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わからん
2026-05-27 22:58:17
5304文字
Public
くさひぐ
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【篤寛】置き手紙
居候中の日車からお土産をもらう日下部のくさひぐ
『任務お疲れ様。お土産です。ご自由にどうぞ』
百円均一ショップだったか何かの貰いものだったか、どこかの引き出しの奥深くに仕舞われていたはずのメモパッドの一枚には、やや右上がりの端正な字でそう書かれていた。
紙の隣には蓋を開けられた菓子折が置かれている
——
見る順番が逆だったかもしれない。本来ならテーブルの端に置かれた紙切れ一枚よりも、卓の中央を占めているものへと先に注意が向くはずだ。にもかかわらず、日下部は真っ先にメモを手に取っていた。
それは、ひょんな偶然で日下部の部屋へ居候することになった、日車からの簡素な置き手紙だ。
思えば彼の字を見るのはほとんど初めてだったかもしれない。彼が書き置き? 伝えたいことがあるなら携帯のメッセージアプリでも事足りるはずだ。わざわざ何だろうと思って読んでみれば、それはただの事務的な書き置きに過ぎなかった。
いったい何を期待していたのか? 日下部は顔を上げ、そこでようやく菓子折の存在に思い至ったのだった。
箱には個包装のものが六つ入っている。日下部は鼻を鳴らし、一つを開封しておかきを口の中へ放り込んだ。
ざらめの控えめな甘さは嫌いじゃない。醤油の甘じょっぱさも、黒豆のごりごりした食感と同時に口の中へ広がる香ばしさも好ましく、甘味ではないのが彼らしいと、次々と菓子を噛み砕きながら日車の姿を思い浮かべる。日下部の想像の中で、彼は目の下に薄い隈を作りながらも駅前の土産売り場
——
夜勤明けの早朝ならそうした売り場ではなくコンビニだろうか?
——
を彷徨い歩き、どの菓子を買うべきか真剣な表情で吟味していた。
律儀なやつと日下部は思わず呟き、ボールペンを探して日車の書き置きを手元に引き寄せる。
『美味かった、ありがとう。俺ひとりじゃ食いきれないから、あんたも食ってくれ』
日下部は日勤、日車は夜勤が連続する週だった。おそらく、日下部が家を空けていた午前中に日車は一旦帰ってきていて、睡眠を取ったあとすぐに出ていったのだろう。ここまで互いのスケジュールがすれ違うのは初めてのことで、日車が自分に土産を置いていったのも初めてだ。
生存報告という言葉が思い浮かんだ。彼がここにいた事実を、この小さな箱と紙切れが証明しているわけだ。彼の細やかな心配りと善良さが、連日の残業漬けで擦り切れかけた日下部の心を、少しながら癒してくれたような気がする。
(他人の優しさってやつに、久しぶりに触れたかもな
……
)
祓呪任務が連続していれば尚更である。日下部は口の端を緩め、着たままだったコートを仕舞いにリビングを後にした。
自分も日車に土産を買ってやろうかと思いつき、任務帰りの日下部は駅前の土産コーナーへふらりと立ち寄った。
贈る相手はひとりだから小さなサイズがいいだろうと考えただけで、肝心の中身は決まっていなかった。ひとまずチョコレートやおかきはなしだ。前者は日車が甘いものは苦手だと以前言っていたし、後者は日下部が彼からもらったためである。
結局、こういうのは迷えば迷うほど決めにくくなると、日下部は一番初めに目をつけたまんじゅうを手に取った。可もなく不可もない無難な選択だろうと納得し、ついでに補助監督たちへの土産にと大きなサイズも取ってから財布を取り出した。
……
夜に帰宅してすぐ、まんじゅうの箱をリビングのテーブルに置いた。昨日の日車がそうしていたように蓋は開け、中身を取りやすいように整えてやる。あとは
……
そう、置き手紙だ。昨日探して発見していたメモパッドから一枚ちぎり取り、ボールペンの先を紙面へ走らせる。
『日車へ。昨日のお返し』
これだけでは無愛想すぎるだろうか? 日下部はしばしのあいだ思案し、再び書き始めた。
『お返しのお返しはいらないからな。気を張りすぎて無理しないこと!』
魔が差したのかもしれない。いったい何がそうさせたのか日下部はさらにペンを走らせ、文章の隣に丸を描き、線を描き、曲線を描き
——
簡単な絵を描き添えていた。
