彼方
2026-05-29 09:28:42
2501文字
Public お題箱より
 

【015】紫陽花(全年齢)

高3×高2の付き合ってない兎赤(兎→?←←←←←赤)
来るもの拒まず去るもの追わずなbktさんと、それをずっと一番近いところで見ているakasの話

去年いただいていたお題でしたが、時期を逃してしまって書けていなかったものでした
遅くなってごめんなさい
紫陽花(2025/05/19 00:19:50)


 降り続く雨のせいでなんとなく体育館の床が滑りにくくなっているのがわかる。キュキュっというスキール音も普段より耳につくような気がするし、一度気にし始めたら余計に気になって集中が削がれてしまう。
 換気のために開け放された鉄の扉に目をやれば、外は相変わらずの雨模様だ。文芸小説だと〝しとしと〟なんてオノマトペで表現されるんだろうか。それとも〝曇天模様の空の下〟とか。いくらバレーボールが室内競技とはいえ、鬱陶しい天気であることに変わりはない。欠けた集中力に、いまいち気乗りのしない天気。準備運動のためのストレッチにもあまり身が入らなくて、ついぼんやりしてしまったらしい。
「赤葦、なんか今日ヘン」
 俺の隣で黙々と前屈をしていた木兎さんが、体を起こして怪訝そうな顔をしている。そりゃそうか、インターハイ前の大事な時期だっていうのに副主将がこんなんじゃ。
「すみません、少しぼーっとしてました」
「ちゃんとストレッチしないと。ケガでもしたら大変だろ」
「はい、気をつけます」
 なんだか今日は木兎さんが先輩みたいだ──って実際先輩なんだけど。
 ヘンなあかあし。ともう一度ポツリと呟いて、木兎さんはまたストレッチを再開する。
 雨はまだ降り続いたまま。鉄扉の向こう側で、青い紫陽花が濡れていた。
 

 梅雨に入ってから、昼休みは自分の教室で過ごすことが増えた。体制が変わってレギュラーが確定したタイミングで始まった先輩たちとのランチタイムは、雨と暑さのせいで中庭が使えなくてお休み中だ。3年生の教室に行くのも億劫で、自分の机で黙って食べる弁当はあっという間に空っぽになってしまう。
「はあ」
 窓側の席だからか、ダイレクトに湿気が流れ込んでくる。あいにくエアコンが入るのは来週からだとかで、窓が開いているのに外の生温い風しか入ってこない。
「早く夏にならないかな」
 退屈しのぎに文庫本を開いても内容を追う気にはなれなくて、惰性でページをめくりながら窓の外に視線を落とした。雨で人の気配が無い中庭に紫陽花の植栽が見える。広い校内にはたくさんの植栽があって、季節ごとに色とりどりの花を咲かせる。今の季節だと紫陽花の青と緑が目に鮮やかだ。
 青々と、という表現がぴったりな濃い青の花と、何にも染まらない白の花。酸性の土壌だと青系だし、アルカリ性だとピンクとか赤系だっけ。白は土壌の性質に影響を受けないから、花言葉も色によって変わるらしい。生物の授業で聞きかじった半端な知識を妙にクリアに覚えているのは、先生の話し方が上手かったからだろうか。
……あ、」
 こんもり生い茂った紫陽花の植栽の向こう側。渡り廊下の隅っこに、ひょっこり見慣れた人影が現れた。遠目にもわかる高身長と、特徴のある髪型。この春バレー部主将になったばかりの、我らがエース木兎さんだ。所在なげにミミズクヘアーをいじる視線の先には、夏服に移行中の女子生徒の制服が見える。
「ふうん」
『バレー以外はてんでポンコツのクセに』と木葉さんから評される木兎さんは、実際はすごく女子にモテる。春高が終わってからのバレンタインは、去年に引き続き結構な量のチョコレートをもらったんだとか。当然彼女が途切れたことはないそうで、年上だったり同級生だったり、いつだって誰かしらが木兎さんの隣にいる。
 でも木兎さんが一番大事にしているのはバレーボールだから、いつもすぐにフラれてしまうらしい。来る者拒まず去る者追わずな木兎さんに、同級の先輩たちはとっくに数えるのをやめてしまったそうだ。
 告白されているのか、もしくは別れ話か。『私とバレーどっちが大事?』って女の子に聞かれて『バレーボールに決まってる』って即答できるひとなんだから、どちらにせよ相当な覚悟がないと続けるのは難しそう。霧雨のフィルタ越しに木兎さんと女の子を見るとはなしに眺めていると、ぺこりと腰を折った木兎さんをほったらかしのまま女の子は走り去ってしまった。
 ああ、今回はダメになっちゃった方か。まあ、いつものことではあるんだけどさ。
 インターハイも近いし、木兎さんは朝も夜も時間が許す限り自主練をしている。ってそれに付き合わされる俺も同じ練習時間なんだけど……そこに彼女が入る隙間って、あるのかな? って時々考える。行きも帰りも自主練に付き合う俺と一緒で、休日だって遠征や試合があるからデートもろくに出来ない。付き合ったっていずれ破綻するのが目に見えてるのに、木兎さんは告白されたら何も考えずに良いよって言ってしまう。
 バレーボールのために勉強がおろそかになってしまうぐらいの木兎さんが、器用に女の子と付き合えるはずもなく……その時々で変わる彼女の話を聞き流しながら、俺は毎日木兎さんの自主練に付き合っている。

──俺だったら、バレーも出来るしずっと一緒にいられるのに。

 そんなことを、考えたこともあった。
 でも木兎さんが一番大切にしているのはバレーボールだから、一緒にいたとしても高校の間が精いっぱい。次々に変わっていく彼女さんたちと同じで、俺が競技をやめてしまったらそれでおしまいだ。期待するだけバカを見る。俺とバレーどっちが大事ですか、なんて聞く勇気もないクセに。
 しばらくその場に立ち尽くしていた木兎さんが、踵を返して校舎に向かって歩き出した。ここからじゃ遠くて表情までは見えないけど、たぶん何事もなかったように今日の練習のことを考えているに違いない。木兎さんは、そういうひとだから。
 湿っぽい空気を切り裂くように鳴り響いた予鈴によって、ダレた昼休みの空気が午後に向けて強制的に切り替わる。気がついた時には木兎さんは俺の視界から消えてしまっていた。

 青い紫陽花の花言葉は『移り気』『無情』『冷淡』
 白い紫陽花の花言葉は『寛容』『一途な愛情』
 
 理系なのにやたらと詩的な言い回しを好む生物教師のせいで、つい覚えてしまった紫陽花の花言葉。季節のせいもあってずっと頭から離れなくて、午後の授業がちっとも頭に入ってこなかった。

2026.5.29