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ひるね
2026-05-24 00:11:24
9219文字
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「だから、天国か地獄へ行っても離さないでいて」/里指♂
久しぶりの里指♂です。
任務帰還後、互いの傷に触れ合うリーと指揮官の話。
二人の独占欲について。仄暗いです。
⚠️こちらは男性指揮官のBL作品です。
⚠️湿度高めで幻覚が多いのでご注意ください。
⚠️眼球舐めは良いよね、という話。癖です🤭
リー君も大体湿度高いけど、skkも負けてないと良いな…!と思う今日この頃です。
空中庭園の夜は静かだった。
完全な静寂ではない。換気システムの低い駆動音。遠くを通過する輸送機の振動。壁面を流れる情報ノイズ。人類最後の中枢拠点は、眠っている間も膨大な演算を続けている。それでも、この時間になると世界は少しだけ輪郭を失う。白い照明。磨かれた金属床。一定温度に保たれた空気。あらゆるものが整いすぎていて、時折、自分まで無機質な何かになったような錯覚を覚える。
扉が閉まる音がした。その瞬間、指揮官はようやく息を吐く。肩が重い。制服の内側へ疲労が沈殿している。軍用ジャケットを脱ぐ気力もないまま、彼はデスクチェアへ腰を落とした。視界の隅では、未処理の報告書が淡く点滅している。今日の任務は長かった。旧研究区画。高濃度汚染区域。異合生物の挙動は不自然だった。包囲のタイミング。崩落誘導。演算予測から微妙に外れる動き。偶然では片付けられない違和感が、終始、戦場に薄く漂っていた。死者は出ていない。それだけで、本来なら十分だ。
けれど。
指揮官は目を閉じた。瓦礫が崩れた瞬間を思い出す。外骨格の視界に、赤い警告表示がひしめく。視界を埋める粉塵。反射的に踏み出した自分。次の瞬間、腕を強く引かれた。背中へ叩きつけられる衝撃。耳元で、硬いものが軋む音がした。
『指揮官ッ!!』
今でも耳に残る、あの呼び声。普段なら滅多に荒げない声音だった。
指揮官は静かに目を伏せた。
彼は怒っていたのではない。あれはきっと、恐怖だった。自分が傷つくことよりも、目の前の誰かを失いかけた時の顔。
その誰かが自分だったのだと思うと、胸の奥が少しだけ熱くなる。指揮官は首筋へそっと触れた。まだ少し痛む。それなのに、薄く笑みが零れた。
――
コン。
静かなノック音。
指揮官はゆっくり目を開いた。扉が滑るように開く。廊下の光が、静かな室内を一瞬だけ白く撫でた。そこに立っていた人物を見て、指揮官の目元がわずかに和らいだ。蜂蜜色の髪。静かな海のような青い瞳。リーだった。換装後の超刻機体は、以前よりずっと静かな圧を纏うようになった。しなやかに研ぎ澄まされた輪郭は変わらないのに、そこへ立っているだけで空気が張る。しかし今は、その気配に微かな疲労が滲んでいた。
「
……
まだ起きていたんですか」
低い声が落ちる。
「リーこそ」
「僕は構造体ですので」
「便利な言葉だね、それ」
指揮官は少し笑った。リーは返事をしない。ただ静かに室内へ入り、後ろ手に扉を閉める。足音はほとんどしなかった。人間より滑らかな動作。精密な制御。それなのに時折、指揮官は思う。この人は、人間よりずっと人間らしい、と。
リーはデスク脇まで来ると、散乱した資料へ視線を落とした。
「報告書、終わっていませんね」
「途中で止まってた」
「珍しい」
「今日はちょっと、頭が回らなくて」
正直に言うと、リーの眉がわずかに寄った。次の瞬間、ひやりとした指先が頬へ触れた。
指揮官は少しだけ目を見開く。
「少し、熱があるようです」
「
……
そんなに顔に出てる?」
