夜明 奈央
2026-05-23 19:01:00
3391文字
Public 久々綾
 

久々綾 初めてのキスは前途多難

初めてちゅーしようとしたら先輩に避けられちゃう話。キスの日に寄せて。
2026年5月23日初出

 久々知先輩と付き合い始めてから、もうすぐ季節がひとつ変わろうとしていた。他の人がどうとかは知らないが、それでもまだ口づけのひとつもしたことがないのは、遅いんじゃないかと思う。けれど先輩には一向にその気配が感じられなくて、ただ待っているだけではいけないのだろうと思った。
「先輩」
 逢瀬を終えて解散する前。先輩の袖を引いて、精一杯甘えた声を作る。こちらを向いた先輩をじーっと見つめる。
「俺もできるならもっと一緒にいたいけど、暗くなる前には帰らなきゃ」
 先輩には伝わらなかったのか、頭巾の上から優しく頭を撫でられる。頭を撫でてもらうのも、もっと一緒にいたいと思ってもらえるのも嬉しいけど、綾部が望んでいるのはそれではない。欲を言えば先輩の方からしてほしかったが、「口づけがしたい」なんて端ない要望を言えるはずもない。かといってこれ以上どうやってアピールしていいかもわからない。
 仕方がないので、自分からすることにした。背伸びして、先輩の唇に自分の口を近づける。と、大して距離が縮まってもいない段階でぐいと肩を押されてしまった。
「ごめん、俺、今日のお昼ごはん餃子だったから……
「え?」
 思いもかけない言葉に、綾部はつい間抜けな声を漏らした。すぐに理解が追いついて、半目で睨みつける。
「デート前にそんなもの食べないでくださいよ」
「だって会うの夕方からの予定だったし……
「これだけ時間経てば大丈夫じゃないですか」
「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないだろ」
 先輩に引く気配はない。このまま強引に迫ってお情けみたいにしてもらうのもなんだか違う気がするし、初めての口づけがにんにく臭いというのもいまいちパッとしない。
「じゃあいいです」
 そのまま、なんとなく気まずくなってその日の逢引は終了した。くさくさとした気持ちのまま忍たま長屋に戻る。
 よくよく思い出せば、今日のランチに餃子なんてなかった。確かAランチは焼き魚定食でBランチは親子丼定食だった。そうすると先輩は僕との口づけを拒否するために嘘を吐いているということになる。
 いやいや、端から疑ってかかるのは良くない。今日は食堂で食べなかったのかもしれない。けれど今日は校外実習ではなかったはずで、となれば昼食にあまり遠くまで外に出ることはできない。この周辺の飲食店といえば精々うどんかお団子か田楽豆腐といったところで、もし本当に餃子を食べたのなら誰かが作ったとしか考えられない。豆腐ならまだしも、先輩がランチに餃子なんて作るか?
 考えれば考える程、先輩は嘘を吐いているとしか思えなかった。それも綾部がちょっと考えればすぐにわかる程度のお粗末な嘘だ。行き着くところは遠回しにそういうことはしたくないという意思表示。
 そこまで考えついて、ちょっとどころではなく落ち込んだ。夕食を食べる気にもならず、穴掘りに繰り出す。滝夜叉丸にはくどくどと小言を言われたが、相手をする気にもなれなかった。

 ほとんど一晩中穴を掘り続けていれば、多少は気分も晴れた。もしかしたらなにか下級生には言えない事情があったのかもしれないし、誰かの差し入れでほんとに餃子を食べた後だったのかもしれない。急だったし、ちょっと怖気づいてしまっただけかも。
 無理やり自分を納得させたが、それ以来どうにも久々知先輩に避けられている気がする。廊下ですれ違えば必ず声を掛けてくれるし、食堂で席を探していれば隣の席に呼んでくれる。だから嫌われたわけではないのだと信じたいが、事前に約束していた逢瀬の約束はキャンセルされてしまったし、次の約束はのらりくらりと躱されている。
 先輩は忙しいのだ、と自分に言い聞かせるのもそろそろ限界だった。別に、どうしても口づけがしたいというわけじゃない。興味はあるけれどその理由の大半は「したことがないから」で、必要性は感じない。先輩からの愛情は十分感じているし、先輩が嫌なら無理に迫るつもりはない。そもそも、実際してみれば2度目はご遠慮願いたいと思うかもしれない。だから嫌ならそうひとこと言ってくれればいいのに、それさえないのは寂しい。
 校庭の隅に掘った穴の中、ぽっかりと切り取られた空をひとりぼっちで見上げる。口づけがしたいというのは、関係をぶち壊してしまう程の大層な願いだったのか。

