ayashigure
2026-05-26 11:58:24
6165文字
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いつかその手を2

モブエン前提のオメガバルカエン2話目。

ヒートの期間を休暇として過ごしたローエンだが、抑制剤の影響でだるさがまだ抜けなかった。
そんなローエンをファルカはナシャタウンへと連れ出す。
しかしそれは思ってもいなかった再会を引き起こすこととなってしまう。

今回甘さはないです。

 ローエンはファルカを待ちながらぼんやりとナシャタウンの様子を見渡した。
まだ少しだけ抑制剤の副作用が残っているのか思考に靄かかっている。
ファルカいわく、今日は体を慣らすための散歩のようなものらしいが、それにしても距離があると思ってしまうのは気のせいだろうか。
ヒートの間は他の騎士達が気遣ってリンゴを持ってきてくれたり、体を冷やさないようにと湯たんぽを持ってきてくれた。
それに甘えつつ、ローエンはヒートの期間を休暇としてゆっくり過ごしたのだ。
しかもウサギ型に飾り切りがされていたリンゴを見て、幼少期を思い出したローエンは少しだけ嬉しくなった。
幼い頃は母親がリンゴをウサギ型に切ってくれた。
そんな思い出はもう遠い過去のもので、騎士団に入隊してからは両親とも顔を合わせていない。
幼い頃は良好な関係だったものの、ローエンの気質が変化するにつれて、ただの一般市民でしかない両親は困惑するしかなかったのだ。
闘争を求め、力を求め、そして傷を負って帰ってくる日々。ローエンはそれを止められなかったし、止めるつもりもなかった。
一方で両親はそれを止めようとしたし理解もしようとした。けれど最終的に二人はどちらにも失敗したのだ。
結果的に、ローエンは騎士団に入隊したのを最後に二人には会っていない。その方がお互いの人生にとってはよかったのだ。
飴細工を持った子供達が走っていくのが見える。彼にもそんな無邪気な時期があったことは否定できない。
けれどそれは遠い過去に置き去りにされてしまったのだ。ただ、ローエンはそれを寂しいとは思わない。
今の生活は気に入っているし、騎士団のメンバーにはそれなりに受け入れられていると思っている。適材適所という言葉があるように、自分の役割は騎士団に必要なものであるとも思えた。

(ファルカの奴、おせぇなぁ……)

 噛んでいたガムを退屈まぎれに膨らませながらぼんやりともう一度町の景色に目を向ける。
最近は大きな動きもなく平和そのものだ。
ワイルドハントの被害も前ほどのものではなくなっている。遠征の目当ての物も大分絞り込めているようだし、近く自分たちはこの地を離れてモンドに帰還することだろう。
平和はいい。あの独特の穏やかな空気が好きだ。
青空の下で心地のよい風に吹かれて昼寝をする感覚はたまらないと思う。
けれどその感覚とは別に闘争を求める心がローエンの中にはあるのだ。制御ができないものではないし、対処をパターン化してコントロールはしている。
だが自分は異質なのだろうと思う気持ちはあった。
ただ、ヒート中はどうにも動きが取れないことが後々響いてくるのをよく知っている。
それを解消するのは好きだが、こうして何もできずにぼんやりとするしかない時間は好きではなかった。
人の足音、話し声、笑い声、金属がぶつかり合う音、クーヴァキが反応する音。
それらが混ざり合ってローエンの頭の中をかき乱す。

(あーうっぜぇ……音が気持ちわりぃ)

 感覚が過敏になっているのだと気付いたのは、胸中でそうつぶやいてからのことだった。
耳を塞ぎたい。けれど、こんな町中でそんな醜態を晒すことはローエンのプライドが許さなかった。
僅かに耳鳴りがして頭が揺れている気がする。そう思った瞬間だ。急に誰かがローエンの手首を掴み、彼は慌ててそちらへと顔を向けた。
そこにはフォンテーヌ人らしき金髪の男が一人立っている。四十代ほどだろうか。見るからにプライドが高そうな顔つきをした男だ。
衣服も、身に着けている装飾品の類も、それらに詳しくなくとも高級品であることがすぐに分かるような物だった。αのにおいがする。ローエンは本能的にそれを嗅ぎ取って下腹部が熱くなるのを感じた。
この反応はまさか─。

