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syanpon
2026-05-23 02:27:43
6078文字
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お互いさまね
オトスバ
現パロ 学パロ
嫉妬という感情はみっともない。
そのことをスバルはよく知っていた。知っていても、胃の底に沈んだ重たいものは、知識ひとつで消えてはくれない。みっともないと思いながら、それでも消えない。これが感情というものの厄介なところである。
始まりは他愛もない光景であった。
放課後の廊下をオットーを探して歩いていたら教室でオットーが誰かと話しているのが見えた。同じクラスの女子で名前は知っているがスバルとはほとんど話したことがない少女。彼女がノートを広げて、何かを指差しながらオットーに話しかける。オットーが覗き込んで、何かを返す。彼女が頷いてまた何かを言って、また頷いて。
それだけの、たったそれだけのことだった。勉強を教えているのだろう。オットーは人に物を教えるのが上手い。それはスバルもよく知っている。
知っているのに。
何でもない光景だった。何でもないはずだ。ただ教えているだけで、二人の距離が特別近いわけでも、特別楽しそうなわけでもなかった。オットーはいつも通り、落ち着いた顔をしていた。スバルは扉から離れて廊下の端に寄って少しの間、その光景を見ていた。見ていただけだ。入っていくことも日常の風景として通り過ぎることもできずにただそのどこにでもある光景を眺めていた。自分でも、なぜ見ているのかわからなくなってポツリとひとりごちる。
「
……
なんだよ」
小さく呟いた。誰にも聞こえない声だった。
胃の底に重たい何かがじわりと広がっていく感覚がする。それを誤魔化すように腹をさすってモヤモヤも何もかも全部振り払うように走り出した。
その日の夜、布団の中で天井を見ながら、いまだ腹の中に渦巻く感情についてスバルは考える。この気持ちはオットーが自分以外と話している時に感じたものだ。自分以外の誰かと話すことが嫌だったということ、嫌だということはそこに何かを感じているということでもある。
何か、というのをスバルはしばらく言葉にしないでいた。言葉にすると引き返せなくなる気がした。でも言葉にしてもしなくてもスバルの胃の中でぐるぐる回るそれは消えてはくれないし事実は変わらない。
オットーが好きだ。
だから自分以外と話している姿に嫉妬した。
自分が唯一無二の友人に恋慕の情も抱いていることはわかっていたがまさか今日みたいな気持ちになるくらい拗らせているとは思っていなかった。廊下であんな光景を見るだけでこんなに落ち着かなくなるとは。
「俺、超ダサいじゃん」
相手は何もしていない。オットーも何もしていない。ただ教えていただけでそれがみっともなく思えるのは全部スバルの問題だ。
それがわかっていても、消えなかった。
***
翌日の放課後、スバルはグラウンドに行った。グラウンドに行けばオットーがいる。別に用件はなかったし腹の底の不快感を消す方法も思いついていない。告白して玉砕は最終手段である。オットーに会いたくて足が向いた、向いたから来た。ただそれだけだった。
グラウンドの隅、オットーは一人で練習していた。1人なんだからもっと広くスペースを使えばいいと思うのにそれをしないところが彼らしい。スバルが来ると少し視線を上げて花が咲くようにふわりと笑う。そうやって嬉しそうな顔をしてくるからスバルは自分が特別想われているだなんて思ってしまうのだ。いい加減にしてほしい。
「なんですかそんな顰めっ面して」
「なんだよ」
「なんで喧嘩腰!?」
きゃんきゃんと騒ぐ様子を見てほんの少しだけ溜飲が下がる。適当な芝生に腰を下ろして膝を抱えれば当然とでもいうように彼もスバルの隣に腰を下ろした。
「練習は」
「そろそろ切り上げようと思っていたところです」
「
……
ふうん」
多分嘘だ。スバルがきたからオットーは練習を止めた。彼にしてみればなんでもない行動の一つ一つがスバルを浮かれさせて落ち込ませる。
でも離れたくない。恋というものはひどく厄介なものである。なにも喋らずにぼうっと風に吹かれてコロコロと転がっていくボールを目で追う。ゴールポストにぶつかって止まったのを確認して顔を上げれば夕陽で橙色に照らされた瞳がスバルを見つめていた。
「
……
な、に」
「話す気になりました?」
「何を」
「なんでしょう。でも何か聞いてほしそうな顔をしているなって。当たってます?」
眩しさすら感じる夕日に混じる青をみて昨日のことを思い出した。廊下で見た光景を。あの時から胃の底ので嫉妬は醜くずっとトグロを巻いている。
「オットー」
「はい、僕ですよ」
「
……
オットー」
「はい」
「おっとー」
「はい」
「おっ、
……
