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もこ
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I WANT YOU
ピアーズと野良熊。約15000文字。
2013年6月29日、東欧の酒場から始まるおはなし。
捏造しかないので、なんでも許せる方向け。
原作ゲームには到底及ばない程度ですが、ピ→野良熊への暴力行為とも受け取れるシーンがあります。ご注意ください。
※ 注意 ※
chap1の冒頭のおはなしのため、さまざまな解釈があると思います。
あくまでも「こういう解釈をする人がいたんだな」と思う程度にとどめて、気に入らなければ目をつぶり、ゆっくりと10秒数えて、この作品の記憶を消し去ってくださるよう、お願いいたします。
ピアーズは震えた。一年の半分が雪で覆われているような土地で、いまだ遠い夏を想い、凍えているわけではない。もちろん、強大な力を前にして恐れ慄いているわけでもない。歓喜による震えだった。
胸の奥が沸き立つほど弾み、体が小刻みに震えるほどの喜びは、かつて一度も経験がない。
見つけた。ようやく、見つけ出すことができた。半年間に渡る努力がようやく実を結んだ瞬間だった。
並外れた巨体を、たとえ後ろ姿とはいえ、けして見間違えるわけがない。
歩きかたのくせも記憶にあるものと一致していた。わずかなガニ股で、足の裏全体で地面を踏み締めている。肩は大きく前後に揺れ、体格も相まって、威厳と貫禄が滲み出ていた。摺り足気味で、膝がピンと伸びている。極力足音が立たないように訓練された者の歩きかただった。
巨体は慣れた様子で、くたびれた酒場へ足を踏み入れていく。どこか足元がおぼつかず、よろめいている。だが人間という生き物は、歩きかたのくせまではそう簡単には変えられない。
「こちら、アルファチームリーダー代理、ピアーズ・ニヴァンス。クリス・レッドフィールドと思わしき人物を視認いたしました」
ピアーズは震える声で北米支部の司令部へ連絡をする。興奮を隠しきれない。意図せずに鼻息が荒くなる。
PDAを握るてのひらは、じっとりと汗をかいている。ピアーズは呼吸を整えるように、ふうっと軽く吐息をつくと、ジャケットの裾で手汗を拭く。だが手汗はすぐにじんわりと染み出してきた。
「
……
了解。では今から、報告書に記載されていた記憶の有無の確認のため、接触を試みます」
ピアーズは振り返る。仲間たちが言葉なく、頷いた。ゆっくりと頭が上下に揺れる。
「何度も話したけど、失敗は許されない。二度目があると思わないでくれ」
目尻は吊り上がり、眼光が鋭い。揺るぎない意志の宿ったいくつもの眼差しが、ピアーズを射抜く。
ピアーズも彼らと同じ気持ちだった。言葉は必要ない。ピアーズは一人一人と視線を合わせると、ゆっくりと頭を縦に振って頷いた。
「最悪の想定として、暴れまわった場合はぶん殴って気を失わせてでも、たとえ手足を塞いででも、なにがなんでも連れて帰る」
もちろんそのような事態にならないように、作戦は練ってきた。だが任務において、作戦通りに事が進むことのほうが稀だ。この場にいる全員が、理解している。
行こう。ピアーズの言葉に全員が動き出した。それぞれの役割のために、知人グループに扮して酒場に吸い込まれていく。
三人のユニットを二組。それぞれクリスが暴れた場合に出口を封鎖する役回りと、周囲の一般人を保守するポジションを与えた。五人のユニットを一組、クリスが暴れた場合、取り押さえてもらうように伝えてある。一人また一人と酒場へ足を踏み入れていった。
最後の一人も酒場へ消えて行き、一人残されたピアーズは、やたら心臓の鼓動が大きくなっていることに気づいた。緊張をしている。珍しいな、と笑う余裕すらない。
ピアーズはゆっくりと鼻から息を吸った。鼻を通り抜ける空気は間もなく七月になることが信じられないほどツンと冷たい。たっぷりと時間をかけて、息を吐き出す。
ピアーズは、クリスを説得する役割を志願した。反対するものは誰もいなかったが、不安視をする声はいくつか上がった。一番不安を抱えているのは、他でもない俺自身だ、とピアーズは自認している。その上で、俺以外にこの役割を担えるものは誰もいない、とも自負していた。
この土地の空気は、初夏とは思えないほどからりと乾燥している。だがピアーズの足元には、ねっとりとした空気が渦巻いていた。ピアーズは泥を振り払うように、右足を踏み込む。
