kanaco
2026-05-28 21:43:35
1592文字
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【龍信】甘く、ほろ苦く

《龍信》成立済龍信。甘く、ほろ苦く。信一の香水と、龍捲風のスイーツのはなし。

 陽が沈んできた頃の、ゆったりとした時間。

 ソファでくつろいでいた龍捲風の耳に「ただいま」という、馴染んだ声が聞こえてきた。

 信一が仕事から帰ってきたのだ。明るい挨拶の声に似合いの、軽やかな足音が聞こえてくる。リビングのドアが開いた。今日も大きな問題がなく過ごせたのだろう、機嫌の良さそうな信一が顔を出す。龍捲風は労いに茶でも入れてやろうと席を立ち、ソファに近づいてくる信一とすれ違った。

 その瞬間、
 フワリと鼻をくすぐる、
 甘い甘い、信一の香り。

(ほぅ……、珍しい)と龍捲風は思った。

 いつの頃からか、信一が興味を持ち始めた、香水。

 洋服やアクセサリー、髪型などファッションに熱心である信一が、自分を表現する方法の一つである『香り』についても関心を寄せるのは、おかしなことではない。造詣が深い友人もいるらしく、色々と試しているようだ。そして、信一が甘い香りを纏うことも珍しくない。ただ、清楚感のある花の香が多い印象を、龍捲風は持っていた。

 ところが今、信一が纏うのは、チョコレートやコーヒーをも思わせる、甘さとほろ苦さを持つ深いバニラだった。

 季節や纏い方によっては酔ってしまうほどコクのある、甘美なるも重い香り。

 しかし、その印象を払拭するような、信一の髪が揺れるとふんわり匂う軽やかさには、香りを追いかけてしまう魅力がある。


 龍捲風が手をのばし、信一の髪を一房、指でそっと掬う。それから、ゆっくりと撫でるようにして滑らせた。

 また、フワリ。

 くすぐったそうに肩をすくめた信一が、小首を傾げて「変かな?」と聞いた。龍捲風は「まさか」と言うように首を緩くふった。

「そんなことはない。ただ、珍しいと思っただけだ」
「やっぱり、甘ったるすぎる?」
「良い匂いだし、違和感はない。だが……そうだな」

 龍捲風は少しだけ考えるようにして黙った。兄の穏やかな表情を、信一が不思議そうに見つめている。二人きりの時間では、信一は普段より幼いように龍捲風の目に映る。安心しきって、無防備だからだろう。

 そのあどけなさは、
 甘くほろ苦い香水がよく似合い過ぎた。

 龍捲風はクスリと笑った。他の人間が見ることはない、とろりトロけるような笑みを浮かべる。すると信一はそれを当然のように享受して、龍捲風が笑っているのが嬉しいと微笑みをこぼした。信一の一途で健気な表情を見て、龍捲風は答えた。

「美味しそうだ」

「何それ」

 目を丸くした信一が、また細めてくすくすと可笑しそうに言う。

 大人びたようでいて、
 やわらかでなめらかな、甘み。
 
 龍捲風の視線が、ゆっくりと信一の唇をなぞった。

 
 次の日。

 昨日と同じ時間に仕事から帰ってきた信一は「あれ?」と声を上げた。
 
 ダイニングテーブルに珍しいものが置かれていた。

 マスカルポーネ、コーヒー、ココア、クリーム。 
 甘くほろ苦いバニラのティラミス。

 龍捲風の特製スイーツは、
 いつだって二人のために用意されたもの。

 二人は席について向かい合うと、ココアがたっぷりとかかったティラミスへ、同時にスプーンを伸ばした。やわらかな感触に、期待が膨らむ。信一は嬉しそうにスプーンで掬い、口に入れて目を見張った。

 大人っぽい落ち着きを見せる、少しのビターさと。
 チーズのコクからなる、上品で心惹かれる甘さ。
 
 知っている香りと、瓜二つの味。

 あっという間に食べてしまうと、同じように食べ終わった龍捲風に信一は訊ねた。

 「ねえ、俺、美味しかった?」

 信一が口を三日月のように弧にして、うっとりと笑う。

 龍捲風は静かに微笑んだまま、ゆっくりと腕をのばす。

 信一の口元についたココアを親指で拭い、その指を舐めるように口へ運んだ。