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いまち
2026-05-30 23:37:52
20330文字
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雛鳥と竜の謁見
あるいはちいかわちゃんにはしゃぐノアさま ( ˘ω˘ )
リリアさんの言いつけ通り顔を上げないよう、数歩遅れてリリアさんの踵について歩く。向かう先から吹き飛ばされそうな程強い力を感じる。この圧力たるや、オーバーブロットしたマレウスさんといい勝負かも。足が震えそうになるものの、どうにか堪えて前に進む。
進むうち、リリアさんの足が止まった。私も倣ってその後に止まる。踵を揃えるリリアさんの後ろで顔を伏せたまま膝を深く折って、床に当たらないようスカートの裾を持ち上げた。俯いてるせいで周りの状況は分からないけど、ここからマレノアさまのいるところまでどれくらい離れてるんだろ。近くはなさそうだけど、それでも圧倒されるような気配を感じる。そのせいか、背中にイヤな汗が伝った。
「マレノアさ
――
」
「遅い!!」
リリアさんの呼びかけを女のひとの怒鳴り声が掻き消した。同時に私の真ん前に雷が落ちた。焦げ臭いにおいが鼻をくすぐる。さすがに、室内に雷が落ちるわけないんだから魔法、なんだろうな。
とにかく、リリアさんの言葉を信じて深くお辞儀をしながらじっとした。ものすごい衝撃でも悲鳴を上げなかった自分を褒めてあげたい。
まさかとは思うけど今(見えないけど)目の前にいるのがマレノアさまなのかな。リリアさんの思いびとの、マレウスさんのお母さんで今の茨の国のお姫様。そんなひとがいきなり雷を落としてきた、とはさすがに考えにくいかも。なら、お付きのひとなのかな? マレノアさまを待たせるなんて、みたいに怒ってるのかも。
「はっ! 私を待たせるとはいい身分ではないか」
私って言ってるならこの声の主がマレノアさまのようだった。言葉の通りイライラしているようで、声色からもイラつきが伝わってくる。
「遅参してしまったこと、申し訳なく存じます」
「言い訳のひとつもないとはつまらんな。それで
――
」
リリアさんはマレノアさまがいいって言うまでこうしてろって言ってたけど、よく考えたら私、マレノアさまの声って知らないんだよね。もちろん、今リリアさんとお話をしている声のひとがマレノアさまだとは思う。
けど、私たちのほかにひとがいて、そのひとが喋ってるとしたらどうだろう。顔を上げなさいって言われてもほんとに上げていいのか判断できない。さすがに、そんな試すようなことはないと思いたいけど。
「それは私への土産か?」
「このようなもの、マレノア様には不要でしょう。先日お伝えいたしましたものにございます」
「ふぅん?」
お姫様を前にしてるからか、リリアさんの口調は堅い。普段は乱暴な言葉遣いなだけに新鮮に感じちゃう。それにしてもお土産ってなんだろ。ここに来る時リリアさんは魔石器と伝令書くらいしか持ってなかった気がする。プレゼントだと思えるようなイイ物をなんて持ってたかな? リリアさんは違うって言ってるからそうじゃないんだろうけど、ちょっと気になるかもしれない。 そんな場合じゃないんだけど。
「な!? おい!!」
じぃっとしながらふたりの話を聞いてると妙な浮遊感を覚えた
――
のも一瞬のこと、気付いたら温かくて柔らかいものの上に座らされていた。ほぼ寝そべる形なものだから顔が上がりそうになる。けど、リリアさんの言いつけ通り顔を伏せて一応目も瞑っておく。何がどうなってるんだか分からないけど。
「お前にしては気の利いた贈り物ではないか。いつぞやの枯花より余程いい」
なにがなんだか分からない。それでもじっとしていると真上から女のひとの声がして、ついでほっぺを撫でられた。
「ふふ。愛い子よ」
「おい、マレノア!!」
それとなく抱っこされてる感じからするに、もしかしなくても私が座ってるのはマレノアさまのお膝の上らしい。こうして抱かれているとマレノアさまの魔力の圧をヒシヒシ感じるものだから、正直とっても怖い。でも、いいって言われるまで顔や声を上げたら危ないそうだから、どうにか堪えてじっとした。
そんな私をどうするでもなくマレノアさまは私の頭やらほっぺやらをやたらめったら撫で回してくる。くすぐったいけどたぶん、笑っちゃダメ。喉元に力を込めて動かないよう大人しくした。
「ほれ、顔を見せぬか」
そう言ってマレノアさまは私の顎をつまんで顔を上げさせた。勢い余って目が開いてしまった。
「っ!?」
ダメ、と思ってももう遅い。マレノア様としっかりバッチリ目が合ってしまった。
「ほう、これはまた」
私の顔をじぃっと覗き込んでいるのはマレウスさんによく似た顔立ちの、それはそれはキレイなお姫様だった。うっすら笑いながら私のほっぺを撫でている。さっきの怒鳴り声と同じ声だけど声色がまるで違う。優しそうな声で私を見つめていた。
「マレノア!
