Pixivにて公開済みの『癒しの蜜』を加筆修正したものです。タイトルは改めて『最愛』。ブレワイ後の二人がハテノの家で共に暮らし、お互い気持ちを確かめていく話です。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=22718133
以下サンプル。
Pixiv掲載のものを修正+新たに書いた箇所を抜粋して載せています。
* * *
ゼルダの
温い舌が出来たばかりの生傷の上をゆっくりと這うのを、リンクは強く握りこぶしを作ることで堪えていた。
「姫様、もう十分です」
「駄目ですよ。まだ熱い。発熱したら困ります」
熱いのは傷のせいではないと、反論したい言葉をぐっと飲み込む。怪我が原因で発熱し、彼女の護衛を行えない過去があったことは事実だったからだ。
リンクの緩く崩した膝に手を添え、半分乗りかかるような体勢で胸の下を舐めるゼルダは、甘えてじゃれる猫のようだった。しかし猫ならば撫でてやれるが、彼女は一国の姫であり、リンクは側近の騎士である。当然、例え指一本でも触れることは許されず、もちろん身体を反応させるわけにもいかない。その生殺しのような状態からなんとか逃れたくて、リンクは声を絞り出した。
「姫様のご負担になります」
「そんなことはありません。心配することしか出来なかった頃よりずっといいです。それに貴方が少しでも早く回復し前線に戻ることが、国のためにもなるのですから」
姫巫女と勇者、その唾液にお互いの傷を癒やす効果があることが分かったのは、神殿直属の神官兼歴史学者の研究の賜物だった。
リンクはそれを聞いて珍しくあからさまに顔をしかめたが、ゼルダは「まるで動物のようですね。いえ、人間も動物の一種であると考えるならば、非常に原始的で自然に近い、女神の力らしい現象です」などとのたまって、すんなり報告を受け入れてしまった。おまけに持ち前の好奇心を発揮してすぐにリンクの荒れている手を取り上げると、その赤く剥けたささくれを治してみせ、研究の実証までしてしまう始末であった。
「まあ、すごい」
人前であることを理由に辛うじて動揺を隠した勇者に比べ、姫巫女はどこか嬉しそうに微笑んだのだった。
それ以来リンクが怪我をするたびに、それが例えどんなに小さくとも、ゼルダはそこに口づけるようになった。リンクが「これくらい放っておいても明日になれば治ります」と言ったところで、彼女は自分に出来ることを可能な限り果たそうとそれを止めなかった。そしてその一見眉唾ものな伝承が事実であると広まるにつれ、どんな傷でも治るならとリンクは戦闘の前線に連れ出される機会が増えていった。
元々他の兵とは一線を画す実力者であるリンクは、勇者という特性とその力量ゆえに明確な所属を持たず、常に戦況の厳しい場所へと派遣されていた。彼が加わった戦闘は死傷者が少なく、また長引かずに帰城が叶うということで、どの隊からも引っ張りだこであった。だが姫付きとなってからはゼルダの護衛が最優先事項とされ、特に城から遠く離れた場所への派遣は以前と比べぐっと減っていた。ゼルダはそれを気に病んでいる節があったが、姫巫女を失うことは国の存続に直接関わるため、この決定に表立って異を唱える者はいなかった。
しかしここにきて魔物の数の増加、格段に増してきた狂暴さも相まって、軍からは死傷者による人手不足の報告が止まなかった。そしてついに勇者返還の陳情がなされたのだ。
ゼルダ自身の強い希望もあって、リンクは再び戦場へ赴くようになった。そしていざ前線に立てばあらゆる敵を一掃してしまうその強さ。共に戦う兵達を鼓舞し、戦力を底上げするようなカリスマ性。おまけにどんな怪我でも女神の力で治癒してしまうという神秘を、人々は希望のよすがとした。
そんな彼らの期待を裏切らんと誰よりも前へ出るリンクは、傷と共に帰還することが増えていった。自分から父に嘆願してまで彼を死地へ向かわせた責任を感じたゼルダは、固辞するリンクに対して一歩も引かず、その全ての傷を自ら癒やすのだった。
勇者が怪我をし、姫巫女が治す。そんな日々の均衡が崩れたのは、リンクがまたしても遠征への参加を命じられ、ゼルダの護衛を他の騎士へ任せることとなった日であった。 魔物が凶悪化しているからこそ自ら護衛につきたい気持ちで一杯だったリンクだが、当のゼルダに構わないと言われてしまえば拒否権はなかった。怪我をしないでくださいねと優しく手を握って祈られ、一刻も早く魔物を掃討し彼女の元へ帰ろうとリンクは誓った。
