ポほ
2026-05-21 23:24:30
8519文字
Public オトメビギナー
 

言わなきゃ

ドラえもん都市伝説みたいなタイトル
名取は燈に対する立希みたいな、女子同士なのにどこか童貞臭くてチョロい所があると可愛いかなと思ってます
あんまりスパダリ女子すぎるとそまが百合に挟まる男になるしパワーバランス大事
チベットのくだりは烏丸所長リスペクト
そのうちラウズアブゾーバーでも送ってくるんじゃないですか(適当)
BOSEの見た目やキャラは平野源五郎みたいなのを想像してます

 翌朝。
 四月の終わりとは思えないほど、朝の空気は少しひんやりしていた。
 樹は通学路を歩きながら、何度も深呼吸していた。
……言わなきゃ)
 胸の奥がずっと重い。昨日から、ほとんど眠れなかった。
「お……おはよ!」
 校門近くで名取を見つけ、いつもより少し大きな声で挨拶する。
「おはよう」
 名取はすぐに小さく首を傾げた。
「もしかして昨日、あんまり眠れなかった?」
(なんでバレてる!?)
 樹はぎくりと肩を揺らした。
「え、どうして?」
「なんか……ちょっと元気なかったから。気のせいだったらごめんね」
「あ……
 図星だった。
「実は……そうなんだ」
 樹は苦笑する。
「名取さんって、ほんと小さいことによく気づいて、すごいなあ」
「えー? そんなことないよ」
 名取は少し照れたように笑った。
「むしろ、樹ちゃんがわかりやすいのかも」
(樹ちゃんだから、よく見てる……なんて言えないし)
「そ、そうかなぁ……?」
 曖昧に笑って誤魔化す。
(俺ってそんなに単純かな……宗真ほどじゃないといいんだけど)
――いや、違う。今日考えるべきなのはそこじゃない。昨日よく眠れなかった理由は、ずっと悩んでいたからだった。
 名取に、本当のことを話すかどうか。

 中学に入ってから、どれだけ助けられただろう。
 倒れた時も、クラスでも、身体計測の時も。このまま何も言わず、優しさに甘え続けるのは違う気がした。
 もし打ち明けたら、嫌われるかもしれない。
 しかし――
(これ以上、秘密にしたまま友達やるの、つらいよ……
 昨夜のことを思い出す。

 吉田家の夜。
 樹の部屋の窓の外。
 ベランダには、盛り塩によって樹の部屋へ入れなくなったコン太郎が浮かんでいた。
……決めた」
 ベッドに腰掛けたまま、樹はぽつりと言った。
「俺、明日ちゃんと話す」
「誰に? 何を?」
 窓越しに、コン太郎がきょとんとする。
「名取さんに。俺が、本当は男だってこと」
 するとコン太郎は、心底不思議そうに首を傾げた。
「別に黙ってても、なんも困んなくない?」
「お前には分かんないかもしれないけど……
 樹は少し俯く。
「友達にずっと隠し事するのって、結構苦しいんだよ」
「ふーん」
 コン太郎はしばらく考えるような顔をしたあと、ぱっと何かに気づいたように声を上げた。
「あ、そっか!」
「な、なに……?」
「樹って宗真以外に友達いなかったから、今は初めてそういう気持ちを学んでるところなんだね」
「う、うるさいな!」
 顔を真っ赤にして反論する。
「どうせ俺は暗くて友達少ないじめじめ野郎だよっ」
「その身体で『野郎』は無理あるんじゃない?」
「もう、出てってよ!」
 枕を投げつける。もちろん、コン太郎には当たらずすり抜けた。
「ひどーい」
 狐耳の少年はけらけら笑いながら、夜風の中へふわりと浮かんでいった。
 