――
様」
「なんだ、騒々しい」
リリアさんのひときわ大きな声に、マレノアさまは鬱陶しそうに眉を顰めてリリアさんを見下ろした。途端、部屋の中がぐんと冷えた気がした。つられて私も目を向けると、ここにくる直前のような怒ったような怯んだような顔のリリアさんが私たちを見上げていた。ついでに私は思った通りマレノアさまのお膝の上で抱かれていた。
「あー
……
なんのつもりだよ?」
「なんの、とは?」
「そいつは人間だろうが」
「そうだな」
「ならなんでンな
……
あー、甘やかしてんだよ」
「なんだ、分かって持ち込んだのではないのか」
「は?」
なんの話をしてるんだろ。分からないけどちょっと前までのぴりぴりした感じはなくなったっぽい? リリアさんの表情はさっきより焦ってるみたいで、かえって悪いことが起きてる気がしなくもないけど。
マレノアさまはリリアさんに向かってわざとらしくため息をつくと、ぎゅっと私を抱き締めた。お香かなにかかな? とってもイイ匂いがする。
「これは精霊の御つかい。知らぬとは言わんだろう?」
「知らね
――
いっ!?」
「ぴゃっ!?」
答えた途端、リリアさんめがけて一筋の雷が落ちた。リリアさんはすんでのところで躱したようだけど、雷が落ちた床は見事に黒コゲになってしまった。よく見れば、床のあちこちにそれらしいコゲつきがある。
もしかしなくても、部屋に入る前の音もマレノアさまが放った雷なのかも。リリアさんの態度を思えばそんな気がする。そもそも、ここにはマレノアさま以外のひとはいないみたいだものね。お姫様なのにそんな乱暴なことってあるんだ、って驚いているとマレノアさまが私の頭を撫でてきた。
「あぁ、すまぬ。お前を驚かせるつもりはなかったのだ」
「あ、と、へーきです
……
?」
「ふふ。気丈なことよ」
そう言ってマレノアさまはくすくす笑った。
ここに来る前、リリアさんはしつこいくらい私にじっとしてるよう言っていた。お許しが出るまで顔も声も上げないように、そうしないと命の保証が出来ないって。その上で今の茨の谷はものすごーく人間嫌いなひとが多いから、マレノアさまも例に漏れない人間嫌いなんだろうなって思ってた。だから、ひとつ間違えればひどい目や怖い目に遭っちゃうかもしれないって覚悟もしていた。
けど、いざマレノアさまの前に出てみればこう。私はマレノアさまのお膝に抱かれてリリアさんは雷を落とされてる。想像してたのと真逆だ。たしかに私は妖精さんと仲良くなりやすい体質だし、学園にきた時リリアさんから私みたいなひとを「精霊つかい」って呼ぶとは聞いていた。
でも、だからってこんなにベタベタされるものなのかな? マレウスさんたちや茨の谷のひとたちも妖精族だけど、こんなにされたことはない。
よく分からないけど、今は余計な事を言わないようじっとしているのが一番いいはず。何も言えないままマレノアさまにされるがままにしていると、リリアさんはうんざりしたようなため息をついてこっちを見上げてきた。
「ンだよ
……
んで、そのみつかい? ってなんなんだよ」
リリアさんからは畏まった様子はすっかり抜けていつもの調子に戻ってしまった。苛立たしげに頭を掻きながら私たちを見上げている。幼馴染だから軽い感じで接してるのかな? リリアさんの軽口に対して意外にもマレノアさまから怒る様子はない。
つまり、怒るまでもないってことだ。そんな二人の気安さにちくっと胸が痛む気がした。ヤキモチなんて妬いてる場合じゃないのに。
「はっ! 無学なことよ。あの鰐にでも聞けばよかろう。もう下がってよいぞ」
「な!? おい、マレ
――
」
リリアさんが言い切るより先にマレノアさまはキレイな魔法石を据えた杖で床を鳴らした。途端、リリアさんは見慣れた緑の光に包まれてこの場から消えてしまった。たぶん、魔法で追い出したんだと思う。
リリアさんがいなくなったものだから、マレノアさまと二人きりになってしまった。この後どうなるんだろう? マレノアさまから敵意のようなものを感じないあたり、そうそう怖いことにはならないと思う。けど、リリアさんと離れるのはちょっと不安かも。
怖いこともあったけど、なんだかんだでリリアさんの隊は居心地がよかった。けど、今は懐かしんでる場合じゃない。私はいつまでこうしてればいいんだろ。
考えていると頭の上に違和感があった。なにかと思って窓ガラスに映る私たちを見ると、マレノアさまは私の頭に顔を埋めて
……
る?
「ぴゃっ!? ちょ! 何されてるんですか!?」
「なに、とは?」
マレノアさまは私の頭の匂いを嗅いでるんじゃ? 気付いて思わずヘンな声が出てしまった。ひと息遅れてお許しもなく喋ったこと、さらに大声を上げたのはマズいんじゃないかと重ねて気付いた。そんなものだから緊張で首の後ろがピリッと痺れた。
けど、ドキドキする私をよそにマレノアさまは薄く笑っていた。怒ってる感じがないことにはほっとした。
「えぅ
……
」
ほっとすると、今度はものすごく恥ずかしくなってきた。なんせ、私が最後にお風呂に入ったのは何日も前に宿屋のお風呂を借りたきり。普段は川とかでの水浴びだけなものだから、キレイにしているとは言い難い。
そんなものだから、今の私はお世辞にもキレイな状態とはいえない。一応、身に着けているものは普段から魔法でキレイにしてるんだけど、それはそれ。私の汚れっぷりを思えば今の抱っこされてる状態だってよくない。セベクくんの言葉を借りれば不敬そのものだ。
「その、私しばらくおフロに入ってないんです! なのでその、臭うでしょうしキレイじゃないからお姫さまが触っていい状態じゃないといいますか
……
はい」
何が悲しくてこんなこと宣言しなきゃいけないんだろ。情けないやら恥ずかしいやらで顔が熱くなるのを感じながら断る。気付けば気付くほど生きた心地がしなくなってきた。そんな私をよそに、マレノアさまは一瞬だけきょとんとするとうす笑いを見せてきた。
「なんだ、湯浴みを所望するか?」
