千代里
2026-05-27 08:14:00
7977文字
Public ラハとエリンの話
 

ヘアカットの話


 グ・ラハ・ティアは、光の戦士と名高い英雄と特別に親しい間柄である。
 周りにそう思われるのは、ラハとしても恥ずかしながらも、嬉しくもあることだった。
 だが、時にその肩書きが思わぬ使われ方をすることもある。
「宿の受付に渡しておくだけで、オレはよかったのに……
 どうしてこんなことに、とラハが呻いている原因は、彼が抱えている荷物にあった。
 ここ最近、ソリューションナインでも顔が知られてきたエリンには、様々な贈り物が送られる。
 なんでも、アルカディアという魔物の魂を使った闘士が戦いあう闘技場に、生身の戦士として箒星のように姿を見せた彼女は、あっという間に当代チャンピオンを負かして名誉統一王者に君臨したらしい。
 そんな彼女に持ち込まれるファンレターやらプレゼントやらを、彼女のセコンドが厳正なる吟味の末に仕分けを行い、これなら渡しても大丈夫というものをラハは預かってきていた。
 現在、エリンが宿泊しているトライヨラの高級宿『フォールアード・キャビンズ』の受付に預けて、お使いはおしまいと思いきや、
「お客様は、彼の方と大層仲が良いと聞きました。ここしばらく、ずっと部屋に篭りきりなので、一度様子を見ていただけますか?」
 と、部屋の鍵を押し付けられ、こうして英雄の部屋にアポ無し訪問をすることになってしまったのである。
「いくらなんでも、オレが突然行ったら、エリンに怒られるんじゃないか……?」
 真っ当なことを言ってみてはいるものの、内心ラハは休暇中のエリンが何をしているか、興味はあった。日頃、外を歩き回ることが多い彼女が、部屋に篭り切りというのも気になる。
 目的の部屋の前に辿り着くが、扉は固く閉ざされたままだ。すでに時刻は昼を迎えようとしている頃。トライヨラは本日も快晴で、燦々とした日光が部屋に降り注いでいるはずだ。
「エリン、いるか? オレだ。グ・ラハ・ティアだ」
 両手で抱えている木箱を一度廊下に下ろし、コンコンと扉をノックする。だが、返事はない。
「入るぞ……?」
 これで着替え中だったり、それに近しい状況だったらどうしようという不安があったため、まずは鍵を使ってできるだけゆっくり扉を開く。続けて、目隠しとして扉の前に吊るされていたタペストリーをそっと押し開くと、
「誰も、いない……?」
 フォールアード・キャビンズの中でも最高級と言われる広々とした部屋がラハを迎えてくれた。
 だが、本来ならば燦々とした日光と、外へと開かれたテラスから見えた海が眩しい部屋は、今は照明は落とされている上に、日光を塞ぐための大きなカーテンがテラスを塞ぐようにかけられているせいで、全体的に薄暗い。
「エリン、いるのか。いるなら返事をしてくれ」
 もしや、彼女の身に何かあったのでは。薄暗い部屋で、嫌な予感をふつふつと湧き上がらせるラハ。
 部屋の奥に数歩足を踏み入れ、寝台に続く空間に立てられた衝立を退けて――そこで、ラハは瞳をぱちくりとさせる。
 二つ並べられた、大柄な種族でものんびり寝られるつくりの大きなベッド。その中でも奥側にある寝台に、何かが丸まっている。巨大な猫のようにも見えたそれは、よくよく見れば人の姿をしていて。
……エリン?」
 長く伸びたミルクティー色の髪に包まれるようにして、薄着のエリンが体を丸めていた。上から見れば、まさに体を丸めて眠る猫そのものだ。
「うーん……。お姉ちゃん、もうちょっと寝かせて……
 むぐむぐと寝言を漏らしながら、寝台の中で丸まっていた人影がもぞもぞと動き出す。丸まっていた体から手足が伸びていく。
 ゆーっくりと体を起こし、うんと伸びを一つ。大きな欠伸をして、ぼんやりとした瞳で己に呼びかけた来客へと目をむけるエリン。焦点のあっていないその瞳に向けて、ラハは苦笑いを送る。
