試合中に打ち所が悪く記憶を失ってしまったブロ君と麺さんの物語。
結局は再び同じ道を歩んでしまい、蘇る記憶。
※一部ブロ君が麺さんに手をあげるシーンがありますが、流血はございません。
これまでの戦いと比べれば大した試合ではなかったが、打ち所が悪かったのかブロッケンJr.は記憶を失ってしまった。
メディカルサスペンションでは体の傷は癒せても記憶までは修復できない。これに関しては本人次第、といったところだ。医師によれば衝撃による一時的な喪失の可能性もあるとし、医療の発展が著しい母国での治療を受けるべく帰国した。
ブロッケンJr.の記憶喪失は強い友情の繋がりを辿って、瞬く間に超人たちの耳に入った。当然ラーメンマンにも伝わっており、表情を曇らせる。
◇ ◇ ◇
今日はラーメンマンにとって過去最大の難敵である男の命日だ。ブロッケンJr.と恋仲になってからは二人で参っていたが、半年ほど前に忘形見は忘却の彼方へ飛ばされてしまった為に一人でやってきたのだ。
ドイツでは自然に還るためにと森に墓を建てる風習がある。青々と茂る木のトンネルを抜けた先に美しい彫刻が施された墓石が並ぶ様子は、日本における墓場とは真逆の印象だ。
鼻を掠める葉や土の香りに顔を綻ばせながらラーメンが木のトンネルを進んでゆくと、トンネルの終わりに人影がひとつ。その人物にラーメンマンは見覚えがあった。
「ご無沙汰しております」
ラーメンマンが声をかけると、黒いスーツを身に纏った初老の男が振り返り、ゆっくりと腰を折る。
「ご無沙汰でございます、ラーメンマン様。以前と変わらぬお顔色に安堵いたしました」
深々と頭を下げる男はブロッケンJr.のバトラーだ。ラーメンマンも何度か顔を合わせた事があるが、全く棘のない物腰の柔らかい紳士的な男で、執事が天職だと思わせる。
「貴方がおられるという事は、彼も
…?」
「仰る通りでございます。前当主様の命日を偲びにいらっしゃっております。
…と言いますのも表向きでございます。当主様
…ブロッケンJr.様は失われた記憶を順調に取り戻しておられますが、お父上の記憶は取り戻せておりません」
淡々と語られるバトラーの言葉に、ラーメンマンの顔から笑みが消える。
「ラーメンマン様にお会いすれば何か思い出すかもしれません」
バトラーが哀愁を纏わせた笑みをラーメンマンに向ける。それはラーメンマンの心にズシリとのし掛かった。
ラーメンマンはバトラーに一礼してブロッケンマンの墓石がある方へ歩を進める。少し奥まった所に建てられた立派な墓石の前には現当主が立っていた。
「横から失礼する」
ラーメンマンはブロッケンJr.の隣にしゃがみ、小さな花束を供える。掛けられた声に反応して軍帽の影に潜んでいた瞳が声の主を捉える。
「
…親父の友人ですか?」
返された言葉にラーメンマンは目を見開く。ゆっくりと見上げれば、麹塵色の瞳がラーメンマンを映しているが、そこにかつての熱は帯びていない。しかし全く何も感じていないわけではない様子で、ラーメンマンと目があった瞬間ブロッケンJr.は一瞬の戸惑いを見せた。
「まぁ、友人かと問われれば、そうかもしれないな」
恐ろしい程に落ち着いた声音はブロッケンJr.の心を燻る。どこか聞き馴染みの良い声をもう少し話を続ける。
「どうやら俺は記憶を失っちまったみたいでさ。でも大分思い出してきたんだぜ!キン肉マンたち正義超人の事、悪魔超人の事、超人血盟軍の事
…でもなんでか所々に穴が空いてるような気がしてさ。親父の記憶が全く無いから、それ関連なのかなぁとかさ」
墓石から目を離し、澄み渡る空を見上げながら話すブロッケンJr.の言葉をラーメンマンは黙って聞いている。
「あんたは親父の友人なんだよな?じゃ俺のことも知ってたりする?あと、現役でレスラーしているのか?」
頭上を照らす太陽を顔に映したような、キラキラとした笑みを向けられたラーメンマンはギュッと下唇を噛み締めて気持ちを堪える。
今のこの子に私の記憶は一切ないのだ
「生憎彼とは仕事上の付き合いしかなくてね。ご子息がいる事は知っているが、会ったのは今日が初めてだ」
ラーメンマンは地面についていた膝から土を軽く払い落として立ち上がると、ブロッケンJr.に背を向ける。
「あ、ちょっと!もう帰んのか!?」
立ち去ろうとするラーメンマンを引き留めようと咄嗟に手を掴むと、ブロッケンJr.の瞼の裏でパチパチと光が弾ける。
「うっ
…!なんだ
…目が眩む
…」
あまりの眩しさに目をギュッと瞑り、両手で目を覆い隠す。暫くすれば落ち着いたが、そこでブロッケンJr.は繋ぎ止めたかった手を離してしまった事に気付いて目を見開く。
「しまった!