「あ、いえ、そういうわけじゃ」
お風呂に入れるなら入りたいけどそうじゃない。かぶりを振るもマレノアさまはにっこり笑いながら「いいだろう」なんてマレウスさんみたいなことを言って、そっくりの笑顔を見せると杖を手に取った。
「え、ちょ
――
」
言い切る間もなくさっきと同じように、カツン、と小気味いい音が響く。同時に強く引っ張られる感覚。さっきリリアさんを追い出したのと同じ魔法だと気付きながら、白む視界に目を瞑った。
眩しさが治まって視界が拓けると、目の前には大理石でできた広くて立派な
――
おそらく浴槽がほかほかと湯気を上げていた。
「え
……
」
もしかしてお風呂を貸してくれるのかな? だとしたらとってもありがたい。気分がふわっと上がるのを感じたけど、でもちょっとと思い直す。ちゃんとご挨拶もしてないのに借りるのはお行儀が良くないんじゃないかな。いや、汚い恰好で挨拶するのも大概ではあるんだけど。
それに、さっきの森では隊のひとたちが後始末やらのお仕事してるのに、私だけのんびりお風呂に入るっていうのもどうなんだろ。それと、捕まえた人たちのこともある。マレノアさまにあの人たちを逃がしたい、ってお願いをして通してもらわないと後味の悪い結果になってしまいそう。
そう考えたらのんびりしている場合じゃない。つい流れされそうになったけど、諸々のお話を済ませてリリアさんたちの所に戻らないとだ。
……
お風呂はすっごく惜しいけど。
マレノアさまが気遣ってくれたのは嬉しい。わざわざ用意してくれたことを思えば気が引けるけど断ろう。
「あの
……
ぅ?」
そう思って後ろにいるマレノアさまに振り返ると途端に違和感。身体がやたら軽くてなんだかむわむわする。
「わ、きゃっ!?」
それもそのはず。マレノアさまの魔法なのか、私は素っ裸にされていた。むわっとするのも湯気が当たっているからだ。ついでにマレノアさまも素っ裸だった。ところどころ鱗のある、目が眩みそうなキレイな身体を晒しながらどことなく楽し気な笑みを浮かべている。
「うえ!? ちょ! ぴゃっ!?」
そして、何をするのかと聞くより先に妙な浮遊感が腰から足にかけて纏わりついた。マレノアさまに魔法で浮かされているらしい。
「せっかくよ、私手ずから洗ってやろうではないか」
ウキウキしたマレノアさまの様子を見るに、私に断る権利はないみたい。マレウスさんも同じ感じで、強引というか、人の話を聞く気がなさそうなことがよくある。親子ってそういうところも似るのかなって思ってしまった。
なんにせよ、服を取り上げられて物理的に浮かされてる私にはされるがままになるしかない。
「
……
はぁい」
「さて」
マレノアさまは洗ってくれるとは言ったけど、どうするつもりなのかなー、なんてドキドキしているとベッドのような台にうつ伏せで寝かされた。厚みのある柔らかい布の上に寝かされているものの、ちょっとばかり硬さを覚えるものだから、何となくまな板に上げられたお魚にでもなった気がした。
うっかりそんなことを考えてしまったものだから、ついついイヤな想像をしてしまった。マレノアさまは私を洗うって言ってたんだから、お料理されたりなんてないよね? リリアさんは粗相をしたら命の保証はできないみたいなことを言ってたけど、さすがにそんな怖いことはないと思いたい。けども、謁見室に入る前のリリアさんの怯え方や、ここまで私がやらかしてきたことを思えばないとも言い切れない気もしてしまう。
「ふふ、そんな固くならずともよい」
ヒヤヒヤしていると頭の上からマレノアさまの声が聞こえてきた。笑ってるみたいだけど、どんな笑いなんだろ。
「はい
――
ぴっ!?」
自分でも震えているのが分かりつつ答えると、冷たいものが背中に
……
かけられた? 液体のようだからボディソープかなにかかな? 垂れるごとに背中に広がっていくのが分かる。
「大人しくしとれよ」
「はい
……
」
滴し終わると今度はマレノアさまの手が背中から腰に向けて大きく円を描くようにすべる。すべすべしすぎない感じからするに油なのかな? 森の中のような落ち着くいい匂いがしていた。
「
……
っ!」
マレノアさまの手が滑るごとに身体がほぐれるようで気持ちいい。けど、くすぐったい。ものすごくくすぐったい。言われた通りにじっとしたいのに、くすぐったくなるツボみたいなところを触られる度に身体がびくついてしまう。大人しくしろと言われた手前動かないようにしたいけど、いかんせん身体が勝手に動いてしまう。
「う、ふ
……
」
「これ、大人しくせぬか」
「は、はい、ごめんな
……
ひっ!?」
どうにか堪えようにも身体の脇はどうしてもくすぐったくてじっとはしてられない。せめて素手以外であればもう少しはマシかもしれない。
「あ、あのぅ
……
」
「なんだ?」
「その、なにも手でなくてもタオルとかでいいん、ぴゃっ!?」
言いかけて、マレノアさまの手が脇から胸の下に潜り込んできた。女同士とはいえこれは恥ずかしいしものすごくくすぐったい。だからせめて素手以外にしてほしくてお願いした。
「何を言うか。そんなもので擦って、お前の肌に傷でもついたらどうする」
けど、あっさり却下されてしまった。たしかに、タオルで擦ったり握ったりすると痛かったりする。けど、それくらいで傷になんてならないし、マレノアさまの柔らかい手つきを思えば痛くなんてならなさそう。
結局お願い虚しくマレノアさまの素手での洗身は続いてしまった。
「それくらいへーきですよぅ
……
んふっ、う、あうぅ」
「ふむ、人間とは妙な鳴き声を上げるものなのだな」
「や、ちが、ひっ!? くすぐっ! たいんです!!」
身体じゅうを撫で回されてるものだからくすぐったくて仕方ない。そんなだからついついヘンな声が出るというもの。それにしたって鳴き声扱いはないんじゃないかな、なんて思いつつ答えるとマレノアさまの手が止まった。
「なんと、この程度でか?」
「ううぅ、はひっ!?」
