しのぶれど白獅子王子とチート魔法師は恋に溺れて華となる

電子書籍のサンプル。男性妊娠。異世界ファンタジー






 資料を求めて図書室の扉に手をかけた瞬間だった。防音魔法と認識阻害魔法が張られているのが分かり、手を止める。
 ——またアイツか。
 苛立ちを隠せずに口を開く。
「お前らがどこで盛ろうが僕にはどうでも良いけれど、場所をわきまえてくれないか? 不愉快だ」
 開きかけていた扉をわざと大きな音を立てて閉めた。
 魔法力の気配で直ぐに分かった。クラスメイトのアルフレッド・ティルバーンだ。
 獣人族の第四王子であり、白獅子というレア種。自由人気質の遊び人で、時おり何もかもがモノクロにしか見えていないような、退屈で堪らないといった表情をする男である。
 ——そんなに恵まれているのに何が不満なんだ……
 度を過ぎた過保護な義母のせいで自由のないエドウィンからすれば、腹立たしい事この上なかった。
 アルフレッドは、アルビノ種特有の白い毛色で、頭髪や肌、まつ毛まで雪のように白い。その割に瞳だけは燃えるような赤色をしていた。
 長身で綺麗な顔立ちの割に体躯がいい。自分から声を掛けなくても男女問わず寄ってくる彼は誰に対しても軽薄で、エドウィンからすれば苦手でしかないタイプの男だった。
 ——黙っていれば綺麗なのに……。残念なヤツだ。
 心の中でボヤく。
 獣人族という名らしくケモ耳や尻尾があれば、モフモフ好きとして「耳と尻尾だけ触らせてくれ」と言うかもしれないが、この大学院にいる種族は全般的に見た目も人族と変わらない。普段は隠すというしきたりがあるみたいだ。
 そんな萌え要素も何も無いとくれば……この軽薄さと無節操さは、有体に言えば嫌悪感しか抱かない。
 ——アルフレッド・ティルバーンなんて最悪だ。
 いつもは書物独特の紙とインクの匂いに包まれて、ホッと一息つけるというのに台無しな気分にさせられた。
 あの男の魔法力の気配が満ち溢れているだけで、気分はひたすらダダ下っていった。

 ***

 ラピスラリ魔法大学院は、魔法師を目指す生徒を世界中から募集している全寮制の由緒正しき魔法学校だ。
 誰でも入学出来る訳ではなく、魔法師の素質と難関と謳われる程に難しい筆記試験をクリアした者だけが入学する事を許されている。
 隔絶されたかのような孤島の中心に建てられていて、相当な年月を経ているのもあり、趣ある外観となっていた。
 円形になるように設計された学舎を中心にして、星形に五つの寮が配置されている。
 孤島の南側から時計回りに人族、人魚族、獣人族、精霊族、魔族で分けられ、それぞれ種族ごとに寮へと入れるようになっていた。
 その寮へ行くには、学舎の中央広場にあるワープゲートと呼ばれる転移装置を潜らなければならない。
 寮は、種族ごとに快適に過ごせるように気温や湿度、明るさまでもが、それぞれの国に合わせて調整されていた。
 ——大人しく部屋に戻ろう。
 エドウィンは足早に中央広場へと向かい、ワープゲートを潜ろうと第一歩を踏み出した。
 しかし、思いっきり襟首を掴まれて引かれた為にそれは叶わなかった。
 天を仰ぐ形で視界に入って来たのは、つい今し方己が文句を言った人物の内の一人だ。
 不愉快さを隠しきれずに思いっきり顔を顰めてみせる。
 ——何しに来たんだ、コイツ。
 惜しむ事なく嫌悪感を露わにして眉間に皺を寄せた。
「僕は今お前以上に見たくない顔はない。アルフレッド・ティルバーン君」
 抑揚のない声で言うと、分かっているのか分かっていないのか良く分からない表情で軽く返された。
「知ってる。さっきはごめんね。お詫びに奢るからまだ帰らないで欲しいな。名前は確か同じクラスのエドウィンだよね?」
