みすみ
2026-05-22 00:01:16
3079文字
Public
 

君とふたりきりで食事がしたい

現代AUディンルク前日譚

「『年上の男性に心を開いてもらうには?』」
 どんな時であっても明瞭な声音が、不思議そうに、そして不審そうに、疑問符をつけて響いた。
 リビングのダイニングテーブルに両肘をつき、広げた雑誌を真剣に読んでいたルークは、ページの上に大きく書かれたタイトルを声に出して読んだ妹の声に顔を上げた。読者から寄せられた恋愛相談に、いま若者に人気のあるアーティストが回答するという企画が掲載されたページである。
 久しぶりに兄妹そろって帰った実家の広いリビングはしんとしている。
 両親はむかしから忙しいひとたちで、子どもが成人してもそれは変わらないらしい。社会人になり家を出たルークとレイアが近々ふたりで日程を合わせて帰ると伝えた時、電話口で父はその日は仕事を休むことができないのだとそれはもう悔しそうにしていた。それでも「できる限り早く帰るから」という言葉は敢行されるに違いない。
 レイアは両手に持っていた兄妹がむかしから愛用している色違いのマグカップをテーブルに置くと、定位置であるルークの隣に腰を下ろした。マグカップの中にはあたたかいココアが入っている。キッチンから漂っていた甘い香りの正体がわかったルークは目尻を下げた。「ありがとう」とレイアに笑いかけると、レイアからも「どういたしまして」という言葉とともに微笑みが返ってくる。
 マグカップに口をつけ素早く雑誌に目を落としたレイアの視線を追い、ルークも先ほど読み終えたばかりのページを見返す。年上のひとに片想いをしているという読者の相談から始まった特集ページに、レイアは怪訝な面持ちだ。
 重い沈黙に居心地の悪さを感じたのも、ほんのわずかな時間だった。あっというまに読み終えてしまったレイアは、企画の内容には興味がなさそうな口調で「珍しいのね」とルークの目を真っ直ぐのぞき込んだ。内容に興味はないが、兄の行動には興味があるらしい。わくわくと輝く瞳が眩しい。
 少し迷い、ルークはわざと知らないふりをしてみせた。
「珍しい? なにが?」
「とぼけないで、ルーク。まさかあなたが真面目な顔で恋愛の記事を読む日がくるなんて。いままでそんなこと一度もなかったでしょう」
 双子であるルークとレイアは幼い頃からほとんどけんかをすることもなく周囲の大人たちを驚かせるほど仲がよかったが、決して朝から晩までべたべたしていたわけでもなかった。ふたりは性別も性格も趣味嗜好もすべてが違った。違いながらも、お互いにお互いのことをこの世界でいちばん理解しているという自信だけはあった。
 レイアの言う通り、ルークはこの手の記事にいままで一度も興味を示したことがない。好奇心旺盛な妹や、過去に付き合っていたロマンティストな恋人が望めばたいていの場合は相手の願いを叶える努力は惜しまなかったが、恋愛に関するドラマや映画を自ら進んで見たいと思ったことはなかった。流行りのラブソングを聴いて同調したこともない。あからさまに態度に出しはしなかったとしても、妹にも過去の恋人にも、ルークのそういった気持ちは伝わっていたに違いない。
 そんな兄が突然雑誌の恋愛相談のページを熟読し始めたのだ。たしかに、気にならないほうがおかしいだろう。
「そうかもね。……最近いろいろあって。少し力を借りたくなったんだ」
「あらあらまあまあ……。素敵ねぇ」
 勘のいいレイアはぽかりと口を開けて驚き、優しく呟いた。
 生まれた頃から、恋愛に限らず、ルークがひとりで抱えきれないことが起きた時に真っ先に相談する相手は両親でもなければ兄貴分である友人でも恩師でもなく、たったひとりの双子の妹だった。むかしも、いまも、それだけは変わらない。