「面白い生き物だな、人間などというものは」
なにが面白いのかマレノアさまはふふ、と笑うとぬるぬると私の身体を洗い(?)続けた。
そうしてマレノアさまは私の頭の先から爪先の爪の先まで全身くまなく見ては洗ってくれた。そう、全身くまなくだ。両親にだって見られたことのない所までしっかりばっちり見られて触られてしまった。
抵抗のひとつでもしたいところだったけど、下手なことをして不敬にあたったら困るし、うっかり怒らせようものならどうなるか想像もつかない。だから、されるがままになっていた。
それに、私をいじくり回すマレノアさまの態度に悪意のようなものは感じなかった。単純に物珍しさから私をいじくってたんだろうと想像つく。それでも恥ずかしかったことには変わりはないんだけど。これについては早めに忘れよう、そうしよう。
そんなこんなで、恥と引き換えに全身しっかりキレイにしてもらったところで私はマレノアさまと湯船に浸かっていた。
「ふぃ
……
」
熱めのお湯が心地よく身に沁みる。さんさんくすぐられて疲れていたのも相まって、本当に気持ちいい。そんなだからその気がなくても気が抜ける。
「湯加減はどうだ?」
「あ、はい。とっても気持ちいいです」
「ならよい」
マレノアさまは薄く笑うと私を膝の上に乗せて後ろから抱きしめてきた。謁見の間でいきなり膝で抱っこされたことといい、マレノアさまは私をなんだと思ってるんだろ。疑問に思ってるとマレノアさまは私のほっぺを揉んできた。これはこれでちょっとくすぐったい。マレノアさまの手にはまだ香油がついてるのか、さっきまでと同じいい匂いがしている。
身も心も解してもらって気が緩むままうつらうつらとしていると、マレノア様はそうっと耳打ちしてきた。
「それで、お前はどこからやってきた?」
「え」
突然そんな質問をされて夢心地だった気分はすっかり覚めてしまった。どこからと聞かれたら四百年後の茨の谷からだ。けど、正直に答えて未来に影響が出ると思うと答え辛い。喉にヒリつきはないから嘘を見抜く魔法を使ってるわけじゃなさそう。
かといって相手が相手なだけに適当に答えるのも憚られる。もしそれでまかり間違ってリリアさんがお仕置きとかされたら悪いもの。
「ごめんなさい、言えないです
……
」
どうにか考えてみても、出てきた答えはこれだけだった。マレノアさまなら正直に答えてもいいかもって気はなくもない。けど、どうしても言う気になれなかった。
未来から来たなんて言おうものなら先のことを聞かれるのは想像に難くない。聞かれたらいよいよ困る。なんせ、私のいた時代ではマレノアさまはとうに命を落としているひと。とてもじゃないけど本人に対してそんな話はできない。
「
……
ふぅん」
「えぅ
……
」
マレノアさまはどことなくしらけた口調で呟くも、ほっぺを揉む手は止まらない。ちゃんと答えなかったからご機嫌を損ねちゃったかな? 心なしか辺りの空気が熱いお湯に浸かってるはずなのに背中が冷えた気がする。
「でもその! 私、この国にも、この国の妖精さんにも、悪いこととかするつもりはこれっぽっちもないんです」
「信じろと?」
「はい」
「自らを語らぬ者の言葉を飲み込めと?」
「
……
そう、です」
頷くとマレノアさまは私の顎を掴んで上を向かせ、じいっと私の顔を覗き込んだ。
マレウスさんによく似たお顔はにこりともしていないものだから薄ら寒さを覚えてしまう。熱いお湯に浸かってるはずなのに、身も心も凍った気がしてしまう。マレウスさんがわりとのんびりしたひとだから忘れてたけど、ドラコニアのひとたちはよその国からはそれはそれは恐れられている存在だ。それこそ、マレウスさん自身も災害なんて言われるくらい。
そんなひとに睨まれたものだから生きた心地がしなかった。けして機嫌がいいとは言えない顔で見つめられてお風呂のお湯も、私に流れてるはずの血もなにもかもが凍った気がする。
「ふ
……
ふふ」
「あの?」
何か言わないと。でも何を? ほんとのことを言う? それともウソにならないギリギリの話でもした方がいい? どう言えばマレノアさまのご機嫌が直るのか凍った頭で考えた。けども、気だけが焦る頭で考えたところでイイ案なんて思いつかない。そうしているとマレノアさまはふ、と表情を緩めた。
「ま、いいだろう。私を欺いたところでお前に益がないのは分かっておろう?」
あの蝙蝠になにを吹き込まれたかは知らぬが、なんてぷちっと付け足して、マレノアさまはまた私のほっぺに手を添えた。そのままゆっくり前を向かされて、ようやく元の姿勢に戻った。マレノアさまの顔が視界から外れると、途端に凍っていた血が巡るのを感じる。
「えと、はい」
「ならよい。ふふ」
頷き返すと何が面白いのかマレノアさまはくすくす笑って、また私のほっぺをむにむに揉み始めた。マレノアさまを怒らせなくて済んだのはいいけど、さっきからなんでこんなにほっぺばかり触るんだろ。
それからしばらくのんびりお風呂に浸かりながらマレノアさまとお話をした。私のこと、今の茨の国のこと、最近お婿に入ったレヴァーンさまのこと
……
それと、リリアさんのこと。
マレノアさまにとってリリアさんはずぅっと側にいる幼馴染で使い勝手のいい片腕。マレノアさまは軽い感じで言ってのけたけど、リリアさんへの気持ちはきっと軽いものじゃない。愛とか恋とかそういう情のようなものは感じられなかったけど、リリアさんの実力と人となりをよくよく理解した上で、深く深く信用しているのがよくよく伝わってしまった。
マレノアさまとリリアさんの積み上げてきた時間を思えば、私が募らせた気持ちなんて砂粒のようなもの。れっきとした差を目の当たりにしてしまい、敗北感すら覚えさせてもらえなかった。
「
……
」
「ときに御つかいよ」
「
……
」
「これ、返事をせぬか」
「ぶっ」
すっかり燃え尽きた気分でいると、私のほっぺを揉んでいた手がぐ、と押し込まれた。ぼうっとしすぎてマレノアさまの声がけに気付かなかった。怒ってる感じはないけど返事をしないのはよろしくない。だから、慌てて首を捩ってマレノアさまに向かった。