「あー……悪い。寝ていたんだったら、後にしようか」
 瞬間、声にならない悲鳴が、トライヨラ中に響き渡った。
 
 ***
 
「あ、あのね、いつもはもっと、ちゃんとしてるんだから! 今日みたいなのは、たまたまで! 本当に、普段はもっときちんとしてるの!!」
「わかったわかった。それより、少しは落ち着かないとさっきみたいに転びかけて怪我するぞ」
 まさに子供の言い訳そのもののような言葉を。何度も口にしているエリン。その伴奏に、何かが落ちるような音がいくつか響いていた。おかげで、ラハは衝立の向こうにいる彼女の焦り具合が手に取るようにわかる。
 寝起きの顔を思い人に見られた後のエリンは、まるで歩く人間ハリケーンになったかのように、大急ぎで身繕いを始めた。
 ラハには、部屋に勝手に入ったことを咎めるどころか、逆に何度も平謝りした上に、彼を部屋の外に置き去りにするわけにはいくまいと、部屋へと案内した。代わりに部屋の主であるはずのエリンは、着替えを片手にベッド脇の衝立の向こうへと消えてしまった。
 よく見れば、部屋のそこかしこには脱ぎ散らかした服やら、出しっぱなしになっていた冒険用の道具やらが散らばっていたが、ラハはそれらを全て見なかったことにしつつ、黙々と片付けるという器用な真似をしていた。
 必要な時に自分の視界を適度にシャットアウトするのも、英雄の思い人には必要なことである。
「エリン。こっちのカーテン、開いてもいいか」
「ご自由にー!」
 返答の最中で、「髪がもつれてる!」と悲鳴が聞こえたので、まだ身支度の真っ最中なのだろう。ラハは深くは聞かないことにした。
 外へとつながるテラスまでの空間全面的に覆っていたカーテンを開くと、開放的なテラスから燦々と陽射しが降り注ぎ、部屋の薄闇を吹き飛ばしていく。
 窓ガラスもない作りのおかげで、通り行く風を邪魔するものは何もない。
 部屋の澱んだ空気を爽快に吹き飛ばす風を身体中に浴びて、ラハはうんと伸びをする。
「お待たせしました……
 心地よい瞬間を味わう傍らで、蚊の鳴くような声が聞こえた。衝立から恐る恐る顔を出したエリンである。
 今日の彼女は、トライヨラではしばしば見かける色鮮やかな織物を使って作られたシャツと、裾が広がったつくりのゆったりとしたズボンを着ている。ところどころ髪がぴょんぴょん跳ねているのは、抑えきれなかった寝癖だろうか。
「おはよう、エリン。今日は随分とゆっくり寝ていたみたいだな。夜が遅かったのか? ここ最近出歩いてないみたいだって、宿の人が心配していたぞ。具合でも悪かったのか」
「ううん。具合が悪かったわけじゃないの。ただ、その……ずっとアレを読んでいて」
 エリンが指差した先にあったのは、机の上に置かれた光る一枚の板――ソリューションナインでは度々見かける映像の記憶や保存などができる端末だ。
 エレクトロープ製なのか、トライヨラには給電システムなどないだろうに、今も液晶の光が淡く輝いている。
 読んでいたということは、端末には記録や書籍が記録されているのだろう。
「何か面白い本でもあったのか? あんたがそんなに夢中になるなんて、珍しいこともあるんだな」
「私だって本くらい読みますよーだ。それに、これは本じゃなくて、えーと……漫画、というものなの。絵と文章でできている物語なんだよ」
 端末を取り上げて、エリンはいくつかの『漫画』を紹介する。それは、ラハの感覚で言うならば絵本に近い作りのものだった。
 だが、絵本と違って文章は少なく、代わりに絵が多い。それでいて一枚の長方形という限られた空間を線を使って分割し、小分けにされた長方形のマスを連続して読むと物語が進んでいるとわかる作りになっている。
「これは面白いな。ソリューションナインには、こういうものもあったのか」