 妹のあたたかい反応に背中を押され、ルークは自分の気持ちを整理しながら、慎重に言葉を選ぶ。
「僕がいままで付き合ってきたひとたちって、なんていうか、こう、なんとなく付き合う流れになることが多かっただろ」
「そうね」
 レイアは神妙にうなずいた。
 妹は兄がこれまで好きになった人間を、性別を問わず、片想いにしろ両思いにしろ、もれなく全員知っているのだった。
「いま好きなひとはまだ恋人じゃないんだけど、でも僕は彼の恋人になりたいってことに最近ようやく気がついて……。この歳になってそういう時にどうすればいいかわからなかったから」
「溺れる者は藁をも掴む」
「そう。正にそういう気持ち」
 空になったマグカップの底に視線を落とし、ため息を吐く。
 レイアは「わかるわ」とルークの背をそっと撫でた。知らず知らずのうちに身体が強張っていたようだ。ルークは身体の力を抜き、顔を上げる。レイアは目を伏せた。
「怖いのね」
……うん。このままのほうがいいと思う自分と、このままじゃ嫌だと思う自分、両方いるんだ」
 そう、怖いのだ。
 彼に正面から好意を告げて、ふたりの関係に明確な名前をつけることを求めて、気持ちを拒否されることが、否定されることが怖い。このままぼんやりと友人なのかよくわからない関係を続けていけばその恐怖にたどり着くことはない。しかしそれは、求める未来も永遠に訪れない道だ。その道を選べば、彼が自分以外の誰かと手をとり合った時に、恐怖に打ち勝つことができなかったことを絶対に後悔するだろう。
 最近なにをしていても、ふとした瞬間に彼のことを考えてしまう。
 ルークの名前を呼ぶ時の少し掠れた声。笑うと目尻にできるしわの深さ。ルークよりも大きな手。ルークよりも高い体温。じっと見つめてくる瞳は力強いのに、見つめ返すといつも照れた様子で目を逸らされた。こちらを見てほしくて、ルークはいつも彼の名前を強請るように呼んでしまう。「ディン」と。
 数ヶ月前に同僚の紹介で知り合った彼は今日、知人と食事に出かけると話していた。もしよければルークもどうかと誘われたが、結局断ってしまった。断られた時の彼の顔を思い出す。多分、彼は驚いていた。断られるとは思っていなかったのだろう。これまでのルークであれば断らなかった。行けばよかったのだろうか。あるいは、君とふたりきりで食事がしたいと本当の気持ちを打ち明けるべきだったのだろうか。
「もしかして、そのひとがいまなにをしているのか考えてる?」
「どうしてわかったの、レイア」
 今度はルークがぽかりと口を開けて驚く。レイアは再び「わかるわ」と口にした。先ほどよりもその口調は軽やかで、表情は明るい。
「わかるに決まっているでしょう。だって、私はあなたの妹なんですもの」
 胸を張るレイアにルークが思わず噴き出すと、レイアの小さな手がルークの手を握った。細く美しい指だ。彼のゴツゴツした手とはまるで違うそれは、ルークを安心させる力があることだけは共通していた。
「もしも、もしもよ。ルークが寂しい気持ちになる日が訪れることがあったら慰めてあげるわ」
「本当に? 抱きしめてくれる?」
 レイアはルークの手を握りしめる手に力を入れた。
「もちろん。嫌がっても離してあげない」
「ハンに怒られちゃうね」
 愛するひとの手は、言葉は、気持ちは、いつも泣きそうになるほど強く、優しい。きっと、生まれる前からずっと。
 頼りになる妹の存在は、これからなにがあっても大丈夫だと思わせてくれた。
 いつか彼にも自慢の妹を紹介できたらいいな、と思う。きっとレイアもディンのことを気にいるだろう。性別も性格も趣味嗜好もすべてが違う双子の兄妹は、なぜかむかしから惹かれる人間の好みだけは似ているのだ。