呼び鈴を鳴らすと、しばらくして目の前で玄関の扉が開いた。それを合図に、扉を開けた家主の前にずいと持っていた真っ白な箱──ケーキボックスを差し出す。
「やる」
短く告げると、思わずといったように銃兎が両手で受け取った。緑の瞳が困惑に揺れ、パチパチとまぶたがまたたく。
「は? ケーキ?」
「おー」
白い角ばったボックスの取っ手が指から離れ、ケーキを運ぶあいだにある高揚感と緊張感から解放される。あれはいったい何なのだろう。銃兎の手へと収まった箱をちらりと一瞥して左馬刻は玄関の奥へと入った。
「どうしたんだ、これ」
「どうしたもなんもねーよ」
左馬刻は靴を脱ぎ、銃兎の家に上がった。すでに何度も来ていて勝手知ったる家だ。
リビングを抜け、キッチンで手を洗った。後ろからついて来ている銃兎の手から箱をそっと奪い取る。添えた左の指先に箱越しにひやりとした感触。30分とかからないのに店員は保冷剤をしっかりと入れたらしい。箱を閉じるために貼られたシールの先を爪でカリカリと剥ぐ。店名と賞味期限の書かれたそれをゆっくりと剥がし終えると、斜め後ろから覗いている銃兎に見えるように身体を少しズラす。
▽▼▽▼▽
いちご、ベリー、そして真っ白な生クリームを上に乗せた丸っこいケーキ。表面は何かにコーティングされているかのように艶めている。さほど大きくはない。後から知ったことだが、ベースはふんわりとしたスポンジケーキではなく、バターと卵をふんだんに使ったブリオッシュというパンで、艶と感じたのはたっぷりと酒に浸したからだそうだ。
「それ、好きなのかよ」
「はい?」
左手でフォークを握る銃兎を見て聞いた。そういえばこいつ左利きだったな、と思うのは、いつも店で対面に座るときだったが、あいにくそのときは銃兎の家で、すでに一杯飲んできたあとだった。
その日、左馬刻は一人、酒を片手に晩餐を決めていたが、何となく銃兎のことを思い出して連絡した。すでに勤務を終え、在宅だというので手ぶらで足を運んだ。酒なら銃兎の家にもあるだろう、という腹づもりで、それは当たったのだが、その日は左馬刻にとっては珍しいものもあった。
サヴァラン。
銃兎の食べているケーキが、そういう名前だと知ったのはいつだったか、あまり記憶にはない。初回ではないことは確か、ぐらいだ。いや、ケーキ屋に寄ったとき、銃兎が注文して知ったのだったか。とにかくそのときはまだあまり親しい間柄ではなかったせいか、見た目通りの何か小洒落たモンを食う野郎だな、と思ったのは覚えている。そしてその小洒落たモンを、しょっちゅうという程ではないが、左馬刻が何度か目撃するほどには銃兎は食べている。
だから銃兎はそのケーキを好きなのではないか、と思って話題を振ったのだが、当の銃兎はきょとんとしている。
「それって、サヴァランのことか?」
「おう」
「何でそう思ったんだ?」
「何でって」
何度か同じものを食べてるのを見たら、特別思い入れがあるとか、好きだと思うのは普通ではないだろうか。
「俺ってそんなにしょっちゅうこれ食ってるか」
「しょっちゅうってわけじゃねーけど、普段そんなに甘いもんとか食わねーだろ」
「まぁ、そう、か⋯⋯? このケーキはどこの店でも扱ってるってわけじゃないから、見つけたら試すようにはしてるんだが」
「あ? だからそれを好きって言うんじゃねーのかよ」
「いや⋯⋯。決して好き、というわけじゃないんだが」
「ふーん? じゃあ好きじゃないのに何で食ってんだよ」
銃兎の視線が、皿の上のサヴァランに向けられる。生地にたっぷりと酒をふくませた菓子はクリームは乗っていても甘い香りはあまりしない。その酒に酔ったわけでもないだろうが、いつもより回りくどい言い方をする銃兎に左馬刻の疑問は積もっていく。