世界には、英雄が必要だ。俺は英雄にはなれない。だが、クリスを連れ帰る理由はそれだけではない。英雄を必要としているのは、なにも世界だけではなかった。
俺自身のためにも、英雄が必要だ。ピアーズは心の中で、自身に言い聞かせるように強く思った。連れて帰る。なにがなんでも。
そのために、迎えに来た。迎えに来たんだよ、あんたを。ピアーズはじっとりとした空気を振り払うように大きく肩を振り、埃っぽい酒場へと足を踏み入れた。
エージェントからの報告通り、やはりクリスは記憶を失っていた。むごたらしい過去から逃げるための防衛本能だろう。ピアーズは胸中を察した。
察するにあまりある苦しみだと思う。逃げるためには、名前さえも捨てるしか道は残されていない。記憶を失い、以前の自分の地位と名誉に至るすべてを投げ捨てるしか、逃げる道がなかった。
だとしても、英雄としての使命からは逃れることはできない。世間も、組織も、英雄の逃走を認めなかった。なによりピアーズ自身も、クリスが英雄としての使命に背くことを許すことができずにいた。
記憶を失ったクリスは、以前の面影がない。顔は同じだ。体も、同じだ。だが、やはり、ふとした仕草が、とくに表情が、記憶に残るクリスと比べると不自然だった。胸の奥に燻る奇妙さが残る。ピアーズは心の内でこっそりと、彼のことを野良熊と呼ぶことにした。心置きなくクリスと呼ぶことは憚られたからだ。
野良熊は驚くことに、予想以上にすんなりとホテルまで着いてきた。ここまで容易く受け入れてもらえると思わなかった。一悶着あるだろうと身構えていたピアーズが拍子抜けするには、十分すぎるほどだった。
野良熊はホテルの部屋に入るや否や、こちらに確認をすることもなくツインベッドの片方を陣取った。ピアーズは疲れ切っていたが、だからといって野良熊が寝ていないもう片方の空いたベッドに身を置く気にならない。
ピアーズはおもむろに窓へ歩み寄ると、薄いレースカーテンをめくった。通りの向かいのビルに、部下を二人配置している。暗がりの中だが、ぼんやりと見えた。スポッターと、スナイパーだ。野良熊が逃走を図った場合の見張りをさせていた。目が合う。
カーテンを開け放したまま、ピアーズは窓から離れた。最悪を想定し、野良熊がピアーズを襲った場合は野良熊の足を撃つように伝えてある。そのような事態にならないように注意を払っているが、未来がどうなるかは分からない。
ホテルの部屋の扉の前にも二人、ホテルのロビーと従業員用出入り口にもそれぞれ人員を配置した。
常にあらゆる可能性を予測し、危機的局面に陥らないように先手を打つ。これは士官学校はもとより、クリスから徹底的に叩き込まれた。
この英雄を二度と失うわけにはいかない。だが肝心の英雄は、記憶を失っている。なんという巡り合わせだ。ピアーズはそう思い、皮肉めいた笑みを浮かべる気持ちさえ削がれた。
ピアーズは申し訳程度に部屋の隅に置き去りにされた椅子に腰掛ける。木製の椅子は野良熊と同じくらいくたびれており、ピアーズが座るとギシギシと音を立てた。接合部のネジが緩んでいる。
腰を据えるなり、ふう、と小さく吐息をついた。とりあえず、第一関門は突破した。だが、安心することはできない。これからやらなければならないことは山ほどある。
野良熊にちらりと視線を送る。見れば見るほど、別人だな。ピアーズは心底思った。
さびれたバーに慣れた足取りで入っていく姿は、クリスそのものだった。見目はクリスであっても、まじまじと見つめるとまるで違う。覇気がない。まさにクリスの皮をかぶった別人と言うにふさわしかった。
クリスはあんなことをしたりしない。世界を守り続けていた英雄が、武器も持たない一般人に空き瓶を振りかぶるなど、とうていありえない。そして部下より先に体を休めたりする姿も、見たことがない。
最初はベッドに座っていた野良熊は、やがて靴を脱いだ。そして仰向けに寝転がり、そのまま動く気配がない。
「すみませんが、今日は俺もこの部屋に泊まります。息苦しいかもしれませんが、我慢してください」
「そんなことをしなくても逃げたりなんかしないさ」
眠っているかもしれない。そう思いながら声をかけたが、野良熊は酔っ払いの割に明瞭な声で笑った。
「たいへん申し訳ないんですが、俺はその言葉を素直に信じられる人間ではないんです」
ピアーズは鋭く言った。
「もう二度と、あんたを失うわけにはいかないんでね」
ミスター・レッドフィールドがいなくなった。ピアーズがその報せを受け取ったのは、司令本部役員に呼び出され、クリスがいる病室を離れたわずかな間だった。