 せめてクラークと呼んで欲しい。馴れ馴れしいにも程がある。しかも、したり顔で言ったアルフレッドは上機嫌そのものだ。
 想定外の反応をとられたので若干対応に困った。
 ——何で嬉しそうなんだこの男は……。意味が分からない。
 ヤル気を削ぐ様な真似をした覚えはあっても、楽しませた覚えはない。
 掴まれている襟首を離させる為に魔法を組み合わせて雷属性の魔法に変える。
 気付かれないように詠唱を破棄して、強めの静電気を発生させた。
「いたっ」
 アルフレッドの手が離れる。良い気味だ。
「僕は失礼させて貰うとするよ。気をつけて帰ってくれ」
 手が離れた隙をついて急いでワープゲートを潜り抜ける。これで二度と構われないだろう。苦手な相手から逃げられて胸がスカッとした。
 ワープゲートを潜ると直ぐに寮の出入り口に出れるようになっている。エドウィンの部屋は五階建てになっている横長の寮の三階に位置していた。
 南寄りの角部屋なので、ワープゲートを出た後は少し歩かなければならなかったが、苦ではなかった。
 靴音を響かせて歩くたびに首に巻いているローブが揺れる。自分の黒髪に合わせて、ローブも黒い色を買った。個人的に好きな色でもあるのでとても気に入っている。
 ドアノブに触れると魔法力を察知した扉がガチャリと開く。
 入学時に個人の魔法力の波動をインプットさせているので、魔法力さえ流し込めば自動で開く仕組みだ。
 部屋は六畳の1Rになっていて、然程広くはないけれども学校生活を送るには十分な広さの個室だった。
 室内に入って起き時計に視線を這わせた。時刻はもう五時半を指している。一時間後には夕食の時間になるのでまた移動しなくてはならない。しれずため息がもれる。
 ——食堂に行くには早いし、微妙な時間だな。
 食事は食堂と二十四時間解放されているショップと調理室があり、そこで摂るように言われていた。
 料理は苦手なのもあって、決められている時間に用意された物を摂るようにしている。
「疲れた……
 部屋に入るなりベッドに転がって呟く。アルフレッド・ティルバーンのせいで疲労感も倍増している。
 出来れば本と魔法薬学の資料を見たかった。昔から唯一許されていた遊びは、読書だけだったからだ。
 その時間を取り上げられると本当にやる事がない。
 何もかもを監視して思い通りに支配したがる義母の目から離れても、昔から習慣付けられているものは今更なおらない。
 逆に好きに過ごしていいよと言われると困る。何をしていいのかさっぱりだ。
 ——アイツらさえいなかったら今頃は読書に勤しめたのに。
 沸々と怒りが湧いてきて、頭からブランケットを被った時だった。コンコン、と来訪者を知らせるノック音が響いた。
 この部屋に来訪者なんて訪れない。昔からずっと一人なので、大学院内でも友人を作った覚えはないからだ。
 嫌な予感しかしない。扉越しに「誰だ?」と尋ねると「俺俺」としか言われなかったので、自分でも表情筋が固まるのが分かった。
「特殊詐欺はやめて下さい」
 何がおかしいのか笑っている声が聞こえてくる。
「俺にそんな態度取るのエドウィンくらいだよ」
「さっきも思ったが、思っていた以上に馴れ馴れしい男だな。〝君〟くらいは付けたらどうだ? それで、僕に何の用ですか?」
 最後の部分だけわざと敬語に切り替えて返す。
「開けて欲しいなーとか思ってるんだけど、ダメ?」
「お断りします。自分の領域に他人を招き入れるのは苦手なので。どうぞお引き取り下さい」
 容赦なく切り捨てるとアルフレッドがまた笑う声が聞こえてきた。
 何がツボったのかさっぱりわからない。この男はドMなのではないかと考えていると、アルフレッドが口を開いた。
「じゃあまた会おうね」
 会いたくはないがクラスメイトなのでそうもいかない。
 ——どうしてこうなった? 思考回路がおかしいのではないか?