――そして今。
 樹は隣を歩く名取をちらりと見上げる。
……ちゃんと言えるかな)
「あの、ね。大事な話……なんだけど……
 樹はぎこちない声で切り出した。手のひらがじっとり汗ばんでいる。心臓がうるさいほど鳴っていた。
「うん……?」
 名取は不思議そうに首を傾げる。
(樹ちゃん、すごい真剣な顔……
 その様子を見て、名取の胸が少しずつ高鳴っていく。
(もしかして……私のこと……!?)
 最近の樹は、どこかそわそわしていた。自分を見る目も、少しだけ違っていた気がする。
 期待が、勝手に膨らんでいく。
「私、実はお――
「二人ともおはよっ」
 明るい声が横から割り込んだ。
……月城くん、おはよ」
 名取の声がほんの少し低くなる。
(タイミング悪すぎ……
 振り返ると、宗真がいつもの調子で駆け寄ってきていた。
「樹、今日なんか顔赤くね? 熱とか――
(そ、宗真……!)
 樹は思わず口を閉ざす。
 今この場で言うのは無理だ。せっかく勇気を出したのに、こんなことでまた宗真に頼りたくない。
「名取さん、続きは放課後話すから!」
 半ば逃げるようにそう言って、樹はそのまま昇降口へ駆けていった。
「えっ、あ、うん……
 取り残された名取は、少しだけ呆然とする。
(樹ちゃん、今……何言おうとしてたんだろ)
 一方、宗真は状況がまるで飲み込めていなかった。
「え? 名取さん、オレなんか悪いことした……?」
「うーん」
 名取は少し考えてから、小さく肩をすくめる。
「強いて言えば、月城くんじゃなくて、“間”かな?」
「えぇ……?」
 まったく納得できていない顔だった。その様子に、名取は思わず少しだけ笑ってしまう。
「じゃ、私も行くね」
 そう言って、名取も樹を追うように昇降口へ向かっていった。
 一人残された宗真は、その後ろ姿をぼんやり見送る。
……やっぱ、女同士で仲良くなるのが自然か)
 胸の奥が、少しだけちくりとした。
(樹、ちょっと遠くなっちゃったのかな)
 そんなことを考えてしまった自分に、宗真は小さく苦笑した。

(言えなかったけど、放課後に話すって言えた……!)
 教室へ向かいながら、樹は胸の奥でそっと拳を握った。
(俺にしては、結構頑張ったよな!?……と、思いたい)
 逃げずに約束できた。
 それだけでも、自分にしては大きな一歩だった。
 
 一方その頃。
(樹ちゃん……! やっぱり私のこと……?)
 名取は内心ざわつくどころではなかった。
 この一ヶ月。
 彼女はずっと、“余裕のあるお姉さん”を演じていたのだ。
 困っている樹を助けて。落ち着いていて。少し大人っぽくて。
 本当の自分は、そこまで余裕のある性格ではない。
 でも――
(頑張ってよかった……!)
 樹の隣にいたかったから。
 ……彼女がどうしてそこまで“理想の自分”を演じているのか。
 それにはまたとある理由があるのだが――それは、また別の話。
 
 そして放課後。
 校舎と特別棟を繋ぐ渡り廊下には、夕方の風が吹いていた。
 人気はない。
 遠くから運動部の掛け声だけが聞こえてくる。
 樹と名取は、二人きりで向かい合っていた。
「あのね。朝言ってた、大事な話の続きなんだけど……
……来た!)
 名取の鼓動が跳ねる。
「私ね、ずっと隠してたことがあって……
(うん……!)
 頭の中で勝手に続きを予測してしまう。
(“いつも助けてくれる名取さんのことが好き。これからは深青って下の名前で呼んでもいい?”……とか……?)
 頬が熱くなる。
 期待で胸がいっぱいになっていく。
 だが。
「本当は、先月色々あってこの身体になっただけで、俺……男なんだ」
……へ?」
 名取の思考が停止した。
(告白じゃ……ない!?)
 数秒前までの甘酸っぱい空気が、綺麗に吹き飛ぶ。
(勝手に期待した方が悪いけど……私って一体……
 一方、樹は樹で困惑していた。
「え?」
 沈黙。
 気まずい。
 あまりにも気まずい。
 その空気に耐えきれなくなったのか、名取は突然、明るい声を上げた。
「い……樹ちゃんってほんとにおもしろいね!」
 完全にヤケだった。
「う、嘘じゃな――
「ひと月遅れのエイプリルフールって!」
 名取は笑顔のまま続ける。
「しかも『自分は男の子です』って……!」

