燈 ともしび
2026-05-26 21:07:38
3751文字
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ぎゆさね版ドロライお題:【花冷え/寄り添う】

リーマンぎゆさね。

「帰んの?」
「ああ」
「あっそォ。またなァ」
「ああ」
 そう言うと冨岡はさっさと服を着て部屋を出て行った。一度も振り返ることなく。
 当たり前か。欲は発散したんだしもうこの部屋に用も未練もある訳ねェもんな。
……俺にはあるけど。
 冨岡はいつも振り返らずに帰るから、俺がどんな顔をして見送っているのかなんて知らないだろう。別にそれで良いんだけど。見られて微妙な顔されても困るし。
 恋人でもない、身体の関係だけの相手が必死な泣きそうな顔してるなんて知りもしない。
 それで良いんだ。
 それで。


 冨岡と俺は単なる同期だった。
 冨岡は技術で俺は営業。顔は知っていても部署も違うので普段は特に接点もなく話すこともない。俺たちの代の同期は人数が多かったので、ずっとそんな相手だった。
 それが変わったのは同期会飲みの帰り道。たまたま帰る方向が同じなのが冨岡と俺だけだったので、解散後に一緒に同じ路線の駅に向かった。
 その日は電気系統のトラブルとやらで電車が遅れていて、酷い混雑で駅構内に入ることすら出来なくなっていたのでそれならと酔い覚ましも兼ねて少し歩くか。そんな流れになった。

 駅から離れれば住宅街が続くだけなので歩いていても単調で飽きる。だから暇つぶし、そんな軽い気持ちだけで冨岡に話しかけた。
「なァ、なんか喋れよ」
……何も話すことが浮かばない」
「ア? なんかあんだろ、話のネタの一つくらい」
「悪いがここ最近は忙しくて自宅と職場の往復しかしていない。興味が無いから家にテレビは置いていないしスマホも帰ったら見ない。特に趣味もないから休みの日はひたすら寝ているだけだ。本当に何も無い」
 マジかよ。ちょっと衝撃だった。
 冨岡は黙っていれば見目が良く、入社当初は女どもからキャーキャーと騒がれているような男だったので同性からの嫉妬もすごかったらしい。
 それなのにまさかこんな奴だったとは、と思う。
 なんかもっとこう、クールで外見を鼻にかけた嫌な性格で、オフでは適当に女を食って捨て食って捨てするような感じだと勝手に思っていたのだ。

「モテそうなのに残念な奴だなァ」
 酔いも相まってついそんな事をぽろりとこぼしてしまったのだが、冨岡は気分を害した様子もなく平然としている。
「好きな相手以外にモテても仕方ない」
「へ?」
 いや、好きな奴いんのかよ。ならその話をしろよ。
「え、誰、誰? 俺の知ってる奴?」
 詰め寄られた冨岡はちょっとだけ嫌そうな顔をしたが、酔っ払いはそんなこと気にするはずもない。なんせ最寄り駅まではまだ遠いのだ。時間は山ほどある。
「不死川に言う必要はない」
 なのに冨岡は絶対に口を割らない。この話はこれで終い。そんな態度だったので俺はますます冨岡ににじり寄った。
「えー、いいじゃん。誰にも言わねェからよォ。誰? 同期のやつ? それとも先輩とか?」
 冨岡の背後から両肩を掴んで揺さぶった。隠したそうにする話題ほど気になる。なんせ酔っ払いなので。しかもこの男は女にモテるくせに浮いた噂がひとつも無いのだ。尚更気になる。
「同期だ」
 後ろを向いたまま、冨岡はそれだけを言った。でも相手が誰かはその後も絶対に教えてくれなかった。
 あの面があればどんな相手でも付き合えそうなのに、本人には言わないのだという。言っても仕方ないから言わない。言ったら関係が終わりそうだから言わない。そんな後ろ向きなことしか考えていない。
 もったいねぇ。俺ならダメ元で言うだけで言うぜ。俺がそう言うと冨岡は目を伏せて笑った。その顔は初めて見る、苦しそうで切なそうな笑い顔だった。
 それ以来、俺はなんとなく冨岡が気になるようになってしまった。

 冨岡の好きな奴は同期の中にいる。でも同期の女は数が多いし、冨岡と同じ部署の奴もいるから簡単には絞れそうにない。
 同期同士は仲が良くて定期的に飲み会もやるくらいだから、その度に冨岡を観察してみたが、あいつはいつも端っこで静かに飲んでいるからますます分からない。あの日以来、俺に話しかけにくるようになったがそれくらいしか変化がない。
 俺は学生時代数学が得意だったのだが、それは数学が必ず答えの出る学問だからだった。性格的に答えの出ないものは気持ち悪くて仕方がない。なので今の状況は落ち着かない。
 思い余って冨岡を飲みに誘うようになった。二人で酒が入ればあいつの口も軽くなんだろ、と。
 予定が合えば飲みに行くようになって、割と仲良くなって。でも冨岡は絶対に口を割らない。
 そこで意地になってしまい、俺の家での飲みに誘った。
 今なら分かる。俺は冨岡の好きな相手をどうしても知りたかったのだ。必死だった。
 多分、その時にはもう冨岡に落ちていた。
 好きな相手を思い浮かべているのに悲しそうな瞳をする、この男に落ちていたのだ。

