ORANGE*AXE/小野美歓
2026-05-27 22:28:53
3661文字
Public 風花
 

分岐点の数歩前にて【ディミメル】

メルセデス=フォン=マルトリッツ生誕祭2026記念、、、、の悪あがきです。
めちぇ誕なのに、ぶっちゃけディミトリのポエムなのはどうなん??? と突っ込みつつ。
細けえこたぁいいんだよディミメルなんだから!!!!(錯乱

 翠雨の節も半ばが過ぎた、盛夏のとある昼下がり。吹き抜ける風が心地よい木陰に設えられた長椅子に陣取り、執務室から持ち出した報告書を読み込んでいたディミトリは、予想外の事態に見舞われ目を瞬かせた。
 不意に左肩に感じた重みと温度に気を引かれ、羊皮紙の束から外した視線をそちらに向ければ、隣で本を読んでいたメルセデスの頭が傾ぎ、寄りかかっている様が見える。
 微かに聞こえる呼吸音は穏やかで、どうしたと問うまでもなく、眠っていることは理解できた。そういえば、ここに腰を落ち着けて互いに手元に意識を傾けきる前に、彼女は言っていた。昨夜はどうにも寝付きが悪く、気晴らしのために大聖堂に出かけて祈りを捧げ、それでようやく眠れたのだと。
 睡眠不足で疲れが残るまま、朝の内は洗濯やら厨房の手伝いやらで細々と働き、昼食を摂って腹が満たされた後だ。本の記述を無言で追う内に、意識が眠気に侵食されたとしても不思議ではない。
 手元に時計はなくとも、読み進めた文章量から経過時間の大凡の見当は付く。感覚に狂いがなければ三十分ほどだ。疲れているなら、無理をせず部屋で休めば良いのに。亜麻色の髪が風に揺れる様を眺めながら、普段は自分に投げかけられるばかりの小言をディミトリは肚裡に落とした。
 彼女の部屋は遠くないから、一度起こして部屋に戻るよう促すべきか。それとも、いっそ自分が抱えて連れて行くか。彼女に休養が必要なことは明らかで、如何なる手段を執るにせよ、自室に帰すべきだという結論に変わりはない。……ない、のだが。
 これが冬のことであるなら兎も角、木陰とはいえ盛夏の昼下がりだから、外で寝入ったとしても風邪を引くことはないだろう。肩に凭れかかる彼女の温度はより強く暑さを感じさせるはずが、今はまるで気にならないどころか、このままでいたいとさえ思っている。裡に潜めたものは自覚しているから、そんな欲を抱く自分に疑問は持たなかった。
 ほんの二節ほど前までは、こんなことは考えもしなかったというのに。無論、今でも己の過去の所業への悔いは消えていないし、忘れ去ることもできないだろうが、それとこれとは話が別だ。……そう思えるようになったのは、彼女の穏やかな言葉が、心を縛る茨を解いてくれたからだった。


 メルセデスが眠っていることに気付いてから数分。身体が傾ぎ、押さえる手も用を為さなくなったからか、開いたままの本が膝の上からずり落ちそうになっている。ディミトリは書類束を一旦横に置くと、手と膝の間からそっと本を抜き取った。
 触れていたものが失せた違和感で目を覚ますことはなく、彼女は変わらず静かな寝息を立てている。本を閉じて書類束の上に重ね、再度彼女を見遣る。目に入ったのは、膝の上に置かれた手だ。
 当然ながら己のそれよりも随分と小さく、迂闊に握れば壊れてしまいそうだ。紋章に由来する怪力を自覚すればこそ、他者の身体には安易に触れないよう心がけてきた、が。今はどうしてか――否、理由など分かりきっている――無性に、触れたいと思った。
 しかし、裡に湧いた衝動はすぐに霧散した。手を伸ばそうとした刹那に、何者かの近づく足音がディミトリの耳に届いたからだ。平静を装いつつ音の方へと視線をやると、そこには見慣れた女性の姿があった。
 透き通るような翠の瞳には、然したる感慨は浮かんでいない。ただ漠然と、目の前の風景をそれと認識したに過ぎないと、そんな風情で。だが、少しずつ距離が近くなるにつれ、ベレスの双眸に僅かな驚きが差し込んでいく。彼女がいた方角からは、最初は大柄な自分しか見えていなかったのだと、ディミトリは理解した。
 傍らで居眠りをするメルセデスの姿に気付くと同時に、ベレスは歩く靴音を殺しながら近づいて来て、ややあって正面で足を止めた。そして、珍しいものを見たとばかりに軽く目を瞠り、数秒の沈黙を経て口を開く。
……部屋に連れて行くなら、合鍵を持ってくるけれど」
 状況を理解したベレスの提案は、至極尤もなものだった。殊更起こさずにいるのは、そのまま眠らせてやりたいからだと察しただろう。部屋の鍵ならメルセデス自身が携行しているはずだが、眠る彼女の装束からそれを探り出すのは難しい。ならば代わりを、というわけだ。
 ディミトリは静かに頭を振った。返す声は、密やかに。
「外でも風邪を引くような季節ではないから、このままでも大丈夫だろう」
 頷いたベレスの声も、低く小さく。
「それもそうだね。人一人くらいが寄りかかっても、君なら全然平気か。問題があるとすれば――いや」
 意味深長そうに語尾を濁したベレスが、薄く笑む。
「君としては、好都合なのかな。寧ろ、見せつけたいくらいだろうし」
 肚裡に潜めたはずのものを容易に見透かし、次に言葉で突きつけてくる。的の中央を正確に射貫かれて、胸の奥で心臓が大きく跳ねた気がした。
 僅かに呻き声が漏れただけで、それ以上の反応を表出させずには済んだのは僥倖であった。肩に掛かる温かな重みには些かも変化はなく、メルセデスは未だ夢の中だ。意識してゆったりと息を吐きながら気を落ち着けると、ディミトリは愉しそうな眼差しで見下ろしてくる師に苦言を呈した。
「そういうことは口には出さず、思うだけに留めてくれないか、先生」
 すると、ベレスの淡い翠の瞳が一つ瞬き、口角が軽く上がった。
「好都合、ってところは、否定はしないんだね」
 続けて繰り出されたのは、正に必殺の一撃である。シルヴァン辺りから聞いたのか、普段の空気から感じ取っていたのか――いずれにせよ、この身に潜めた熱を帯びた感情の向く先を、ベレスは既に察していたのだと悟るには十分だった。
「しても無意味だということは、たった今理解したよ」