丸っこい頭と四つ足の胴体。立派なたてがみが頭を囲い、点と線でデフォルメされた顔には頬の両側に三本ずつヒゲが生えている。
本来の獰猛さなど素知らぬ顔で紙面に居座っている小さな百獣の王を見下ろし、この紙を捨てるべきだろうかという考えが日下部の頭をよぎった。
しかし、ずいぶんと上手く描けてしまった。この絵は消さずに残してしまおう。「お返しのお返し」はいらないとわざわざ書いたところで、真面目な日車が気に病んでしまうのは目に見えている。これくらいふざけたほうが、相手の気も少しは楽になるかもしれない。
日下部が「お返し」に対する日車の反応を確認できたのは翌日の夜、呪霊討伐の任務を終えて疲労困憊で帰宅したあとだった。
菓子折は日下部が昨晩置いた位置から少しも移動していなかった。だが、包装紙に包まれたまんじゅうが右の列からふたつ消えている。そして、日下部が残した肝心の書き置きには、日車による追記が書かれていた。
『ありがとう。おいしかった。君も食べてくれ』
日下部は唇を緩めかけ、その後に続くものを見てはたと固まった。
自分が思いつきで描いた絵にも反応がある。ライオンの隣に
絵
が描かれていた
——
が、それは直線と折れ線と曲線が複雑に絡まり合い、気まぐれに打たれたとしか思えない点が線と線の間をさらなる混沌へと陥れ
……
つまり、何が描いてあるかわからない。
日下部は目を細めて紙を目元へ近づけたり、逆に遠くへ離したりして、日車の絵が何を指しているかを探り当てようとした。ライオンにあわせて動物を描いたのだろうか
……
それとも人間か? いいや、実は植物だったりするのかもしれない。ライオンから連想してサバンナ関連でアカシアの木とか、奇を衒ってバオバブとか
……
抽象画という可能性も? まさか。とどのつまり彼はこれを、何のつもりで描いたのだろう?
精一杯の理解に努めた。しかし、深く推察するには日下部は疲れすぎ、日車の絵は混沌を極めている。
つまりは匙を投げた。
それでも自分が持ちうる限りの繊細さを発揮して、日下部は返信を書くことにした。日車が描いた絵の隣に矢印を描いて指し示す。その横に書き足した。
『
——
ナニコレ?』
× × ×
仕事帰りに気まぐれでケーキを買った。
もちろんホールではない。ショートケーキとアップルパイのピースをひとつずつと、店の名物だというシュークリームをふたつ。
レジの隣には数字を模したロウソクが売られており、そういやあの子は何歳だったかなとふと考え込む。
あの子の誕生日、妹の誕生日、自分の誕生日と順繰りに思い出し、妹が息子
——
日下部にとっての甥だ
——
を出産したときの自分の年齢から逆算して、日下部は該当のロウソクを掴んで店員に渡した。するとどんな気を回されたのかメッセージカードも一緒に入れられて、日下部は途方に暮れながら店を後にした。
車へ戻り、袋からメッセージカードを出して眺める。
カードは裏面にハッピーバースデーと金色の英字で書かれ、表面は白紙だった。自由にメッセージを書き込めるフリースペースというやつだろう。
このまま車のダッシュボードにでもしまいこんで、存在ごと忘れてしまえばいい。第一、今日は家族や知り合いのうち誰の誕生日でもないのであって、これを入れられたのは単に店員の勘違いだ。
なのに捨てようとすると躊躇ってしまう。メッセージカードを入れておきますからねと言ってきた瞬間の、店員の優しい眼差しが忘れられない。彼女にもきっと子どもがいるのだろう。もしくは、ロウソクと一緒にメッセージカードを買い求める父親が案外に多いのかもしれない。
面と向かって伝えられないからこそ、手書きの言葉で。
文字の世界でなら、否、文字だからこそ人は素直になれる。だからこそ人々は、メッセージカードや手紙で、日々の感謝や相手への愛を伝えるのではないか
——
。
日下部は大きく息をつき、車のルームランプをつけた。職場から持ってきたままだったボールペンをシャツの胸ポケットから引き抜き、カードの表面にペンを走らせる。
『いつもお疲れ様。お返しはいらないから、気を張りすぎて無理しないこと!』
妹だけに宛てて書くのは気が引ける。日下部はペンのノックボタンを顎先に当てて唸り、意を決して作業を再開した。
丸と線と曲線。丸っこい頭と四つ足の胴体。立派なたてがみと左右三本ずつのヒゲ。
即席にしてはなかなかうまく描けた。甥は
——