「顔色も悪い。呼吸も浅い」
「相変わらず観察力が怖いなぁ」
「今更でしょう」
淡々とした返答。けれど、青い瞳は少しだけ険しい。
指揮官はその目を見上げて、困ったように呟いた。
「
……
そんな顔しないで」
「どんな顔ですか」
「怒ってる顔」
「怒ってはいません」
「じゃあ、何か怖がってる?」
リーの指先が止まった。
ほんの一瞬。
それだけで十分だった。指揮官は静かにリーを見つめる。
長い睫毛。整った横顔。平静を装った声音。
けれど、その奥には確かに感情がある。押し殺されて、沈められて、それでも消えずに残っているもの。
リーはゆっくり視線を逸らした。
「
……
あなたは、自分が壊れることを厭わない。そんな気がしています」
指揮官はゆっくり瞬きをした。
静かな声だった。責めるでもなく。咎めるでもなく。ただ、形のないものを、ようやく言葉にしたみたいな声音だった。
「任務中もそうです」
リーは低く続ける。
「自分が傷つくことに躊躇がない。隊員を庇うことを優先する。
……
見ていて、心臓に悪い」
「
……
構造体なのに?」
「構造体でもです」
即答だった。指揮官の唇が笑みの形に撓んだ。あまりにも真摯な声音だった。
部屋の空気が静かに沈む。指揮官はゆっくり息を吐く。
「
……
そう見えてたんだ」
リーは答えない。
ただ、伏せられた睫毛だけが微かに揺れる。指揮官はその横顔を見つめた。
綺麗だと思った。人工皮膚。冷たい演算。機械の身体。
その全部を纏っているのに、この人はどうしようもなく不器用で、優しい。
――
失うことを、誰より怖がっている。
だから指揮官は、時々たまらなく愛しくなってしまう。
「
……
リー」
「何ですか」
「こっち来て」
少しだけ間が空いた。
リーは静かに歩み寄った。指揮官はその姿を見上げ、それから小さく手を持ち上げた。もっと近くへ。言葉にする代わりみたいな、緩やかな仕草だった。リーがわずかに目を細める。
指揮官は何も言わないまま、指先だけをもう一度揺らした。
その意味を理解したのだろう。リーは短くため息をつき、静かに身を屈める。けれど、それでもまだ少し遠い。その人は困ったように笑った。
「
……
リー」
「はい」
「もう少し」
今度こそ、リーは観念したみたいに膝をついた。視線の高さが近づく。金髪へそっと触れた。柔らかな髪が指の間を滑っていく。リーは動かない。指揮官は静かに目を細めた。上官としての声音ではなく、もっと近い場所から零れる声で。
「
……
私は、君が壊れる方が嫌だよ」
リーの喉元が、僅かに動いた。指揮官のしなやかな指先が、はちみつ色をゆっくり梳いていく。静かな時間だった。
遠くで輸送機の振動音が低く響いている。
壁面の演算ノイズ。規則的な換気システムの駆動音。
空中庭園は今も眠らない。けれど、この狭い部屋の中だけは、世界から少し切り離されたようだった。
リーは動かない。ただ静かに、この手を受け入れている。その従順さが、時折ひどく危うく見える。
指揮官はゆっくり目を細めた。
「
……
リー」
「はい」
「腕」
リーの視線がわずかに揺れる。
「右の方」
短い沈黙。それだけで十分だった。指揮官は小さく息を吐く。
「やっぱり、どこか怪我してる」
「大したことではありません」
「その言い方する時、大体ちゃんと損傷してるんだよね」
リーは目を伏せた。指揮官はその表情を見つめ、それから静かに身を乗り出した。
「見せて」
「
……
指揮官」
「リー」
柔らかな声音だった。責めるでもなく、命じるでもない。ただ、隠さないで、と告げるみたいに。
リーはしばらく動かなかった。睫毛の影が青い瞳の上へ薄く落ちている。言い訳を探しているようにも、最後まで見せずに済む方法を演算しているようにも見えた。けれど、結局リーは根負けするように小さくかぶりを振った。