 これ以上ここにいると、余計な世話を焼くことになりそうだから。そう言って苦笑いを浮かべたベレスは、近づいて来た時と同様に足音を立てずに去って行った。元々は温室に用があって、その途中で姿を見かけたから話し掛けただけらしい。
 下る階段の向こうにその背が消えて、暫し。傍らの彼女の微かな寝息の他にディミトリの耳に入るのは、気まぐれに吹く風で揺れる枝葉の音と、どこか遠くで談笑しているらしき誰かの不明瞭な声くらいで。夏の日の大修道院は、昼間にもかかわらず静かなものだった。
 平穏を取り戻したディミトリは一つ息を吐き、改めてメルセデスを見遣った。普段なら有り得ないほどの近距離故に、俯き加減のその面差しは把握できない。更にその下には、膝の上に無造作に置かれた手があって――許可無く勝手に触れて良いものか、といった葛藤はあるものの、今度は迷いを振り切って行動に移す。
 裁縫道具を扱うときよりも気を遣って掬い上げた華奢な手指は軽く柔らかで、微かにざらついた感触があった。傷病者の看護や水仕事に多く携わっているからだろう。自分とは違う理由で荒れた手は、気配りに長けた彼女の為人の表れで、ディミトリには好ましいものだった。
 その一方で、思うところもある。常日頃から「身を厭え」と言われているが、その言葉をそっくりそのまま返してやりたい、と。言ったところで、抱え込んだ仕事の量から、やり込められる結果が見えているので、飲み込むしかないのが実情なのだが。
 普段から何くれと気を回してくれる彼女には、いつも甘やかされてばかりだ。多忙故に自分では熟す暇がない生活の諸々を、ドゥドゥーと共に引き受けてくれていることには感謝している。しかし、既に成人した男という自負があればこそ、不満にも思ってしまうのだった。
 彼女の目に映る自分は、手の掛かる弟でしかないのだろう。こうして傍らで眠れてしまうのも、彼女にとっての自分はある意味での庇護の対象だからで、諸々の欲を向けてくる相手だとは思われていないからだ。無論、望まれないものを押し付けるつもりは毛頭ないし、側にあって安らげるのは良いことではあろうが……
「きっと、お前は――
 俺がこうして、お前に触れたいと思っているなどとは、考えもしないのだろうな。自嘲混じりの独白は、肚裡の底に向けて密かに零し、代わりに深く息を吐く。
 掬い上げた指先に口付けたい。そんな焦燥混じりの欲を抱きながらも、悩んだ末に軽く握るだけに留めた。眠っているのを良いことに、こうして触れるだけでも勝手が過ぎるというのに、更に線を越える真似は流石に許されまい。
 静かに、そっと。細心の注意を払い、彼女の手を膝の上に戻すと、ディミトリは傍らに置いた本の下から書類束を抜き取る。通読の途中だったそれは、戦後の統治に関する資料の一部である。
 エーデルガルトとの会談は近く、更に数日後には帝都に攻め込むことになる。敗北が許されない戦を、互いに生きて潜り抜けたなら、その時は――裡に息づく熱を抑えながら、密やかに独り誓う。そうしてディミトリは、既に固めた覚悟を、更に強くしたのだった。