最終目的地を緩く設定し、渋滞にも巻き込まれる事がない平日の海岸線を愛車でひた走る。天候にも恵まれ、気温は暑すぎず、寒すぎない、そしてたまに分厚い雲に隠される太陽はサンバイザーを降ろす必要性がなくサングラス程度で留まれる、絶好のドライブ日和と言ってよかった。
同じ職場の上司と部下、車内でも話題に事欠くことはなく、カフェの売上検証結果の話から海外のオークションサイトにて粘り勝ちで競り落とした限定盤レコードの話まで多岐に渡る。
そうはいっても途中、互いに静まり返る瞬間もある。ただその時間すらも窮屈どころか、心地が良さすら覚えているのは交際期間がそれなりの月日を経たのもあるだろう。無論、この境地に至るまで二人には紆余曲折あったが、それも全て過去の事だと割り切れたのは互いの性格のおかげでもあった。
そんなピアスを揺らし、静かに太平洋を眺める彼女の横顔を見て、日々の落ち着きを実感しながら、皇坂逢はそういえばと話題を切り出した。内容はとある社員の件だ。別に他意はないし、ただ思い出した事を口にしただけだった。
だが話の途中、恋人・弥代衣都ははっ、と小さく声を漏らしたのち、日光で煌めく太平洋を眺めていた視線を皇坂に向け、皇坂さん、と名前を呼んだあと、だいぶ間を取って
「
………………チューするー?」
内容の割にまるでそろそろお疲れになられたでしょうから、運転交代しましょうか? と提案されたのかと錯覚を覚える程、普段と変わらない衣都の口調に皇坂はウェリントン型のブラウングラデーションのサングラス越しに横目でじろりと睨みながら
「差し金は樋宮と他は誰だ」
と言う。皇坂の鋭い視線にもすっかり臆することがない衣都は苦笑いを交えながら
「明星くんは確定なんですね
……」
「俺が樋宮の名前を出した瞬間に思い出しただろう。残党は宇京、環野、ミカ、相沢、神家
……あとあのゴリラか」
「全員ではないですが、かなり良いところを突いています、流石です」
「褒められても嬉しくはない」
皇坂は揶揄われるのが虫の次には不得手だ。その度に揶揄する相手を律してきたが、それで反省するような人間はAporiaに誰一人として存在していない。特に衣都との交際がオープンになってからの彼らは新しいおもちゃを手に入れた子供のようなのだ。
「元はといえば私がボードゲームで大敗を期したのが原因ですので、皆さんにはどうか恩情を
……。次は皇坂さんの名誉のためにも健闘します」
「そもそもするな、そんな賭けを」
「ハイ」
衣都は反省したように肩をすくめながら正面を見つめる。道は緩いカーブに差しかかったので、ハンドルを右に切りながら皇坂は、で、あとは、と衣都に尋ねた。
「えっ?」
完全に油断してカップホルダーに入ったアイスコーヒーに手を伸ばしていた衣都は肩をわずかに上下させたが、皇坂の方は向かず、真顔のまま正面を向いてフリーズ状態だ。
「アイツらが妙な言葉を俺に告げる程度で済む筈がない。他に何を賭けている」
観念したのか衣都はコーヒーを取らないままの手を引っ込めて
「
……皇坂さん、流石ですね」
「だから、褒められても嬉しくはない」
「失礼しました。具体的に金銭は賭けていないのですが、チューする? と言われた皇坂さんの反応の予想オッズが出ています」
俺はサラブレットじゃないと突っ込むのも馬鹿らしくなるほどのスタッフ達の愚行に、皇坂は呆れた。だが衣都への愛情で呆れ返るのだけはどうにか耐えて、
「そのオッズとやらをを読み上げろ」
と衣都に指示を出した。衣都はドアポケットに入れていた自身のスマホを手に取って、
「えー
……。原文ママで読み上げます。『呆れる』が1.5倍、『あっけーにクレーム電話』3.8倍、7.9倍に
………『動揺する
……皇坂』、『ヤケクソになってちゅー』に8.5がついてて、大穴は『皇坂は実は意外と喜ぶ』と『熱烈なKISS♡』の11.10倍です」
メンバーは宇京・相沢・新開ーーおそらく実際は皇坂ではなく皇坂を蔑称する言葉だろうーー・樋宮・節見・御門と確信した皇坂は明日、六名に対して本当に金銭を賭けていないか聴取を決意した。
かたや衣都はそんな彼の決意もつゆ知らず、カーブに身体を斜めにしながらコーヒーに手を伸ばす。そして
「皇坂さんは今回、どちらに該当しますか?」
と皇坂に尋ねた。皇坂は深くため息をついて
「該当するもなにも『呆れる』以外、あり得ないだろう」
彼女の突拍子もない行動など、今に始まった事ではない。彼女には些細な事から大事件まで、良い意味でも悪い意味でも幾度となく驚かされてきた。この程度で動揺していたら彼女の恋人は務まらない。