その決意が功を奏したのか、怪我をすることも無駄に手間取ることもなく、リンクは目的の軍勢を壊滅させることに成功した。胸を撫で下ろし明日には城に帰ろうと他の兵に混じって野営地へ足を向けたその時、土煙を上げた馬がハイラル王家の紋章入りの旗を高く掲げ、リンクの名を叫ぶ声が轟いた。
嫌な予感が過り、リンクは大声で返事をしながら自分の馬に跨った。
「自分がリンクです! 何用でしょうか」
「ああ勇者殿! 大変です! 姫巫女様が魔物に襲われて!!」
その言葉を聞くやいなや、「続きは走りながら聞きます」とリンクは伝令と共に城へと駆けた。
道中に説明された話によると、リンクが不在の間に泉へ修行に出ていたゼルダ一行は魔物に襲われ、護衛達の奮闘虚しく彼女は炎の魔法を操る敵に背中を焼かれたとのことだった。一命は取り留めたものの、未だに発熱が続き体力の消耗が激しく、姫巫女と勇者の癒やしの力が対であるならば一刻も早くリンクを呼び戻すべきだと、こうして駆けてきたという。
自分がついていたなら絶対にそんな怪我はさせなかったのにと、リンクは奥歯を痛いほど噛み締めた。しかし起きてしまったことは変えられない。限界まで走らせた馬を途中で替えながら、自身は寝る間も惜しんでリンクは帰城した。討伐後の身を清めることもせず、真っ先にゼルダの部屋へと向かう。いつもなら礼儀正しく叩く扉も、今回ばかりは乱暴に開けて飛び込んだ。看病していた医者と侍女が驚いたように振り向くのすら無視して、ゼルダへと駆け寄る。
「姫様
……ッ」
額に玉の汗を浮かべて苦しそうに呼吸するその背には、生々しい
爛れた痕が広がっていた。傷に触れないよう背中を裂かれた衣を着て、美しい背に醜い火傷を晒している。焼かれた際に焦げ落ちたのか、腰まであった髪は背の中程くらいで切られており、汗で首筋に張り付いていた。あまりの痛ましさにリンクは心臓を千切られる思いがした。
医者に許可を取る一瞬すら待てず、即座にその背に唇をつける。舌で引き攣れうねった皮膚を撫でると、濁った血の味が口の中に充満した。焦りで強く押しつけないように、意識してゆっくりと優しく舌を這わす。そうするとゼルダの辛そうな息の音が少しだけやわらいだ気がして、リンクはささやかな刺激すら苦痛を与えないように神経を
注ぎながら行為を続けた。
気づけば医者は退出し、世話をする侍女一人のみが部屋の隅で祈るように見守っていた。火傷の範囲は広く、またリンク自身が過剰なほど丁寧になぞるせいでその舌がいい加減痛みを訴えてきた頃、ゼルダの呼吸が穏やかな寝息へと変わった。
ほっと安堵の息をついて、ようやくその背中から唇を離す。魔物討伐から一瞬の休みもなく馬を乗り継いでの帰城、そしてゼルダへの長い治療を終え、リンクの全身を重い疲労が襲った。さすがにその場へと座り込んだリンクへ、控えていた侍女が涙ながらに礼を言った。
「すべきことをしたまでです」
落ちそうな瞼に抵抗しながらそう重たげに返事をすると、リンクは続いて、痛みや熱がぶり返した時に備えてここで夜を越したいと告げた。
「その際は私どもがお呼びいたしますので」
若い侍女は困ったようにたしなめたが、疲れているとは思えないリンクの頑固さについに上と相談すると折れた。そしてリンクが身を整えるため一旦自室へ下がり再び戻って来た時には、お目付け役の侍女が夜食を用意して待っていた。リンクはありがたくそれを口に運び、ベッドサイドに椅子を寄せてゼルダの静かな寝息を確かめながら夜を明かしたのだった。
それからしばらくは、火傷の治癒のためにゼルダの部屋に通う日々が続いた。どんな薬よりもリンクが傷を舐めることが苦痛を取り除き身体を癒やすのには有効で、その光景がいかに
淫靡に見えようと誰も止めることは出来なかった。
その甲斐あってか、ゼルダはようやく身を起こし服をまともに着て、以前のように活動出来るまでに回復した。
「リンク、ありがとうございます」
まだ元の長さには足りぬ、やや短くなった髪を揺らしてゼルダが微笑む。
「いえ。お元気になられて何よりです」
