dimn89
2026-05-22 13:16:15
3342文字
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姉の帰省(マノルイ)

※モブ(ルイーズの弟)視点の小話です。
 マノアくんの国に行ってから35年、嫁いでから29年が経過している時間軸となります。

※龍族にまつわる噂についてモブ視点で「真実だった」とする描写がありますが、
 企画世界において噂が本当だと断定する意図はありません。
※こなさん宅マノアくんを少しだけお借りしてます。
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 私、あの方が恐ろしいの。
 そう告白する女の顔は蒼白で、対する男はただ俯く。週末の賓客をどうもてなすかと妻に相談しにきた矢先のことだった。
 「正直に言ってもらえて助かるよ」
 続く言葉――君は姉さまとは血縁ではないのだから仕方がない――は飲み込んだ。男――ノアは心の内でため息をつく。
 「君は体調不良ということにしよう。何、姉さまはそれで気分を害するような人ではないさ」
 「お優しい方とは思っているのよ、あなたが慕っている方ですもの」
 妻の言葉にノアは「そうだね」と寂しく笑う。優しい方と思うのにそれを上回る恐ろしさがあるという。ノアにはどうしてもピンとこないが、妻の決死の告白だろう訴えを無下にすることはできなかった。
 ――週末はノアの実姉、ルイーズが久しぶりに実家であるノアの館を訪ねる予定となっている。

 「体調がすぐれないの?それは心配ね」
 週末、リシャール邸の客室は5月の爽やかな空気と光に満たされ、うららかに明るい。妻の不在を詫びるノアに、姉のルイーズは心配そうな顔をみせる。久しぶりに会う姉に嘘をつくことに良心は痛むが、そんなそぶりは露ほどもみせずに「ええ。早くよくなるといいんですが」とうそぶく。姉が龍族の王子に見初められ龍族の国へ居を移してから35年が過ぎた。ルイーズを前に本音を隠せる程度には自分も年を重ねたわけだ、とノアは思う。
 「そんなわけで今日は姉弟水入らずです」
 「ふふ、ノアの淹れる紅茶も久しぶりね」
 開け放した窓の向こうから子どもたちの遊ぶ声が聞こえる。ルイーズは紅茶を飲む手を止めて、窓の外に視線を移す。
 「あの声はノエルとリリアかしら」
 馴染みの庭師の孫息子と孫娘の名前を覚えている姉の姿に、ノアは内心で驚く。昔から使用人の名前を覚えるのが得意な人だったが、8年前に紹介したきりの子どもの名前が出てくるあたりが姉らしい。
 「ええ、やんちゃ盛りで毎日元気にしていますよ。あとで挨拶に来させましょう」
 「嬉しいわ。前に会った時からずいぶん背が伸びているのではない?子どもはすぐに大きくなるわね」
 「そうですね
 窓の外を見やるルイーズの横顔をノアはじっとみる。遠国に嫁いだ姉と会う機会は限られており、今回の帰省前にルイーズがリシャール邸を訪れたのは8年ほど前のことだ。ルイーズの言うように子どもたちは8年の間にすっかり大きくなり、別人といってもいいほどに背丈も伸び成長した。同じだけの時間を過ごしたはずの姉は、8年前と――もっといえばここ十数年ほどまったく変わらないように見える。
 ノアの視線に気づいたルイーズがおもむろに視線を戻し、微笑む。なにか?と次を促す微笑みと眼差しは、ルイーズがこの屋敷で過ごしていた頃と変わらない。
 「姉上はお変わりないですね」
 「そうかしら?ありがとう」
 これでも国の人に比べると成長が――もうこの歳では老いかしら――早いといわれるのよ、と笑う姿にルイーズにとっての「国」はもう生まれ育ったここではないことに気が付く。それほどの年月が過ぎた。
 55になる姉は、見た目だけでいえば30半ばにみえる。35年前、龍族とその他の種族の婚姻を奨励する動きが出た折、龍族と婚姻を結んだ者は老いるスピードが緩やかになるという噂がまことしやかに囁かれたそうだが、なるほどどうして、噂は真実だったとわかる。
 47歳の自分と55歳の姉を並べてきょうだいですと言えば、ほとんどの者が兄と妹だと思うに違いない。20歳で嫁いできた妻が当時33の姉と出会ってから22年。妻からみれば、20年以上もの間、容姿が衰えぬ義姉を恐ろしく思うのは当然のことなのかもしれない。

