みずあめ
2026-05-30 18:14:37
2503文字
Public brmy
 

ゆづあい

ワンライお題「待ち合わせ」

五分かけて数十メートルしか進まないほどの渋滞はこの先で起きた事故が原因らしかった。タクシーの運転手がじわじわと上がり続けるメーターを見てからバックミラー越しにこちらに視線を向け、思ったよりも優しげな声で「どうしますか、お客さん」と聞いてくる。
……すみません、そこで降りてもいいですか」
「もちろんです。お力になれず、すみません」
「いえ。お釣り、結構です。ありがとうございました」
「ああ、すみません、ありがとうございます。そこの道、ちょっと遠いですけどまっすぐ行ったら駅がありますから」
顎を引いて頷いて見せ、もう一度ありがとうございますと告げてタクシーを降りる。
約束の時間には間に合うだろうか。足早に駅に向かいながら、乗り換えアプリを開いて時間を確認する。到着予定時刻として表示されたのは待ち合わせを三十分は過ぎる時間で、俺は思わず奥歯を噛み締めた。
【遅れるからどこかに入っていてくれ。待たせて悪い】
送ったメッセージにはすぐ既読がつき、了承の言葉と、俺を気遣う内容が返ってくる。こちらが待ち合わせに遅れたところで文句を言うことはおろか、むしろ何かあったんじゃないかと心配をしてくるようなヤツだからこそ、待たせたくなんてなかったのに。
目指している駅までまだしばらくかかりそうだった。俺は歩調を早めながら、通話ボタンを押してスマホを耳に当てた。コール音は一回も鳴りきらずに途切れる。
『はい、城瀬です』
「悪い」
『え? あぁ、遅れることがですか? 全然気にしなくていいのに。もしかして、謝るために電話を?』
ふふっと笑う由鶴は俺が遅れることなんて本当に少しも気にしていない様子で、それはそれで気に入らない面倒な自分に気付かされる。
「まだ事務所か?」
『はい。そろそろ出ようと思ってたんですけど、もう少しだけ残って仕事を片付けちゃおうかと思って。だから全然大丈夫ですよ。……あれ? 逢さん、タクシーじゃないんですか?』
「渋滞にハマったから降りた。いま駅に向かってる」
『わ、大変……。あの、本当に急がなくていいですよ? ゆっくり来てもらって大丈夫なので』
「俺が大丈夫じゃない。お前を待たせたくないし、俺が早くお前に会いたい」
……逢さん、外でそんな』
「電話に向かって何を話してようが誰も気にしないだろう」
『俺が気にします。逢さんのそんな言葉、他の人に聞かせないで? 俺もあなたに会いたいですよ。でも、あなたに無理をさせてまで会いたいとは思いません。だからあんまり急がないで。転んで怪我でもしたら困ります』
「誰がそんな間抜けなことをするか。それにお前に会うためなら多少の無理くらいする。由鶴だって、いつも無茶をしてばかりだろう」
無理を無理と思わない人間に何を言っても分からないか、と詰るように言えば、電話のむこうで由鶴は笑ったようだった。おかしなことを言ったつもりはなく、自分のイラつきに任せて傷付ける言葉を選んでしまったと言った直後に後悔すらしていたのに。
『逢さん、かわいい』
……は?」
『それだけ俺に会いたいってことですよね? 嬉しいです。俺はね、これからあなたに会えることが分かってるだけで、十分幸せなんですよ。ちょっと遅れるくらい本当に気にしないでいいんです。でもきっと、逢さんはもっと俺に欲しがってほしいんですよね。だからいつもは言わないわがままを一つだけ言ってもいいですか?』
……言ってみろ」
『逢さんが遅れて減ってしまった分、逢さんと一緒にいる時間の延長はできますか? たぶん終電に間に合わなくなっちゃうから、よければ朝まで』
なかなか聞かない「わがまま」というワードに期待したというのに、その内容は少しもわがままなんかじゃなくて呆れてしまう。由鶴はそれが俺を喜ばせるだけだということを分かった上で言っているから、なおさらわがままなんてものじゃなかった。
「食べたいものは」
『え?』
「そんなわがままで遅刻を帳消しにできるとは思わない。今日はお前のわがままをとことん聞いてやるから、質問に答えろ。食べたいものは」
『え、えぇ……? もう、逢さん、俺に甘すぎますよ』
「お前が俺に甘すぎる。駅に着いた。食べたいものを考えておけ。それと酒と音楽、あと入浴剤も。全部お前の好みで決めていい」
『ふふ、はい、考えておきます。気をつけてきてくださいね』
「言い忘れた。残業はするな。これ以上仕事をしたら明日代休を取らせるぞ」
『はい、キリのいいところまでやって終わらせます』
「おい」
『本当にキリのいいところまで。約束します』
……待たせて悪い」
『渋滞のせいでしょう? 逢さんが悪いことなんてひとつもないですよ。それでも気になるなら、会えたら逢さんからキスしてください』
……
『もちろん、家に着いてからでも。待ってますね?』
……はぁ。すぐ行く。待っててくれ」
電話を切って駅に入り、ちょうど到着した電車に乗り込んだ。数駅先で乗り換えて、渋谷まで。検索し直してみてもやはり待ち合わせの時間は過ぎてしまう。
静かにため息を吐いて、俺は気持ちを切り替えスマホから確認できるこの先のスケジュールに目を通した。仕事はいつも山のようにあり、休んでいる暇はないように思える。だけどだからこそ、無理にでも由鶴と一緒に過ごす時間を作るようにしていた。由鶴にも休息の時間を、なんていう体のいい理由じゃなく、ただ俺が由鶴といたいから。本当に、それだけだった。俺の遅刻を由鶴は笑って許してくれるけれど、そうじゃなくて、俺が由鶴との時間を一秒だって減らしたくないだけだ。わがままを言えと言っておきながら俺ばかりがわがままを通している。
渋谷駅で電車を降りてから、ほとんど走るような早歩きで前へ進んだ。人混みをすり抜けて駅を出て、待ち合わせ場所へまっすぐに向かう。
まだ顔も見えないような遠くからでも由鶴だけを一瞬で見つけられる。そして由鶴も、声をかける前にパッと顔を上げて俺のことを見つけてくれる。
目が合った瞬間のこの笑顔のためならきっと俺はなんだってできるだろう。