お前って、人に勉強教えるの好きなの?」
ぱちりとオットーがまばたきをした。そのままきゅうと目を驚いたように見開く。スバルは焦って次の言葉を探して舌を回す。
「いや、あの、えっと、昨日お前がクラスメイトに勉強教えてるの見ちゃって! ほらお前俺にも勉強教えてくれるじゃんだから勉強教えるの好きなのかなーとか思ったわけよ! か、家庭教師とか向いてるんじゃない!? あっ、昨日見たって言ってもたまたま! たまたまな!?」
口を開けば開くほどにどんどん墓穴を掘っていく。後悔と恥ずかしさと焦りとできっと今のスバルの顔は夕陽よりも真っ赤なことだろう。
「オットーの教え方わかりやすいしな! からかってやろうかと思ったんだけどなんかタイミング? 逃しちゃって
――
」
「ナツキさん」
オットーはスバルの名前を呼んだ。たった一言、そんなに大きな声でもなかったと言うのに魔法のようにスバルは口をつぐんでしまう。
「見ていたんですか」
「うん」
「話しかけてくれたらよかったのに」
「だって」
「だって?」
「
……
」
だってみっともないのだ。本当はあそこで2人の間に空気を読まずにズカズカと割り込んでオットーの手を引いてしまいたかった。この人は自分のものなのだと駄々っ子のように声を上げてしまいたかった。
でも「友達」はそんなところまで踏み込んでいい存在ではない。それはスバルだってよく知っている。
「あのねえナツキさん」
ぎゅうと目を閉じて俯いたスバルの耳を柔らかな声がくすぐる。顔を上げさせるために頬に大きな手のひらがそうっと触れた。そろりと目を開けるとどこか嬉しそうな、むず痒そうな、変な顔をした男の顔が視界に入る。
「
……
」
「な、なんだよ」
「
……
えっと、ですね」
今度はオットーが言いかけて、止まった。言葉ごと飲み込んだような顔で、少しの間スバルの顔を見ていた。頬に当たっている手のひらにほんのわずかに力がこもったのが伝わる。
「
……
何」
沈黙が辛くなってきて、この近い距離感にもぞもぞとして。促さなければ一生こうしていそうだったのでスバルの方から声をかけるとわざとらしく咳払いをされる。
「
……
んん、なんでもないです」
「いや、なんでもあるだろ! あのねって言いかけてたじゃん!」
「言いかけてましたけど! 忘れてください」
「はぁ〜!? 普段俺がはぐらかすと怒るくせに!?」
「ああもう、ああ言えばこう言う!
……
その、お揃いだなって」
「え」
「だから、その、僕も、ナツキさんが誰かと話しているのがあんまり
……
好きじゃないので」
夕日がオットーの顔を照らしていた。橙色に縁取られた横顔が、普段の落ち着いた顔とは少し違って何かをこらえているようにも見える。頬に触れていた手が引っ込んで、代わりにオットーは前を向いてスバルの方を見なくなった。
スバルはしばらく、意味を処理できなかった。頭の中に可愛い妹が「かしら〜」「なのよ〜」と隊列を作って歩いていく。今、隣にいる男はなんと言ったのだろうか。
僕も、ナツキさんが誰かと話しているのが、好きじゃない。
「
……
それって」
「それ以上言わせないでください。ああもう、恥ずかしい」
「言え」
「嫌です」
「言え言え言え言え!!」
「本当に嫌です!!」
きゃんと声を上げてオットーがスバルから体を遠ざける。それがおかしくて少し笑えた。笑えたのは一瞬だけで、腹の代わりに今度は胸がぎゅうと締め付けられて心臓が鳴り出した。さっきまでとは違う種類の鳴り方だった。
「あの、さ」
スバルは言葉を探す。オットーがあと一歩のところまで来ているのもわかった。だから言わなければならない。みっともなくてもなんでも、言ってしまわなければならない。だってこういうのは先に言ったもの勝ちだと思う。
「昨日さ、廊下からお前の教室見てた時。入っていきたかったんだよ。手ぇ引っ張ってこっちに連れてきたかった」
「
……
ナツキさん」
「みっともないって思ってた。お前は何も悪いことしてないのに」
「してます」
「は?」
「しています」
オットーがようやくスバルの方を向いた。顔が赤いのはきっと夕陽のせいだけではない。
「昨日、ナツキさんが廊下にいたのは気づいていました」
「
……
え」
「僕は入ってきてほしかったですよ。ずっと待っていたのに来なかったから、終わってから探しに行ったら僕を置いて帰った後で」
「な、んで最初にそれを言わないんだよ」
「ナツキさんこそ、なんで入ってこなかったんですか」
「それは
……
みっともないから」
「なにがみっともないんですか」
「だってお前のこと好きだもん! 嫉妬したんだよなんも悪くない女の子に!」
嗚呼言ってしまった。でももう止まらなかった。夕焼けのせいにしようと思った。橙色に染まった視界のせいで気が大きくなった、そういうことにしてしまおうと思う。そうだそれがいい。
