燈 ともしび
2026-05-26 21:10:41
2718文字
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ぎゆさね【巡る】

生まれ変わりオメガバースぎゆさね

 この世界には第三の性別がある。
 男性、女性の他に、アルファ、オメガ、ベータだ。大抵は年齢が十五歳頃になると第三の性別が身体に発現することが多い。
 けれど、俺は生まれつき第三の性が決められていた。この世に生まれてすぐ、俺のうなじには歯型があったのだ。オメガ専門の医師が診断したので間違いなく痣ではなく歯型であり、それは俺が生まれつきのオメガであることと同時に誰かの番である証明になってしまった。
 ずっと母親の胎内で育っていたのに、一体誰が赤ん坊である俺のうなじを噛めたというのか。それだけは今も分からずにいる。

 ありがたいことに今はよく効くオメガ用の抑制剤があるので、色々不利と思われがちなオメガでも特に支障なく生きていく事ができる。実際に高校生となった今まで不便を感じたことも危険を感じたこともない。むしろ体格が良いためにオメガではなくアルファだと思われていることもあった。
 生まれつきあった謎の歯型は消えなかったが、後ろ髪を少し長めに伸ばしてしまえば目立つこともない。こうなるとオメガ専門医師の誤診だったのではとさえ思っていた。つまりこれは歯型ではなく痣ではないのかと。
 オメガであることは変わりないのだが、そう思えば少し気楽になった。顔も知らない誰かが俺の番だと言われても納得出来るはずもない。
 だから、このまま、何もなく生きていけると。

 けれど、この世界はどこまでも俺に厳しいらしい。


 季節外れの転校生がやってきたのは春から夏へと移り変わりゆこうとする頃のことだった。

「冨岡義勇です」
 真っ黒な髪、青みを帯びた瞳。涼しげな切れ長の瞳に高い鼻梁。すらっと伸びた背に長い手足。
 その転校生を見たとき、クラスの女子はとんでもないイケメンがやってきたと大騒ぎしていた。
 クラスの男子は芸能人かと突っ込みを入れたり、女子全員掻っ攫われてしまうと嘆いたりしていた。
 その中で俺はひとり、自分でも分かるくらい血の気が引いていた。それと同時に心と身体が見えない何かに引っ張られるようにその転校生から目が離せなくなっていた。

 挨拶を終えた冨岡が俺の横を通って後ろの席に座る。
 先ほどまでは血の気が引いた感覚があったのに、今は手足や顔がそれとは反対に熱を帯びて熱くなっていく。
 どうしよう。身体の震えが止まらない。
 うなじが一番熱かった。焼けるように熱くてたまらない。こんな感覚は感じたことがない。
 ずっと薬を飲んでいれば安全だと言われていたのに、今朝も間違いなく内服してきたのに効いていない。

 俺の全ての細胞が騒いでいる。
『あいつ』だと。
 目の前に現れてしまうことをずっと恐れていた『俺の番』はあいつ、冨岡義勇という転校生だと。
 分かりたくなかったのに、分かってしまった。
 
 椅子から転げ落ちる寸前、誰かに抱き止められた感覚があった。
 横に座っている仲の良い伊黒かと思っていたが、伊黒は小柄だから俺を抱えきれない。だから違う。
 でも、とても落ち着く良い匂いがした。ずっと嗅いでいたい。こうやって抱きしめられていたい、そんな香り。

 視界がブラックアウトする。
 覚えているのはそこまで。


 次に目が覚めたとき、俺は保健室のベッドに寝かされていた。腕時計を見ればもう授業はとっくに終わり、部活動の時間になっている。
 身体を起こしても眩暈はない。倒れる直前に感じていた熱っぽさも今はない。
 仕切られているカーテンを開けてもひとけはなく、養護教諭の机の上にメモが置かれているのだけが見えた。
 手に取る。
 呼吸や脈も規則正しく、熱も無かったため寝かせておいたこと、カバンは持ってきてあるので目が覚めたら気をつけて帰宅すること。何か体調の変化があればすぐに病院へ受診することなどが書かれていた。
 先ほどまでは付き添っていてくれたようだが、どうやら養護教諭は会議で出てしまったらしい。迷惑をかけたお詫びは明日以降にすることにして、とりあえず帰り支度をする。自宅が学校から近くて良かった。なんとか帰れそうだ。

「起きたか」
 乱れていた髪の毛を整えていると不意に背後から声をかけられた。
 この声は知らない。あまり聞き覚えがない。けれど、この『匂い』を俺は知っている。
 身体が硬直する。倒れる寸前に感じていたような血の気が引くのに熱くなる感覚が再び巡ってくる。
「いきなり倒れたから驚いた。身体は大丈夫なのか」
 ゆっくりと振り向けば、そこにいたのは例の転校生、冨岡だった。

『最期のお願いってやつを聞いてくれるか?』
『ああ、なんでも』
『うなじを噛んで欲しい』
……良いのか?』
『良い。頼む。俺を××××の番にして』

 冨岡と目が合った瞬間、頭の中に誰かの会話が流れ込んでくる。
 知らない。こんな会話なんてしたこともない。
 けれど、『知っている』
 これは俺だ。俺が願っている。
 うなじを噛んで欲しいと誰かに願っているのだ。

 か細い声は多分、死に行く声。最期とは息絶える寸前。そんな時に俺は誰かに番にしてもらうことを願った。

 誰だ。知らない。
 けれど、『知っている』
 だって身体中の血が、細胞が叫んでいる。
 目の前の、こいつが。冨岡義勇が俺の番なのだと。

「う、っああああ!」
 熱い。うなじが焼けるように熱い。
 思わずしゃがみ込めば冨岡が駆け寄ってきて俺を抱き止めた。
 熱い、苦しい。痛い。
 でも、冨岡に抱きしめられているとそれが治っていく。そして痛みではない何かがどろりと心と身体の奥底から溢れて出てくるのも分かった。

 ああ。
 神様。どうして。

 生まれつき、俺はオメガで誰かの番だった。
 ずっと、その誰かに会いたくなかった。
 だって、知っていたんだ。こうなることを。
 どうしようもなく惹かれて、引っ張られて、自分が自分でなくなってしまうかのような状態になってしまうことを知っていたんだ。
 だから会いたくなんてなかったのに。

 勝手に涙が溢れてくる。
 苦しい。熱い。助けて。
 溺れるように手を伸ばしたら、冨岡は黙ってぎゅっと抱きしめてくれた。痛みは甘い何かにすり替わる。

 お前が、俺の番なんだろう?
 それは俺が願ったことなんだろう?

 ひたすらに訳も分からず言葉を感情を冨岡にぶつけた。そして泣き喚いた。
 分からないのに分かってしまうことが怖かった。
 この胸の痛みが怖かった。

 わあわあと泣く俺を冨岡はずっと宥めるように抱きしめていてくれた。
 涙はしばらく止まりそうになかった。