「了解しました。では皆さんには後日、結果を伝えておきます」
「するな」
「
…………ハイ」
これは確実に『する』返事だと思いつつ、車は先が既に見えている短いトンネルに突入する。自動点灯のヘッドライトが照らす道を注視し、エンジン音が反響する中で
「弥代、今後、奴らから自分及び俺の意に沿わない提案を持ちかけられた場合、上長命令で無視を許可する。いいか? 俺も該当するからな」
と言い聞かせるように忠告する。とはいえ彼女が自身の事でこれを行使する事はほぼないだろう。使用するにしても皇坂が嫌がるか否かで判断するだろうし、その場合、最終的に皇坂自身にクレームが入るのは間違いから、直接返り討ちにしてやれば良いというのが皇坂の考えだ。
「んぐ
……はい、いざという場合にはお言葉に甘えて行使します」
暗闇の中、コーヒーを飲んでいた衣都にとっては不意打ちだったようで、コーヒーを飲み込んだ後に皇坂に返事をした。
車はトンネルを抜け、再び太陽の元を走る。衣都は持っていたアイスコーヒーをドリンクホルダーに戻しながら
「でも言葉自体は意には沿ってますので、今回の場合は行使はしなかったとは思います」
それはさすがに節見予想のオッズ11.10倍の大穴だった。
※後日談
バーの準備時間を利用し、ミーティングを行うべく皇坂は閉店後のカフェに足を運んだ。中ではカフェの片付けをする宇京真央がカウンター内にて布巾で丁寧に使用していた道具を磨き上げていた。
「ご苦労」
「お疲れさま。コーヒーいる?」
「ああ。むしろ飲みに来た」
「了解」
ここでミーティングを行う場合、皇坂は大抵時間丁度にやってくるのだが、今日は珍しく開始まで十分弱もある。というのも『いまこれに手をつけたら間違いなく長時間労働になるであろう』作業しか残されていなかったため、ブレイクを入れるためにも早めにカフェに赴いた次第だ。
皇坂はカウンター前のテーブルに腰掛け、ラップトップを開き、資料の最終確認を行っているとコーヒーを携えた宇京がやってきた。
「はい、どうぞ」
ことりと置いたのはカップではなく、白いマグになみなみと入ったブラックコーヒーだ。
「ありがとう」
と伝えると、宇京はその場に留まったまま
「そういえばお土産ありがとう。すごく美味しかった。通販あるか確認しちゃったぐらい」
それは三日前、恋人との小旅行先で購入した土産の事だ。とはいえ休憩室に置いてフリー状態にしていただけなうえ、
「口に合ったのなら何よりだが、俺は何もしていない。選んだのは向こうだからな。礼を言うなら俺じゃないぞ」
と、皇坂は弁明した。
たまたま入った海沿いのカフェの一角にて県名産の果物が使用された焼き菓子が売られていた。ケーキがとても美味しかったので焼き菓子もきっと美味しいはずとパッケージや手書きの説明書きをじっくりと読み込みながら、真剣な表情で時間をかけて、ひとつずつ選んでいた彼女の横顔は記憶に残っているし、この土産の味については皇坂の嗜好は一ミリも反映されていない。
すると宇京はしばらく間を空けてから、ふっと笑ったので、笑われたことに納得がいかないし心当たりもない皇坂が少々不機嫌な状態でなんだ、と言い返せば
「いや、あの子も似たようなこと、言ってたから」
「は?」
「昨日、ありがとうって言ったら、私は選んだだけで、お金を出して頂いたのも土産にしたらどうだと言って頂いたのも皇坂さんですのでって。余りにも似たようなこと言うからおかしかっただけ」
土産代を全て持ったのは男のプライドで、いっそ土産にしたらどうだと提案したのは余りにも彼女が焼き菓子に興味津々だったからだ。だから有り体にいえば、半分は本心からスタッフの思っての事だが、残りの半分は彼女のためというほぼ私利私欲である。
とはいえ流石に宇京相手にすらそんな真実は告げられないので
「そうか。なら心して食え」
皇坂が開き直れば宇京は苦笑いしながらさすが陛下と返してその場を去ろうとしたが、皇坂はすぐさま引き留めて
「そういえばお前達、賭けてはないな?」
と尋ねた。彼が早めにカフェに入ったのは、決して休憩だけではない。例のメンバーはカフェバー勤務が大半なので、最初に会った者に皇坂は尋問しようと決めていた
「賭け
……ああ、チューの件」
あのメンツの中でも最も話が通じる相手だし、恐らく嘘も言わないだろう。宇京は間髪入れずに
「さすがに賭けてないよ、お金は。結果は明らかに分かってたしね」
続けて
「僕の目が届く範囲では金銭が絡む事はやらせないから安心して」
と言った。