左手が、右前腕の固定具へ触れる。
短い電子音。
白い腕部パーツの継ぎ目に沿って、細い青い光が走った。
外装プレートがわずかに浮く。数センチほど開いた隙間から、肘から手首へかけて走る黒い接続部が露わになった。
完全に開いたわけではない。けれど、それだけで十分だった。滑らかな白い外装の下で、複合金属の細い骨格が覗いている。
人工筋肉の一部は焼け焦げ、数本の繊維が切れかけたまま応急固定されていた。亀裂の縁には、乾ききらない薄青い循環液が、細い線のように滲んでいる。人間の腕に似せて作られたものの内側で、構造体としてのリーが静かに露わになっていた。
指揮官は息を呑んだ。
あの時だ、と分かった。瓦礫が崩れた瞬間。自分の腕を強く引いた手。耳元で聞こえた、硬いものが軋む音。
「
……
私を庇った時の傷だね」
リーは答えなかった。ただ、視線だけを僅かに逸らす。
「応急固定は済んでいます。駆動には支障ありません。明日にはアシモフの所へ
――
」
「リー」
遮る声は強くなかった。それでも、リーは口を閉ざした。
指揮官は、露出した継ぎ目へそっと触れる。戦闘後の熱が、まだそこに残っていた。冷え切らない機体温度が、指先へ静かに伝わってくる。
痛々しいと思った。けれど、目を逸らしたいとは思わなかった。
この腕が、自分を引き戻した。崩落の下から。赤い警告表示と粉塵の向こうから。無理やり、こちら側へ連れ戻した。そう思うと、胸の奥がきつく詰まる。
「
……
君は、本当に」
言いかけて、指揮官は小さく息を吐いた。責めたいわけではなかった。怒りたいわけでもない。ただ、知らないままにされたことが少しだけ苦しかった。
「私のためにできた傷まで、隠さないで」
リーの声音が微かに揺れる。
「
……
あなたに、そういう顔をさせたくなかった」
「もうしてるよ」
困ったように笑うと、リーは何も言えなくなったようだった。
指揮官は、外装の縁を壊れ物みたいに撫でる。そこから覗く接続部も、焼けた人工筋繊維も、薄青い循環液も、すべてがリーだった。
綺麗だなんて、簡単に言っていいものではないのかもしれない。それでも指揮官には、その壊れた腕が、どうしようもなく美しく見えた。傷そのものではなく、痛みより先にこちらへ伸ばされた彼の意志が。リーという人の愛情が、形を持って露わになったもののように見えた。
「
……
痛む?」
「問題ありません」
「それ、問題ある時も言うよね」
小さく言うと、リーはわずかに口元を引き結んだ。その反応が少しだけ子どもっぽくて、指揮官は目を細める。
戦場では、誰より冷静なのに。自分のことになると、この人は時々、どうしようもなく不器用になる。
指揮官がもう一度手を伸ばした拍子に、制服の袖口がわずかにずれた。
隠されていた白い肌が、細く覗く。前腕の内側には、薄く閉じたばかりの裂傷痕が走っていた。最近になって、ようやく治癒が確認された傷だった。今度はリーの視線が止まった。指揮官はそれに気づいて、視線を落とす。
「
……
ああ、これ?」
軽い口調にしたつもりだった。実際、もう痛みはほとんどない。治療も済んでいる。
任務の報告書にも、軽傷とだけ記載されたはずだった。けれどリーは笑わなかった。ただ、その傷跡を見つめている。薄く閉じた皮膚の下に、まだ何かが残っているみたいに。自分の知らない時間が、そこだけ静かに沈殿しているように。その傷が、まだ自分の知らない痛みを宿しているように見えた。リーの指先が、露出した腕の手前で止まる。触れていいのか、迷っている。
その躊躇いが、指揮官には分かった。戦場では迷いなく引き金を引き、瞬きより早く敵の急所を撃ち抜く指が、今はたった一本の傷跡を前にして動けずにいる。
「
……
リー」
呼ぶと、リーはゆっくり視線を上げた。