ピアーズは身体中から力が抜け、リノリウムの床に膝をつく。生まれて初めての経験だった。市庁舎でも目を離したほんの一瞬で、すべてが変わってしまったが、その比ではないほどの激しい衝撃を受けた。
市庁舎から命からがら逃げおおせたのは、ひとえにクリスのおかげに他ならない。この人は生きるべきだ。ピアーズは岩のように重い体を引きずりながら思った。
ピアーズ一人の逃走劇だったならば、どこかで諦めもついたに違いない。しかしピアーズが諦めるということは、クリスがナパドゥたちの餌食になるということだ。だからこそピアーズは、死に物狂いで抵抗を続けることができた。
英雄を死なせてはならない。俺はどうなったっていい。だが、この人だけは、どうか。ピアーズは生まれて初めて神に祈りを捧げた。
ピアーズはこの世に神がいるとは思っていない。もし神のような大それた存在がこの世にいるとするならば、悪しきものは裁かれ、市民が理不尽に苦しむことはなく、部下たちもむごたらしく死ぬことはなかったと考えているからだ。それでもこの時ばかりは神にも藁にもすがる思いだった。
「お前は
……
」
おもむろに野良熊が口を開いた。クリスと同じ声のはずなのに、まるで違う。どろりとした粘着性のある物言いだった。
「よっぽど、隊長とやらがお気に入りらしいな」
野良熊はピアーズを見据え、にやりと笑った。
「惚れてるのか」
ほうら、そういうところだ。こちらの反応を窺うように、下品な挑発をしてくる。
ピアーズは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるのを必死で堪えた。ここで苦悶の表情でも滲ませてしまえば、それこそ野良熊の思う壺だ。なにも気にしていない態度を装い、口を真一文字に結ぶ。
野良熊はくつくつと喉を鳴らすように笑った。粗野で品のない笑みは、ピアーズの心を蝕み、ねっとりと絡みついてくる。
「図星か」
「どうぞ好きに想像してください」
クリスが行方をくらませていた半年間は、ピアーズの心に深い傷を残した。多忙とも、不安とも、痛恨とも、名状しがたい。安眠できなかった日もある。しかし数ヶ月の苦労を野良熊に語ったところでなにも意味を成さない。クリスにすら語る必要がない苦心だ。
ピアーズは野良熊から顔を逸らすと、PDAを取り出す。すぐに本部へ通信を試みた。腹立たしいが、野良熊は視界の隅に捉え続けた。逃すわけにはいかないからだ。
クリスに接触し、本人だと確認した後、ホテルへ連れ帰ったことは部下から報告をさせている。だが今後、野良熊をアメリカへ帰還させる手段を話し合わなくてはならない。本部へはすぐに繋がった。
「こちら、アルファチームリーダー
……
代理です」
クリスが見つかった今、もはや代理ではないのだが、記憶を失っている以上しばらくはこのまま名乗り続けるべきだろう。ピアーズはため息を押し殺しながら用件を伝えるべく、口を開いた。が、司令本部の者に遮られた。本部のものたちがざわついている。
中国。ウイルス。ジュアヴォ。至急、派遣を。聞き取れないほどの人数の声が通信機器の向こう側で交錯している。
「テロ
……
?」
入り混じる声の中に聞き逃せない単語があり、ピアーズは思わず顔を顰めた。
「なにがあったんです」
尋ねてもPDA越しの音声は喧騒に包まれ、ピアーズの声に応えるものはいない。
ええと、リモート。テレビのリモートはどこだ。ピアーズはあたりを見渡す。テレビのリモコンはすぐに見つかった。テレビの横におざなりに置いてある。ホテルに設置された、ピアーズの自宅の半分のサイズもない小さなサイズのテレビに向けて、電源と思わしきボタンを押す。
テレビはすぐに点いた。だがニュース番組がどのチャンネルに該当するのか、判断がつかない。言語も分からず、なにを言っているのか半分も理解ができない。手当たり次第にガチャガチャとボタンを押すが、結局それらしい番組が見つからず、ピアーズは舌打ちをした。
リモコンを放り投げるようにテーブルに置く。早く情報が欲しい。気持ちばかりが焦る。
ズボンのポケットに手を突っ込んだ。スマートフォンがない。どこにしまっただろうか。ジャケットの胸ポケットだ。ピアーズは胸ポケットに手を入れ、目的のスマートフォンを取り出した。焦るあまり手が滑る。スマートフォンが床に落下をした。
くそ! ピアーズは苛立ちを隠すことなく表出させ、吠えた。どうしてこういう時に限って、小さな災難が続くんだ。急いで屈み、スマートフォンを拾い上げると、すいすいと指を走らせる。