「そうか。賭けていなくても俺が不快に思うような提案はするな、二度と」
皇坂の言葉に宇京は悪戯っぽく微笑みながら
「それは衣都に勝利の女神が微笑むかどうか次第かな」
皇坂は早急に恋人に有名ボードゲームやテーブルゲームのスパルタ教育をしなればと決意した。
「あ、陛下ぁ」
キッチンの奥から現れたのは例のメンバー及び首謀者である樋宮明星だった。樋宮は宇京の隣に立ち、宇京の肩に腕を乗せながら彼に体重を軽くかける。そして
「もー、陛下のせいでまおちの一人勝ちになってもーたやん」
皇坂は樋宮の言葉を無視してラップトップのウィンドウに映し出された資料を流し見した。同部のよしみとして空気を読んだ宇京が
「どう考えても逢さんの場合、呆れる意外、選択肢ないでしょ。しかも普段絶対言わないだろうからこっちの魂胆筒抜けだろうし」
「あっ。でも衣都さんの『チューするー?』はなかなかよかったやろー?」
皇坂がゆっくりと顔を上げると、そこには屈託のない笑顔で笑っている樋宮と、バカだ
……とでも言わんばかりに呆れた顔の宇京が並んでいた。
「あれ、俺が仕込んだんよ。どうやった? 可愛かった?」
皇坂はテーブルに両手をついて立ち上がった。そして
「宇京」
と言って宇京へ手の平を見せると、察した宇京は胸に抱えていたそれを皇坂に手渡した。
「トレンチ」
午前十時、鳴らされたインターホンは配送会社だった。ほぼ毎日この時間にやってくるので特に疑問もなく弥代衣都が対応してそれを受け取った。大きさの割に軽いなと思いつつ、送り主がオフィス用品を主に取り扱う通販会社だったので、これもこの会社だとよくある事なので、特に不審にも思わずカッターを段ボールに刺し込んだ。そして箱を開け大きなクッション剤を除けると、とても見覚えがある配膳やバッシングで使用するトレンチが一枚入っていた。
「弥代さん、それ、カフェのです。俺、このまま持って行きますね」
そう衣都に声を掛けたのは丁度これからキッチンに入る予定の城瀬由鶴だった。
「カフェの分なんですね。これ一枚ですか?」
「そうなんです。その
……この間、破損してしまいまして」
「破損」
こんな分厚くて、丈夫なステンレスのトレンチが? 前に何も乗っていないトレンチを床に落とした時ですら角が曲がることもしなかったあのトレンチが? と衣都は思うも、明らかに気まずそうな城瀬に追求するのは良心が痛むので、疑問は胸に仕舞い込んだ。
「段ボールもこっちで回収しちゃいますね」
城瀬が衣都の手元から段ボールごと受け取ると
「あ、城瀬さん、納品書と請求書だけこちらで」
備品の経理計上は原則衣都の役目で、段ボール内の納品書と請求書を回収しなければならない。しかしほんの一瞬だが、城瀬の視線が自分や段ボール内ではなく、自分の斜め後ろにいる人物に向いたのを衣都は見逃さなかった。
「すみません、この中から取って頂いても?」
「あっ、はい、分かりました。
……はいっ、取りました」
衣都はすぐさま段ボールの中へ手を伸ばし、トレンチの上に乗っていた納品書と請求書を掻っ攫うように取った。
「ありがとうございます。じゃあ俺、カフェ、入ります」
「いってらっしゃい」
城瀬は段ボールを抱えたままカフェへと消えていった。衣都は忘れる前にと納品書と請求書専用ケースを取り出そうと自身のデスク後方にそびえる棚の引き戸を開けようとすると
「弥代」
と呼ばれたので振り返った。振り返った先には自席で今まで沈黙を守っていた皇坂だった。
「はい」
「それは経費計上しなくていい」
「え?」
衣都の動揺を無視し、皇坂は
「俺が支払う。送料込みでいくらだ」
と続けたので、衣都は手に持っていた請求書を見て
「
……税込で1380円です。送料はありません」
「細かいのがない。1500円で。釣りはいらん」
衣都は皇坂の元へと素早く駆け寄って千円札一枚と五百円玉一枚を受け取ると、皇坂は何事もなかったかのようにラップトップと向き合っている。
浮いた釣り銭は何か社内であった時のカンパ用の別財布へ仕舞うとして、問題はそこではない。
――もしかして、トレンチを破壊されたのって皇坂さんでしょうか?
ただそれだけはなんとなく聞いてはいけない気がする
……部下及び恋人としての勘を働かせて、衣都は納品書と請求書をそっと別のクリアファイルに仕舞って、管理部へ月末に引き落とされる1380円の請求計上不要の件のチャットを打ったのであった。
※11.10で逢衣都です。
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