…くそ、いねぇ!」
その場には自分と、遠くで待つバトラーのみ。慌ててバトラーの方へ駆けて男について問いただすが、バトラーは目を伏せるのみ。
「名前も
…聞けなかった
…」
父親が亡くなってから五年以上経っていると言うのに、わざわざドイツまで命日を偲びにくる超人など数えるほどしかいない。故にブロッケンJr.はあの男の言葉に違和感を抱いていた。
「仕事の付き合いだけだったとしてもよ
…そんな浅い関係じゃなかっただろ、絶対」
今、取り戻した記憶はない。しかしブロッケンJr.は彼が父親と自分を繋ぐ必要不可欠なピースなのだと確信した。
◇ ◇ ◇
ブロッケンマンの命日から三ヶ月が経とうとしていた。年々残暑が厳しくなっているが、やっと心地よい風が感じられる時期になった。
ドイツからそのまま日本へ向かったラーメンマンは、雑誌の取材や興行などで暫く日本に滞在していたが、二週間前に趣味の一環で初夏に植えた稲の様子を見に中国に戻っていた。
黄金色の絨毯が揺蕩う様子にラーメンマンは顔を綻ばせる。
「そろそろ収穫時だな」
気娘の髪を撫ぜるようにやんわりと穂に触れる手はあたたかい。
「若い子らに趣味がジジ臭いだのとよく言われるが、彼奴は言わなかったな」
そう溢しながら頭に浮かんだ姿に焦がれる心を見てしまい、自分を嘲笑う。
ラーメンマンは「このまま彼の記憶から消えたままでありたい」と酷く勝手な思いを抱いた。決して無かった事にして罪から逃れたいのではない。彼は独りで抱えていくことを願ったのだ。
父親との厳しくも身になった鍛錬の日々、母親との睦まじい温かな日々、思い出す記憶はそれだけでいい
…父親の死や欠如した部分は”やさしい嘘”で塗り替えてしまえば良いのだから、と。
そうぼんやりとしていると、揺蕩う穂が太陽に照らされてパチパチと輝き、ラーメンマンの虚ろな瞳を眩ませる。刹那、背中から強く押されてラーメンマンは稲穂の海へ落ちる。
咄嗟に受け身を取って仰向けに転げたラーメンマンにズシリと体重がかけられ動きを封じられる。
「なぁ、おい、ラーメンマン!お前が親父の仇だったとはなぁ!?」
身長はあるがやや細身な男の動きを封じたのは、頭ひとつ低くも鍛え抜かれた大きな体であった。
「
…辿り着いてしまったか」
数分前に願った事はいとも簡単に神に見捨てられてしまった。しかしそれでも構わないとラーメンマンは思った。このあと彼が復讐から目を覚ますよう導くだけで良いのだ。恋慕などという誤った感情を抱かぬよう
…。
「親父の墓の前でよくも嘘をつけたなぁ!俺の事も知っていたんだろ!!その真っ黒な腹ん中で嗤っていたのか?」
ブロッケンJr.が振り上げた拳がラーメンマンの側頭部に落とされ、のっぺりとした額に無数の皺が刻まれる。
「稲穂を眺めてのうのうと生きやがって
…」
薄ら開かれた瞼から覗く瞳に映る若い男は憎悪に蝕まれた表情をしており、生涯で二度も見ることになるとはな、とラーメンマンは
艱苦を飲み込むように口の端を硬く結ぶ。
「なんとか言ったらどうなんだ、残虐超人・ラーメンマン!!」
ここ数年その大きな口から発せられていたのは仲間を労い、鼓舞し、決して諦めない言葉と
……であった。もう聞くこともなくなるだろうを思っていた蔑んだ怒号は鉛となってラーメンマンの胸にどすりと落ちる。
これでいい
「親父のことは忘れろ。そうすればお前は強くなる」
紡がれたその言葉は過去と比べて含む温度が違っていた。在りし日は青年の冷え切った胸に火矢の如く鋭く刺さり、燃え上がり、軌道修正の手助けとなっていた。今はまるで毛布でも被せてやったのかと思わせるような陽だまり温度。
結局のところ、ラーメンマンは一度転げ落ちた恋海から這い上がれなかったのだ。
「
……違ぇじゃん」
今一度、自らに嘲笑を送っていたラーメンマンの頬に火傷しそうなほどの涙がポタリポタリ、落ちては線を描いてゆく。そしてズクズクと鈍い痛みが広がる頭を厚い手が包み込む。
「どうして嘘吐くんだよ
……」
止まる気配のない涙の雨。
「あんたは俺にとっての救世主で
…心の師で
…」
雨に降られて局所的にびしょ濡れた額に、リモコンキャップなどお構いなしに強引に額を合わせた若者は愛を叩き込む。
「正義超人・ラーメンマン
…俺の愛しい恋人だ!!」
手のひら、額、密接する全身から傾れ込む情にラーメンマンは脱力せざるを得なかった。恩讐の彼方、ブロッケンJr.からひたすらに向けられては軽くあしらってきた恋慕や、受け入れた後に注がれ続けた深い愛情が、蘇る記憶と共に溢れたのだ。
「思い出した、全部
…あんたとの事、全部
…!」
ブロッケンJr.は両手で包み込むつるりとした頭を愛おしげに撫でながら、涙で一層輝きを増した瞳でラーメンマンを見つめる。
「古傷殴ってごめんなぁ
…」
ラーメンマンに跨る体勢だったブロッケンJr.は、上体を倒して覆い被さり、愛おしい体をぎゅっと抱きしめる。怒涛の展開に追いつけずにいたラーメンマンだったが、抱きすくめられて感じる心地の良い香りにあてられて、糸のような目から雫が滲みでる。
ラーメンマンは情に厚い男であり、友情や観客からの声援に涙を流すことは多く、それが彼の強さに繋がっていると言える。常に前を向き、ストイックな彼が悲しみや寂しさなどで目を濡らすなど無いはずだった。自身もそう思っていた。
じんわりと熱を帯びた瞼から一筋、二筋と涙がこぼれ、次第に自分ではどうしようもできない事態になる。
「会いたかった、ブロッケン
…」
震える唇が本心を紡いだ。
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