 俺の家で飲んで。それなのに冨岡は好きな相手の話を避けようとするから詰め寄って。勢いで冨岡を押し倒して上に乗った。
「好きだって言うつもりねぇんだろ。なら、俺のことを好きな奴だと思って抱いてみろよ。溜まってんだろ」
 男相手なんて初めて。いや、実を言えば女ともしたことがない。それなのによくそんなことが言えたと思う。とにかく必死だった。冨岡の好きな相手が知りたかった。俺が勝てない相手じゃないと諦められないから。
 諦められなくてせめて身体だけでも、なんて最低な決断をしてしまったが。

 意外だったのは冨岡がその誘いに乗ったことだ。
……分かった。本当に良いんだな?」
 そう言うと部屋を出てしばらくのあと紙袋を片手に戻ってきて。俺が羞恥で死にそうになっても止めてくれずに懇切丁寧に受け入れるための準備をされて。
 俺は、そのまま本当に冨岡に抱かれてしまった。

 そしてそれから冨岡と俺は身体だけの関係になった。飲みに行くこともない。予定を合わせて俺の家に冨岡が来て、満足するまで俺を抱いたら帰る。それだけの関係になってしまった。
 望んでいたのはこれじゃなかったのに、いくら悔やんでも始め方が悪過ぎた。
 俺ならダメ元で言うのに。
 どの口が言ったのか。俺は大馬鹿だった。

 冨岡は暗い顔をしてうちに来て、でも最後は一瞬だけでも気持ち良さそうな顔をするから。だから虚しくても止められなかった。好きな相手が自分の身体を抱いて気持ち良くなってくれるのは嬉しかった。
 その代わり、冨岡が帰る時は泣きたくなった。馬鹿な自分を消したくなった。
 今日も冨岡は何も言わずに帰って行ったし俺も何も言わなかった。こんなことなんでもない。せめてそんな態度をとることしか出来なかった。ちっぽけなプライドだった。

「馬鹿だなァ……
 両腕に顔を埋めて泣いた。泣いたのは初めてだった。きっと、ずっと耐えていたものが溢れてしまったのだ。
 俺の部屋からは桜が見えるんだ。
 初めに冨岡を家に誘った時の口説き文句がそれだった。今夜も桜は綺麗に見える。だからこそ余計に悲しくなった。あの時は二人でのんびり飲んで楽しかった。共に笑い合って。桜が綺麗だと言われて。
 今は身体は重ねているのに心が遠い。

 声を殺して泣いていたら、突然ぎゅっと抱きしめられた。驚き過ぎて声が出なかったが、すぐに落ち着いた。なんせすぐに分かるくらい慣れた匂いと体温だったから。
「なんで、泣いている?」
 酷い男だなァ。
 俺が泣くのなんてテメエのせいなのに。

「好きだから、冨岡が」

 なんかもういいや。これで終わりになっても。
 だって苦しい。心が死ぬ。そう思って素直に口にした。
 冨岡は更に強く俺を抱きしめる。
「悪かった」
 悪かったって何が。言い返したいのに泣いているから言えないでいると
「俺の勇気がなかったばかりに好きな人を泣かせてしまった……俺も不死川が好きだ。ごめん」
 冨岡は俺のうなじに顔を伏せて言った。吐息が当たってくすぐったい。
 でも笑えない。笑えるわけがない。どうしよう。馬鹿は二人ともだったっていうのか。

「入社式の後、同期で桜の下で写真を撮っただろう? あの時、俺は知らない人間が苦手で輪の中に入り辛くて少し離れていたんだ。そうしたら不死川がそれに気付いて俺の手を引っ張ってくれた」

 一生に写ろうぜ、って。
 その時、ちょうど風が吹いて桜の花びらが舞って。不死川の髪の毛の色と似ていてとても綺麗で。

「一目惚れだったんだ。どうせ叶うわけがないから一生言わないでいるつもりだったのに、二人で飲めるだけで幸せだったのに。あの日、不死川が好きな奴だと思って抱けなんて言うから……欲が抑えられなくなった」

 身体をひっくり返されて顔と顔が向かい合う。冨岡は笑っている。俺は泣いているのに。

「俺のことを好きだと言ってくれて嬉しかった。ありがとう」

 冨岡は正面から俺のことを抱きしめて、もう一度不死川が好きだと言った。
 俺は泣いたままその身体に縋り付いた。感情が溢れて止められなかった。
 さっきまで抱き合っていたのに、今のほうが心が寄り添っている気がして嬉しかった。