獣型の古代遺物が口を開くと、金属が擦れ合って軋むような気味の悪い音が鳴る。頭部があり、胴体があり、四肢を持つそれは獣の形を模してはいるが、命が宿っているわけではない。だからこそどこまでも残忍で、ひとたび領域を侵した者を許さない。血管のように張り巡らされた昏い魔力が、生物で言うならば眼球に当たる部分で一際強く輝いていた。
この頃、行方不明者が続出しているという街道の調査を引き受けたオルベリク達は、道の脇にある洞窟に目を向けた。先日の地滑りで土が崩れて口を開いたと思しき洞窟の中を進むと、地下遺跡に繋がっていたのだ。そこで見たのは人骨や、損傷が激しい遺体。そして、遺跡の守護者である古代遺物だった。
「はぁっ!」
飛び掛かってきた古代遺物に対し、オルベリクは退かなかった。迎え討つようにこちらからも踏み込み、大きく剣を薙ぐ。その際に足元で砕けた何かは、石畳の破片か、それとも過去の犠牲者の骨なのか。確かめている余裕はない。同時に、背後で爆発音が鳴り火の粉が舞う――後方にいるもう一体の古代遺物に向かって、サイラスが魔法を放ったのだ。
意識は前方に向けたまま、半身を返して背後に視線を遣る。
「トレサ、トレサッ、しっかりしろ! 俺が絶対に助けてやるからな……!」
足元には折れた槍が転がり、血塗れの少女の体をアーフェンが抱きながら懸命に治療を続けている。二体の古代遺物に不意打ちで挟撃され、鋭い爪によって負傷したのだ。油断していたつもりはなかったが、地下遺跡や遺体に気を取られて、接近を許してしまった。
一先ずオルベリクとサイラスが古代遺物を相手取ってはいるが、体力という概念を持たない相手に膠着状態を長く続けるのは分が悪い。トレサの状態も極めて危険で、このままでは彼女の命の方が先に尽きるだろう。ただ希望はある。今は古代遺物を抑えるので手一杯だが、神官の力を授かっているサイラスが治療に加われば、トレサを救うことができる。
(……これしかないか)
短く息を吐く。この事態が長引けば長引くほど、取り返しがつかなくなる可能性が高まる。決断は早く、そして最も重い責任を負うべき者が行わなければならない。
「……サイラス、まだ魔法は使えるか?」
「ああ、大丈夫だ」
「よし。……俺が道を拓くから、二人を連れて逃げろ」
「……!」
背を向けていても、息を呑む気配が伝わってきた。オルベリクの真意は、聡明な彼になら短い言葉でも伝わっただろう。
「っ……それはできない。私も残る」
「お前までここに残ったら、誰がトレサを癒すんだ。それに、アーフェンが治療に集中できるように守らなければならない」
「……」
「……大丈夫だ。俺もすぐに後を追う」
聞き分けのない子供に言い聞かせるような優しい声色で、嘘をついた。二人でなんとか抑え込んでいる相手にたった一人で立ち向かうことがどれほど無謀か、サイラスはよく分かっているだろう。それでも、トレサを助ける手段はこれしかない。
「……分かった。隙を作るのは私の魔法で十分だ」
「いや、お前の精神力を消耗させたくない。俺に任せていてくれ」
「……オルベリク」
「すまん。二人を頼む」
最期の瞬間に、最愛の者と視線を交わすこともできないとは。だがそういう生き方を選んだのは自分自身だ。汗ばむ手の平に力を込めて、剣を握り直す。
「行くぞっ! 雷剣将ブランドよ……!」
後方に向かって身を翻し、サイラスの視線の先にいる古代遺物に向けて奥義を放った。現代の技術とも遜色ないどころか、寧ろ上回ってもおかしくないほどの硬度を持つ体が、痺れたかのように静止した瞬間に、サイラスはアーフェンと共にトレサを抱えて駆け出した。その背中を視線で見送り、洞窟へと続く通路の前に立ち塞がる。
「ここから先は一歩も通さん。さぁ、かかってこい!」
飛び掛かってきた古代遺物を剣でいなした瞬間、体勢を立て直したもう一体が飛び掛かってきた。鋭い爪が肩を掠め、サーコートに血が滲む。しかし、オルベリクが膝を突くことは許されない。命が尽きる瞬間まで立ち、一秒でも長く奴らをこの場に留める必要がある。
(……こういう命の使い方なら、悪くないか)
未来ある若者のため、愛する人のためだと思えば、恐ろしさは微塵もない。寧ろ奇妙な高揚感が全身を包み込んでいて、痛覚や疲労が遠ざかったように錯覚していた。これならあと三日三晩でも戦えると荒唐無稽な考えが頭をよぎったが、古代遺物の口が大きく開き、強烈な暗闇魔法を食らって思考が途切れた。壁に叩きつけられ、剣を取り落とす。視界が暗くなった。
(……サイラス……)
意識が途切れる寸前に考えたのはサイラスのことだった。後悔などないと思っていたが、遺される彼のことが気がかりだ。理解することと感情が納得することは別問題で、サイラスは後者が少しだけ苦手なのだ。きっとオルベリクの行動が最適解であると分かるからこそ、その乖離に苦しむだろう。暗闇の中で指先が剣の柄に触れたが、握る力がわかない。覚束ない思考が端からばらばらになって、崩れていく。