「え、あ、はい! みつかい、ですか?」
「あぁ。まだお前の名を聞いておらぬからな。御つかいと呼ぶほかあるまい?」
そういえばまだ自己紹介も挨拶もしてなかったんだっけ。会って早々にリリアさんは追い出されて私はマレノアさまのお膝の上で撫でられてたから、そんなヒマはなかったといえばそう。それにしたって挨拶も自己紹介もないままお世話になるなんて、我ながら厚かましすぎる。
こんな状態で挨拶するのもどうかと思うところではある。けど、たぶんマレノアさまの態度からは名乗りなさいって言っているように感じる。
「遅ればせながらマレノアさま、初めまして。ティナ・キースリンクです。このような姿で恐縮ですが、お目に掛かれて光栄です」
せめて向かい合えたらとは思うけど、マレノアさまにしっかり抱えられている身ではそうもいかない。どうにか首をひねって目だけでも合わせようとしながらマレノアさまに応えた。
「ティナ、か。お前に似合う愛らしい名ではないか」
背中越しにマレノアさまのほぅ、とした息遣いを感じる。決してお行儀のいい挨拶ではないけど、怒らせたわけではなさそう。
「えへへ
……
ありがとございます」
「それでティナよ」
「はい」
名前を誉められて悪い気はしない。ちょぴっと浮かれた気分で返事をすると、マレノアさまは私の左のほっぺを指先でぐっと押し込んだ。
「この傷は、誰に付けられた?」
マレノアさまの声色が変わった。さっきまでは楽しそうな感じはなりを潜めて、とても冷たい物言いに変わった。あまりに固い物言いに私が責められた気がしてまたも寒さを覚えてしまった。
「え、と
……
」
「ああ、怯えずずともよい。お前は答えるだけでいい」
「
……
」
私をぶったのはリリアさん、答えるのは簡単だ。けどマレノアさまの態度を見ると答えるのは憚られた。己惚れるつもりはないけど、これまでの感じからするにマレノアさまは私のことをずい分と気に入ってくれてるみたい。だから、私をぶったひとにお咎めがあるんだろうって気がする。
だとしたら、とてもじゃないけど答えられない。これはバウルさんを助けるためとはいえ勝手なことをした私への罰だ。リリアさんは何も悪くない。それなのにマレノアさまに叱られるなんてあっちゃいけない、はず。だから、心配してもらうようなことじゃないって伝えておこう。そうすればリリアさんが怒られることなんてないはずだ。
「マレノアさまが気にされることじゃないんです。その、ちょっとドジを踏んじゃったというか、そういうのなので」
「
……
」
「心配してくださったんですよね。その、ありがとうございます」
「正直に答えよ。というのが分からぬか」
「っ」
マレノアさまの口調は静かなものだけど、またもぞっとする声色だった。怒ってるような気配をヒシヒシと感じる。その証拠にじゃないけど、マレノア様の爪がほっぺに食い込んでちょっと痛い。
「え、と
……
」
「張られているのは見れば分かる。誰だ」
声に魔力でもこもっているのか、マレノアさまからは有無を言わせない圧を感じる。そんなだから、今日これまでのどんな態度よりも怒りが伝わってくる気がした。
「リリアさん
……
です
……
」
リリアさんのためにも言わないでおこうって気持ちは大いにあった。けど、抗えなかった。マレウスさんのお母さんとなれば、マレウスさんと同じドラゴンの妖精のはず。そんなひとにさりげなくとはいえ、凄まれてノーと言えるわけがなかった。
マレノアさまに睨まれたからか、はたまたリリアさんを裏切った後ろめたさからか、またも体じゅうが冷えた気がする。震えが止まらない。そんな私をよそに、マレノアさまはそうっと私の頭を撫でてきた。
「怯えるなと言うておろうが。
……
あいつか」
マレノアさまはぽつっと呟くと優しげな手つきで私の身体を抱きしめた。口ぶりからするに私がリリアさんを怖がってるとでも思ってるのかな。だとしたらちょっとマズいかもしれない。もし誤解をさせてるなら解かないと。だから、慌ててかぶりを振ってマレノアさまの腕を抜けて向き合った。
「あ、や、あの! そうじゃなくって」
「む?」
「その、リリアさんは悪くないんです! 私が余計なことをして怒らせちゃったんです」
「お前が?」
「はい。なので、もしリリアさんへの処罰をお考えなのであれば、お咎めはなしにしてほしい、です」
「
……
」
必死のつもりでお願いするも、マレノアさまはどことなくきょとんとした顔をしている。もしかして、見当違いなことでも言っちゃったかな。なんとなくだけどお話が滑ったような据わりの悪さを感じる。ついでに、そのおかげが震えは消えた。
「えっと
……
お願いします」
ものすごく気まずい感じがするけど、お願いはちゃんとしておかないとだ。マレノアさまはまじまじと私の顔を見つめると、私のお願いに答えるでもなく、どことなくしらけた顔を見せた。そして。
「そろそろ出るか」
「あ、はい」
マレノアさまはぷちっと呟くと、来た時同様私を魔法で浮かせて湯舟から上がった。にこりともしないあたり怒らせちゃったのかな。それでも、私が伝えたいことは伝えられた、と思う。あとはマレノアさまがどう考えるかだ。
+++++
お話が終わったらリリアさんたちのところに帰してもらえるかな?
そう思っていたのに、お風呂から上がってお着替えが済んだところで、私はまた謁見室の玉座でマレノアさまに抱えられていた。気に入られてるんだろうなーとは思うけど、さすがにいつまでもこうしているわけにはいかない。
「あのぅ、マレノアさま?」
「なんだ?」
「えっと、まだお話することとかありましたか?」
「ないな」
「そー、ですか」
「だが、お前の話はいくらでも聞こう」
にっこり笑ったマレノアさまはそれはそれは楽しそうだった。ご機嫌なのはいいんだけど、私はいつになったらリリアさんのところに戻れるんだろ?