 自分とは全く異なるタイプの人種だ。極力関わり合いになりたくない。
 考えている内に夕食の時間になったので、アルフレッドに会わないよう祈りながらこっそりと食堂へと向かった。
 食堂につき、周りを見渡す。何処にいても目立つ男なので居れば直ぐにわかる。視界に入る範囲内に姿は見えない。胸を撫で下ろして、ブッフェ形式になっている夕食を取りに行った。食堂の隅っこに席をとって食事を始めていると、目の前に影が落ちた。
「ねえ、ここ座っていい? ううん、座るね!」
 先程確認した時には居なかったのに、なぜこの男が此処にいるのか……。いや、学生なのだから居てもおかしくないのだが、他にも空いている席は沢山あるのに態々ここへ腰掛けた理由がわからない。しかもアルフレッドは、エドウィンとは対照的に機嫌が良さそうだった。
 ——もういい。無視しておこう。
 切り分けたローストビーフを頬張る。火の通り加減と、かかっているソースの味との絡み具合が絶妙で思わず顔が綻んだ。
 アルフレッドに食い入るように見つめられているのに気がついて顔を上げる。
「僕の顔に何かついているのか?」
「ううん。小動物みたいだなと思って。おいしそう」
 顔が引き攣った。アルフレッドはこれでも一応百獣の王であるライオンだ。そんなセリフを言われると本当に食されそうで、心の底から思いっきり嫌な顔をして見せた。
 思いっきり笑われる。
 ——普段もこうして笑っていれば少しくらいは好感を持てるのに。
 顔の良さが引き立つ気がして、小さくため息をつく。
 ——は? いや……何を考えているんだ僕は。
 自らを叱咤するように左右に頭を振って食に戻った。
 さして気にもしていないといった様子で、アルフレッドも食事を始める。その皿に乗っているのはどれも肉ばかりだ。見ているだけでも胃もたれがした。
「野菜も食べたらどうだ?」
 思わず口を出してしまい、気まずくなって口を閉ざす。
「エドウィンから話しかけてくれるの嬉しい! でも俺、野菜嫌いなんだよね」
 不味そうな顔をしたアルフレッドが妙に子どもじみていて笑ってしまう。すると、興味津々に見つめられた。
「普通に笑えるんだね」
「僕も生きている人間だからな」
「もっと笑えばいいのに」
「笑う理由もないのに笑うと馬鹿みたいじゃないか」
 真顔で問いかけるとアルフレッドが破顔する。
「そうじゃなくて、もっと愛想良くしたら? て意味。顔良いんだからそれだけで友達出来ると思うよ?」
「それこそ不要だ。僕は唯一の自由時間を誰にも邪魔をされたくないんだ。だからアルフレッド君ももう構わないでくれないか? 君の存在はストレスだ」
 ハッキリと切り捨てるとアルフレッドが苦笑した。
「辛辣。意外と言うね~! で、唯一の自由時間て?」
「君には関係のない話だ。申し訳ないが、今まで食事中に会話をした事がないから、慣れなくて苦手なんだ。もう黙らせて貰うよ」
 折角の料理が冷めてきている。
 宣言した通りにそこからはフォークとナイフを持つ手だけを動かして、ゆっくり咀嚼しながら食を楽しんだ。
 軽薄な自由人として有名な男が、嫌な顔一つせずに目の前で同じように食事をしている。
 周りからは和気藹々と楽しそうに食事をしている声が聞こえていた。
 自分と居ても楽しくはない筈なのに、たまに絡む視線は柔らかくてどことなく楽しそうだ。目が合わないようにこっそりと盗み見る。軽薄で無節操な所は嫌悪感しか抱かないが、容姿と相まって姿勢も良ければ所作も綺麗だ。こうして黙っていれば絵になる。
 ——変な奴……
 アルフレッドに対しての認識が、少しだけ変わった。


「エドウィンおはよう」
……おはよう」
 次の日も食堂で会うと同じ席に座られた。顔が引き攣る。昨日で懲りたと思っていたのは勘違いだったようだ。
 ——あれ? 喋りかけてこない……。ふーん、他人の意見を尊重する事も出来るんだな。
 前の日に食事中に会話をするのは苦手だと伝えていたおかげか、アルフレッドも黙々と朝食を摂っている。
 それから食堂を出てからも、ピッタリと寄り添うようについてきた。教室の中に入って腰掛けると、アルフレッドも隣に腰掛ける。
 ——どうしてこうなった?