 樹は、必死に言葉を繋げた。
「えっとね、丘の上にある神社で転んで……祠を壊しちゃったら、コン太郎っていう狐の神様? みたいなのが出てきて」
「うんうん」
「その封印を解いてくれたお礼だって、一方的に女の子にされちゃって……
 何ひとつ嘘は言っていない。今この瞬間の樹は、これ以上ないほど真面目に本当のことを話していた。
 ――けれど。
(告白じゃ……ない!?)
 名取の頭の中は、それどころではなかった。
 朝からずっと期待していた。 放課後、二人きりになって。 “ずっと隠してたこと”がある、なんて言われて。
 どう考えても、そういう流れだと思っていたのに。
(勝手に期待したの、私だけ……!?)
 顔が熱い。 しかし、それを樹に悟られたくない。
 だから名取は、無理やり笑った。
「樹ちゃんの話って、ほんとに面白いよねー」
「えっ」
「『俺』って言ってるの、結構ギャップあって可愛いし。なに、コン太郎って?樹ちゃんが考えたの?」
 なるべく軽い調子で返す。
 だが樹は、がっくりと肩を落とした。
(し、正直に話してるのに……信じてもらえないよ〜!)
 そもそも、自分でも信じ難い話なのだ。 突然女の子になった、狐みたいな変なのが原因だ、なんて。でも……
「ほ、ほんとなんだってば……!」
 半泣きみたいな声で訴える樹を見て、名取はとうとう吹き出してしまった。
「あははっ、ごめんごめん! でも、樹ちゃんって、そういう冗談言うタイプだったんだね」
「冗談じゃないのに〜……
 樹はしゅんと肩を落としたまま、小さく呟いた。そんな様子を見ながら、名取はふと思う。
……でも)
 もし本当に、樹が男の子だったとしても。
 たぶん自分は――
(いや、何考えてるんだろ、私)
 名取は慌てて、その考えを打ち消した。

 すると、不意に――
「樹ー、忘れたの?」
 いつもの気の抜けた声が、頭の上から降ってきた。
 もちろん、その声は樹にしか聞こえない。 ――コン太郎だ。
(うわっ!?)
 樹は思わず肩を跳ねさせる。
「入学式の日に、“学校の人には自分の性別のこと気にしないようにして”って言ってきたの、樹じゃん。あ、宗真だけは特別ね。もう知ってるから」
(えっ……
「だからこの『ナトリサン』って人も、当然例外じゃないわけ」
 樹の顔から、さっと血の気が引いた。
 ――そうだった。
 コン太郎が学校中にかけた、“樹の性別を深く気にしなくなる”あの暗示のようなもの。 それがある限り、どれだけ本当のことを話しても、“変な冗談”として処理されてしまう可能性が高い。
「あーあ、裏目に出たねー。もう女の子でいるの、受け入れるしかないんじゃない?」
(ど、どうしよ……
 名取は不思議そうに小首を傾げている。
「樹ちゃん? どうかした?」
……っ」
 樹はしばらく迷った。
 今ならまだ、“本気だった”と押し通せるかもしれない。 でも。
 名取の困ったような顔を見ていると、どうしてもその勇気が出なかった。
「名取さん……変なこと言ってごめんね」
「え?」
「私、友達にこういう冗談言ってみるの、夢だったんだ」
「???」
 名取の目がぱちぱちと瞬く。
「くだらない話に付き合ってくれてありがとう」
「えーと……今の、やっぱり冗談だったんだ?」
「そ……そう!」
 引きつった笑顔で、樹は勢いよく頷いた。
 すると名取は、どこか安心したように笑った。
「そうだよね。樹ちゃん、すごく可愛いし、そのスタイルだし……男の子だったらびっくりだよ」
「そ、そんなことない……と思うけど……だよねー、あはは……
 乾いた笑いが漏れる。
 その横で、コン太郎が呆れたように言った。
「結局、言えてないじゃん」
(うるさい!)
 樹は心の中で全力で怒鳴った。

 樹は、放課後になると自然と月城家の道場へ足が向いていた。
 稽古の差し入れ、と言い訳できるように、コンビニで買ったスポーツドリンクとサラダチキンを抱えて。
 もっとも――
「宗真ー、樹ちゃん来たわよー」
 真冬の声が響いた瞬間、宗二は露骨に顔をしかめた。
「いやいやいや、中学生の男女が放課後毎日のように会うのはどうなんだ、宗真には稽古が――
「差し入れって言ってるでしょ。それにあなたが中学生の頃なんて、もっと女の子泣かせてたでしょ、私とか」
「ふ、ふゆちゃん! 今はその話ナシ!」
 結局、妻に一瞬で論破された宗二は、今ではリビングの隅で小さくなっている。
 樹としてはありがたいが、少し申し訳なくもあった。
 
