ぬす
2026-05-30 19:17:18
6672文字
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ハニーディスペンサー

お題箱でいただいたネタで書いたもの。甘やかしンポにダメにされるお話です。

 なんだってできた。ひとりで生きられるぐらいには。
天才ではないが器用ではある、そんな子供だったと思う。
勉強にも運動にも躓かされることもなく、仕事だって順風満帆。
悩みがあるとするならば、男性と交際に至ってもすぐに振られてしまうところだろうか。
可愛げがない、が決まり文句。
皆同じ劣等感に悩まされて、脆く儚く散っていった。
「こんなに可愛いのになぁ。そう思わない?」
「え?ああ、そうですね。良いんじゃないですか?」
「話聞いてなかったでしょ」
「いやいや、そんなことは!ええ、あなたは可愛いお嬢さんですよ、勿論!」
 彼に初めて出会ったのはそう、私が何人か前の元彼に振られて自棄酒を浴びていた時。
飲み過ぎですよ、なんて善良な言葉で近付いて、気付けば友人の立ち位置にまで収まっていた――そんな素性の知れない怪しい男は今日も隣の席でグラスを傾けている。
「また振られちゃったんですか?」
「デリカシーとかないの?……そうだけど」
 彼とこの話をするのは何度目だろうか。
恋人関係を長続きさせるために努力はしている。健気に尽くしてみたりもしたし、頼る、甘えるなどの方法も取り入れた。
だけど、それでもうまくいかない。いつも男性から言い寄ってくれるのに、男性から突き放されて終わるのだ。
「どうせまた、可愛げがないって話でしょう?」
「うん。まあ毎回言われるし、私の問題なんだろうな」
「男を見る目がないところが問題ですね。恋愛面は不器用なんですか?」
「ええ?そんなに?みんな優しい人だったと思うんだけどな……
 そう、みんな優しかったと思う。だからこそ、社会的に這い上がるのが難しくて私より厳しい道を進んでいたのかもしれない。
そうこぼす私に心底信じられないものを見るような表情を向けて、彼はグラスの酒を一気に呷った。
「いやいや、どう考えたってそれはないでしょう」
「なに?男のダメな心理とか見えちゃった?」
「優しい男はあなたのような女性に可愛げがないなんて言いませんよ」
 彼曰く、その優しさは優柔不断と臆病さ。
私に集まる男達は皆、女性にリードされたいタイプなのだという。
甘えたい、導いてもらいたい、愛してもらいたい――そう願って、自立した女性に近付く。
しかし中途半端に高いプライドが恋人の優位を許せなくて、次第にその在り方を責めるようになる。
その結果が「可愛げがない」に集約されるのだ。
「はぁ?何それ。ママじゃあるまいし」
「でしょう?ほら、悪い男のことは忘れて僕と飲みましょう」
 第三者の視点から言語化されて、交際時に感じた違和感がスッと納得に変わっていく。
言われてみれば確かにそうだ。彼らは皆自分が愛されることを望んで、少しでも責任を負う決断をしたがらなかった。
次があれば、そういった男性はお断りさせていただきたい。他人の面倒を見るために生きているわけではないのだ。
「あーあ、そんなの私だってまともに愛されたいし可愛いって言ってくれる人がいい」
「そういった男性をご所望ですか?心当たりありますよ」
「本当?サンポの知り合いってのが不安だけど……。良かったら紹介してよ、なんて」
 カクテルグラスを傾けて流れ込む液体からは甘い果物の香り。
嫌な夢を忘れるために飲むには軽すぎるが、彼との会話を楽しむのにはちょうどいい。
この酒が選択肢に入ったのはいつの頃だったか――おそらくは、元彼と出会うよりもずっと前。
それほど長い付き合いだ。怪しい男なのは変わらないが、楽しませてくれる人間だという信頼はある。
「そうですねぇ。僕なんてどうです?」
 ――僕?