「触っていいよ」
許可を得てもなお、彼はすぐには触れなかった。
まるでその傷へ触れることが、指揮官の知られたくない何かに踏み込む行為であるかのように。
やがて指先が、そっと前腕の内側へ触れた。ひやりとした温度。けれどすぐに、その奥から微かな熱が伝わってくる。
リーの指が、裂傷痕の端をなぞる。強く押すことはない。ただ、そこにあった痛みの輪郭を確かめるように、慎重に、ゆっくりと。
「
……
いつの傷ですか」
「この間の、補給路確保の時」
その答えに、リーの表情が曇った。
「報告書には、軽傷とありました」
「軽傷だったよ」
「最近やっと治った傷を、軽傷とは言いません」
「軍医には怒られなかった」
「僕が怒っています」
淡々とした声だった。けれどその静けさの底に、沈んだ熱がある。
指揮官は少し困ったように笑った。
「
……
君に知られたら、そういう顔をすると思ったから」
「だから黙っていたんですか」
「黙っていたわけじゃないよ。報告はした」
「僕にはしていません」
それは、ほとんど拗ねたようにも聞こえた。
指揮官は目を瞬く。それから、わずかに笑みを深めた。
「
……
君には、ちゃんと言った方がよかった?」
「虚偽の報告は軍務規定違反です」
即答だった。けれど、傷跡へ触れていた指が、ほんの少しだけ強張った。指揮官はその小さな変化を見下ろす。
リーは顔を上げない。まるで、自分の言葉がただの規則でしかないように振る舞っている。けれど、その指先だけが違っていた。指揮官はしばらく、何も言わなかった。言葉にすれば、途端に軽くなってしまう気がした。謝罪も、弁明も、今のリーが欲しがっているものとは少し違う。だからただ、傷跡へ触れているリーの手に、自分の指を重ねた。リーの指先が、わずかに震える。
「
……
次からは、ちゃんと君に言う」
「僕には、ですか」
「うん。君には」
「任務中の負傷報告は、正確に行ってください」
淡々とした声だったが、重ねた指先はまだ離れなかった。
近くにいても、守れない時がある。同じ戦場に立っていても、数メートル先で間に合わないことがある。まして別任務で離れていれば、互いの無事を知る手段は、通信越しの短い報告だけになる。二人とも、それを知っていた。軍人として覚悟はある。失う可能性も、傷を負う現実も、とうに理解している。それでも、平気なわけではなかった。リーは静かに視線を落とす。
「あなたの傷は、僕の知らない場所で増える」
低い声だった。
「僕が間に合わなかった時間です。僕が隣にいなかった証です」
指揮官の胸の奥が、わずかに軋んだ。
「リー」
「
……
分かっています」
遮るように、けれど声は荒げずに。
「あなたは指揮官です。任務があります。僕も構造体で、隊員で、戦場に出る。常に同じ場所にいられるわけではない」
リーはゆっくり、傷跡から指を離そうとした。
「分かっています。
……
それでも」
同じ言葉を繰り返したきり、その先は続かなかった。指揮官は、離れかけたその手を捕まえ、もう一度自分の腕へ戻した。
リーが小さく身じろぎした。
「じゃあ、覚えておいて」
「
……
何をですか」
「この傷も、私が帰ってきた証だって」
傷跡へ触れていたリーの指先が、そこで止まった。指揮官は静かに微笑む。
「君の傷を、私がそう思うように」
リーは何も言わなかった。ただ、重ねられた手の下で、指先がわずかに震える。その震えが、ひどく愛おしかった。
指揮官はもう片方の手を伸ばし、リーの頬へ触れる。かすかに残る硝煙の匂い。機械の手。人間ではない身体。でも今、ここには確かに温度があった。
「私は、君が守ろうとしてくれるのは嬉しい」
「
……
」
「でも、君が傷付くのは嫌だ」
リーの睫毛が、静かに伏せられる。
「同じことを、あなたにも言いたい」