お食事支度もあるからこれ以上の長居はできることならしたくない。楽しそうにしてるマレノアさまには悪いけど、そろそろお暇したいかも。
「あの、マレノアさま?」
「なんだ?」
「そのぅ、そろそろリリアさんたちのところに帰していただきたいんですけど」
「は?」
だから聞いてみると、マレノアさまのご機嫌は途端に傾いた。傾いたままのマレノアさまが言うには、私をリリアさんからのプレゼントだと思って受け取ったのだそうだ。
人を物扱いするのはいいとして、どうしてそうなっちゃうんだろ。たしかにこの部屋に入った時、マレノアさまとリリアさんはそれっぽいやりとりをしていたと思う。聞いてた時は冗談だと思って聞き流してたものだから本気だなんて思わなかった。
「えっと
……
?」
「だから、ここに住むのだろう? あぁ、心配はいらぬ。お前の部屋は既に用意させてある」
「え? え?」
マレノアさまは当然のような顔をしてるし、なんなら楽しそうにしているまである。けど、私としてはそれだと困る。
寄る辺のない身としては住む場所ができるのはありがたい。マレノアさまの側なら安全だろうし、今日のお食事の心配をする必要もない。お風呂もあればベッドでゆっくり休めるんだろうとは想像がつく。なんなら、元いた時代に戻る方法だってお城の書庫とかで調べられるかもしれない。そう考えれば、ここにいるのが一番楽だと思う。
けど、私がいたいのはここじゃない。
この時代に来て、なにがなんだか分からないままリリアさんたちと行動を共にしているうちに私がしたいこと、するべきことは見えてきた。この時代の、リリアさんたちを含めたこの地に住む妖精さんを助けたい。そう思うようになっていた。
真っ当に考えるなら元いた時代に戻るのを優先するべきだろうとは思う。けど、私は元々異世界からこのツイステッドワンダーランドに来た身。ヘンはな話だけど、世界を渡っちゃったことに比べればそれほど焦ることじゃない。なら、今後のためにも妖精さんたちのために働いていいはず。
とはいえ、お城でぬくぬく過ごしていたらそれは叶わない。だから、リリアさんたちのところに帰らないとだ。そのためにはマレノアさまにお伺いを立てないといけない。どんな反応をされるのかちょっぴり怖いけど、マレノアさまを見上げた。
「あの、マレノアさま。ちょっとお願いしてもいいですか?」
「なんだ? 言ってみろ」
「
……
」
マレノアさまは私をとても気に入って側に置いておこうって考えてるんだろうとは思う。楽しそうにしている様子を見れば明らかだ。だから、「リリアさんのところに帰してください」なんて提案したらそれこそ機嫌を損ねそう。
「リリアさんのところに帰していただけ
――
いっ!?」
言いかけて身体じゅうに鋭い痛みが走った。
すぐ側に落とされた雷とマレノアさまの手だ。マレノアさまは千切れるんじゃないかって思うくらいの力で私の腕を握り締めている。
雷もすごい。リリアさんに落としたほどではないけど、受け流しきれない雷が身体じゅうを巡って痺れている。
「ったぁ
……
」
「
……
」
こんなことをしてくれたけどたぶん、マレノアさまに害意はない。びっくりした反動で物を壊したり、雷や氷が飛び出したりってマレウスさんもたまにやってたものね。そういうのと同じやつだと思う。
ただ、マレノアさまの顔はお世辞にもご機嫌とは言えない雰囲気がしている。笑顔は崩してないけど、心の底から笑ってないのが伝わってくる。正直これ以上何か言うのは怖い。けど、ちゃんと言わなきゃだ。
リリアさんはマレノアさまに対してずい分な言いようだったけど、たぶん、リリアさんが言ってるほど話を聞かないひとじゃないはず。それに、マレウスさんのお母さんなんだからむやみやたらに怖がるのもよくない。少なくとも、私はマレノアさまを怖がるようなことはされてないもの。
呼吸を整えて、身体に残った雷を打ち消してもう一度マレノアさまを見上げた。
「リリアさんたちのところに帰していただきたいんです」
「何故?」
「もっと、リリアさんたちのお役に立ちたいんです」
リリアさんとマレノアさまの立ち位置を思えばここにいるのが一番いいのは分かる。
けど、短い間とはいえ、リリアさんたちのお仕事を見てたらとてもじゃないけど、のうのうとしていられない。私がしていいことは大してないけど、それでも力になりたい。
……
まぁ、もっとリリアさんの側にいたいって下心もあるんだけど。さすがにこれは恥ずかしいから言わなくてもいいよね、たぶん。
「お前ごときが? 戦場で役に立てると?」
「はい。私、これでも結構強いんですよ?」
「
……
ふぅん?」
さすがにこの時代でオーバーブロットしたマレウスさんより強い魔物や人間なんてそうそういないはず。なら、じゅうぶん役に立てるはずだ。
とはいえ、私の戦い方じゃ訓練を受けた兵士さんの足並みを乱して足手まといになりかねないから、実際戦うことがあるのかは分からない。それに、人を傷付けたり命を奪ったりなんてことは極力したくない。もちろん、争いの真っ最中にそんなことを言ってられないんだろうけど。
言ってみたものの、マレノアさまは興味がなさそうに私のほっぺをつついている。信じてもらえてないのかな。そんな感じだ。
「ダメ、ですか?」
「いい気はせん」
「う
……
」
「お前が腕が立つのは聞いている。得物を持つ人間相手に雷を落としたそうじゃないか」
「え?」
マレノアさまは聞いたって言うけど、そんなことをしたのはここに来るちょっと前、今のさっきのことだ。ということは、やたらと行き来してた伝令書の中にあのことの報告もあったのかも。私たちをここに送った妖精さんも私のことを知ってるみたいだったものね。
だったら、私が役立たずじゃないことも、妖精さんに害を及ぼす存在じゃないのもマレノアさまは分かるはず。なんでしらばっくれるようなことを言ったのかは分からないけど。
「えと、ならいいですよね? リリアさんのお邪魔にはなりません」
「先ほどからお前は
――
」
マレノアさまはすぅっと目を据わらせるとじぃっと私の顔を覗き込んできた。分かりやすく怒ってる感じはないけどちょっと怖い。
「リリアリリアと、あの蝙蝠ばかり気に掛けるではないか」
「えっ」
「なんだ、アレに気があるのか?」
マレノアさまはうっすら笑った。どことなくからかってるような、ともすればバカにしてるような気もする。そんな笑い方だ。
リリアさんへの下心は出ないようにしてたつもりだったけどバレバレだったらしい。マズいことをしちゃったような、気まずいようなうす寒さを感じる。
マレノアさまはにこりともしないでじぃっと私を凝視していた。探るような目つきだけど何を推し測ってるのか分からない。リリアさんは右大将さまだし不釣り合いだとか、戦場に色恋を持ち込むな、とかって怒られるじゃないか。そんな気がしてしまった。
