ゆうり
2026-05-24 00:10:01
2506文字
Public
 

大切な誰かと、いつか。

キスの日と気が付いてワンドロしたはいいけど日付線は越えてしまった残念な思いの両片想いヘクジェラ文。


「君はした事ある?その、ええと⋯」


 晴れた日の昼下がり、ジェラールが貴重な休憩時間をせっかくのなら日の元で過ごしたいと言うので城内の裏庭までヘクターも護衛として同行する事にした。
 この小説が最近話題で楽しみにしていたんだと部屋から出る際に小さめで可愛らしい装丁の本をジェラールは持参し、それを日当たりもよく草木による影も適度に生まれる場所に設置された腰掛けに座り文字の世界を楽しむジェラールをヘクターが近くで眺めていると冒頭のようにジェラールから声を掛けられたが何故だか歯切れが悪い。
 皇帝として公の場では絶対に見られない姿だなと思いつつ、続く言葉を待つが一向に出てこないのでヘクターから背を押す事にした。
「なんか言いにくい事ですか?した事あるのかって事は何かする事で?」
 軽くそう問いかけると何故かジェラールはびくりと肩を震わせるのでヘクターの方が驚いてしまう。
「え。なんか難しい事で⋯?」
「いや、難しいかどうかは分からないけど。でも私はした事が無くて⋯」
「はあ」
「多分、君はした事があると思う。かっこいいし」
「はあ?」
 格好良いかどうかでするような何かをジェラールは知りたがっている?何にしても本質が掴めずにヘクターは混乱するしかなかった。
 ヘクターがそうしていると手に持っていた本のあるページを開いてヘクターに見せてくるので覗いて見る。正直文字を見るのは苦手だがジェラールの言いたい事が気になってその謎が解けるのであれば苦手をも受け入れようと文字を追う事にすると、先に進むにつれその謎が解けた。
「あ~、なるほど」
「した事ある?」
 示されたページを読んだだけでもこの小説が恋愛小説である事が読み取れてしまった。何故なら恋人同士になったと思われる2人が口付けを贈り合う場面であったから。と言っても本当に可愛らしい、子供同士がするような描写でしかなかったが。
 問題の箇所を読み終わって顔を上げるとただでさえ大きな瞳をおっことしそうな程開いて興味津々といった表情でヘクターを見つめてきていた。
「あの⋯そんなに気になります?」
 それは口付けという行為が気になっているのか、ヘクターが誰かと口付けをしているという事実があるかどうかが気になっているのかジェラールの表情からは読み取れない。ただどちらにしろ純粋な興味という感はある。この人は一度興味を持った事に対しては貪欲だ。
「私に経験が無いからかもしれないけどこの行為がどういうものなのかは気になっていて。まあ恋愛小説を読めば毎回と言っていい程ある描写なんだけど」
「毎回、って言うほど読んでらっしゃるので?」
「私は雑読なんだよね」
 本の虫にはそういう傾向もあるのかとヘクターは一つ勉強になった。
「で、どういう感じなのかな?自分のを触ると柔らかいけどそこを重ね合わせるとどうなるんだろう。呼吸はできるのかも気になってて⋯」
「あの、ちょっと待ってください!?」
 小説の内容を確認する為に隣に座っていたヘクターの身体に乗り上げる程の勢いでジェラールが迫ってきて流石のヘクターもジェラールの両肩を手で抑えて静止させると、ジェラールは何故?という表情を浮かべた。何故と思うのはヘクターも同じだ。
「ジェラール様はオレにそういう経験があるという前提で尋ねていらっしゃる?」
「うん」
 当然だろう、という表情でジェラールは返してくる。
 ただ、ヘクターにそういう経験があることに関しては特に何か思うところはないのだなと考えると胸にチクリと刺さる何かをヘクターは感じ、思わずその痛みの部分を抑えるが何かが物理的に刺さった訳ではなかった。
「?どうかした?あっ、私の腕が当たってしまっていたかな?」
「いや、そういうんじゃなくてですね⋯あの、ご期待に添えずに申し訳ないんですが、オレも知りません」
「え?」
 今度は突然何かで撃たれたような表情をジェラールが浮かべる。先程からコロコロと変わる表情を見せられているとこの人が本当にこの国の最高責任者なのかとヘクターは疑問に思うが、少し前までの執務室での公の顔を思い出しその疑問を即座に否定する。

 
 この人のこんな顔を見られるのは自分だけならいいのに。その唇の柔らかさも確かめられたら、どんなに。

 惚けるように見えたジェラールの唇にヘクターの指が触れた所でヘクターの目が覚め、指を引き剥がす。
 俺は今、何に触れた?


「ヘクター?」
 この人は単純に興味があって身近で年上でこういった事も尋ねやすい対象としてヘクターを選んだだけであって他意はないのだ。
 そう自らの心に言い聞かせてジェラールに向き直る。
「オレも口付けの経験がないので、ジェラール様と一緒です」
「⋯⋯嘘だ」
 今度はジトリとした上目遣いでジェラールが見上げてくる。
「嘘じゃないんですよ⋯恋人だっていた事な」
「嘘付いたら針千本飲ませるなんて話をヤウダ地方の本で読んだ事があるんだ」
「そんなに信用無いんです?」
 何故ここまで信用がないのかヘクターには分からないがこれだけは言っておきたい。
「口付けっていうのは本当に大切な人とするもんなんじゃないですか?とオレは思いますけど」
 正直女は抱いてきたが自分の身体の薄い部分を重ね合わせるなんて事はしてこなかったし、する必要も無かった。する意味すら思い当たらなかった。
 でも今、この指で触れた唇に、出来る事なら自らの唇を触れ合わせる事が出来たらどんなに幸福なのだろうかと。
 ヘクターはそう溢れそうになった物に即心の中で蓋をして、ジェラールから離れて席を立つ。
「大切な人⋯家族とは、また違うのかな」
「どうでしょうね、お小さい頃だったらご家族にしてたんじゃないですかアンタは」
「流石に記憶に無いからそこは計算に入らないような気もするけど。そうか、大切な人⋯」
 
 いつか、私にも。
 そう呟きつつ手の内の本を大切そうに撫でるこの人のいつか出来るであろう大切に、嫉妬する心を抱える羽目になってしまったとヘクターは独り心の中で呟くのだった。