「――オルベリク」
幻聴かと思った。心臓の辺りが熱を持っていて、その温もりが冷えて強張っていた指先に伝わっていく。ゆっくりと瞼を開くと、白い法衣で身を包んだサイラスが眼前に立っていた。声を出そうとしたが上手くいかず、軽く咳き込んだ。
「ごほっ……な、ぜ、戻ってきた……」
「……あなたがそれを言うかい?」
呆れたような声色に、反論する言葉は浮かばなかった。二人を見据える古代遺物は軋むような音を立てながら姿勢を低くし、次の攻撃に備えている。だというのにサイラスはオルベリクの左手を握った。その手を握り返すだけの力が戻っていることに気づき、ようやく、回復魔法をかけられていることを知った。
「一緒に帰ろう、オルベリク」
「……ああ」
「あなたが傍に居てくれるのなら、私はどんな困難だって退けてみせるとも」
そう言って、サイラスは青空色の瞳を輝かせて不敵に笑った。額に玉のような汗を浮かべ、頬や衣服は煤や血で汚れているが、指先まで自信に満ちた凛とした姿は見惚れてしまうほど美しかった。
二体の古代遺物はまるで会話をしているかのように、闇色の体を数回不規則に点滅させる。攻撃に備えようとオルベリクは右手で剣を握ったが、振り上げる前に決着が付いた。
「雷鳴よ、轟き響け――!」
稲光が視界を白く焼くと共に、腹の底に響くような轟音が耳を衝く。雷撃魔法は古代遺物ではなく、その頭上に直撃して弾けた。古代遺物は頭上から降り注ぐ石や土砂にあっという間に呑まれ、視界が砂埃で遮られる。――まさか、頑丈な造りである地下遺跡の天井を崩落させるとは。普段からサイラスの魔法は見慣れているつもりだったが、これまでは彼が周囲や相手が生物であることに気を遣い、一定の加減をしていたことを思い知る。
とんでもないことをやって退けた男はそれを誇るでもなく、唖然としているオルベリクの手を強く引いた。
「さあ、今のうちに! なるべく粉塵を吸わないで!」
頷き、サイラスの手を握ったまま走り出した。中途半端に体力が戻ってきたからか、体の端々に負った傷がじくじくと痛むが、それでも、サイラスと一緒ならどこまでも行けるような気がした。
来た道を戻り、洞窟を抜けて街道に辿り着く。その端には、座り込んでいるアーフェンとトレサの姿があった。
「先生っ、旦那! 無事で良かったぜ……」
「ああ、トレサは……」
「オルベリクさん……!」
弾かれたようにトレサが顔を上げる。頬はまだ青白いが、その瞳には生気が戻っていた。すると未だ少女らしいあどけなさが残る丸い顔がくしゃりと歪み、瞳から大粒の涙がこぼれた。
「ぶ、無事で良かった……あたし、あたしのせいだって……!」
「……お前のせいではない。話を持ちかけてきた者も、俺達の誰もが、ここまでの事態だとは想定していなかった」
「そうだけど……。サイラス先生、オルベリクさんを守ってくれてありがとう。それからっ、二人とも……無事に戻ってきてくれて、ありがと……」
「本当にそうだよなぁ……俺はもっと強くなるぜ、俺だってみんなを守りてぇ……!」
わんわんと泣くトレサにつられたのか、アーフェンまで鼻を鳴らし始める。彼らの背中を擦ってやりながら断片的に話を聞いたが、サイラスは二人を街道まで連れ出し、トレサに回復魔法をかけて意識を取り戻したのを確かめた後、何の躊躇いもなく引き返したらしい。
「走りながらプラムを食べるのは初めての体験だったが、なんとかなって良かったよ」
「せ、先生、タイについてるのってまさか……血じゃなくてプラムの果汁?」
「おっと、そうかもしれない……。まぁ、服は洗ったり繕えば済む話だからいいんだ。オルベリク、まだ傷は痛むかい?」
「いや……大丈夫だ」
「そうか、もう少し回復魔法をかけておこう」
この学者に隠し事は一切通じないようだ。アーフェンからプラムを受け取って食べながら、サイラスは左手をオルベリクの胸元に添えた。心臓の鼓動を確かめられるように乗せられた手の平は、柔らかな熱を抱いている。
「……全く、お前には敵わんな」
「そう思うのなら、次からはもっと頼りにしてほしいものだね」
「耳が痛いな……」
サイラスのことを侮っていたわけではないが、庇護しなければならないと思っていたことは否定しない。しかし、臆せずに立ち向かう姿を見てオルベリクは考えを改めた。彼はオルベリクと共に肩を並べて戦える、守る側の人間なのだと。
脇腹を突く手を握って制止すると、サイラスは柔らかな笑みを浮かべた。オルベリクが得た人生の伴侶は、時に優しく、時にこちらが畏怖するほど苛烈で、ふとした瞬間に視線を奪われるほどに美しい。早く街に戻って、この胸に広がる喜びを打ち明けて抱き締めたかった。
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