 道場では、宗真が竹刀を片付けているところだった。
「こ、これ……差し入れ」
「お、樹。ありがとな」
 スポーツドリンクを渡すと、宗真は嬉しそうに受け取った。そして今日の事を話した。
「え!? 名取さんに言ったのか?」
 その一言に、樹の肩がぴくりと揺れる。
……うん。言ったことは、言った」
「おっ、マジで!? それでなんて?」
 期待半分、不安半分といった顔。
(朝、樹が名取さんと話してたのってこのことだったのか……
 樹は視線を逸らし、小さく息を吐いた。
……信じてもらえなかった」
「あー……
 宗真も、なんとなく察したようだった。
「入学式の日にさ。学校の人たちには、俺の性別のこと気にしないようにしてってコン太郎にお願いしたんだけど……それが良くなかったみたい」
「え? でもオレは、樹が男だったこと覚えてるけど……?」
「宗真は、もう事情知ってるから特別なんだって」
「そっか……
 宗真はそう呟いてから、ほんの少しだけ嬉しそうに目を細めた。
 “特別”。
 その言葉が、思った以上に胸に来たらしい。
 樹はなんとなくその横顔を見ていられなくなって、道場の床へ視線を落とした。
 
「で、これからどうするんだ?」
 宗真が真面目な声で尋ねる。
「当面はこのまま……女の子のまま、あの子とも付き合っていくってこと?」
……うん」
「まあ、戻るにしても少なくとも来年までかかるって言ってたしな……
 コン太郎を封じる札を書けるというお坊さん。
 樹は顔も年齢も性別も知らない。ただ、神社のおばあさん経由で連絡先だけは交換していた。ちなみにメッセージアプリ上の名前は「BOSE」だった。
 最近送られてきたメッセージは、
『現在チベット。高山病で死にそう』
 ――だけだった。
 帰国時期については一切触れられていない。
(ほんとに帰ってくるんだよね……?)
 不安になる。
 そんな樹を見ながら、宗真はふと首を傾げた。
……そもそもさ」
「え?」
「樹って、そんなに男に戻りたいんだっけ?」
……!」
 思わず息が止まる。
(もしかして、宗真は……
 胸の奥が、どくん、と跳ねた。
 樹は恐る恐る口を開く。
「宗真は……女の子の俺の方が、好き?」

「ぶっ――!?」
 宗真は飲みかけていたスポーツドリンクを危うく吹きそうになった。
「な、ななな何言ってんだよ急に!?」
 耳まで真っ赤になっている。
 樹はその反応を見て、かえって不安になった。
「ご、ごめん、聞き方おかしかった! 宗真の好みとかじゃなくて、その……単純に、客観的に見て戻った方がいいかの確認っていうか……!」
「そ、そういう話かよ……!」
 宗真は胸を押さえ、大きく息を吐いた。
「いや……別に、女だからとか男だからとか、そういうんじゃなくてさ」
……
「樹は樹だろ」
 あまりにも自然に言われて、樹はきょとんとした。
 宗真は少しだけ視線を逸らしながら続ける。
「最初はそりゃびっくりしたけど。でも、中身まで別人になったわけじゃないだろ」
……うん」
(ほんとにそう……だよな?)
「だからオレとしては、どうあるべきとかじゃなくて、“樹がどうしたいか”の方が大事っていうか……
 そこで一度言葉を切る。
 
 少し迷ってから、宗真はぽつりと付け足した。
……まあ、今の樹、正直可愛いとは思うけど」
「っ!!?」
 樹の顔が一気に真っ赤になった。
「な、何さらっと言ってんだよ!?」
「いやだって事実だろ!? クラスの男子とか絶対お前のこと見てるって!」
「そ、そんなこと……!」
 言い返そうとして、言葉に詰まる。
(他の男子のことは知らないけど……。こないだ宗真が俺のこと考えて……してたの知ってるなんて言ったら、絶交なんてもんじゃないよな……
 樹が変な方向に思考を逸らしていると、宗真はふっと表情を曇らせた。
 
……でもさ」
「?」
「オレ、なんか最近、樹が遠くに行きそうでちょっと嫌なんだよな」
「え……
「名取さんとかと仲良くなるのはいいことだと思う。思うけど……
 宗真は言葉を探すように頭を掻く。
「前みたいに気軽に一緒にいられなくなったっていうか。女子と男子って、やっぱ違うんだなって」
 更衣室も違う。
 トイレも違う。
 ……それに、クラスも。
 小学校の頃みたいに、“なんとなく一緒にいる”だけでは済まなくなってきていた。
 樹は胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。
(宗真も……同じこと思ってたんだ)
 嬉しいのに、苦しい。
 男に戻りたい理由が、また一つ増えてしまった気がした。
 けれど同時に――
(もし、今のままだったら……
 宗真が「可愛い」と言った時。
 少しだけ嬉しいと思ってしまった自分も、確かにいた。

