惺月イズナ
2026-05-29 00:28:23
995文字
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気付いたら違う場所に居る

もしも私がマゾだったら…という話ではないのだけど。

なんか分かった事がある。私が物事を手放す時って、大人の事情が無い限りは"嫌い"より"ダルい"で判断してるわ。ダサい事を恥じらう程プライド高くないし、かと言ってダルさを自ら編み出してしまう人が心底虚無に感じる。

無意味。時間が勿体無い→じゃあ次ってなってしまう。そしてウザいというよりしつこいのが嫌い。どこまでも時間の流れが早い。

でもSMはそうじゃない。理由は多分そこに無意味さやしつこさという概念が無いから。何故なのかというと、それすら哲学だから。それは何故なのか分かった。シンプルに"好き"だからだ。

どう考えても生活が立ちいかなくなりそうなのにしがみついて離さないのは紛れもなく依存症の症状なのだ。SMがまさにそう。何故こんなにSMに無我夢中なのか。

SMを通してでしか人間を判断出来ない訳ではないのに、「SMというフィルターを通したらこの人はどんな風になるんだろう?」という興味で一点張りなのだ。それしかない。

多分私はそれに関してしつこいんだと思う。興味ない人にとっちゃそりゃあまあダルいだろうよ。骨の髄までSM的な人生を送ってきたから、私にとっては普通という文字はただの世間のルールという意味に過ぎない。

世間のルールなんて個人間や界隈では通用しない事の方が多い。だからこそ、人間が精神の極致に立たされた時にその世間のルールを保ちながら、"人として"の心を手放さずにいられるのか、手放したいのであれば手放したい理由はなんなのか、何通りもの人の心の闇を深掘り出来る。

そして私は希望論を模索する。君の無理した笑顔が求める絶望顔になるようにアプローチする事もあるし、君の素直に絶望した笑顔が求めてない幸福顔を見出したいという君の意思を守る事もある。

私は多分狂人だから、誰も私の気持ちなんて分からない。分かって欲しかった過去はあったけど、諦めちゃった。その方がラクだから。でも君はラクをしない。そしてラクって概念は人による。

でも、マゾはラクという文字を安易に使わない傾向の方が高い。私はその理由が知りたいから、SMをしているのかもしれない。そして格闘技に関してはラクを求めていない。だから私は違う形のマゾなのだろうかと、ふと、思った。

SM界隈が長いと定期的に来る転身論笑笑