久々に見るゼルダの明るい笑顔に、リンクは胸を撫で下ろした。
「ずっと傍にいて看病してくれたと聞きました。大変な時なのに、貴方をひとり占めしてしまいましたね
……大臣が怒っているのではないかしら」
「彼が怒っているとしたら、姫様をお守り出来なかった騎士に対してです」
リンクがやや憤りを込めて言うと、ゼルダは慌てたようにこぶしを握った。
「そんな、彼らは一生懸命戦ってくれました! 魔物が凶暴化しているのは周知のはず! 今回のことは運が悪かったのです。どうか寛大に
……処分はもう下ってしまったの?」
臣下を気遣うゼルダに、リンク自身もその時の護衛騎士に腹を立てているとは言えなかった。
護るべき人を護れず、何が護衛だ。
つまりは彼女の元を離れた自分自身に一番怒っていた。
「厳しい処罰を求める声もありましたが、王の計らいで遠方への討伐部隊に配属されたくらいで済みました。鞭打たれたりした者はおりませんので、ご安心を」
優しい主の気持ちを少しでも晴らそうと、リンクは慰めの報告を口にした。
「そう
……だとしても気の毒なことをしてしまいましたね」
「姫様ご自身が一番大変だったのですから、あまり気に病まないでください。お身体に
障ります」
「ええでも
……家族や恋人が城下にいる者もいたでしょうに、遠方配属だなんて
……」
「別に今生の別れでもございませんし、少しくらい困難な環境に身を置いた方が腕も上がるというものです。本人や国のためにもよろしいでしょう」
日頃あまり他人に対してどうこう言わないリンクにしては厳しい言葉に、ゼルダは目を瞬かせた。
「リンク、もしかして貴方怒っているのですか」
「はい」
「私はこうして無事だったのですから、貴方が腹を立てる必要はないのですよ」
「
……一番腹立たしいのは自分です。貴女の元を離れるべきではなかった」
そう言ったリンクの声は後悔で強張っていた。自責の念を抱かせてしまったことを、本来ならば心苦しく思わねばならないというのに、ゼルダはつい笑みをこぼしてしまう。
「私が構わないと言ったのですから」
「それでも、もう遠征には行きません」
「皆困ってしまいますよ。貴方ほど腕の立つ人はいないのですから。ハイラルのための勇者でしょう」
「貴女の騎士でもあります」
「リンク
……」
不味いことになった。それはリンクの頑なな態度のことでもあるし、それを喜んでしまう自分の心のことでもあった。
まさか彼が本当に遠征を突っぱねるとは思っていない。多分。それでも自分を守るために離れないと言い張ってくれるその言葉が、例え衝動的に出たものだとしても、ゼルダの胸を優しくつねるようにくすぐった。何よりも優先すると宣言してくれる気持ちが嬉しかった。
ゼルダは一先ずこの話題を脇に置いておくことにして、改めて彼に感謝を告げた。
「何にせよ、貴方のおかげですっかり元通りになりました。また明日から修行に出るつもりです。ついて来てくれますよね?」
「もちろんです」
リンクは真面目な顔をしていつも通り頷いた。しかし彼にしては珍しく一瞬だけ口篭った後、言いにくそうに口を開く。
「ですが、まだ完治はしていないかと。引き続き治療が必要だと思います」
「え? もう痛いところはありませんよ?」
ゼルダは自分の背中に手を遣って答えるが、リンクは静かに首を振った。
「火傷の痕が残ってしまっています」
「ああ、それくらい構いません」
「なりません。きちんと治すべきです」
リンクの譲らない態度に、ゼルダは苦笑した。
「
……そんなに醜いですか?」
確かにドレスを着る際などみっともないかもしれない。今は厄災が迫り夜会どころではないが、将来的に伴侶選びの障害になる可能性はあった。
「違います。見目の話はしておりません。ただ、治せる方法があるのに放置しておく理由がありますか?」
「
……それは
……そうかもしれませんが
……」
しかしそれはつまり、またリンクに背中を舐めてもらうということだ。
火傷の熱と痛みで
朦朧としていた時には気にする余裕などなかったが、回復してきてからの治療行為はそれはそれは気恥ずかしいものだった。自分がリンクにするのと、彼にしてもらうのとでは、後者の方が圧倒的に羞恥心が大きい。
「最後まで治療せてください。貴女の背中に傷があると思うたび、お守り出来なかった自分が許せず、やり切れないのです」