ニュースサイトを検索をする間もなく、目的のニュース記事はすぐに見つかった。するすると画面に目を走らせる。すべてを読む必要はない。目を滑らせながら必要な単語のみをピックアップし、脳内で組み合わせれば、たいした時間もなく読み切ることができる。
十秒ほどで記事に目を通し終えたピアーズは、くらりとめまいを覚えた。とてつもなく規模がでかい。半年前から東欧を中心に小規模なテロが頻発していたが、今回のテロはいままでにないスケールだ。鎮圧に苦労したマルハワ学園でのテロが、可愛く思えてきた。イドニアの比ではない。
大量のC-ウイルスがばら撒かれている。それにより人々はジュアヴォへと変異しはじめ、一般市民に被害が出ていた。
一部の者は蛹化するだろう。まるで半年前の、部下たちのように。ピアーズの脳裏にフィンの最期の光景が過ぎる。身体が発火し、どろりと溶けていく。苦しみながら徐々に硬化し、人型の蛹になった。そして『孵化』をする。ピアーズは猛烈な吐き気を覚え、大きくかぶりを振った。
これまでの小規模なテロは、今回のための試行に過ぎなかったのだと思い知らされる。
言葉を失ったピアーズに、通信機器の向こう側の人間はハッとしたような声を上げた。レッドフィールド隊長が、そこにいるんだよな。地を這うような低い声で問われた。
ピアーズの胸がざわざわと不穏に乱れる。ピアーズは胸騒ぎをかき消すように叫んだ。
「待ってください! 隊長は記憶を失っていると、先ほどおはなししたはずです」
嫌な結末しか想像ができない。胸がざわざわと不穏に乱れ、うなじがチリチリする。
ここまでしても、本部のものたちはクリスの容体を気にすることもなく、矢継ぎ早に述べた。
レッドフィールド隊長に、テロの鎮圧を任せよう。その言葉に、ピアーズは猛抗議をした。野良熊はクリスではない。危険すぎる。だが本部のものたちはピアーズの意見を受け入れることはなく、都合がいい未来を語り始めた。
英雄の失踪。クリス・レッドフィールドは病んでいた。世間にはそう説明をしよう。そしてクリスには今回のテロを圧倒的な力で鎮圧し、失墜した信頼を得る。英雄が舞い戻ってきた! 世間に、英雄の復活を大々的にアピールし、喪失した信頼を再び確固たるものにするには、ちょうどいい。
ちょうどいい、とは、なんたることか。こいつらはなにを思い、そんな言葉をまくしたてているんだ。ピアーズは文字通り言葉を失った。
マルハワ学園で、どれほどの犠牲者が出たと思っているんだ。イドニアで、いかばかりの仲間が死んだのか、忘れたのか。
ほんのわずかな悪意により、なにも罪のない人々の幸せな日々が奪われる。ほんの一瞬の油断によって、テロの鎮圧どころか部隊を壊滅させられる。テロとはそういうものだ。
こういう時、クリスならば、きっとうまく司令部を説得してくれる。現実として起こりうる可能性を言い連ねて、無謀なプランを説き伏せ、時には代替案を提示して折り合いをつけてきた。
時には折半案に妥結せず話し合いが長時間にわたり、どちらが折れるかどうかの我慢比べになることもある。怒鳴り散らかす姿も、けして珍しくなかった。クリスは諦めることはない。アルファチームの驚異的な生存率の高さが保持されていた最たる理由だった。
反論をしなくてはならない。頭では理解している。だが言葉が出てこない。無茶だ。この規模のテロを野良熊を引き連れて鎮圧など、できないに等しい。また全滅をする。しかし、クリスが記憶を失っていることすら瑣末な扱いをする彼らを唸らせるだけの、根拠となるデータがない。
説得力のある言葉を探しあぐねているうちに、本部のものたちはピアーズに言い放った。
明朝、中国へ向かって欲しい。伴う手続きならびに移動方法はのちほど指示を出す。
「ちょっと
……
!」
ピアーズはせめてもの抗議をしようとした言葉は阻まれた。通信が途切れる。再度コールをしたが、応答はなかった。
「ふざけんな!」
ピアーズは頭に血が昇って、手にしていたPDAを思い切り床に叩きつけようと、左手を大きく振りかぶった。しかしPDAが床に叩きつけられることはなかった。ピアーズは目を瞑り、歯を食いしばる。
冷静になれ。今、やるべきことを考えろ。こんなことをしても、なにも変わらない。しっかりしろ、隊長代理。お前が慕っていた隊長は、こんなばかなことをする男だったのか。
ピアーズはPDAをぎゅうっと握りしめていた手の力を、わずかに緩めた。すると連鎖して、弛緩するように体の力が抜けていく。左手は重力に従ってだらりと垂れ下がり、やがてPDAが手から滑り抜け、床に転がり落ちた。