 ラハもソリューションナインにはそれなりに長く滞在しているが、それはあくまで調査のためだ。そのため、娯楽の分野にはなかなか触れる機会がなかった。
「アルカディアの闘技を題材にして漫画を描いてるガブロさんって人のインタビューを受けたときに、漫画のことを教えてもらったの。ガブロさん、私の話を聞いてアルカディアの戦いをもっと面白く書いてくれたんだよ。私も漫画の中に登場してるの」
「そうみたいだな。こっちはアルカディアが舞台じゃなさそうだけれど、これはどんな話なんだ?」
「それは、雷光大戦がもしなかったら、という架空の歴史を扱った時代ものだよ。こっちはアレクサンドリア王国で昔はやったお芝居を漫画にしたものだって。ガブロさんが言うには、こみからいずってものらしいよ」
 エリンが端末を操作すると、ずらりと様々な絵が並ぶ。どうやら、これが本の表紙に該当するらしい。この端末には、相当数の漫画が収められていそうだ。
「ガブロさんに、描いてくれた漫画が面白いって話したら、他にもおすすめの作品をいっぱい入れた端末を貸してくれたの。それがみんな面白くって!」
「それで、ずっと読み耽っていて部屋から出てこなかった、と」
 図星を刺されて、エリンの尻尾がぺしょっと下がる。俯いた顔に引き摺られて、パサパサと長い髪が落ちていった。
「あんたがオレに『ちゃんと寝てるか』『食事はとってるか』ってあれこれ聞くのがお約束だったのに、これじゃ逆だな」
「ごめんなさい……
「別に謝らなくていいさ。そんなにもあんたが夢中になってくれたって知ったら、作者もきっと喜ぶだろうからな」
 ゆっくりと顔を上げるエリン。顔にかかった前髪を払うと、青と緑の色違いの瞳がじいっとこちらを見つめていた。
「でも。あんたを心配する奴もいるんだ。たまには顔を見せてくれるとありがたいな」
「うう……。面目しだいもございません」
 これ以上この話を続けていても、エリンが落ち込むだけだ。そう思い直し、軽く頭を撫でてから、彼女の長い髪の毛を掬って、顔にかからないように後ろへ流してやる。
「そういえば、ラハはどうしてここに来たの?」
「あんたのセコンドって人に頼まれたんだよ。アルカディアの名誉統一王者様にファンから贈り物が届いてるから、届けてほしいって」
「あの箱の中身が? なんだか重そうだけど、ここまで手で運んできたの?」
「流石に途中までは列車を使わせてもらった。だから、そんなに大したことじゃないさ」
 エーテライトを使った転送魔法は、大荷物を一気に運ぶのには不向きだ。地脈の中でうっかり無くすようなことがあったら、取りに戻ることもできない。そのため、ラハは堅実な移動手段を選んだのである。
「ちょっと見てきていい?」
「どうぞどうぞ、統一王者様。でも、また散らかしたら、次に掃除するのはあんたの番になるからな」
「う……気をつけます」
 惨憺たる状況だった部屋がいくらかましな姿になったのは、ラハがせっせと片付けたおかげだ。エリンの尻尾が忙しなく揺れているのは、またしても醜態を晒してしまったことを反省しているからだろう。
 木箱の蓋を開けて、中を覗き込むエリン。すると、またぞろ彼女の長い髪の毛が視界を覆ってしまった。
「なあ。気のせいかもしれないが、あんた、随分髪が伸びてないか?」
「気のせいじゃないよ。三日月島の調査に思ったより時間がかかっちゃって、おかげでこんなに伸びちゃったの。でも、切りに行く暇がなくって」
「トライヨラに理髪師とか美容師っていないのか?」
「いないわけじゃないみたいだよ。マムージャ族の人は使わないから、数はちょっと少ないみたいだけど」
 言われてみれば、マムージャ族は頭髪と呼べるものがない種族である。とはいえ、トライヨラにはエオルゼアでいうところのミコッテ族やヒューラン族も多数いるので、美容師という職が必要ないということもなさそうだ。