「うん」
「あなたは、分かっている顔をして、何も分かっていない」
「それも、たぶんお互い様だね」
「一緒にしないでください」
低く返す声に、不服が滲んでいる。指揮官は小さく笑った。その笑みを見て、リーは少しだけ眉を寄せる。怒っているようで、拗ねているようで、それでも目だけはどうしようもなく優しい。指揮官は、その青を見つめた。静かな海のような色。光の加減で、深くも淡くも見える瞳。それは単なる錯覚だと、以前リーは説明した。人間の視覚処理の特性によるものだと。虹彩そのものに変化はなく、見る側の脳がそう捉えているだけだと。それでも指揮官には、その青が揺れて見えた。今も。まるで感情を隠しきれず、内側から光が滲んでいるみたいに。
「
……
リー」
「はい」
「そんな顔、しないで」
「どんな顔ですか」
「こっちの傷まで、自分のものみたいに痛がる顔」
リーは少しだけ目を見開いた。
指揮官は彼の頬を撫でる。
「君が痛がると、私も痛い」
静かな告白だった。整いすぎた部屋の静けさの中で、リーだけがひどく生々しかった。
僅かな駆動音。機械の身体。人間の心臓はもう持っていないはずなのに、誰よりも痛みに近い場所で生きている。
リーはゆっくりと指揮官の手首を取った。裂傷痕のすぐ傍へ、唇が近づく。触れる直前で、彼は一度だけ止まった。
「
……
嫌なら、言ってください」
「嫌じゃないよ」
返事はすぐだった。
リーは目を伏せる。そして、薄く残る傷跡へ、静かに口付けた。
羽毛が触れるような、かすかな温度。それなのに指揮官の胸は、ひどく締め付けられた。そこへ触れるリーの唇があまりにも慎重で、まるで遅れて届いた救護みたいだった。間に合わなかった時間へ、今さら包帯を巻こうとしているようだった。
「
……
リー」
名前を呼ぶと、リーは唇を離した。それでもまだ、指揮官の腕を離さない。
「あなたは、本当に簡単に傷を増やす」
「またそれ?」
「必要なら何度でも」
「怒ってる?」
「怒っていません」
「じゃあ、拗ねてる?」
リーの目がわずかに細められた。
「その判断は不適切です」
「軍務規定には載ってない?」
「載っていません」
「なら、私の判断でいいね」
指揮官がそう言うと、リーは完全に黙った。その沈黙がおかしくて、少しだけ笑う。その拍子にリーの腕に触れていた手が揺れた。
まだ閉じられていない右前腕。装甲の隙間に沈む黒い接続部。薄青く滲む循環液。
指揮官はもう一度、そこへ視線を落とす。彼自身の傷は、まだ剥き出しのままだった。指揮官はゆっくりと、リーの手を引いた。
「リー」
「
……
何ですか」
「こっち」
短く言う。
リーは一瞬だけ迷った。
けれど指揮官が手を離さなかったから、観念したように少し身を乗り出す。
指揮官は、露出した腕部パーツの縁へ顔を寄せた。
「
――
指揮官」
制止するような声。
でも、本気で止めるには遅かった。指揮官は、壊れた白い外装のすぐ傍へ唇を触れさせる。
硬い感触。白い外装と内部機構の境目。ほんの微かな熱。
リーの身体がわずかに強張った。指揮官は唇を離し、静かに言う。
「これも、君が帰ってきた証だよ」
リーは何も言わない。ただ、露出した腕部パーツの縁を見つめたまま、動けずにいた。
「だから、隠さないで」
指揮官は微笑んだ。
「痛いところも、壊れたところも。全部、見せて」
リーの喉が小さく上下する。彼は長い間、答えなかった。
答えられなかったのかもしれない。やがて、絞り出すように低い声が落ちる。
「
……
あなたは、時々、本当に残酷です」
「そうかな」
「ええ」
リーは指揮官の腕を握ったまま、ゆっくり額を寄せた。傷跡のある白い肌へではなく、その手の甲へ。
「そんなふうに言われたら、僕はもう、何も隠せなくなる」