どうして上の者って奴は、俺たちを人間だと思ってくれないんだ。頭の隅で思う。俺たちには親がいて、兄弟がいて、死んだら悲しむ親しい人が山ほどいる。なぜそのことを分かってくれないんだ。
死ぬことが怖くないと言えば嘘になる。だが、自身の将来を決めると同時に、覚悟は決めていた。常に後悔がないように人生を精選し、組織以外のなにものにも縛られないように自由に生きてきた。
ピアーズは、ピアーズの命を自分だけのものだと思っている。しかし両親と兄弟たちは違う。この世の不条理に抗うことを決断し、戦う術を身につけたピアーズとは異なり、家族たちは覚悟を持っていない。息子が、兄が、置かれている立場がこんなにも危ういものだと察しこそすれ、理解するにはほど遠い。ピアーズも納得してもらえるとは思っていない。
こんな時、クリスだったら。想像をしないようにしていたことが胸の奥から溢れ出す。俺たちは家族だ。口癖のように何度も言っていた。
ピアーズには、ピアーズが死んだら悲しむ両親がいる。そのことを知ったチームメイトが言った。俺は天涯孤独だ、と。自嘲する仲間がいれば、クリスはすかさず声をかけた。俺たちは家族だ、俺が悲しむよ、と。
彼に限らず、ピアーズにとっても、チームメイト全員が同じ魂を持った家族だった。そして輪の中央には必ずクリスがいた。クリスのことを、誰しもが特別だと感じていたに違いない。彼はそういう男だ。
揉め事を察知した野良熊が、ピアーズを見据えていた。ベッドに伏せたまま、顔だけをこちらに向けて、どろりとした目をしている。視線がぶつかった。野良熊の顔には、面倒ないざこざに巻き込まれたくないと書いてある。
ピアーズは思った。このまま野良熊と、なにもかもを捨てて、逃げてしまおうか。酒場での野良熊の様子を窺う限り、なにかのきっかけがあれば、たとえ記憶が戻らなかったとしても、事態が好転しそうな予感がした。このままホテルから逃げて、どこかに身を潜め、野良熊がクリスに戻るまで二人で暮らしていけないだろうか。
できないということはわかっている。それでもピアーズは、そんな未来があればいいと考えてしまった。
「どうしたんだ」
こんなことになるなら、見つけ出さなければよかった。ピアーズは激しい後悔に苛まれた。見つけ出さなければ、野良熊を今回のテロの鎮圧に巻き込むことはなかったからだ。
哀れみの視線を向けていたピアーズに、野良熊が問いかけた。眉根が寄り、眉間に深い皺ができている。訝しむような声だった。
渇望するほど、英雄を追い求めていた。この半年間、クリスのことを忘れたことは一刹那もない。気が狂いそうになるほど、必死だった。
しかし当のクリスは現実を受け止めきれず、逃走し行方をくらませ、見つけ出したと思えば記憶を失い、文字通り別人のようになっていた。どうして災難っていうものは続くんだ。ピアーズは叫び出したい衝動を堪えるだけで、精一杯だった。
「別に
……
なにも
……
」
ピアーズは絞り出すように答えた。野良熊に話したところで事態が好転するとも思えず、おざなりの返答だった。
「嘘はもっと上手くついたほうがいい」
野良熊はピアーズの意図に気づいている。クリスは思慮深く、洞察力に優れた男だ。たとえ記憶を失っていたとしても、身に染みついた習慣はなかなかぬぐい落とせないらしい。それこそ、酒場へ向かう歩きかたのくせのように。
「お前は嘘をつくのが下手くそだと自覚するんだな」
「
……
あんたにだけは言われたくないんですけどね」
その瞬間だった。ピアーズの脳裏に、ひとつの妙案がひらめき、まるで閃光のように走った。思いついた我ながら、ばかで浅ましい考えだと思う。しかし考えれば考えるほど、他に打開策は浮かばない気がした。
ましてや明日の朝には中国へ向かわなくてはならない。代替案を再考する時間もない。
だめだ。ばかなことをするな。絶対に後悔をするぞ。脳内で理性が叫んでいる。一方で、心の内に座する悪魔が言う。今回のテロに巻き込まれ、野良熊を死なせてしまうほうがよっぽど後悔をするだろう、と。
このまま手を打たなければ、目の前に野良熊の死が迫っている。クリスを取り戻すより前に、みすみすと彼を失っていいわけがない。そのために見つけ出したわけではないからだ。ピアーズは焦るあまり、悪魔の囁きに耳を傾けた。もう、これしか道はない。
たゆたう灯火のようによろめきながら、ピアーズはのっそりと野良熊が横たわるベッドに近づいた。