……おま、え」
「やっぱりお前だったか。覚えてるよな? ははっ、忘れるわけないか」

 一瞬で頭の中が真っ白になるのをローエンですら止めることができなかった。
さぁっと血が足元に落ちていくような、そんな不安定な感覚に世界が揺れる。
吐き気がする。力が入らない。掴まれている手首を今すぐに振り払いたいのに、それすらもできずに呆然と相手を見つめる。
そんなローエンの変化にも気付くことなく、男は舐めるように小柄な体躯を見下ろした。

「あれから随分経ったがあまり体は成長しなかったみたいだな。まぁ、おかげであの時の締まりはよかったが」

 男の言葉を聞いて、ローエンはぞわりと肌が粟立つ感覚を感じる。
言葉にならない感情と感覚が湧き上がってきては、体の中で渦巻いていくのを止めることができない。
気持ちが悪い。吐き気がする。ここから逃げ出したい。けれど、体が思うように動いてくれない。
自分が弱いΩであることを自覚してしまう。
その拒絶反応に抗うようにローエンは唇を噛みしめて俯いた。

「どうした? 会いたかっただろう? 私はお前の番なんだから」

 どこか粘着質で不快な響きを持って伝えられた言葉と共に、男の手がローエンの腰に回される。
その瞬間に走った悪寒に逆らえず、ローエンは男を近くの建物へと叩き付けた。

「ぐあっ……!」

 金属製の建物に叩き付けられる音が鈍く響き、それに気付いた通行人が数名視線を向けたようだ。
だが、彼等は関わりたくないとばかりにそそくさとその場を去っていく。
それは男にとっては良くない兆候であり、ローエンにとっては都合の良い出来事であった。
一度手を出してしまえば後は簡単だ。
ふつふつと湧き上がってくる怒りと嫌悪に任せ、ローエンは外装に仕込んでいるダガーを取り出す。
あの夕暮れ時の苦痛が、苦しんだ長い日々が押し寄せてくる気がした─。

「何をす……ひっ!?」

 急に暴力を振るわれた男はこちらを責めるために口を開いたが、ローエンがその顔の横にダガーを勢いよく刺すと情けない悲鳴を上げる。
丹念に磨かれた刃が、粗悪な鉄板に綺麗に突き刺さった。それを横目でちらりと見た男の顔が見る間に青ざめていく。
それを見てローエンは男を鼻で笑った。
あぁ、自分はこんな男にいいようにされたのかという自己嫌悪でいっぱいになっていく。

「会いたかったぜ、ダーリン。七年間も可愛い可愛い番を放置しておくなんて随分な仕打ちじゃねぇか」

 低い声に僅かな甘さを乗せてそう告げる瞳は、いつもよりも暗い色に染まっていた。
自分の中でぐちゃぐちゃになった感情がずっと渦巻いていることが不快だ。
まるで隔絶されたかのように周囲の音が聞こえなくなっているような感覚に襲われる。
実際、人々は遠巻きにローエンと男を見ては巻き込まれないように視線を反らして去っていく。
それも当然のことだ。
西風騎士団の遠征隊がナド・クライに駐屯してそれなりの月日が経っている。
ナシャタウンの住人達は騎士団の人間を見慣れているし、そんな騎士の身なりをしたローエンが脅している男を助けようとは誰も思わない。
せいぜい、ナシャタウンの治安が少しだけ良くなるかもしれない程度の認識だ。
一方で男の方はこのナド・クライにはあまり慣れていないのかもしれない。
通行人が誰も関わることすらしてこない事に、絶望したような、信じられない物を見るような顔をしている。