うっかりそんなことを考えたものだから、改めて私とリリアさんとじゃ立場があまりにも不釣り合いだと気付いてヘコんでしまった。リリアさんとどうこうなれたらなーって今でも未練がましくあるものだから後ろめたさがすごい。しかも、バレたのがマレノアさまっていう、リリアさんが結婚を考えるようなひとなものだから恥ずかしさまで出てきた。顔が熱い。
「
――
はい」
それでも、せめて自分の気持ちには正直でいたかった。身分違いだろうが、身の程知らずだろうがこれまで温めていた気持ちをウソや誤魔化しで踏みつけたくなかった。
まっすぐ見つめ返したつもりだったけど、情けなく震えてるものだからちゃんと見返せてるか分からない。そんな私の顔をマレノアさまはたっぷり数秒の間見つめてきた。
「分不相応なことよ」
私から目線を外しすとマレノアさまはそっぽを向きながら呟いた。急に興味がなくなったというか、白けた態度だ。私の身の程知らずっぷりによっぽど呆れてしまったのかも。
そう思われるのはおかしなことでもなんでもない。マレノアさまほどの立場のひとであれば上に立つ者の交友関係を気にするのは当たり前だ。それでも、こうも下に見られるとマレノアさまとの格の違いみたいなものを勝手に感じて、気持ちがくさくさしてしまった。私にはマレノアさまより上に立てる要素なんて何ひとつないのに。
くさくさついでにリリアさんの奥さんってひとはどんな人だったんだろって、ついつい考えてしまった。右大将さまなんだし、釣り合う相手となるとイイおうちの貴族の御令嬢とかなのかな。それとも、マレノアさまだったりするのかな? これまでのマレノアさまの態度を思えば可能性はなさそうだけど、マレノアさまなりの照れ隠しだと考えればないとも言い切れない気もする。
いずれにせよ、どこの馬の骨とも分からない上、人間でしかない私には関わる権利すらない話だ。考え出すとどこまでも気持ちはヘコんでしまう。そうしてヘコんだままくさくさしていると、ふいに両のほっぺをぐっと押し込まれた。
「ぶっ」
「お前は」
「あ、はい
……
?」
よっぽど身の程知らずとでも言いたいのかな。自分でもそう思うとはいえ、実際言われるとなると気分はよくない。けど、マレノアさまは何も言わず、探るような目で私をじぃっと見ると小さく息を吐いた。
「まぁ、いいだろう。明日帰してやる」
「えっ」
「せいぜい、アレの役に立つことだ」
「あ、ありがとうございます!」
どうしてマレノアさまの気が変わったのかは分からないけど、リリアさんのところに戻れるらしい。正直に喜んでいるとマレノアさまはずいっと顔を寄せてきた。
「その代わり、だ」
「あ、はい」
「ひと晩、相手をしてもらおう」
「はい。わかりました
……
?」
相手ってなんだろ。お話相手でもすればいいのかな。よく分からないながら頷くと、マレノアさまは満足げ笑った。
お願いを聞いてもらえたのが嬉しくてちょっとばかり浮かれた気分になったところで、もう一つお願いしたいことがあったのを思い出した。
捕まえた銀の梟の人たちをどう扱うかだ。リリアさんの隊に戻るよりもこっちの方が大事なまである。さっきの感じならお願いすればそれなりに聞いてくれるみたいだから、ちゃんと頼んでみよう。そう思ってしっかりマレノアさまを見つめた。
「すみません。もうひとつお願いしてもいいですか?」
「お前、案外図太いな」
「う
……
ごめんなさい。でもその、とっても大事なことなので」
「よいよい。それ、言ってみろ」
「はい。銀のふく
――
」
言いかけて、マレノアさまの手が止まった。私を見つめる目に険しさがこもる。言いかけてこれなら最後まで言ったらどうなるんだろ。消し炭にされてもおかしくないかも。ついそんなことを考えてしまった。
マレノアさまの様子はちょっと怖いけど、人の命が掛かってるんだから「やっぱいいです」なんて言ってうやむやにするわけにはいかない。にわかにざわざわした気持ちを落ち着かせてマレノアさまの目をまっすぐ見つめた。
「
……
その、捕まえた銀の梟人たちなんですけど、できれば殺さないでほしいんです」
「
……
。理由は」
マレノア様の表情は今日一番の険しさだ。けど、話そのものは聞いてくれるらしい。消し炭にならなかったことにほっとしつつ、どう言えばマレノアさまが聞き入れてくれるのか考えた。茨の国の妖精さんのほとんどがそうであるように、マレノアさまも人間のことを良くは思っていないはず。なら、言葉を選ばないとかえってマズいことになりそう。ちょっとだけ考えて、答えた。
「この地を汚さないためです」
我ながらひどい言い方だと思う。
死傷者が出れば出るほど禍根が残って後々大変かも、とか。争いは何も生まない、とか。こんなヤな言い方じゃなくても、それっぽい言いようはあったかもしれない。
けど、これまで私をひと目見た妖精さんたちの態度を鑑みれば、ここに住んでる妖精さんたちがどれだけ人間に怯えているのかよく分かる。ただ静かに暮らしたいだけなのに、住む場所を無理やり奪われては大切な場所を荒らされて、それはそれは疲弊しているようだった。
そんな妖精さんたちを見てきた以上、人間をかばう言い方はしたくなかった。私としてもあの人たちにはあまりいい印象を持ってないんだもの。だから、本音を混ぜてちょぴっとばかりイヤな言い方にした。言い方は悪いけど、先の茨の谷の穏やかさやリリアさんの願いを思うと、この土地に流れる血は少ないにこしたことはないものね。
とは言ってみたものの、聞き入れてもらえるかな。返事を待っていると、マレノアさまは私の言葉ににこりともせず聞き返してきた。
「だが、黙ったままでは荒らされる。お前は私たちに指をくわえて略奪されろ、と、そう宣うのか?」
「いえ。悪いことをする人間を処罰するのは当然だと思います。ただ
――
」
「ただ?」
「一度だけは、逃がしてもいいんじゃないでしょうか?」
「なぜ?」
「しっかり怖がらせて警告すればもう来ることはない、と、思うので」
「懲りずに来たらどうする」
「
……
。その時はその時です。警告は一回で十分ですよね?」
リリアさんとマレノアさまの様子を見れば温情をかけられるのはせいぜい一度きり。
私としてもそれ以上は見逃していいとも思い辛い。だから、懲りない人たちまで庇おうって気にはなれない。はっきり言わないのは卑怯な気もするけど、それでもマレノアさまは私の言わんとしてることは汲んでくれたらしい。ちょっとばかり口元を緩めた。
「
……
なるほどな。それで? どう追い返すと言うのだ?」
「え? 転移の魔法で飛ばしちゃえばいいんじゃないですか?」