野良熊が、本能からだろう。危険を察知し、慌てて身を起こそうとする。しかしうつ伏せで寝転ぶ野良熊よりも、起立しているピアーズのほうが反応が早い。
先に、ピアーズが飛びかかった。野良熊に馬乗りになると同時に、野良熊の右腕を掴み、体より内側にひねりあげる。そのまま右腕を、野良熊の背中に回した。
ピアーズは勢いのまま、力任せに野良熊にのしかかる。ひねりあげた右腕を、全体重をもって押さえつけた。野良熊の右手首を肩甲骨の付近に近づければ近づけるほど、みしみしと関節が音を立てているのが分かる。
野良熊がぐううとうめいた。きっと右腕には筋肉の緊張による電気信号がビリビリと流れているだろう。
「動かないでください。下手に抵抗をすると、右腕が折れます」
野良熊は反射的に、痛む右腕を解放するべく身をよじらせる。ピアーズは鋭く声をかけた。このまま肘に軽く衝撃を加えるだけで、彼の関節の骨は簡単に折れる。人間の骨は丈夫だが、関節は違う。
狙われている、とピアーズは思った。こちらに向けられた銃口が、ひとつある。クリスの逃亡を阻止するために、向かいのビルに配置をしたスナイパーだ。躊躇いがちに頭が狙われている。ピアーズの第六感が感じ取った。
ピアーズは、必要がない。銃を下ろせ、と空いた左手でハンドサインを出した。一度、銃が下ろされた。だが、すぐにこめかみにチリチリとした違和感が走る。銃口がこちらを向いた気配がした。
さきほど、わざとカーテンを開け放したのは、野良熊に逃げられないためだ。そのため、室内の様子がわかるようにした。そして暴れた野良熊を取り押さえるために配置した部下に、牙を向けられている。ピアーズは二度目のハンドサインを送らなかった。いっそ、どうにでもなれ、と思った。
やはり、記憶を失っているクリスは野良熊であって、日頃のクリスとたとえ同体であれ、同一人物ではない。ピアーズの確信がいっそう強まった。本当にクリスならば、なにがあろうとピアーズに背後を取られることはないからだ。また、この姿勢であっても、クリスはほんのわずかな隙を見せれば形勢逆転されてしまう不安感を覚えるほどの、歴戦の戦士だ。野良熊にはクリスが持っている、戦士としての覇気がない。
それでもピアーズはほんのわずかな気を抜くこともなく、野良熊を組み敷く。一瞬の油断で、全滅をした苦い経験が何度も頭を掠めた。
さすがの本部のものたちも、利き腕が使えないクリスのことを足手纏いと判断するだろう。そしてこの東欧からアメリカへ強制的に帰還させ、治療を受けさせる。
なにせ今回のテロは、今までの比ではない規模だ。絶対に中国へは行かせない。
すみません。もし、俺が生きて中国から戻ったその時は殴ったっていい。右腕の一本どころか、右半身をすべてあんたに捧げたっていい。だから、どうか、許してくれ。ピアーズは心の中でクリスに謝罪をすると、右腕の関節を痛めるべく、ゆっくりと力を込めていく。その瞬間だった。
「ピアーズ」
この声は、口調は、野良熊ではなくクリスだ。ピアーズは本能で感じた。思わず腕に込めた力が抜けていく。
「隊長、あんた、記憶が
……
」
「戻っていない」
ピアーズは慌てて腕に力を込め直した。
一度だけ、喧騒の最中の酒場で名乗ったことを覚えていたらしい。こちらの話に耳を傾ける素振りなどなかったから、名前を覚えているわけがないと思っていた。
「無駄なことをするな」
無駄なわけあるか。ピアーズは即座に否定をして、野良熊の腕を折ろうとした。だが、どうしても力を加えることができない。あとほんのわずかでも左手を押し込むだけで、この右腕を折ることができるはずなのに、体にいかに働きかけようとも、最後の一押しをすることができなかった。
「なにかあったんだろ。俺はそこへ行くぞ」
「さすがに手負いのあんたを、戦力として連れて行くわけないでしょう」
野良熊はピアーズの言葉に耳を貸さない。
「たとえお前が右腕を折ろうが、左手でナイフを持つことができる。たとえ両足の骨が折れたとしても、這いつくばって進むことができる」
気を抜くな、こいつは野良熊だ。ピアーズは何度も自身に言い聞かせた。
「だから、そんなことをしたって、なにも意味がない」
目の前にいる男は、野良熊であるものの、やはりクリス・レッドフィールドだった。今は記憶を失っているが、言葉の端々から、英雄たる風格と重みのある貫禄がひしひしと伝わってくる。
その声が、その口ぶりが、どこか懐かしい。ピアーズは対峙している相手がどちらなのか見当がつかなくなり、思わず本音が漏れた。
「あんたを、連れて行きたくない