 自宅近くの保養地別荘で過ごす両親のもとへ挨拶に行き、祖父母の墓参りを行い、懐かしい馴染の使用人たちに最近の様子を伺い労う。ノアの家族との会食。帰省時のいつものスケジュールをこなせば、ルイーズの2泊3日の滞在はあっという間に過ぎ、出発の日の朝、ノアはひとり見送りに立つ。
 「僕ひとりの見送りではさみしいでしょう」と笑うノアにルイーズは微笑む。
 「そんなことないわ。たった一人のかわいい弟ですもの」
 「もうかわいいという歳でも容姿でもないですよ」
 「どうして?自慢のかわいい弟よ。口髭もチャーミングでかわいいわ」
 どうやら姉が本気でそういってることに、ノアは面食らう。
 「今の私を捕まえてかわいいというのは姉さまくらいですよ
 「あら、ノアの奥様はかわいいといってくださらないの?」
 「さあ、どうでしょう若い頃に一度くらいは言われたことがあるかもしれません」
 「ふふ」と笑って、ルイーズは目元を緩ませる。
 「今度奥様に聞いてみたらいいわ。弟のかわいさと旦那様のかわいさは全然違うから、わたくしの知らないノアのかわいいところをたくさん教えてくれるはずよ」
 ルイーズの提案にノアは苦笑する。姉は時々夫婦関係について少女のような提案をしてくる。付き合い始めたばかりの恋人同士ではなく、20年以上連れ添ってきた相手にそんな甘いやり取りを仕掛けられるわけもない。
 「考えておきましょう」
 ノアの言葉にそれは聞く気はないということでしょう、とルイーズは笑う。姉のいうことは聞いておくものよ、と続ける姿は年下の女性にみえるが、この人は確かに自分の姉なのだ。
 「姉さまにはかないませんね」
 「そう?ノアがそう思う間はきっとそうね」
 ふいに、ノアとルイーズの間の地面に影が落ちる。同時にバサリ、と空気を裂く羽音がした。
 「迎えがきましたね」
 「ええ」
 マノアさま!と黒い龍のもとに駆け出す姉を見送る。光を受けて蒼く黒く輝く鱗、夏の空で染め上げたような青い鬣(たてがみ)、いつか訪れた彼の国の海と同じ色をした瞳。ノアの姉の伴侶である龍の男。駆け寄った姉が何某かを話す様子を見守る。こうしてみると、姉が小さく見える。
 
 「ノア!わたくしこのままマノアさまと帰るわ」
 「ここから国まで?遠くはありませんか」
 「まさか。近くに馬車と従者の方が控えているそうだから、そこまでマノアさまの背に乗っていくわ」
 「わかりました。相変わらず仲睦まじいようで安心しました」
 「ふふ。ノアも奥様と仲良くね」
 「はい、肝に銘じて」
 他愛無い会話を交わしていると、ふと頭の中に響くように声が聞こえた。
 『ルイーズが世話になりました、お元気そうでなによりです』
 マノアの声だ。龍の姿の時の声は、不思議な聴こえ方をする。喋っているようにはみえないのに、頭の中に声が響いてくるのだ。そのまま思考すれば伝わるのかどうなのか、ノアにはわからないのでいつも自分は声を発して返事をする。
 「滞在中私の方が世話になったくらいですよ。マノア殿もお元気そうでなによりです」
 マノアがルイーズを迎えに来る時はお互いいつも簡素な挨拶を交わすことが慣例になっている。挨拶が終わると年下の義兄は目を伏せ、そのまま低い姿勢をとり、背にルイーズを乗せる。マノアが鞍を担いできていることもだが、そこに躊躇なく乗る姉も姉だとノアは思う。

「それではまたね」
「ええ、また会う日までお元気で」
 
 遠ざかる龍の姿を見送りながら、何度見ても美しく恐ろしいものだとノアは思う。龍族に姉が嫁いだからといって、ノアの国では馴染みのない種族であり畏怖の対象である。20年の時を掛け、ずいぶんと打ち解けはしたがそれでも恐ろしいと思うことは止められない。
 ふと、妻も同じ思いなのかもしれない、と感じた。ノアにとっては姉は自分と同じ人間そのものであるために、妻の恐怖心を寂しく思っていたが、ノアの妻の目には龍族の眷属に近しい存在として映っているのだとしたら。
 ――そう思えば、妻の心に寄り添えるような気がした。

fin.