聞き間違えたかと思ったが、その指先はしっかりと彼の顔を指している。
冗談なのだろうか?彼の表情はわかりにくい。ニッコリと閉じられた目からは特に、何の情報も得られない。
考えたこともなかった。ただ酒の席で会う友人、それが彼だったのだから。
「酔ってるの?サンポもそういうこと言うんだ」
「冗談として笑い飛ばしてもらうのも悪くないんですが、これでも結構本気なんですよ?」
……ほんとに?」
「ええ、本当に」
 長い睫毛がふわりと揺れて、緑の目に私の姿が映される。
顔が赤くなっていた。
彼に言い寄られるなんて思いもしなかったことなのに、不思議と悪い気分はしない。
私自身も無意識のうちに彼に好意を抱いていたのか?と思いそうになるほどに、照れ臭くて仕方ない。
……じゃあ、お願いしちゃおうかな」
 酔いのせいにするにはこの酒は甘すぎるだろうか。
彼について知っていることは少ない。名前と、酒とつまみの好み。思えばいつも私ばかりが話していた気もする。
だけど、そんな彼だからこそ私の願望を叶えてくれるのではないか――そんな期待をしてしまっていた。
「はい、あなたのお望みのままに!」



 そこからは何もかもが流れていくようだった。
素面の状態で会ってみようと休日に顔を合わせてみれば、デートコースを準備して楽しませてくれる。
暗くなれば家まで送ってくれるし、だからといって無理に泊まったり中に入ろうとしたりはしない。
会うたびに服装や髪型を褒めてくれるし、買い物をしてもどれが良いだとかちゃんと私を見てくれる。
 彼と交際をはじめて一ヶ月。これほど満たされたひと月は初めてで、元彼達との違いに毎回驚かされている。
「君に任せるよ」と言って丸投げしてこない。
「わからないから」といって話から逃げたりしない。
そして何より、「可愛い」と言ってくれる!
これはとんでもない良い男と付き合ってしまったのではないだろうか。
そうして愛されるうちにどんどん気が緩んでいって、今なんて彼の膝の上。
はじめてのおうちデートと言うもので、人目を気にすることもないこの状況を良いことに存分に彼に甘えてしまっていた。
 凭れた彼の胸からはとくとくと規則正しい音がして、この状況に動じているのが自分一人なのが少し腹立たしい。
気付けばどんどん彼のことが好きになってしまっていて、もうあの頃のような酒飲み友達には戻れる気がしない。
知ってしまったのだ。恋人としてのこの男の良さを。
「私ばっかり甘えるのもどうかと思うし、サンポも好きにしていいよ」
「恋人とはいえ男にそんなことを言ってはいけませんよ。何をされるかわかりません」
「もう、サンポなら何されても良いかも」
「仕方ない人ですねぇ」
 ぐい、と身体を引き寄せられて、より彼に身体を預けて。
そこから先に進むのかと思いきや、やはり節度があるというか下手に焦った行動を取ることはない。
だからこそときめかされてしまうし、こちらから先を望んでしまう。
これほど胸の高鳴る恋をしたのはいつぶりだろう。もしかしたらはじめてかもしれない。少なくとも、ここまで男女交際に幸福を感じさせてくれたのはこの男だけだ。
「何?」
「好きなように、と言われましたので。あなたを甘やかしています」
「ええ、これ以上?」
 こんなに甘やかされているのに、まだ上があるというのだろうか。
さすがにこれより甘えてしまうのは大人として醜態を晒すに等しい、と胸を押して離れようとすればその手を取られてまた引き戻されて。
優しく肩を抱かれたまま、猫でも愛でるようにそこに繋ぎ止められる。
「なんかサンポといるとさ、ダメになっちゃうかも……
「そうですか!それは良いことです。もっと僕に甘えて、ダメになってください」
 できるのが当たり前だった。誰かの上に立って面倒を見るのが当然だった。
だからこそ、張り詰めて生きてきたと思う。だからこそ、誰かに甘えたかった。
そんな自分の中にあった小さな本音が膨れ上がって、もっともっとと彼に頼ろうとする。
それではいけないのに、と留める私の自制心を打ち砕くように耳元で囁かれる「僕に甘えてください」という言葉。