「好きだから嫉妬したんだよ。オットーが! 好きで! そういう意味で! だからみっともないって思ったんだよ、お前は何もしてないのに! お前は俺のこと友達だって思ってくれているのに俺ばっかりわがままになっちゃうから!」
言い切って、顔が燃えるように熱くなった。もはや夕日とかそういう話ではない。今度はスバルが視線を外してグラウンドの向こうを見た。見たところで何もなかった。反対側のゴールポストだけが遠くに立っていた。
オットーは黙っていた。
長い沈黙だった。五秒が十秒に、一分に、一時間に感じる類の沈黙だった。スバルは何度か細く短く息を吸って吐く。それでも心臓が煩いのはどうにもならなかった。
「
……
ナツキさん」
名前を呼ばれた。
振り向けなかった。
「ナツキさん」
もう一度呼ばれた。今度は少し近かった。さっき離れたはずの距離が縮まっている。
「うわっ」
ゆっくりと顔を戻したら、オットーの顔が思ったよりずっと近くにあった。さっきのむず痒そうな顔と打って変わって嬉しそうだった。誰がどう見ても嬉しそうな顔だった。
「
……
へへ」
「何笑ってんだよ」
「いや、嬉しくて。ナツキさんがぼくのこと好きって言ってくれて」
静かな声だった。夕方の風に少し混じって、でもちゃんと聞こえた。
「好きだって。言ってくれてよかった。僕が言う前に言ってくれてよかった」
オットーが笑った。普段の困ったような笑い方とよく似ていて。でももっと素直な、力の抜けた笑い方だった。
「なんで」
「なんでって、そりゃ、嬉しいからですよ」
「嬉しい?」
「嬉しいです。めちゃくちゃ嬉しいです。声に出して言いたいくらい」
「言ってるじゃないか」
「言ってますねえ」
また笑った。スバルはその顔を見ながら、胃の底でぐるぐる回っていた重たいものがどこかへ消えていくのを感じた。でも胸がぎゅうっとなっているのはそのままだ。
「お前も、って言ったよな。さっき」
スバルは慎重に聞いた。聞き間違いだった場合のことを一応考えながら、でも多分聞き間違いではないと思いながら、確かめるように。
「言いました」
「どういう意味で」
「どういう意味だと思います?」
「そこで質問返しやめろよ」
「同じ意味ですよ。ナツキさんと同じ意味です」
夕日がどんどん沈んでいた。多分あと数分で陽は落ちる。部活が終わった生徒たちの声が遠くから聞こえた。誰もこちらを見ていなかった。グラウンドのこの隅だけスバルとオットーの2人だけ、時間の流れが違うみたいだった。
「
……
昨日、たまたまっていったけどさぁ」
「はい」
「あれ嘘。本当はお前を探してた」
「はい」
「お前さっき俺が誰かと話してるの好きじゃないって言ってたけどあれってオットーも嫉妬してたってこと?」
「そうなりますねえ」
同じだとオットーが言った。そういうことだと。スバルは誰かの誘導もなく、自分の頭でそこまで辿り着いてから、ようやく脱力した。全身から何かが抜けるような感覚があった。疲れた、というよりは、降参した、に近かった。そのまま脱力してオットーにもたれかかる。思ったよりもしっかりと支えられてまた心臓が音を立てて脈打った。
「なんだよ、それ」
「なんでしょうね」
「もっと早く言えよ」
「ナツキさんこそ」
「俺は昨日知ったんだよ」
「僕はもっと前から知っていたので、言いたかった気持ちは長いです」
「長いのかよ」
「長いです」
「じゃあ言えよぉ
……
」
どれくらい長いのかを聞こうとして、やめた。今日でなくてもいい話はいくらでもある。今日しかできない話をしなければならなかった。
「好きだよオットー。そういう意味で好きだ」
今度は叫ばなかった。ヤケクソじゃないちゃんとした声で、ちゃんと言った。
腕の中でそうっと見上げればオットーがゆっくりと目を細めてスバルに微笑みかけた。
「
……
僕もです。ナツキさんのことが、そういう意味で好きです。大好きです。愛してます」
夕日が落ちた。空が一段暗くなる。
さっきまで重たかった腹の底が、今はひどく軽かった。嫉妬も、みっともなさも、どこかへ消えた。消えた後に残ったものは、ずっとここにあったくせに名前がなかったものだった。
「なんで告白してくれなかったの」
「ナツキさんは友達が少ないですから。僕が告白したら困るかなって思ったんです」
「なんだよそれ悪口かよ!
……
俺が他の人と話したら嫉妬するくせに」
「そうですねえ。じゃあやっぱりナツキさんがぼっちでよかったということで」
「おい!」
オットーが短く笑った。肩が揺れた。スバルもつられて笑った。みっともなかった。でも、みっともなくていいとようやく思えた。
嫉妬は醜い感情だとスバルはよく知っていた。知っていても消えないから厄介なのだとも知っていた。でも今夜、胃の底にトグロを巻いていたそれにちゃんとした名前をつけてやれた。今日はそれだけでいい気がする。
だって今日は一緒に帰れるのだから。
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