 ならば、エリンにそこに行ってくるように促そうかと口を開きかけた矢先、
「でも、知らない人に髪切ってもらうの、ちょっと怖くて」
「怖い?」
「背中に刃物を持って立たれることになるから」
 エリンが何気なく口にした言葉に、ラハは口を噤んだ。
 ラハは、普段から髪の長さの調整程度なら自分で済ませてしまう。習慣からそうしていたが、水晶公であった頃の記憶を辿っていくと、見知らぬ者に自分の急所を預ける恐怖は覚えのあるものでもあった。
「あ、もちろん、皆が皆そんなふうに考えるなんて思ってないよ。でも、ね」
 エリンは、長く伸びた髪の毛を指先で弄ぶ。
「もしかしたら、私が知らない間に何か途轍もなく嫌なことをしてしまっているかもしれないし、そんな相手が無防備でいたら……魔がさすことも、あるかもしれないでしょ」
 なるべく軽い調子で話しているものの、彼女の声音には一抹の寂しさが混ざっていた。そんな風に人を疑わなくてはならない己を恥じているような、どこかで仕方ないと諦めているような。
 光の戦士という英雄の肩書きを背負うこと。その重さを、改めて突きつけられたような気がした。
 所在なさげに髪をいじり続けているエリンが、まるで迷子になって途方に暮れている子供に見えて、思わずラハの口から言葉がついて出る。
「じゃあ、今日はオレが切ろうか」
「ラハが?」
「髪の毛を短くするぐらいでよければ、何度か経験はある。いつものと同じくらいの長さまで切るってことでいいか?」
「うん。お願い。トライヨラだと、髪が長いとちょっと暑いの」
 ばさばさと髪を払ってから、エリンはラハに勧められるままにドレッサーの前の椅子に腰を下ろす。
 散髪の際に散らばった髪の毛を集められるように、何か敷物を借りてくると言い残して、ラハは一度外へと出た。
(今のは、オレには背中を預けてくれてるってことで……いいんだよな?)
 浮かれていい場面なのかどうか、自分でも判断に迷う瞬間ではあった。
 単なる散髪の依頼だと言うのに。だが、敬愛と同時に思慕の思いまで向ける相手が自分の命まで預けてくれる。そんな風に思うと、彼女に向ける愛おしさも、腹の底から湧き立つ高揚もどうしようもなく膨れ上がってしまうのだった。
 
 ***
 
 宿の受付から借りてきた古布を敷いたり、エリンの首に巻いたりしたら、即席の散髪の場が完成だ。
「本当に、随分と伸びたなあ。冒険の邪魔になったんじゃないか?」
「最近はよく結んでいるよ。それに、長い髪の冒険者さんって、強い人の証みたいだから、ちょっと憧れてたの」
 長い髪を維持するのは、ラハが想像する以上に難しいらしい。戦闘時に髪を切られる可能性や、探検の最中に髪を引っ掛ける可能性。それらを加味してもなお、髪を伸ばす決意をしている、ということになるからだ。
「じゃあ、このまま伸ばしておくか?」
「うーん。私は暑いから切っちゃっていいよ。それとも、ラハは長い方が好き?」
「えっ!? あー……オレはどんな長さでも構わない。それなら、さっき言ったようにいつもの長さにしておく。縛れるくらいには残しておくから」
「お願いしまーす」
 気軽な調子で答えるエリン。散髪の最中、頭を動かせない彼女は例の漫画が入った端末を読みたそうにしていた。だが、仮にも恋人が部屋にいるのに、端末に読みふけられたら立場がないと、ラハは端末を一旦回収していた。
 これまた受付で貸してもらった桶にたっぷり水を入れ、そこに布を浸し、エリンの髪を湿らせていく。
 ただ黙って作業をしていても暇だろうと、ラハは手を動かしながらも口も動かしていた。
「エオルゼアにいたときは、自分で髪を切ってたのか?」
「ううん。ジャンドゥレーヌさんに切ってもらってたよ」
「ジャンドゥレーヌ?」
 聞き覚えのない名前に首を傾げていると、