理性が少しずつ壊されていく。
耐え忍び続けたこの身に彼の愛情を注ぐのは劇毒を流されるようなもの。
身体が溶けてしまったかのように、全身が彼に委ねられる。
もう彼がいないとダメかもしれない。たった一ヶ月甘やかされただけでこんなことを思うなんてどうかしているのに、自立した姿を保てない。
そんな私を愛おしげに見つめて、満足そうに笑う彼は全てを受け止めてくれて。
……渡したいもの、あるんだけど」
「何ですか?お礼なら結構ですよ」
「ううん、ちょっと気は早いんだけど……これ」
 彼の手の中に家の合鍵を押し込んで、「いいんですか」の問いにこくりと頷く。
己の領域に立ち入る許可というよりはもう、彼に侵食されたいと願ってしまっているのだ。
好きな時に来てほしい、と言うとまた彼はあの時のように笑う。
そう、あなたのお望みのままにと――私の願望に応えるのを心底楽しむかのように。



 そうしてまた月日は流れゆき、交際を始めて六ヶ月。
家の鍵を渡したのをきっかけに日常はさらに彼に呑み込まれて、今ではほぼ同居しているに等しい。
仕事に疲れ、帰宅すれば彼が食事を用意して待っていてくれるし、風呂も沸かしてくれる。
さすがに何もかも任せすぎではないか、と言っても世話を焼くのをやめる気はないらしく、隙あらばコーヒーを淹れてくれたり、買い出しに行ってくれたり。
助かってはいるが、ここまでされるとさすがに申し訳なさを感じないわけではない。
彼を養っているわけでもないし、何度もお礼をしたとしても釣り合うとは思わないからだ。
「サンポ、今日は早めに仕事終わったから自分のことは自分でやるよ。明日休みだし」
 献身的なのは素晴らしいことだ。しかしそれを使い潰すわけにもいかない。
ましてや恋人同士という立場と関係でどちらか一方に負担を強いることなどあってはならない――甘やかされきった私でもそう考えるだけの理性は残っていた。
「もう、僕に甘えてくれるんじゃないんですか?」
「さすがに甘え過ぎかなって。サンポにも悪いしさ。あ、でも準備してもらった晩御飯はちゃんと食べるよ」
「そうですか……
 少し悲しそうな顔をして、肉料理を一人分だけ盛り付ける彼に続いて自分の皿に肉を盛る。
そうだ、これでいい。
いつも私が帰宅する時間に合わせて彼が食事を綺麗に盛り付けて待っていてくれたけれど、それを当たり前に思ってはいけないのだ。
彼だって仕事がある。その中で時間を見つけて会いに来てくれている。それなのに家事まで彼に任せきり、なんて都合良く扱い過ぎている。
それに何より、このまま甘やかされ過ぎていては本当にダメな女になってしまう!
彼がいないとダメなのに、そうなって愛想を尽かされては本末転倒だ。
彼と対等でいる努力ぐらいしよう。そう決意をしつつ、自分の皿を席に運ぶ。
「今日のお肉にはこのベリーソースがよく合いますよ。こうしてたっぷり、遠慮なくかけてくださいね」
「美味しそう!サンポの料理大好き」
「おや、そうですか!嬉しいですね、ふふ」
 渡されたベリーソースの瓶に手をかけて、いつものように軽く捻る。いつも彼は私に合わせて優しめに蓋を閉めてくれているから少し力を入れるだけで簡単に開くはず、だった。
――開かない。
 もう一度、今度はぐっと力を込めて捻ってみるがやはりびくともしない。
まるで蓋と瓶が接着剤でくっつけられたように、一ミリたりとも動いてくれない。
「開きませんか?」
「うん。開けてほしいな、サンポの力じゃなきゃダメかも」
「そうですか!では、僕が開けましょう、ええ!」
 やけに嬉しそうな顔をするのが不思議だったが、ここは素直に彼に頼った方がいいと瓶を手渡す。
かこん、と開いたそれにスプーンをさして、肉料理にたっぷりとかけて美味しくいただいて。
その時はまだ、何も不審に思っていなかった。
「じゃあ私、洗濯してくるね。お風呂も今日は私が洗ってあげるから、サンポは入っていきなよ」
「おや、いいんですか?ではお言葉に甘えるとしましょう」
「うん、いつもありがとうね。ソファでゆっくり休んでて。そうだ、コーヒー淹れてあげる」