「わざわざ人間なぞに手間隙をかけろと?」
「うろつかれるよりはマシですよ」
正直、わざわざ送り返してやる必要はあるのかと聞かれれば微妙なところではある。けど実際、茨の国に住む妖精さんたちは私をひと目見てビクッとなるくらいには人間に怯えていた。だから、ちょっと面倒でもこっちから追い出した方が妖精さんたちも安心できると思う。
人間を移動させる魔法は簡単なものではないけど、近衛隊に属してるほど魔法達者な妖精さんたちならできないわけがない。それに、この時代であれば魔法石なんかの魔法資源もたくさんある。リリアさんたちが渋るだろう以外の問題はないはずだ。
それに、大抵の人間は転移魔法を使われると気分が悪くなる。わざわざ気持ち悪い思いをしたがる人なんていないだろうし、これも牽制のひとつになるんじゃないかな。説明したところで転移慣れしてる妖精族のひとたちには理解されないだろうけど。
ひと通り答えるとマレノアさまはじっと私の顔を眺めながら、またもほっぺをぐにぐに揉んできた。
正直、ぽっと出でしかない私の言葉で一国のお姫様の考えをどうこうできるとは考えられない。自分の提案ながら甘いんじゃないかとも思う。それでも未来を知っている身としては、少しでも禍根を残したくない。そのため、まっすぐマレノアさまと目を合わせた。
しばらくの間見つめ合っていると、マレノアさまはため息とともに私を膝から下ろした。そしてそのまま魔法で浮かせて、マレノアさまの真向かい、この部屋に入ってきた時のリリアさんの立ち位置にそのまま立たされた。
向かい合ったマレノアさまの表情は静かなものだった。呆れられたかなって気はするけど、少なくとも怒ってる感じはない。
「到底、賛同できる話ではないな」
「
……
」
「かような提案。よりにもよって人間から上げてくるなぞ
……
お前、命が惜しくないのか?」
「そりゃあ惜しいですよ」
ドキドキしながら、でも顔に出さないようにマレノアさまを見つめ返す。そんな気はしたけど快く思われないみたい。ここで却下されてもまだ話は聞いてもらえるかな。私の提案がまるまるダメだとしても、どうにか折り合いをつけられないか探したい。
緊張のせいか、背中からイヤな汗が伝うのを感じる。ひと呼吸おいて、マレノアさまはわずかに口元を緩めた。
「
……
だが、他ならぬ御つかいの言葉とあらば軽んじることはできぬ。特別に耳を貸してやろう」
「あ、ありがとうございます!」
「呑むとは言っておらんだろう。勘違いをするでない」
「う。すみません
……
」
マレノアさまは呆れたように息をつくと居ずまいを正して、ゆったりと笑いながら私を見下ろした。
「それで? お願いとやらはこれで終いか?」
「はい。いち人間の我儘にお耳を貸してくださり、本当にありがとうございます」
「貸してやるだけかもしれぬぞ?」
「構いません」
「
……
ふぅん?」
感謝の気持ちを込めて深く頭を下げると、部屋の中の空気がほんのり暖かくなった。マレノアさまの機嫌がよくなったのかな。このタイミングで機嫌よくなった理由は分からないけど。
「使用人に案内させる、お前は部屋で休むといい」
「承知しました」
「私が行くまで大人しくしておれよ?」
「はい」
「よろしい。では下がれ」
「はい。失礼いたします」
ほんの少し笑うマレノアさまにもう一度深くお辞儀をして、足音を立てないようそうっと謁見室を出た。
開けてもらったドアを抜けて、マレノアさまに向かって深くこうべを垂れる。ドア番のひとがドアを閉じ切るまで姿勢を崩さないよう顔を伏せてふくらはぎに力を籠める。完全にドアが閉じてからゆっくり三まで数えてから、身体を起こした。
「御使いさま」
「はぁい」
声を掛けられて振り返ると小柄な女の子が私を見上げていた。妖精さんは歳が分かりにくいからはっきりとは分からないけど、気配からしてまだ若い子のようだった。毅然としているようだけど、緊張が指の先に現れていた。
「マレノア様より案内を仰せつかっております。こちらへ」
「はい。お願いします」
この子はなんでこんなに固くなってるんだろ。ほかの妖精さんみたいに人間に怯えてるのかな? だとしたら、この子以外のひとも怖がらせないようにしておかないとだ。意識して笑顔を作りながら野ばら城の廊下を歩いた。
お城の中は静まり返っていて、私たちの足音だけが響いている。ひと気がまるで感じられないけど、この子以外の使用人のひとっていないのかな? お城の生活ってたくさんのひとたちで回すもののはずだけど、どうなってるんだろ。
なんとなく気になりながら歩くうち、お部屋の前で妖精さんが足を止めた。
「こちらです」
「はい」
通してもらったのは立派なベッドのある見るからにいい客室だった。大きな窓の前には景色を眺めるようにかな、これまた立派なテーブルセットが据えられていてお茶とお菓子まで用意されていた。
軽くお部屋の中を案内してもらうと、最後に小さな鈴を手渡された。お茶のおかわりなんかの用がある時やお部屋を出たい時はこの鈴を鳴らしてひとを呼ぶように、だそうだ。マレノアさまからはお部屋で大人しくしてなさいって言われてたし、勝手にお城の中をうろつかないようにってことなのかも。たしかに、マレノアさまが受け入れてくれたとはいえ、敵種族の人間がお城の中をうろついてたら妖精さんたちも落ち着かなさそうだものね。
「では、失礼いたします」
「はい、ありがとうございます」
鈴を受け取ると妖精さんは深くお辞儀をして部屋を出て行った。
「んー」
一人になると途端に気が抜けた。なんだかんだで、この時代に来てからひとりでいられたのってお食事支度をしてる間くらいものだった。それだって、バウルさんが遠目から見張っていたものだから完全に一人でいられてるわけじゃない。寝る時もそう、隊の誰やリリアさんの見張りがある中で寝ていた。私を警戒するのは当然だし、ちゃんと見張ることで隊のひとたちが安心できるならそれに越したことはない。理解しててもちょっとだけ疲れちゃうこともある。
だから、今こうやって一人でのんびりできるのはありがたかった。今も忙しく働いているリリアさんたちには悪い気はしちゃうけど。
「ふぃ
……
」
あとはマレノアさまが来るのを待つだけ。そうしてお話相手かなんかをすればリリアさんのところに戻れる。それまでどう待ってようかな。せっかく用意いてもらったしお茶とお菓子をいただいちゃおうかな。それとも、ふかふかのベッドでひと眠りしようかな。
結局、なんとなく窓から外を眺めながらお茶とお菓子をいただいてるうちに眠たくなって、そのままベッドで眠ってしまった。
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