指揮官は何も言わず、彼の金髪を撫でた。柔らかな髪が、指の間を滑っていく。
壁面端末の通知灯が、忘れられたまま青白く瞬いていた。部屋の外では、まだ誰かの任務が続いている。けれどこの部屋の中だけは、一人分の呼吸と、機械の奥に残る熱だけが、静かに世界を満たしていた。
「隠さなくていい」
指揮官はそう言った。声は小さかった。けれど、迷いはなかった。
「君が見せたくないと思っているところも、私はちゃんと見ていたい」
リーの睫毛が微かに震える。
「それが君なら、怖くないよ」
「
……
怖くないはずがありません」
低い声だった。
「人間に似せた外装の下は、結局こうです。金属と、人工筋肉と、循環液と、演算装置。あなたが触れているものは、人の体ではない」
「うん」
「それでも?」
「それでも」
即答だった。
指揮官はリーの頬を両手で包んだ。人間に似せられた温度が、掌に静かに馴染む。
「私は、人間だった君を知らない」
リーの輪郭がわずかに強張った。
「でも、今ここにいる君を知っている。私は、その君が好きなんだよ」
指揮官は静かに微笑んだ。
その言葉に、リーの処理が一瞬だけ遅れた。青い瞳が、かすかに揺れる。錯覚だと分かっている。それでも指揮官には、その色が今までで一番深く見えた。隠しきれない感情が、人工の虹彩の奥で静かに波打っている。
「
……
リー」
「はい」
「目、閉じないで」
リーの喉が、かすかに動いた。指揮官は両手を引き寄せた。逃げられないほど強くはない。ただ、そこにいてほしいと伝えるくらいの力で。青い瞳の端に、透明な雫が滲んでいた。
擬似涙液。戦闘後の熱のせいかもしれない。意識海の揺れを、機体が処理しきれなかっただけかもしれない。それでも指揮官には、その一滴がひどく綺麗に見えた。人工の涙。人間ではない身体が作り出した、限りなく人間に近いもの。指揮官は吸い寄せられるように顔を近づけた。
「
――
指揮官、」
制止とも、呼吸ともつかないあえかな声。指揮官は答えず、まず伏せられかけた瞼へ口付けた。睫毛が唇をくすぐる。リーの身体が、小さく震える。もう一度、目尻へ。それから、そこに溜まった擬似涙液を、舌先でそっと掬い取った。
「
……
っ」
リーの演算が乱れた。その反応が、指揮官の胸の奥を甘く震わせる。
「
……
やっぱり、好きだな」
指揮官は小さく笑った。
「君の目」
リーは完全に言葉を失っていた。青い瞳が大きく揺れる。その顔が、あまりにも綺麗で。あまりにも苦しそうで。指揮官は、少しだけ目を細めた。
「
……
指揮官。今、僕の演算能力を落とそうとしましたね」
「どうだろう」
指揮官は穏やかに微笑んだ。その笑みは、ひどく静かだった。
「もっと私のことで困ってよ、リー」
リーは今度は完全に沈黙した。まるで一瞬、すべての演算が停止したみたいだった。
指揮官はその様子を見つめている。怖くはなかった。むしろ、胸の奥が静かに満たされていく。自分が、彼の心を乱している。自分の言葉ひとつで、冷静で、精密で、誰より強いこの構造体が、どうしようもなく揺らいでいる。その事実が、指揮官の胸の奥で甘く疼いた。
「
……
あなたは」
リーの声が掠れる。
「本当に、僕をどうしたいんですか」
指揮官は答えず、ただ微笑んだ。そして、リーの瞼へもう一度だけ口付ける。
人間と構造体。
血と循環液。
心臓と演算装置。
その境界がどこにあるのか、もう分からなかった。
ただ、触れている。
互いの傷を知っている。
それでも、ここにいる。
指揮官はリーの頬に触れたまま、静かに微笑んだ。美しく、少し怖いほどに穏やかな笑みだった。
「だから、リー。天国か地獄へ行っても、ずっと離さないでいて」
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