「凄腕の美容師さんなの。髪の毛を染めるのもできるし、私の冒険の話を聞くだけで次々新しい髪型を思いついてくれるし。お化粧の仕方もこの前は教えてくれたんだよ。誕生日おめでとさんって」
「その日、誕生日だったのか?」
「ううん、違うよ? 髪を切ったらいつもそう言ってくれるの」
 ラハは、それ以上深く考えるのをやめた。どうやら、ジャンドゥレーヌという人物は、かなり個性的な御仁であるらしい。
「でも、さすがにアラミゴとかラザハンにまで呼び出すわけにもいかないから、暁の皆といるときはヤ・シュトラかサンクレッドに頼んでたんだ」
「たしかに。あの二人なら器用そうだものな」
「第一世界でも、二人にはお世話になったなあ。フェオちゃんに切ってもらえないかって頼んだんだけど、『枝が木を切ってしまってはあべこべになってしまうわ』だって」
 第一世界にエリンを呼び寄せた張本人は、今後ろにいるラハでもあるので、彼は内心で何度も彼女に詫びねばならなかった。
 のっぴきならない理由があったとはいえ、その手の細かい事情を無視して呼び出したのは事実だからだ。
 その後も、近況を相談し合っているうちに、エリンの髪の毛は当初よりもずっと短くなっていった。
(この長さなら、オレと同じ髪型にできるんじゃないか……?)
 ソリューションナインでは、ペアルックといって好き合っている者がお揃いの格好をするのが流行っていると聞く。
 このまま自分と同じ髪型にしてはどうか、と一瞬仮止め用にたくさん持ってきたヘアピンに手が伸びかけるが、
(いやいや、流石にそれは……うん。やめておこう)
 ちょっといいな、とは思ったが、仲間の前で揃いの髪型で現れようものなら、確実に揶揄われる。英雄は照れ屋でもあるので、あまり彼女を困らせるものではない。
 最初の要望どおりの長さで切るのをやめて、体についてしまった髪の毛を羽箒で落としていく。そうするとミルクティー色の切られた髪が、敷いておいた古布上でこんもりと山になった。
「ふーっ。うん、随分とすっきりした。ありがとう、ラハ」
「どういたしまして。これ、捨ててくるからちょっと待ってくれ」
「それぐらいは私にやらせて。ラハは休んでてよ」
 エリンは素早く立ち上がると、自分の足元に敷かれていた古布をぱぱっと巻き取る。片付けをしている彼女を追うように、ラハが切って短くなったミルクティー色の髪が躍っていた。
 思わず、手を伸ばして指を通す。部屋で会った直後は、重たさを感じた毛並みも、今はするりと指先を通っていった。
「ラハ?」
「あ、いや。なんでも、ない」
「そう? ちょっと顔が赤いような……
「ほ、本当になんでもないんだ。それより、ほら。片付けに行ってくれるんだろう」
 エリンは少しばかり首を傾げていたが、結局ラハの言葉に促されて部屋の外へと出ていった。
 残された彼は、ドレッサーの前に置かれたままの椅子に腰を下ろし、赤くなっていたという顔を片手で隠す。
 その理由は、本当に些細なことだった。
(あんたの髪に触れるのが好きだなんて、今更気がつくなんて)
 普段は頭を撫でることはあれど、指を通すほどの緊密な触れ合いはしていない――はずだ。けれども、ふとしたときに指先を通るあの柔らかな色合いの髪が、指先に触れるふわりとした感触が、どうにも心を疼かせる。
 甘やかな追想に、一瞬身も心も浸りかけた。だが、顔を上げたラハは、夢見心地の自分を叱咤する。
「戻ってくるまでに、あんたの部屋の片付けも済ませておかないとな」
 まだ完全に整ったとはいえない部屋の状況。奇しくも、それがラハの心を現実へと引き戻してくれたのだった。
 彼女の冒険の片鱗を一つ一つ手にとりながら、片付けは続く。
 今度はかつての冒険に思いを馳せて懐かしさに耽り始めたラハの片付けは、まだまだ時間がかかりそうだった。