 地の果てまで届きそうなくらいのため息を吐き出す。
「どうして僕に構うんだ? 君は他に友人がたくさんいるだろう?」
 心底嫌そうに言ってやった。
 実際、昨日からやけに注目されていて落ち着かない気持ちにさせられている。己の事は放って置いて欲しい。
「ふふ、その他大勢は俺に必要ないから。エドウィンを見てる方が楽しいよ」
「はあ……王族の戯れってやつか。随分と良い趣味をお持ちで……
 ウンザリする。
「こんなに俺に靡かない子ってエドウィンが初めてだからね。楽しいよ」
「〝君〟をつけてください」
 態と敬語で言うとニッコリと微笑まれた。
「俺の事はアルフって呼んでね?」
「人の話を聞いていたか?」
「うん。聞いてるよ。それには従う気がないだけ。俺はエドって呼ぶね」
……
 何も言う気になれなくて閉口した。
 魔法薬学の教師がやってきて、教壇に立つ。やっとアルフレッドが喋らなくなったので安堵の吐息をこぼした。
「今日は物体を小さくする魔法薬を作ります。教科書三百六十四ページに書かれてある材料を集めて各自実験に取り掛かってください」
 魔法薬学の教師の言葉に従って教科書を開く。
 魔法薬学は決められた材料を、決められた量で、決められた順番に入れていくだけなのでさして難しくない。後は仕上げに魔法力量を調整して浴びせれば完成する。加減さえ間違わなければ誰にでも作成出来る薬ばかりだ。
 先に材料を集めに教室を出て温室に向かった。そこには実験で使う薬草の九割が育てられている。
 残りの材料は実験室の棚から取り出してテーブルの上に乗せた。
 手順などはもう既に予習して覚えているので態々確認するまでもなかった。
「エド、手際いいね」
「別に難しくはないだろう?」
「そう? 俺あまり手先は器用じゃないんだよね。後、魔法力の調整が難しい」
 ——この男にも普通の悩みがあるのか。
 何も感じていなさそうに見えるから意外だった。
「それなら……自分の魔法力の最大値を知る所から始めるといい。アルフレッドがもし魔法力制御装置も付けていないのなら、僕から見た限りでは、MPのMAX数値は三千七百くらいといったところか。そこから逆算していって、この大きさの瓶の容量に合わせるんだ。そうすれば上手く……
 そこまで言って我に返る。
 しまった。知ったような顔をしてペラペラと喋ってしまった。しかも周りのクラスメイトたちも聞き耳を立てている。
 アルフレッドといるとどうも調子を崩されてしまう。
「いや、偉そうにすまない。忘れてくれ」
 気恥ずかしくなって俯いた。
「え? 何で? めっちゃ分かりやすかったよ。ありがとうエド。やってみる。俺今の自分の魔法力のMAX値なんて気にした事もなかった。へえ、そうなんだ」
 アルフレッドは鼻歌混じりに薬を調合し始めて、材料を混ぜていた瓶がボフッと良い音を立てた。淡いピンク色の丸い煙が出ているのは成功の証だ。
「見て、エド! こんなに綺麗に成功したの初めてだよ!」
「それは良かったな」
 苦笑しながら自分の物に取り掛かっていると、アルフレッドが手を伸ばしてきた。
「可愛いね、これ。あ、尻尾のアクセサリーまでついてる」
 腰につけていたチェーン型の魔法力制御装置に触れられてしまい、慌てて身を捩る。
「ちょ、それやめろ!」
「エド、瓶!」
 あ、と思った時には遅かった。チェーンが外れかかった事により魔法力量が過多になって、爆発する。
「ごめん。もしかしてそれ制御装置だったの? 大丈夫、エ…………ッ?」
 紫色の嫌な煙が引き、驚いたようなアルフレッドの声に顔を上げた。
 しかし、太ももしか見えなくて首が痛くなりながらももっと顔を上げるハメになる。
 ——ああ、最悪だ……初めてやらかした。
 爆発した魔法薬をもろに浴びてしまった。効果が出過ぎて自分が小さくなってしまっている。この量だと数時間で元には戻るだろうが、授業には出れそうにない。
 救いなのは服も一緒に小さくなってくれている事だろうか。体だけだったら今頃は公衆の面前で裸体を晒しているところだった。
「あははは、ミニエドめちゃくちゃ可愛いっ」
「アルフレッド……最低だ」
 面白がっているのは一目瞭然で、腹立たしさから魔法で攻撃力を上乗せした頭突きをアルフレッドの膝におみまいした。痛がっているのを見て、したり顔で眺める。
「エドウィン・クラークは元に戻るまでは医務室へ行っていなさい」
 呆れたような口調で教師に言われた。怒られるのも初めてだ。
 また沸々と怒りが込み上げてきて、今度はアルフレッドの脛を殴ろうとした所で腕を掴まれて止められる。
「悪ふざけが過ぎます。今すぐ行ってきなさい」
「分かりました……
 解せない。これも全てアルフレッドのせいだ。項垂れて床を見る。床がやたら近い。この大きさだと三歳児くらいの大きさしかないだろう。本当に腹立たしい。
「俺付き添いでいってきます」
「じゃあ、任せましたよ」
「はーい」
 やたら元気なアルフレッドの声が響いている中で歩いていると、ひょいっと軽く持ち上げられた。
 まるで幼子のように前抱っこされ、羞恥で顔が熱くなる。
 義理の家族にも抱かれた事がないのに耐性などある筈もなかった。手足をばたつかせて暴れ回る。
「おい、ふざけるな! 僕を降ろせ! お前なんか嫌いだ!」
 思わず口調が素面に戻ってしまった。
「はいはい。一緒に行こうねミニエド~」
 背中をポンポンと叩かれてあやされる。それが妙に心地よくて、気持ちがほんわかしてきてウトウトとしてしまった。
 ——気持ち良い。
 絶妙な力加減が心地良くてついウッカリと寝そうになってしまったが、ハッと我に返る。
 ——なんでアルフレッドの腕の中で寝そうになっているんだ!