タケルは喜んでくれるだろうか? あるいは自分のほうがもっと上手に描けると難癖をつけられるかもしれない。最近の彼は動物図鑑に夢中だと妹から聞いていた。
結局のところ、褒められようと罵られようとどちらでもいいのだ。妹の喜ぶ顔か呆れ顔、タケルの弾けるような笑顔か日下部を小馬鹿にした得意げな顔、どんな反応をされてもいい。二人が幸せなら道化にだってなってやる。
——
ああ、そうだ。
喜んでほしい
——
その一心で、必死に描いたんだっけ。
× × ×
「おはようワニ」
「えっ?」
「おはよう日下部。よく眠れたか?」
曖昧に頷きながらも日下部は訝しげに口を開く。「さっき変なこと言ってなかったか?」
「言っていない。もうすぐ出来上がるから座っていろ」
日車の返答はにべもない。こちらを見ようともせず、手元のフライパンで焼いている卵と真剣に向き合っている。日下部は追及を諦めて応と返事し、リビングへ引き返した。
あくびを口の中で噛み殺す。妙に懐かしい夢を見た気がする。ただし、そのせいで眠りが浅かったのか、まだ寝足りない。長い連勤がやっと終わり、溜まっていた疲れが一気に押し寄せてきた影響もあるのだろう。
ほどなくして日車がキッチンから戻ってきた。ワンプレート皿をふたつテーブルに置いて彼もまた席につく。部屋着に着替えてはいたが、仕事から帰ってきてすぐ朝食を作ってくれていたに違いない。
「悪い。疲れてるだろうに」
「別に」と日車は答えて箸を手に取った。「今日が夜勤の最終日だった。さっき帰ってきたから、食事を作るなら君も起きてくる時間だろうと」
「マジでありがてえわ。いただきます」
朝食はスクランブルエッグにレタス、ミニトマト、ウインナーとトーストだった。日車はトーストの代わりに白米を多めに盛っている。
日下部はトーストの表面にマーガリンを塗り、大口で齧りついた。
見計らったように日車が口を開く。
「ワニだ」
「ングッ」
咽せかけたのを堪えて飲み込む。キッチンから水を持ってきて日下部が落ち着くまでの間も、日車は黙々と食事を続けていた。あれほど巨大に盛られていた白米がどんどん減っていく。よほど空腹だったのだろう。
「な、何だって?」
「俺が描いたのはワニだ。君は何だと思っていたんだ?」
「なんでワニ
……
?」
日車が食事の手を止め、日下部をじっと見上げて黙り込んだ。大量の米をかき込んだせいで頬が膨らんでおり、どんなに凄まれてもおよそ迫力は感じられない。指摘すればさらに機嫌を損ねられるだろうから、日下部は努めて真顔を貫き通した。
米を咀嚼して飲み込み、日車が口を開く。
「俺でも描けると思ったんだ
……
」
耐えきれずに噴き出し、日下部はしばらくのあいだ笑っていた。日車の機嫌は見たところ限りなく底辺を這っていたが、食欲を満たしたせいか裏腹にどこか満足そうでもある。
日下部は目元に浮かんでいた涙を拭い、食事を再開した。
「悪い悪い。ツボっちまった」
「どこに笑う要素があったんだ」
「ワニとライオンを結びつけて考えるのがあんたらしいってこと」
日車が再び箸を止めて考え込み、首を傾げる。「どういう意味だ?」
「お疲れさんって意味。今週は地獄だったろ、お互いよく乗り越えたよ」
紙は捨てたの? と聞くと「捨てた」と即答された。ごみ出しは明日だから、彼の目を盗んで屑籠を漁っておこうと心に決める。
およそ一週間ぶりに二人で過ごす朝食の時間は静かに過ぎていった。窓から差し込む日光がリビングを明るく照らし、先に食べ終えた日車が眠たげな瞬きを繰り返している。
「寝たらどうだ。片づけは俺がやっとくから」
「すまない
……
」
立ち上がり、重たい足取りでふらふらと自室へ向かっていく。扉の向こうへ消える直前に日車が振り返り、目蓋がくっつきかけている顔で言った。
「おいしかった。まんじゅう。ありがとう」
呂律さえも怪しい。日下部は鼻で笑い、手で追い払う仕草をする。
「こっちこそ。あんたもお土産ありがとな。ほら、とっとと寝た寝た」
「おやすみ
……
」
ぱたんと小さな音を立てて扉が閉められ、静寂が訪れた。
日下部は朝食の残りをゆっくりと平らげた。それからふたりぶんの食器をキッチンへ持っていき、大きな音を立てないよう気をつけながら、皿洗いに取り掛かり始めた。
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