「お、お前っ。私が誰だか分かってるのか!?」

 男の言い草からするに、おそらくフォンテーヌ国内ではそれなりの身分を持っているのだろうが、ローエンはこの顔に見覚えがなかった。
副隊長に任命された時に各国の要人や主要な官僚の顔と名前は叩き込んである。だからこそ分かるのだが政に関わるような家柄ではないのだろう。
もしかしたらよくいる成金なのかもしれない。そう思えばこの振る舞いにも納得がいく。土地が変われば認識だって変わるものだ。
国外で自国での身分など関係がない。ローエンもそれを肝に銘じているため、たっぷりと皮肉を込めて暗い笑みを返した。

「知らねぇなぁ……あの時はモンド国外の誰かとしか分からなかったんでね。あぁ、そうそう俺のことも誰か知らないよな」

 ローエンはそう告げると、刺さったままのダガーをそのままに、お手本のような騎士礼を目の前で披露して笑う。男は急な仕草に少し戸惑ったようだった。

「西風騎士団遠征隊所属。第五小隊副隊長のローエンだ。可愛い番の雄姿をきっちりその目に焼き付けな」

 お手本のような騎士礼とはかけ離れた、どこか妖艶な笑みがローエンの表情を彩る。
美しくも禍々しい瞳を見て、男は魅せられたかのように目が離せなくなった。
あの日見た瞳は美しく澄んだ水色だったはずだ。だが、その虹彩は赤紫色に彩られている。その色合いが更にローエンの妖艶さに拍車をかけていて目が離せない。

「西風騎士団……? お、お前、がっ?」

 男は呆然としながらその言葉だけを辛うじて吐き出した。逃げようとすればできたのかもしれない。けれど、彼はローエンの妖艶さを含んだ瞳に魅入られて動くことができずにいた。
ローエンはすっかり戦意喪失してしまった男を見て笑みを深める。

「さぁってと、大人しくしてろよ? じゃねぇと……どこ切り裂くか分かったもんじゃねぇからなぁ」
「ひぃっ!?」

 ローエンは鮮やかな手捌きで鉄板からダガーを引き抜くと、そのまま男の喉元へと突きつけた。鋭い輝きを放つ刃物を間近に近づけられ、男は情けない声と共に両手を上げる。
その姿を見て、ローエンの中に湧き上がってきたのは快感に近い感覚だ。自分を傷つけた高慢なαが、おそらく見下しているだろうΩに命を握られている。こんな痛快で胸がすく思いは初めてだ。
ローエンは笑みを深めて男へと顔を近づける。大きく開いた瞳孔に狂気を感じて、男は更に冷や汗を垂らした。

「安心しろよ。一撃では死なせねぇからさ。うまく命乞いすれば助かるかもしれねぇぜ?」

 歪んだ笑みを浮かべ楽しそうに話しかけてくるローエンの姿に、男がとんでもない化け物を相手にしてしまったと後悔しても遅い。
目立つ浅葱色の髪と印象的な横顔を見て、今話しかけたならばどんな反応をするだろうかと好奇心に駆られたのが運の尽きだ。時は戻そうとしても戻らない。

「お、お前っ、騎士なんだろっ!? こんなのは騎士のやり方じゃないだろう!?」

 せめてもの反抗なのか、ローエンの騎士とは思えない言動を責めるように言葉を吐き出した。だが、ローエンは一瞬きょとりとした後に笑みを零す。

「犯罪者に騎士のあり方を問われる筋合いはねぇな」
「やめろ、ローエン」

 聞き慣れた声にそちらへと視線を向ければ、腕組みをしたファルカが立っていた。常日ごろならば快活そうな印象を受ける顔立ちは、いつになく険しく、難しい表情を浮かべている。
男は助かったと思ったらしい。僅かにその力が抜けるのが分かったが、それでもローエンはダガーを喉元から動かさなかった。
仕留めるはずの獲物を横取りされるのは、たとえファルカだとしても許されるわけがないからだ。