 慌てて体を起こした瞬間に、視界がグラリと揺れた。アルフレッドは、長身なのもあって歩幅が大きい。一歩踏み出す度に上半身が後ろへと大きく傾いた。
 ——ひっ!
 恐る恐る下を見ると地面が遠く感じた。高い所は苦手だ。落ちないようにアルフレッドの胸元にしがみつく。
「あ、もしかして怖い?」
 眉間に皺を寄せて全ての元凶の顔を見上げる。気を遣って歩調を緩められたのにもムカついた。
「あはは、すっごい不機嫌顔」
「こんな扱い初めてだ……屈辱でしかない」
「ん? 小さい頃、親に抱っことかされてるでしょ?」
「ない。普通ならされているんだろうな」
 視線を横に流す。
 ——僕にはそんな記憶はない。
 捨て子だったエドウィンには生みの親の記憶がない。養子として引き取られた家には母親しかいなく、表情が削げ落ちた厳しい女性だった。
 クラーク家に来た直後から既に一人部屋で、壁一面には本棚に収められた本しかなかった。
 話し相手はいない。義理の母親から貰えたのは、一人部屋と一人で摂る食事と本を読む時間だけだ。エレメンタリースクールに入ってからは、本屋と図書室の利用、あとは学習時間が追加された。
 読書と勉強は、時間潰しになるからいい。ストーリー性のある読み物は、まるで自分が体験しているような気分になるから勉強とは違った良さがあった。
 あの頃はまだ魔法師になる夢を思い描いていた時期でもあったので、本を読んでエドウィンは独学で全て学んだ。
「ねえ、エドってさ、小さい頃とか何してたの? えっと、遊びとか」
 アルフレッドからの問いかけに答えるかどうか一度悩みつつも口を開いた。
「遊び……自由時間なら読書が許されていた」
「許されていたって……え? 他は?」
「他? 他に何かあるのか?」
 目を見開いたままこちらを見たアルフレッドが息を呑む。
 ——何だ。この男にも情緒があるのか。
 何か言いたそうにしているのが分かったので、先に口を開いた。
「ああ、同情なら要らない。僕にとってはそれが当たり前だったから特に何とも思わないぞ」
 足を止めたアルフレッドの体を伝い降りて医務室へ駆け込む。中には医療魔法師をしている男性教員がいたので軽く会釈した。
「あらあら、可愛い姿になったねクラーク君。珍しく実験失敗かな?」
 朗らかな雰囲気の男が表情を崩して柔らかく笑んだ。
「はい。ティルバーン君のせいで誤爆しました」
 質問に答えると驚いた表情をされた。
 これが普通の反応だろう。どこからどう見ても己とアルフレッドではタイプが違い過ぎる。友人だと言っても疑われそうなくらいには、真逆に位置していた。
「ティルバーン君とクラーク君なんて珍しい組み合わせだね」
「友達になりました!」
「へえ」
「いいえ、単なるクラスメイトです。すみません先生、元に戻るまでここに居ても良いですか?」
 アルフレッドの足を踏んでやろうと思っていたのに、寸前で避けられる。医療魔法師が、その一連の造作をまた驚いたように見つめていた。
「ああ、構わないよ。魔法薬は、水分を取って体から蒸気化させて排出させた方が効果が切れやすいからそこの水を飲んでね。出来ればトイレも行って。副反応でかなりの眠気も出てくるからそこのベッドで休んでるといいよ」
「分かりました。ありがとうございます」
 奥のベッドまで歩いて、キャビネットの上にある水差しに手を伸ばしたが届かなかった。
 ベッドの上によじ登って手を伸ばすと、今度はベッドから落ちそうになって慌てる。
「うわ……っ」
 世界が反転したところで視界が止まった。
「危な!」
 最悪だ。アルフレッドに受け止められたのが分かって、また眉間に皺を寄せる。
「笑える。何で助けたのに睨まれてんの俺。はい、水」
