼く。
 空気が動く。
 誰か来た。車輪の音がない、カートを引いていない。つまり、看護師ではない。するような足跡。擦り切れたスニーカー。迷いなく近づく足音。警戒心のない無防備のそれは危険度の低い、……知人。任務に出たままの危険地域を歩む感覚が抜けないのか、頭は勝手に来客者を特定する。
 あげた顔の先で、予測していた顔が個室の扉を開いた。
「よお、左右田」
「日向! てか、起きてんじゃねーか!」
「はは、静かにしろよ。病院だぞ?」
「ほんっとうに良かったぜ……! ソウルフレンド!」
 左右田が胸を撫で下ろし、ベッドサイドに駆け寄ってくる。
「死んだんじゃねーかって、ほんっとヒヤヒヤしたんだぞ! みんな葬式みてぇな顔するしよぉ!」
「腕折れてるみたいだけど普通にピンピンしてるって伝えておいてくれ」
「おう、わかった」
 左右田が荷物がいっぱい積み置かれている床頭台を整理して、汗をかき始めている緑茶のペットボトルをおいた。
「全然起きれてないから点滴ばっかって聞いたからよぉ、起きた時にって思って買ってきたんだよ。置いとくぜ」
「ありがとう。いつもきてくれてるんだよな? 迷惑かけてすまなかった。荷物ありがとな」
 日向がしわしわになっている紙袋を指さす。左右田の視線が逸らされ隣に泳いでいった。
「いや、俺じゃねーわそれ」
「はぁ?」
 左右田がばりばりと頭を掻く。
「あ〜〜、会ってねーのか。アイツと」
「アイツ?」
「狛枝だよ! お前、一緒に暮らしてんだろうが」
「会って、ないな……。狛枝がきてる? 本当かそれ?」
 眉を顰め猜疑心に塗れた視線を向ける日向に、左右田の顔が歪んだ。
「俺、今起きれる時間が少ないんだ。頭が勝手に体を休めるために気絶しているらしくて、今回の経緯書も途中までしか作れてないしな」
 日向の手が閉じられたパソコンをそっと撫でる。
「マジか……
 左右田は目を大きく見開いていた。
「えっと、どうしたんだ?」
「いや〜〜、なんつーか。……いつまでも報われねぇよな、ごんぎつねって」
 肩を落とした左右田に頷き、曖昧に同情する。ソニアにアピールするも報われない自分と重ねてしまっているようだった。
 狛枝に嫌われ、恨まれる要素なんて自分には腐るほどある。あの電子の世界で矜持を貫いた殉教者を叩き起こし、生きることを強いたのは他ならない自分だ。この世の中、生きることは、何よりも辛い。飢え、抗争、大気汚染。簡単に人が死ねてしまう世界で、一番楽になれる死という選択肢を日向は殉教者から剥奪した。
 何も持っていない、同じ傍観者から生きることを強要され、同じクラスにいなかった人間が自分の学友を取りまとめている。あまつさえ、狛枝の監視者になっているのだから、そのストレスは計り知れないだろう。
 向けられる視線に嫉妬や苛立が混じってるのなんて見なくてもわかる。
 職場で向けられる辛辣な言葉も、態度も、友達だと思っていた自分には身がすくむものだ。凡人には努力は無駄で、ちっぽけなもので結局最後まで何も報われることなく、諦念を抱くものであったとしても。それは前に進むことを諦めていい理由にはならない。前に進む覚悟と熱意をもらったのだ。だから、日向は狛枝と関わるのをやめようとは思わない。狛枝と話した時、血の気が引いて指先が冷たくなる感覚にはもう慣れた。
 その一方で、狛枝の感情は正当なものであると日向は思う。
 日向には、狛枝がごんぎつねの正体であるとは到底信じられなかった。
 

 片手で車椅子を操作する。きゅっと音を鳴らしながら、退院手続きのため会計窓口に行くと受付の人が「労災ですから、支払いはないですよ」と笑顔で答えた。
「労災? あっ、えっとすみません。次の診察の時に労災の書類持ってきます」
「えっ、日向様はもう書類提出いただいてますよ。書類の作成も完了して、身元引受人様にお渡ししてるのですが……
「み、身元引受人?」
 思わず目を瞬かせる。一つ言えるのは、確実に日向の身内は生き残っていないはずだ。
「ちょっと」
 朝のざわめく外来に、この数年で聞き慣れてしまった声が日向を突き刺す。うまく動かない体で振り向こうとすれば、声の主は日向の前に腕を組んで立ち塞がった。
「こ、狛枝」
 スーツの上から見慣れた深い緑の上着を羽織った男が、整った眉を吊り上げる。
「はぁ、まったく呆れるよ。そんな状態なのにもう退院なの? まだ免荷装具補助でさえ歩いてもないような凡人が?」
「おい! 恥ずかしいからやめろ。文句なら機関に言え」
「希望の決めたこと文句を言うつもりはないよ。でも残念だな、元予備学科が今のまま戻っても希望輝くみんなの足手纏いにしかならないと思うよ」
「お前がなんと言おうと、明日から働くからな」
 吊り上げられた日向の視線に、狛枝の目が一瞬うろついた。
……はあ」
「なんだよ」
…………まだあちこち痛いんでしょ。それに、ずっと寝てたじゃない。あんまり目が覚めないから外傷性脳出血疑われてかけられた検査じゃ異常なかったらしいけどさ、頭開いた障害でも出てるんじゃない? 日向クンさ、ちゃんと起きていられるの?」
「だから俺は誰の役にも立たないって? それが本音か?」
 苦虫を噛み潰したような表情で狛枝は唇を震わせる。なにかを言葉にしようとして、形にするのを失敗したようだ。肩をすくめて、あからさまなため息を一つ吐いた。
…………せめて、いっとき在宅にしときなよ」
 顎を引く。同族嫌悪と嫉妬と苛立ちをないまぜにぶつけてくる男の口から出てくるものとは到底思えなくて耳を疑った。
 なんだって?
 軽く険悪な日向と狛枝を遠巻きに見ていた看護師と薬剤師が、落ち着いたこの一瞬を見計らい一斉に側にやってきた。当たり前のように狛枝に日向の退院証明書と退院処方を手渡すのを日向は口が空いたまま見送った。
 車椅子が勝手に動く。
 自動ドアを通り過ぎて、久しぶりに陽の光を浴びた。風が吹いてくる。
……寒くない?」
「最近気づいたんだが、お前って服選びのセンスがないよな。正直に言うと暑い」
「そう、よかった」
 深呼吸をしてみる。
 もしかしたら、自分が気がついていないだけで、拾い忘れている情報がたくさんあるのかもしれない。嫌悪と嫉妬だけではないのだと、今目の前で起こった事実がそう物語っている。そう、発想を逆転させて。
 お前がごんぎつねだったのか、なんてピンピンして車椅子を押す男に尋ねてみてもいいだろう。