……
」
「だから、無駄だと言っているんだ」
野良熊が鷹揚な態度で答えた。
「そこが俺の帰る場所なんだろ」
その言葉にピアーズは、とうとう踏ん切りがつき、野良熊を解放した。ゆっくりと腕を自由にし、野良熊の上から退く。
身軽になった野良熊は、関節を痛めていないか確認するために右腕をぐるりと回した。痛めた様子はない。
「
……
そうだよ。あんたの帰る場所は、ここだ」
なぜ野良熊があっさりとホテルへ着いてきたのか、不思議だった。彼は半年間、記憶をなくし、自身が何者かも分からず、生きていたことだろう。どれほど不安だっただろうか、うかがい知れない。
野良熊もクリスも、この半年間のピアーズを知らないように、ピアーズも野良熊の半年間を知るすべはなかった。
だが、それとこれとは話が違う。
「あんたには、俺と一緒に死ぬ覚悟がありますか」
野良熊はのっそりと身を起こした。ベッドに座るピアーズと向かい合うように座りながら、おもむろにかぶりを振る。
「俺は死なない」
今までに何度も身の危険を感じたことはあった。ガタイが良く、体も動いて、腕っぷしが良かったものだから、用心棒まがいのことをして小銭を稼いでいた。こんな雀の涙ほどの金で、どうして命を張ったんだと思ったこともある。だが、それでもこうして生きている。
野良熊は悠然と説明をした。
「だから、死なない、と?」
野良熊はさも当然と言いたげに頷いた。あまりにも堂々と頷いたので、ピアーズは思わず、このままあんぐりと空いた口が塞がらないんじゃないかと思った。
野良熊は無知なだけだ。ピアーズは思い直した。テロを、戦争を、現実を、知らないだけだ。その辺の裏路地で起きたいざこざ程度にしか思っていないに違いない。
「このままだとあんたは死にますよ」
ベッドに尻をついて座った野良熊を覗き込むように、ピアーズも居住まいを正した。
ピアーズは野良熊にひとつずつゆっくりと説明を始めた。テロのこと。理不尽に奪われる命のこと。始まりはたいてい、わずかな悪意からであること。
話しながらゆっくりと窓の外に意識を向けると、向かいのビルの部下は銃口を下ろしている。しかし引き金から指を離してはいなかった。ベッドの上で二人の男が向かい合わせに座り、話し合う姿はさぞ不思議な光景に見えることだろう。
「それでもあんたは、中国へ行くつもりですか?」
「
……
行く」
初めて現実を知った野良熊は、激しく衝撃を受けた様子をしていた。それでも決意に変化はない。
ずいぶんと固い意志だな。ピアーズは少しだけ驚いた。
「恐怖とは、人間が持ち合わせている、防衛本能です。もう一度、ゆっくりと考えてください。たとえ逃げる選択をしたとしても、誰もあんたのことを責めませんよ」
「
……
俺はもう、逃げない」
いや、違う。彼は、中国へ向かうことに意固地になっているわけではない。ピアーズははたと野良熊の機微を察した。
「
……
この半年間、よっぽど自分の居場所とやらがなかったんですね。寂しい人だ」
おそらく、市庁舎から命からがら逃げおおせた後、重症を負いながらも身をくらませた野良熊を、容認する人はいなかった。どこの街にも、誰ひとりとして。
彼はたったひとりで傷を癒やしながら、生きる術として小銭を稼ぐために、身を危険にさらしつづた。そして粗暴な行為を繰り返していたに違いない。それは自己防衛のためだ。心の底から休まる時は、これっぽっちもなかっただろう。
言葉すら不自由する土地で、身分も地位どころか名前すら分からない。自分は何者なのか。生きるために必死になっても、誰からも受け入れられることがない。さぞ孤独だったことだろう。
可哀想な人だ。しなくてもいい苦労を背負い込んで、やさぐれている。
そんな中で、自分を求めて切望する集団が現れた。記憶がない自分を受け入れ、帰る場所を提示している。こんなにもすんなりと着いてきたのは、もしかすると藁にもすがる心持ちだったのかもしれない。
「お前は、この半年間の俺のことを知らないだろう。勝手に決めつけるなよ」
「あんただって、この半年間の俺のことを知らないだろ。俺がどれほど苦労をしたと思ってるんだ」
ピアーズは少しだけむきになって言い返した。口答えをされると思っていなかった野良熊は、わずかに目を瞠ると、口唇をきゅっと結び、言葉に詰まる。
あまりにも気の抜けた表情に、少しだけ野良熊の本心が垣間見えたような気がして、ピアーズは口角を緩ませた。ささやかながら嬉しくなったからだった。
「大丈夫ですよ、なにも心配はいりません」