左馬刻からすれば、いくら珍しくても見つけたら食べるようにしているものは好物と言っていい代物だ。だが、銃兎はそれには納得していないらしい。
「そうだな、何というか」
歯切れの悪い返答と迷ったように動くフォーク。言葉を選びあぐねる銃兎はラップバトルではなかなかお目にかかれない。左馬刻は目を細めてその様子を見ていたが、やがてフォークの先端がケーキにサクリと刺さる。
「今は好きとは言えないが、好きになりたいんですよ」
▽▼▽▼▽
「お前に限ってまさか、と思うが、これ、誕生日だからか?」
箱のなかのケーキを見て、銃兎が言った。かちんとくるようない言い方は半ば予想していたが、実際に言われると反抗心のようなものが湧いてくる。
「別にそーゆーわけでもねーけど」
「じゃあ何で買ってきたんです?」
「“見つけたから”だろ」
にやりと口角を上げながら、以前銃兎の使った言葉を反復する。
どの店にも必ず置いているわけではないケーキを見つけるには、ケーキ屋に行くか、少なくとも前を通りかからなければならない。あるいはネットで検索したり、自分から能動的なアクションをする必要がある。左馬刻からすれば、そこまで積極的に探しているなら好きと言っていいと思うのだが、銃兎はやはり頑なにまだ好きではない、と言っている。それが不思議で仕方がない。
からかうように告げて、じっと銃兎を見ていると、はぁ、と銃兎がため息をついた。左馬刻が持ってきたのが誕生日ケーキだということも、以前、自分が言った言葉に左馬刻がいまだ引っかかっていることも気づいたのだろう。やれやれ、色々言いたいことはありますが私が折れてあげますよ、というポーズをとって、銃兎が自分のペースへと巻き返す。
「まぁ、左馬刻様がせっかく買ってきてくれたことですし、真意はともかくいただきましょう。左馬刻、コーヒーも入れてくれるんだろう?」
「あぁ?」
「ケーキはお前の分もあるんだ、だったら俺のコーヒーを入れるのなんてついでだろ?」
今度は銃兎がニヤリと笑った。この不器用な男は時折こうして左馬刻の意図に適うようにするりと甘えてくる。それに腹が立つこともあれば、くすぐったくて心地よい時もある。今は後者で、左馬刻がふんと鼻を鳴らすと、「左馬刻、ありがとうな」と銃兎が礼を言った。
コーヒーの準備をしながら、左馬刻は買ってきたケーキを皿に移す銃兎に視線をやった。
銃兎は自分の人生では関わるはずもなかった人間だ。いけ好かなくて回りくどい、性格も合わない。喧嘩なんかしょっちゅうだ。何よりヤクザになる前から苦手な警察官なんかやってる。そんな男の誕生日をこんな風に祝って過ごしているなんて何故なんだろう、と考える。
チームメイトを欲していたときに出会ったから。困難な状況に折れない精神に惚れたから。生き様もプライドも何もかも失った自分の前に現れた、かつての自分の信念と同じものを持ってる奴だったから。
その気持ちはぜんぶ本当だが、銃兎をチームに誘ってただツルんでるというだけで十分のはずだ。それなのに銃兎にはそれ以上を望んでいる。
『好きになりたいんですよ』
左馬刻の耳の奥で、銃兎のその声がずっとリフレインしている。
好きになりたくて何かに向き合うなら、その時間を、その感情を何かに傾けるのなら、それはもう十二分に好きと言えるのではないか。そう思うのに、銃兎も自分もまだ何が足りないのだろう。
「ほらよ、コーヒー。ンでさっさと食え。好きになるまで食うんだろ」
「はは、なんだそれ。そうは言ってないだろ」
コーヒーを渡して、銃兎の横に座った。テーブルの上には、サヴァランが二つ。好きになるのを待っている。
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