 額に何かが触れる感覚で意識が覚醒に向かう。いつの間にか眠ってしまっていたようだった。目の前には久々知先輩の顔。思わぬ至近距離に驚いて、咄嗟に身を引いた。すぐに後ろの壁にぶつかって、ここが狭い穴の中だったと思い出す。辺りは既に薄暗くなっている。
「ご、ごめん」
 先輩がさぁっと青褪めていく。何か謝られるようなことをされたのだろうか。そうして目を覚ます直前のことを思い出して、無意識に額に手を当てた。あの、湿った感覚は口づけだったのでは? いやしかし、先輩は僕とするのは嫌だったのでは?
 混乱して、何を言っていいかわからない。先輩を見つめ返し、ぱちくりと瞬きを繰り返す。
「ごめんっ、この通り、許してほしい」
 先輩は顔の前で両手を合わせ、頭を下げる。訳もわからず、ぶんぶんと首を左右に振った。狭い穴の中だ。ほとんど土下座のような格好で謝られるが、そこまでされるような覚えはない。そもそも先輩にされて嫌なことなんて思いつかない。
「顔を上げてください」
 しきりに謝り続ける先輩を宥めてどうにかこうにか頭を上げさせる。
「それで、今、何を……?」
「その、ちょっと練習を……
「練習? 何の?」
「口づけの……
「口づけの練習!?」
「だって俺、こういうの初めてで……練習もなしにいきなり本番っていうのはちょっと無理があると思ったんだけど、かといって喜八郎以外で練習するわけにいかないだろ? だからこれしか思いつかなくて……
「はあ」
 斜め上の解答に、ちょっと理解が追いつかない。そりゃあ誰しも最初は初めてなわけだが、普通はこういったことの練習はしないものではないのか。
「つまり、さっきのは練習だったと」
「はい」
「今までにも練習を?」
「はい」
「僕が寝てる間に?」
「はい」
「馬鹿なんですか?」
「ごめんなさい」
 先輩はしゅんと小さく縮こまる。一応バレたら怒られるかもしれないという意識はあったらしい。綾部は綾部で、いくら相手が先輩だからといって、今まで一方的に口づけの練習台にされていて気づかなかったことにちょっとプライドが傷ついた。ついでに先輩からのせっかくの口づけの記憶がないのも惜しい。
「それで、練習はまだかかるんですか?」
「いや、そろそろ本番に移ってもいいかと思ってたから、喜八郎が嫌じゃなければ、こないだのリベンジがしたいんですが」
「僕、今日のお昼焼肉だったんですけど」
「えっ」
 先輩がガーンと効果音が付きそうなくらいショックを受ける。
「いや、うん。そうだよね。約束もしてなかったんだから仕方ないよね」
「っていうのは冗談なんですけど」
……喜八郎?」
「僕、先輩に拒否されたんだと思って、これでも結構傷ついたんです。だから仕返しです」
「ごめんなさい」
「あと、そういうことは本人の了承を取らずにやるものじゃありません」
「ごめんなさい」
 先輩がしょんぼりと項垂れる。反省しているようなので、この辺りでこの件は許してあげることにする。
「それで、してくれるんですよね?」
 目を閉じて、先輩が口づけやすいように少し上を向く。先輩がごくりと唾を飲み込む音が近くで聞こえる。
「あの、上手くできるかわからないんだけど」
「いいから早くしてください」
 恥ずかしくて顔が熱い。心臓の音がうるさい。やたらと時間をかけて触れた唇はちょん、と一瞬合わさっただけで離れていった。散々焦らされた割に、想像していたより全然大したことがない。まあこんなものかと変に期待しすぎていた自分を宥めながら目を開けると、先輩の満面の笑顔が視界に飛び込んできた。綾部はその顔をしっかりと目に焼き付けようと思ったが、碌に見ることもできずにぎゅうっと抱きしめられる。
 どうにも先輩と噛み合わない。それでも先輩にそうされるのが嬉しくてたまらないので、結局は綾部も先輩のことが大好きなのだ。


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