燈 ともしび
2026-05-26 21:29:27
1998文字
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ぎゆさね【ありあまる】

キ学軸。甘め

 今日は珍しく定時に帰れると思っていたらギリギリに職員室の外線が鳴ってしまい、それも思っていたより厄介な案件で対応していたら残業になった。
 心身ともに疲れ切って乗った電車は車両トラブルで停車して、結局次の電車に振替となった。
 僅かな身動きすら出来ない満員電車に揺られ、ようやく最寄駅に着けば天気予報が外れて大雨だった。
 よりによって、と思う。いつもなら通勤用リュックに折りたたみが入っているけれど、先月の風が強い雨の日に柄が折れてしまい、買い換えようとしてそのままにしていた。何度か買うタイミングがあったのに、後回しにしてしまった結果がこれだ。
 最後の望みで近くのコンビニに寄ってみたが、同じ考えの人間がたくさんいたので売り傘置き場は空っぽだったし、レインコートすら完売している。

 もう無理だ。諦めて濡れよう。
 普段からスーツではなく洗いやすいジャージ、スニーカーでいたのも諦めが早い要因になった。きっと不死川なら大変な事態になっていただろう。いつも身なりがきちんとしている男だから。
 幸いにも最寄駅から全力で走れは十分くらいで家に着く。物件探しの時に駅近にこだわったのは不死川だったが、こんな時に正解だったなと強く思う。

 打ち付ける音が大きくなり、止む気配はない雨の中に飛び出す。暦の上ではもう春とはいえ、日が沈めばまだ肌寒い気温しかないし、雨が降れば尚更体感温度も下がる。
 帰ったらまず風呂だ。でないと風邪をひく。少し前にも体調を崩して不死川に迷惑をかけたばかりなのに、また繰り返すわけにはいかない。
 マンション近くの坂を全力で駆け上がっていると、坂の上の方に見慣れた姿が見える。さらに走るスピードを早めた。
 俺は濡れても良いんだ。自業自得だから。
 でも多分、というか絶対に。わざわざここまで出迎えに来てくれたであろう恋人を濡らしたくない。

「不死川」
「あ、思ってたより早かった」
 不死川は俺の姿に驚いて、でもすぐに片腕に引っ掛けていた俺の傘を開いて差し出してくれる。俺はすでにかなり濡れてしまっているので今更ではあるが、ありがたく受け取ってさした。
「いや、折りたたみ持ってたよなァって思ったんだけどよ、でも確かこの前壊れて買い直ししてなかった気がして」
「正解だ。ご覧の通り」
「だよなァ」
 まァ、すげえ濡れてるけど。
 そう言って、無精して伸ばしたままの長めの前髪からしたたる雨を不死川が指先で拭ってくれる。
 不死川の事が大好きだからこんな接触も嬉しい。でも濡らしたくないから顔を引く。不死川はそれが面白くなかったようで唇を尖らせていた。可愛い。
「不死川を濡らしたくない」
 これ以上恋人の機嫌を損ねたくないので正直に白状すれば、
「ばか。そんなの大丈夫だっての」
 と笑う。やっぱり素直に話したのは正解だったらしい。こういった分かりやすさも可愛い。

 坂を登り切った辺りで不死川は傘を閉じた。何をするのかと見ていると、そのまま俺の広げている傘の中に潜り込んでくる。
「水も滴る良い男と相合傘ァ」
 なー、と下から見上げるように笑う。
 
 それは。
 それはダメだろう。
 今、このタイミングでそれはダメだ、不死川。

 あまりの可愛さに崩れ落ちそうになる膝をなんとか持ち堪えさせる。あと少しで家だというのにここで倒れるわけにはいかない。

「今日さァ、鍋にした。海鮮鍋。この前宇髄から貰った大きい海老入れた」
「美味そうだ」
 不死川が。
 思わず漏れそうになった本音はなんとか口から出さずに済んだ。危なかった。
「明日さァ、久しぶりに一緒の休みだからゲームの続きしようぜ」
「いいよ」
 ゲームをするとくるくると変わる不死川の可愛い表情がたくさん見られるから、俺も嬉しい。
「あとさァ」
「うん」
 休みの前の日は、いつもより少しだけ不死川のテンションが高くなる。
 嬉しいよな。俺もだから分かる。何をしようかって色々思うよ。

「帰ったら、まずは一緒に風呂入ろうなァ」
 ひよこ、湯船に入れたァ。

 この前、実家に帰った時に妹から貰ったらしい、大量のひよこの風呂に浮かぶ玩具。
 これ俺が貰ってどうすんだなんて困っていたのに、今は割とお気に入りになってるのも可愛い。

 さっきまで心身ともに疲れていたのに、不死川が現れただけでこんなだ。不死川が可愛いだけで、こんなにも俺は満たされて元気になる。恋人って凄すぎる。

「不死川」
「はァい」

「好きだ」
 外では恥ずかしがるので言わないようにしていたが、いまは無理だった。だって愛が溢れて止まらないんだ。

 さて、どうしようか。
 帰ったらまず風呂は入るが、目の前にいる、顔を真っ赤にした可愛い恋人をどうしてくれようか。
 もう少しの帰り道。俺はそんなことばかり考えていた。