 愛しい者が相手ならこうして尽くす側に回るのも楽しいものだ、なんてことを思う。
お湯を沸かしながらコーヒーカップを出して、さてコーヒー豆をと棚から瓶を取り出して、捻って――また開かない。
今日のサンポは溢れ出る力を制御できなかったのだろうか。
「休んでるところごめん、これ開けて」
「おや、また開きませんでしたか!ええ、構いませんよ、僕が開けてあげますからね」
 またしてもやけに嬉しそうだ。
日頃の彼の性格からして頼られることが嬉しいのだろうか。こちらとしては彼に頼らずたまにはゆっくりと休ませてあげたいのに、なかなかうまくいかないものだ。
「はい、開きましたよ!ああ、あなたが淹れるコーヒーが待ち遠しいです」
「もう、プレッシャーかけないでよ。大袈裟なんだから」
 ふふ、と笑って今度こそ彼のためのコーヒーを淹れて、テーブルに置いて。
いただきます、と一口飲んで微笑む彼の姿に満足感を覚えながら、さてと自分のやるべきことに向き合う。
 まずは洗濯、風呂場の清掃。食器も洗って、ゴミをまとめてと就寝までの時間は効率的に使っていかなければならない。
しかしこれくらいなら彼に出会う前からずっと一人でしてきたことだ。なんてことはない、と洗濯物をかごに入れて洗剤を取ろうとして――届かない。
彼が使った後だからだろうか。棚の上の段に洗剤のボトルが置かれていて、とてもじゃないが届かない。
「まあ、いつもしてくれてるんだもんね。サンポのやりやすい形になるよね……
 踏み台を持ってきてもギリギリ届かない。
また彼に頼るしかない。自分のことは自分でやる、なんて宣言しておきながら情けない。
「サンポ、お願い。高いところにあって取れないの」
「はい!大丈夫ですよ、僕に任せてくださいね」
 そうして次は風呂場の準備を始めるも、ボディソープの詰め替えが見当たらない。
普段なら洗面所の棚に入れてあるはずなのに、そこにもなければ玄関に置きっぱなしというわけでもない。
どこにある?と聞けばまた笑顔でどこからかそれを取り出して来て、手渡してくれる。
食器を洗おうとすればスポンジがない。古くなったから捨てました、と言われ新しいものを探しても、やはり見つからなくて彼に頼る。
ゴミをまとめる袋も高いところにあって手が届かない。
夜食を作ってあげようとしてもピクルスの瓶の蓋が開かない。
家がいつのまにかサンポ基準になっていてどこに何があるかわからない!
「ふふ、あなたって本当に僕がいないとダメですね」
 何から何まで彼に頼って、全て彼が解決してくれる。
前までの私ならできたはずなのに、と傷心の私の前でそれはもう嬉しそうに、にこやかに夜食のサンドイッチをふたつに切り分けながらそう言うのだ。
勿論そのサンドイッチもほとんど彼が作ったもの。私が作ろうとして、調味料の場所もわからずにほぼ彼任せになってしまった。
……で、でも。サンポ、今日ちょっと悪戯したよね?」
「何の話ですか?」
「瓶の蓋。あれはいつもあんなに強く閉めないもん」
「おや、バレてしまいましたか」
 あんなに嬉しそうにしていたのはそのせいだろう。
もう、と叱っても堪えている様子はない。むしろ開き直って、あなたのせいですなんてことを言う。
「僕はあなたを甘やかすのが好きなんですよ?僕の楽しみを奪わないでください」
「そんなこと言われたって……
「僕はダメなあなたのことも大好きですよ」
 私の考えなどとっくに見抜いていたらしく、また「僕に甘えてください」と囁いてはちゅ、ちゅと頬を啄むようにキスをする。
「それで、今日は甘えてくれないんですか?可愛い可愛い、僕のお嬢さん」
「ええ……
 宣言したのだから自分のことは、と考えて、しかし彼の目がそれを許さないとしっかり私の目を見据えていて。
冷静に考えれば度が過ぎているのだろうが、私はもう甘やかされることを望むように変わり果てていて。
何だってできたはずなのに、何もできないようにされていく。
……じゃあ、いっぱい甘やかして」
 観念するしかない。この男の手練手管に敵うはずがないのだ。
そうしてまた彼は「あなたのお望みのままに」と笑って、唇に優しくキスをした。