「とにかくさ」
 宗真は、少し照れ臭そうに頭を掻きながら続けた。
「オレは、樹がどうしたいかだと思う」
……
「さっき言ったみたいに、寂しいこともあるけどさ。もしお前がほんとに“女の子の方がいい”って思うなら……それはそれで応援する」
 真っ直ぐな言葉だった。
 変に茶化したり、押しつけたりもしない。
 ただ、“樹自身”の気持ちを大事にしようとしてくれている。
 その優しさが、嬉しくて――やっぱり少し苦しかった。
……うん。ありがと、宗真」
「とりあえず、どんな時でもさ」
 宗真は笑った。
「お前が女だろうと男だろうと、オレはお前の味方だから。なんかあったらすぐ言えよ」
「う、うん……! 遠くになんか行かないって」
「そっか……良かった」
 樹の胸の奥がじんわり熱くなる。
(やっぱ宗真って……いいヤツだな)
 そんなことを思った、その時だった。
 
「ところでさー、樹が女の子のままだったら、宗真と赤ちゃんも作れるねっ」
「わーーーっ!!?」
 突然響いた声に、樹は思い切り叫んだ。
「な、なんだあっ!? 虫でも出た!?」
 宗真がびくっと飛び上がる。
「ご、ごめん! コン太郎がいきなり脅かしてきて……!」
「えー? ボクそんな変なこと言ったー?」
(言っただろ!!)
 頭の中で全力で突っ込む。
 宗真は呆れたように肩を落とした。
「なんだ、またあいついるわけ?」
「うん……でも、塩に弱いから」
 樹は少し考えてから、おずおずと切り出した。
「これからはここにも盛り塩置かせてもらっていい? そしたらここには来れないから」
「い、いいけど……
 宗真はなんとも言えない顔になる。
「意外と単純な仕組みなんだな……
「単純って言うなー! こっちは命懸けなんだけどー!?」
 ぎゃあぎゃあと騒ぐコン太郎の声を聞き流しながら、樹は小さく息を吐いた。
 少なくとも今だけは。
 こうして宗真と笑い合えていることが、少し嬉しかった。

 月城家からの帰り道。
 夜風が頬を撫でる。昼間より少し冷えた空気の中で、樹はひとり、ゆっくりと歩いていた。
……でも)
 宗真が言ってくれた言葉を、何度も思い返してしまう。
『お前が女だろうと男だろうと。オレはお前の味方だから』
 嬉しかった。
 本当に、嬉しかった。
 けれど――
(あの神社のおばあさん、言ってたよな……
『願った者が満だされだら、狐もまだ眠りにづぐ』
 つまり。
(俺が、“このままでいい”って思い続けたら……
 コン太郎が消えて、そして、自分は一生この身体のまま。
 宗真に「可愛い」と言われて、少し嬉しかった。守られるのも、嫌じゃなかった。
 名取と一緒にいる時間も、心地よかった。
 そんなふうに思ってしまう自分がいる。
……これって、もう満たされ始めてるってことなのか?)
 胸の奥が、じわりと苦しくなる。
 男に戻りたいはずなのに。
 なのに、“女の子として過ごす毎日”にも、少しずつ馴染み始めている自分がいた。
 コン太郎は、今も樹の肩の辺りをふよふよ漂っている。
「樹、難しい顔してるー」
……うるさい」
「考えすぎるとキミのいうところのおばあさんになっちゃうよ? まあ、ボクはそれでも……
「塩撒くよ」
「やめてください!」
 ぎゃあぎゃあ騒ぐコン太郎を横目に、樹は小さくため息をついた。
……とにかく今は)
 名取には信じてもらえなかった。祠の札を書いた坊さんは帰ってこない。コン太郎を封じる方法も分からない。
 つまり――今すぐ男に戻る方法は、どこにもない。
(だったら……
 せめて、自分が何者だったかだけは忘れないようにしながら。お坊さんとやらが帰ってくるまで。
 その間だけでも。
……とりあえず、“女子としての生活”をやっていくしかない、のかな)
 樹は夜空を見上げた。
 春の終わりの空には、ぼんやりと月が浮かんでいた。