Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
那須野
Public
徳種
Clear cache
水平線に花束を
【徳種】数年後プロ時空*種ヶ島さんハッピーバースデー!
遠征先のホテルの窓から、澄んだ朝日が差し込んでいる。イタリアの街並みを見下ろす窓の向こうには晴れやかな青空が広がっており、絶好のテニス日和だ。
サマータイムに合わせた時計は、じき午前九時にさしかかろうかという頃合い。
出場予定の試合は午後からで、出発までに小一時間ほどは余裕がある。朝の静けさに浸された客室のソファに腰を下ろし、徳川は私用のスマートフォンの画面をじっと見据える。
しばらく前にスリープモードに入ったきり暗転したままのそれを五分あまり眺めたところで、ふ、とディスプレイライトが点り新着メッセージの受信を告げた。
『ちゃい☆』
『帰ったで』
『時間大丈夫そか?』
居住まいを正して小さく咳払いをひとつ。目の前に彼がいたならきっと「かしこまりすぎやろ」と楽しげに笑ってみせただろうけれども、このメッセージはいま、海の向こうから届いている。
迷わず通知のバナーをタップして、表示されたトークルームからビデオ通話を繋ぐ。数回のコールのあと、画面がぱっと切り替わった。
「お疲れ様です」
「ん、徳川もお疲れさん
……
やないか、そっちはおはよーさんやな」
「はい。おはようございます」
日本との時差は七時間ほど。こちらが朝なら、向こうは夕方だ。聞いていた予定通りであれば、彼は拠点施設でのトレーニングを終えて帰宅したばかりのはずだった。すっかり慣れた調子の挨拶を交わしたあと、もう一度背すじを伸ばした徳川は改めて彼を呼ぶ。修さん。
「お誕生日、おめでとうございます」
「おーきに☆」
五月二十九日、彼の誕生日。
私服姿の彼
――
種ヶ島が、画面の中でかろやかに笑んだ。
「次こっち戻ってくるん秋になるやろ?合同誕生会何しよな~」
「
……
俺も考えておきます。ひとまず今日は修さんが祝われてください」
「えー、なんや照れるやん」
「そういう日です」
いわゆる遠距離恋愛である彼との関係も、気付けば数年が過ぎている。誕生日やシーズンイベントといった類いのタイミングに合わせて直接会うことはなかなか難しいものの、時折こうして映像通話を繋いでは、つかの間の日々の共有に充てていた。
自宅の寝室で話しているらしく、彼の背後にはベッドのヘッドボードが見える。傍目には普段通りの飄々とした言葉たちは、彼なりの照れ隠しだと徳川もすでに経験則で知っている。そしてそういうときは、正面から話を引き戻すのが最適解だ。
「修さん」
「んー?」
「おめでとうございます」
「
……
おん」
「アナタに、会えてよかった」
「
………………
、ほんっま、お前、そーゆーのどこで覚えてくるん」
「?」
「いや、
……
なんも」
祝福も、感謝も、親愛も。彼の生まれたこの日に、改めて伝えたい感情は抱えきれないほどにある。
そのうちのほんのひとかけらを差し出すと、彼は珍しくわずかに言葉尻を濁してみせる。言わんとするところを察しきれずに視線だけで尋ね返せば、どこか拗ねた子どものように眉根を寄せて唇を引き結んだ。
口元に片手を当てて何事かしばらく考え込んだあと、ぽつり、彼が言う。「なあ、徳川」
「
……
せっかくやから、いっこワガママ言ってええ?」
「はい」
わがまま。これもやはり彼にしては珍しい物言いだ。たしかに人よりずいぶんと悪戯好きなところはあるが、その実彼の振る舞いが本当の意味でわがままだったことなどほとんどない。
首を傾げつつ、ひとまず頷いて先を促す。
数秒のインターバル。
その先で聞こえた中低音のつらなりに、
――
思考回路ごと言葉を取り落とした。
「カズヤ」
それは、彼とこの関係になったばかりのころに一度だけ聞いた呼称だった。
当時の自分にはまだどうにもこそばゆく、こちらが照れるのを楽しむような口ぶりに、他愛のない意地を張って「いままで通りで構わない」と首を横に振った記憶がある。
やわく耳の裏を撫でるような、その、声。
あのころからそれが擽ったくて仕方がなかったのは、何故だったか。その理由が、いまならわかるような気がした。
修さん。じわりと温む頬を感じながら低く押し出した呼び声に、彼は肩を竦めてちいさく笑う。
「今度会うたときに呼んだろ思ててんけど。今日だけ前倒しっちゅうことで」
「前倒し?」
「やって、ホンマは直接顔見て呼びたいやろ」
「
…………
っ、」
「お前はちゃうん?」
手のひらに収まる画面の中で、悪戯めかして彼が問う。
心地好い体温に、手のひらに、髪に、唇に。思うままに手を伸ばして、この瞬間触れられないことがひどく惜しい。
彼の言う通り、こんなふうに名を呼ばれるなら、互いにそばにいなくては足りるはずがない。「違いません」と応えれば、おだやかな首肯が返る。宥めるようなそれにつられて小さく頷いて、はた、と動きを止めた。
「もしかして、それがワガママ、ですか?」
「そー思うか?」
「
……………………
、」
画面に映る彼を見る。
この流れで、そう尋ね返されるということは。
ここまでの彼とのやりとりを脳内で何度か反芻し、うっすらと、答えと思しきものに行き当たった。
「
……
直接会うまで俺には呼ぶな、と?」
「いっぺん聞いたら会いたなるやん?」
「
……
、アナタという人は
…………
」
あれほど深く愛おしむような声でこちらの名前を呼んでおきながら、画面越しの応えでは足りないというのだろうか。
……
なるほど、確かにそれはわがまま、かもしれない。
聞かせるための溜息をひとつ。
「
……
次にそちらに帰ったときは、覚悟しておいてください」
「楽しみにしとるわ☆」
そうは思えど、自身のいらえを聞いた彼があまりに嬉しそうに笑うものだから。
――
結局のところ、彼に敵いはしないのだ。
「修さん」
「うん?」
「約束ですよ」
「
……
ん。約束や」
数ヶ月後、彼のいる家に帰りついてからが本番だ。
しなやかな厚い身体を思いきり抱きしめて、花束の代わりに彼の名前を届けよう。
***
20260529/Happybirthday,dear Shuji!!