榎本奏江
2026-05-22 05:14:52
1671文字
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二筋樋貞宗(刀&刀剣男士)についてのまとめ

ネットや本を参考にちょっとまとめてみた。経歴やら元主やら、護摩箸に関係することやら。個人的な考えなのであくまでも参考程度に。
一応書き途中。調べたものが増えたり、考察があったら加筆修正します。

※参考資料等は省略します。一次資料からではなく、あくまでいろんな本やネットで調べたまとめみたいなものなので、どこまで事実かは不明です。自分でざっくり経緯や由来を知りたいためにまとめました。



豊臣秀吉→(結城(松平)秀康?)→松平忠直→松平宜富→小田原藩大久保家→個人蔵→でんじろさん

豊臣秀吉→結城秀康→松平忠直説
徳川家次男「結城秀康」が11歳の頃に豊臣秀吉の元へ養子として迎え入れられた際に秀吉から下賜された

1595(文禄4年)に誕生し、結城秀康の長男「松平忠直」へ引き継がれ、越前松平家へ伝来される

徳川家康→松平忠直(結城秀康の長男/越前国北庄藩主)説
・慶長20年(1615年)大坂夏の陣に忠直の鉄砲頭・西尾宗次が信繁を討取り、首級を確保。大阪城に攻め入り、一番乗りを果たす。
 →戦後10日に二条城で家康から勲功を褒めたたえられ「初花の茶壷」と共に与えられた説。

松平宜富
白河藩主松平直矩(結城秀康のひ孫)の三男。津山藩初代藩主であり、津山松平家の祖(藩主歴:1698-1721)
※元禄11年(1698年1月)に津山城を与えられる。当時18歳。

小田原藩大久保家
徳川家の家臣「大久保忠世」が入り、嫡男である「忠隣」の台になって立藩される。
 →江戸時代に入り、改易される(1614年)→大久保忠朝で再入される(1686年)
・津山松平藩5代目当主・松平康哉(1762-1749)が大久保家に掛け合って取り戻そうとしたが、金額の折り合いが合わず断念している。
 →少なくても1700年代後半には津山松平家を出て大久保家に入っている。

※刀のお巡りさんの由来
大久保忠真(生1778年or1782年?~没1837年)
小田原藩7代目当主・大久保家9代目
京都所司代37代目(1815-1818年)を務める
→江戸幕府により設置された、京都の治安維持の任務に当たった幕府の部署。
 京都の統治、朝廷・公家の観察、西日本諸大名の監視、五畿内及び近江・丹波・播磨の8カ国の民生の統括。
 老中と並ぶ要職だった。
※大久保家では忠真が京都所司代を務めたため、上記の五代目・津山松平家が二筋樋貞宗を取り戻そうとした話の年代も合わせ、当時の元主と考えられる。


刀について
・真の棟、佩き表の中心に梵字と草の剣巻き竜、裏の中心に梵字と棒樋。
・鎺下から上には表裏共に二筋樋。

・二筋樋は護摩箸(不動明王の化身)を意図する。
 不動明王:大日如来(仏教の教えに背く悪人も悟りに導く)明王の中でも最高。
 憤怒をもって強引に衆生を救済するのが特徴。
 →難化の衆生を有無を言わず強引に教えを導く。(救われがたい人でも救われることになった)
 仏界一の破壊力で猛威を振うが、仏道に精進する者に対してはとことん救済の手を差し伸べる。
 信仰:安産や病気除け、モノノ怪払いetc... (お不動さんとして親しまれる)
 右手の剣→俱利伽羅剣(利剣):不動明王の化身とされる竜王の名である。倶利伽羅剣に絡みついた黒い竜の姿で表される。倶利伽羅竜王。炎と龍が巻き付いている→厄意味除け意味。煩悩を断ち切る。
 左手の縄→羂索:狩猟や戦いに使う縄であるが、迷いや煩悩から抜け出せない人を縛り上げ、救い出すための投げ縄のようなもの。煩悩を縛る武器。五色の糸(青・黄・赤・白・黒)を寄り合わせたもの。
 ※五色:仏教において如来の精神や智慧を5つの色で表す。
 ※智慧:物事をありのままに把握し、真理や道理を見極めるための深い認識力や判断力を指す。「智慧」は本質的な気づきや悟りをもたらす力として、特に仏教において重視される概念です。

護摩サンスクリット語で「ホーマ(物を焼く)」意味
 護摩木に願い事や供養を書いて(目的と名前)、火と化した不動明王が護摩木をはじめとした煩悩を焼き尽くして浄化し、迷える人々を悟りの世界に導く。
護摩箸:密教道具のひとつ。鉄製の箸。不動護摩と言う炎に供物を入れ、不動明王の加護を祈る。