まう
2026-05-22 01:13:00
2378文字
Public ysp症候群
 

【ひとしずく】

みぶりんみぶ
泣いた顔見たことないなの話。


 喫煙室で一服し終え、そろそろ戻るかと歩き出したときだった。女性職員たちが楽しそうにきゃらきゃらと話しているのが耳に入る。「昨日最終回のドラマが超泣けた」と、そんな話だ。「今日の目が心配になるくらい泣いちゃって」「分かる分かる」「開始五分でもう既に泣いたもん」「それは流石に早すぎるって」と、すれ違ったほんの数秒だけなのに印象に残るほど大盛り上がりだった。まぁ昼休みだし楽しそうなのはいいことだよななんていう感想を抱く。
 話題に上がっていたドラマは自分でもタイトルを聞いたことがある程には人気作のはずだ。確か刑事もののドラマで、主演の俳優がいいだかストーリーがいいだがで前も耳にしたことがあった気がする。というのも、おれは見ていないので実際はよく知らない。そんなことをぼんやり思っていると、なぜか唐突に「あいつが泣くことってあるんだろうか」と十一の顔が脳をよぎった。
 十一の表情と言えば、一番見るのは笑顔だと思う。笑顔というと聞こえがいいが、あれを「笑顔」に分類してやるのはなんだか釈然としない気もする。笑顔と言うには含みがありすぎるだろ、あいつ。
 出会ったときの最悪な出来事からつらつらと思い出してみるが、やはり泣いている顔っていうのは見た覚えがなかった。とは言えおれ自身も泣いた顔を見せたことがあるかというとNOだし、他の同僚、後輩、先輩の顔を浮かべてもなかなか思い当たらない。そりゃそうか、ガキでもないし。
 ではどんなときならあいつが泣くんだろうと、興味が湧く。ドラマや映画を見て感動で泣くというのがあまりにもイメージできない。むしろそんなところに出くわしたらまぁまぁ怖い。裏がありそうで。
 そも、成人男性が泣くという場面があまりピンとこないことに気づく。大怪我とかなら痛みで泣くこともあるだろうが、それはまた別の話だろう。なんなら十一の場合それでも泣かなそうだ。
 そんなどうでもいいことを考えながら歩いていると、いつの間にか自分のデスクまで戻って来ていた。
「随分と長い休憩だったじゃないか、龍胆くん」
 一つ向こうのデスクから、ピンク髪が笑顔を向けてくる。まぁこれも「笑顔」だよな、表面上は。なんて思いながら視線を向けると、くすくすと声を漏らした。
「ああ別に咎めている訳ではないよ。たまたまみんな出払ってしまったから、おしゃべり相手がいなくて寂しかっただけなんだ」
「仕事しろよ係長サマ」
「ふふ、残念。なんと今日の仕事は片付けてしまってね」
「それで人にちょっかいかけるなっつの」
 十一は尚もくすくすと笑う。あ、これはちゃんと笑ってんな。と思う。流石にここまで付き合いが長くなってくると、こいつの笑い方の癖というのか、「違い」みたいものが当たり前に分かるようになってしまった。自分自身は他人から見て分かりやすい方だという自覚があるが、こいつだって大概分かりやすいと思う。というのを人に話したことがあったが「分かる訳ないだろ」と言われたのは腑に落ちない。
「さて龍胆くん。残念なお知らせだが、伊角さんから例の件について連絡があるそうだよ」
「うげ、マジか」
「マジだねえ。早めに行って聞いてあげるべきだよ」
「なんだそのお悩み相談みてーな言い方」
「ある意味、お悩み相談じゃないかな?」
「そんなどデカいお悩み相談は勘弁して欲しいけどな……
「ふふ、同感」
 機嫌良さそうに喋る十一に反して、気分は滅入ってくる。が、仕事なのだからしょうがない。おれは座ったばかりの椅子から立ち上がり、部屋をあとにした。
 部屋を出る直前、「がんばってね」と後ろからかけられた言葉に手を振った。

 ***

 「お悩み相談」から解放されたのは定時もとっくに越えた時間だった。面倒くさい案件だろうとは思っていたが、聞けば聞くほどどでかい「お悩み」すぎて頭が痛い。
 デスクに戻る前に一服しようと、喫煙室に足を向ける。廊下にはもう人はおらず、自分の足音だけが響く。
 キン、と小気味の良い音を立てて火を灯す。昼休憩ぶりに煙で肺を満たした。けれど、いつもと同じなはずなのにやけに苦い気がしてしまうのはさっきのお悩み相談のせいだろう。折角の嗜好品までまずくされちゃたまんないなと、思わず顔をしかめた。
 そのままぼーっと何本か吸っていると、突然首筋に冷たいものが押し当てられた。
「うわっ!?」
 思わず声を上げて振り返ると、そこには冷えた缶コーヒーを持っておかしそうに声を上げる十一がいた。
「あはは、びっくりした?」
「おま、え、なにしてんだよ」
「いや、なに、びっくりするかなぁと思ったんだけれど、想像以上の反応だったものだから。漫画みたいに飛び上がったよ、龍胆くん」
「ふつうに声かけりゃいいだろうが!」
「いやあ、だって思いついたらやりたくなってしまって。ちょうどね、昨日見たドラマで同じことをやっていたんだけれど、龍胆くんの反応、本当にそっくりで」
「はあ!?」
 十一は尚もころころと笑い続ける。しまいには、ぽろりと一雫涙が溢れるのが見えた。それを自分で拭いながら、更に笑う。
「君のその顔、なかなか見られないなぁ。遅くまで残っていた甲斐があったよ。本当に君ってばかわいい人だ」
「うるせーなもう! つーか、そういう泣くじゃねえだろおまえは!」
「うん? なんだい、それ?」
「だからうるせーっつうの」
「はぐらかされると余計気になってしまうじゃないか。ねえ、ちょっと、龍胆くーん」
 ごちゃごちゃ言っている十一を置いて、喫煙室をあとにする。ああそうだ。あのドラマの話を聞いたの、こいつからだったんだ。
 後ろから尚も「龍胆くーん」とかかる声を無視して、おれはそのまま歩き続けた。
 ほんと、そういう泣くじゃないだろ、おまえは。