ピアーズは穏やかな声色で言った。野良熊のささくれが目立つ手を握り、やさしく撫でる。
「俺があんたを守るよ」
野良熊は覚悟を決めたように深く吐息をつくと、ピアーズと向き合った。
こちらの中心を射抜くような、力強いグレイブルーの瞳は、たしかにピアーズの心を鷲掴みにした。
「なあ。まずは、俺の名前から、教えてくれないか」
野良熊の言葉にピアーズは思わず吹き出すほど笑った。
「あんたがどれほど素晴らしい隊長だったか、教えてあげますよ。あんたは、ほんとうにすごい人なんだ」
さすがに脅しすぎただろうか。任務地へ向かう輸送機の中で、ピアーズは静かに思った。野良熊は今にもプレッシャーに押しつぶされそうなほど、落ち着きがない。幾度となく視線を送ったが、ついぞ目が合うことはなかった。
任務前はいつもとまったく異なる雰囲気が漂う。誰も冗談を言わず、空気は重苦しい。体の毛穴から出る脂汗は、すっぱい臭いを放っている。そして輸送機の轟音の中でも、呼吸の音すらも耳に届くほどの緊張感が走っていた。
昨夜は胸を張っていたが、いざとなると尻込みをしているのかもしれない。ピアーズはゆっくりと野良熊から視線を逸らした。
東欧とは違い、中国はべたべたとした湿気が体を覆い尽くしている。気温も高く、すでにじっとりと汗ばんでいた。これはなかなか骨が休まらない任務になる。ピアーズは腹の底に力を入れて、意を決した。
クリスが記憶をなくしていることは、一部のメンバーしか知らない。チームメイトの動揺を避けるためだ。
当初のアルファチームは、街中でのジュアヴォの殲滅を言い渡された。一般人に、英雄の帰還を印象づけるためだ。だが、ピアーズが拒否をした。開放的な街中での戦闘では、野良熊を守り抜ける自信がない。
ピアーズは、司令部とブラヴォーチームを率いるマルコ、そしてチャーリーとデルタのリーダーに、クリスが記憶を失っていることを打ち明けた。それもあり、日中の会議はとにかく長引いた。ああでもない、こうでもないとさまざまな意見が飛び交い、おざなりに居合わせた野良熊が三度もあくびをするほどだった。
作戦会議の結果、アルファはブラヴォーと協力をして、ビル内の人質の解放を最優先で任務を遂行をしていくことが決まった。閉鎖的な空間の方が、野良熊の監視もしやすい。
ピアーズはタクティカルベルトのマガジンポーチを撫でた。そこにはクリスが日頃より使用している、アサルトライフルのNATO弾が三十発装填された弾倉が入っている。いつの頃だったか、クリスが弾倉を落としたことがきっかけで、ピアーズもクリスの弾倉を心ばかり持ち合わせるようになった。
きっとどこかのタイミングで、野良熊の体は恐怖に硬直をする。防衛本能ではない。理性が現実を理解することを拒否し、その結果として脳みその動きが止まり、シナプスが働かなくなるからだ。
あの時イドニアで、ピアーズはほんのわずかな間だが、気を抜いた。油断したとも言える。その一瞬の油断が、全滅を招いた。二度と、あのような失敗をしたくない。そのためにも野良熊を常に視界にとらえ、気を配らなくてはならない。
ピアーズは神に祈った。共に死ぬ覚悟はあるかと聞いたが、それは半分嘘だ。俺はどうなってもいい。だけど、それでも、この人だけは、どうか生かしてくれないだろうか。こうして神に祈るのは、人生で二度目だった。
ゆっくりと瞬きをしたピアーズの脳裏に、追憶がよみがえる。世界には英雄が必要で、俺は英雄にはなれない。世界と同じくらい、俺のためにも英雄が必要だ。この事実は半年間で、うんざりするほど見せつけられた。
もうすぐランディングポイントに到着するだろう。ピアーズは飽きもせず、またも野良熊を見つめた。暗がりでもわかるほど顔は青ざめている。
緊張をしているな。あんたの、そんな表情を初めて見たよ。チームメイトの前で声をかけることは憚られ、ピアーズは心の中で野良熊に語りかけた。そんなに心配するな、あんたのことは俺が守るよ。
そして、マガジンポーチを撫でる。この弾倉を持ち歩くのは、半年ぶりだった。体に馴染ませるようにもう一度撫でると、ピアーズは自身に言い聞かせるように小さく唱えた。大丈夫、今度はきっと、大丈夫だ。
これではいったいどちらのほうが緊張をしているのか、見当がつかない。しかし皮肉めいた笑みを浮かべる余裕すら、今のピアーズにはなかった。
無線機から指示が聞こえる。まもなく、長い任務が幕を開けようとしていた。
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