 この男の笑いのツボは本当に分からない。グラスに注いで渡された水を一気に飲み干した。
「先生ー、エド、自分で水入れられないから俺もこのままいてもいいですか?」
「はい、ごゆっくりどうぞ。如何わしい行為は駄目ですよ」
「そんな事した覚えありません」
 ——どの口が言うんだ……
 ツッコミたかったが、あえて無視する。二杯目を注がれて飲み干すと、思っていた以上に早く効果があらわれて少し眠気が出てきた。
 ベッドの上に横になってブランケットに潜り込んでいる内に、本格的に眠くなってきて意識が飛んだ。


 目を開けると、アルフレッドの端正な顔がドアップで映り込んできてドキリとしてしまった。本当に顔だけは良い。もう起きてこなければ良いのにと思ってしまうくらいには良かった。この妙な心臓の高鳴りをどうにか抑えたくて、距離を空けるつもりで背後に退く。
「うわ……っ」
 シングルベッドに余分な隙間はなく、おかげでベッドから落ちてしまい派手な音が響き渡った。
 ケラケラと笑うアルフレッドの声が聞こえてきた。起きていたのかと怒りが込み上げてくる。
「待って……待って。何でそんなに面白いの? もしかして誰かとベッドで寝た事ない?」
「なかったら何だよ」
 一々癇に障る男だ。
「面白くて可愛い」
 ベッドの上からじっと見つめられて表情を緩められた。
「は……?」
 ——頭は大丈夫かこの男?
「顔、顔! さっきより眉間に皺寄せないでっ」
 頭のネジが緩んでいると思っていたが、違うらしい。緩んでいるどころか数本喪失している。否、元からないのか……
 返事をするのも面倒になってきて、何も言わずに立ち上がって気がついた。
「戻ってる……
 これなら授業を受けられる。ホッと安堵の吐息をつくと「今日の授業は全部終わったよ」と心を読んだような回答がきて項垂れた。
「お前もう僕には関わるな! 昨日から僕の予定は狂ってばかりで最悪だ!」
「わ! 素面で喋ってくれるの嬉しい」
「僕の話を聞いてたか?」
 たったの一日半で心底疲れている。
 ただでさえも他者との交流は得意じゃないのに、アルフレッドと接していると言語が伝わらない異世界人といるような気持ちになるから嫌だ。
「嫌。だって俺エドの事気に入っちゃった。エドの事もっと知りたい」
 本日何度目か分からない顰めっ面をすると、アルフレッドがお腹を抱えて笑った。


 この日は朝から飛行実技の特訓があるのでとても憂鬱だった。飛行実技は唯一苦手な授業だからだ。
 それなのに、食堂に行ってアルフレッドの顔を見るともっと最悪な気分になり、一緒に更衣室で着替える事にもなって気分は最低以下にまで落ちていた。
 各自誰とペアになるか教師に告げていて、もう少しすれば自分の番になる。
 しかしアルフレッドがいるせいで、いつもペアを組んで貰っているクラスメイトには逃げられてしまった。
 ——くそ、他に誰か居なかったか?
 また探さなければいけないが、もう目ぼしい生徒が残っていない。
「ねえねえ、エド。実技の授業もペアになろうよ」
「嫌だ。断わ……「先生! アルフレッド・ティルバーンとエドウィン・クラークがペアでやります!」……人の話を聞け!」
 断ったも拘らずに、アルフレッドが声高々に宣言した。
 ——もう嫌だ。最悪だ。
 アルフレッドと関わるまで楽しかった筈の授業が、全て最悪な時間へと変換されていく。飛行実技は本当に苦手なのだ。高所恐怖症なのだと思う。だからいつも、上手くてその人自身に練習が必要ない人に頼み込んで教えて貰っていた。
 今までの経過を見る限り、アルフレッドは自分と大差なかった筈だ。これでは授業の点数を貰えそうにない。死活問題だ。


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