……俺を待たせておいて、随分タイミングがいいじゃねぇか。ファルカ」

 不機嫌そうに吐き捨てれば、ファルカは一層険しい表情へとなっていく。その視線がローエンの持つダガーから外されることはない。

「今日は塗ってあるのか?」
「あぁ、塗ってあるぜ。飛びきりのたうち回るやつだ」

 そのやり取りだけで現状把握は十分だ。しかしダガーを突きつけられている男はその意味を測りかね、二人の顔を見比べている。
挑発するようなローエンの視線と、咎めるように厳しい表情をしたファルカの視線がしばらくの間交錯した。そして、ファルカは諦めたように溜息をつくと、一際厳しく威厳を伴った声で告げたのだ。
 
「ダガーをしまえ、ローエン副隊長。これは命令だ」

 その言葉にローエンは表情を変えた。抗議するかのようにしばらくの間ファルカを見つめたと思えば、彼が命令を撤回する気がないことに気付くとダガーを男の喉元から離す。
ヒートの直後でなんとなく虫の居所が悪かったため丹念に塗り込んだ毒薬。それはローエンが現在所持している物の中でも危険度が高いものだ。
遅効性のそれは主に尋問に使われる。更に言うなれば特に口の固い工作員やスパイに用いられる物であって、決して一般人に使って良いような代物ではなかった。
 
「ちっ……命拾いしたな」

 軽い動作でダガーをくるりと回転させ、ローエンは再びそれを外装へと収める。その動きを見届けてからやっとファルカは警戒を解いた。
気付けば、解放された男は呆然とその場で座り込んでしまっている。

「で、知り合いか?」

 座り込んでいる男はファルカから見てもただの一般人だ。ローエンは戦いを好む性質ではあるが、誰彼構わずに喧嘩を吹っ掛けるようなことはしない。むしろ弱い相手には興味を示さないはずだ。
だと言うのに、ただのチンピラにも見えない身なりの良い一般人にダガーを突きつけていた理由が、ファルカにはどうしても分からない。
たが、ファルカの思考は次のローエンの言葉で冷静さを失った。

「紹介するぜ。俺の愛しい愛しい番様だ」
……ほう」

 番という言葉に一瞬だけ目を見開いたファルカは、その意味を悟って低い声でそうとだけ頷く。そして次の瞬間、彼の蹴りが男の側頭部へと炸裂した。

「は?」

 ローエンは目の前で起きた出来事が上手く飲み込めず、ただ意味のない音を一つだけ零すだけだ。
さすがに一般人相手には手加減したのだろうが、それでも男はうめき声すらも上げられないほど呆気なく意識を失っている。
自分を止めたはずのファルカがこんな暴挙に出るのは、一体どういうことなのだろうか。ローエンは呆然としながら彼へと視線を送る。
彼の横顔には強い怒りが見えるような気がした。

「本来なら連行して罪に問うところだが、遠征中ではそうもいかないからな。だからと言ってこいつを逃がすつもりもない」

 一瞬だけ見えたファルカの怒りは消え去り、西風騎士団の大団長としての言葉が紡がれていく。それを聞きながらローエンは自分の頭がぐらりと揺れたような気がして、思わずファルカの腕をつかんだ。
足元が覚束ない。息が詰まって上手く呼吸すらできない気がしてローエンは何度も浅く呼吸を繰り返す。

「ローエン?」

 異常に気付いたファルカがローエンの顔を覗き込む。そのファルカの顔すらも、ぐにゃりと歪んではっきりとは見えなかった。太陽が眩しいのに寒気がして、音が遠のいて行くのに甲高い音が耳元でする。
それが耳鳴りであることに気付いたのは、数秒遅れてのことだった。

「わりぃ……なんか、ぐらぐら………………
「ローエン!」

 耐えきれずに小さな体がファルカの腕の中へと倒れ込んだ。それを慌てて受け止めながら、彼はローエンの名前を呼ぶが反応はない。
元々白い肌が更に青白く見えて、ファルカは焦りながらもローエンの意識を取り戻させようと何度も名前を呼んだ。しかしその意識がファルカの目の前で戻ることはなかった。