そんな顔をせずとも、この火傷はリンクのせいではないのに。
ゼルダは困って眉を下げたが、珍しく食い下がる彼の必死な様子に、結局それを受け入れることにした。付きっきりの看病の礼と、その忠誠心に、主として応えてやるべきかもしれないと思ったのだ。
その日の夜。許可を得てゼルダの部屋にやって来たリンクは、これまで通り彼女の背に舌を這わせた。火傷が酷かったため、痛みは消えたというが、未だその場所は変色し波打っていた。完全に元に戻すまでしばらく通うことになるだろう。
初めて火傷を見た時からずっと、そのあまりの
凄惨さに
邪な気持ちなど湧くはずもなく、あくまでも治療として口づけていたリンクにとって今宵の行為も当然そのつもりであった。その傷を引き受けることは叶わないけれど、自分の行いで彼女の健康な肌が取り戻せるならば何だってしてあげたい。そのためなら睡眠時間も何も惜しくはないという、ただそれだけの純粋な気持ちだ。
つまり、れっきとした治療行為に邪な気持ちを先に持ち出したのは、ゼルダの方だったのだ。
傷自体はすっかり癒えたゼルダの肌は、爛れていた時には拾う余裕のなかったリンクの舌の温度や柔らかさをつぶさに感じ取った。おまけにリンクが非常に丁寧に舐めるので、ぞくぞくとしたくすぐったさまでついてきてしまう。
悶えてしまう身体がなんだか恥ずかしくて、ゼルダは全身に力を込めると必死に背筋を伸ばした。やっぱり止めませんかと言いそうになる声を努力して飲み込んで、気を紛らわせるように目を瞑る。
「
……もしかしてくすぐったいですか?」
しかし我慢していたつもりの背中の震えはリンクにはお見通しだったらしく、申し訳なさそうな声で問われてしまった。
「
――いえ、構いません。続けてください」
ゼルダは気丈な声を出す。けれど本当はもう終わりにしてほしかった。くすぐったいのもそうであるし、何だかいけないことをしているような、恥ずかしさでいっぱいになったからだ。
ただ、いつも通りの表情と落ち着いた態度で接してくるリンクに向かって一方的に照れている姿を見せるのは決まりが悪く、ゼルダは何でもない振りをした。その言葉を信用したリンクが再び背中を舐めるのを、唇を噛み締めてそっと堪える。
だがその舌が腰の方へつうっと伸びた時、初めて感じた痺れるような
疼きに、ゼルダはつい悲鳴を上げて身体を跳ねさせた。
「ひぁ
……ッ」
慌てて手で口を塞ぐが、当然その声はリンクの耳にも届いていた。
「ご、ごめんなさい
……少し、くすぐったくて
……」
「
……失礼しました。気をつけます」
ゼルダはくすぐったくてと言ったが、その悲鳴の甘さは一気にリンクを騎士から男に振り落としてしまった。動揺を隠すように引き続き肌に口をつけるが、ひくひくと動く背中を意識してしまえばなぜ治療行為と言い張り続けていられたのか不思議なくらい、大変いやらしいことをしていると現実が襲ってくる。
余計な考えに支配される前に早く治療を終わらせようと、リンクは頭の中で軍歌を唱えながら舌を滑らせた。しかしそんな男の忍耐を試すようにゼルダの身体は震え、手で押し隠された口からは切なげな息が漏れる。
それはもう、両者どちらにとってもいっそ拷問のような時間だった。
リンクはキツく瞼を閉じながら、己のなすべきことに集中してどうにか行為を終わらせた。
「終わりました
……」
「
……ありがとう
……ございます
……」
「
………………また明日、治療を続けます」
肌が元に戻るまで治させてくださいなどと、考えなしな提案をした馬鹿な自分をリンクは呪った。しかし傷痕を綺麗にしたい気持ちは本当であったし、今更やはり止めましょうなどと言えば邪な思いがバレる気がして、ただただ平静を装い、これは治療行為なのだと自らの心に言い張り続けるしかなかった。
そしてそれはゼルダも同様で、リンクはあくまでも自分の身体を気遣い治療してくれているのだから、妙な気持ちになるからやっぱり止めてほしいなどとは口が裂けても言えず、明日の約束を受け入れるしかなかった。
二人のその苦しい時間は、ゼルダの髪が腰に届くまで続いた。
*
「リンク。まだ起きていますか?」
「はい」
厄災から取り戻したゼルダを乗せ、リンクは真っ先にカカリコ村で百年待ち続けているインパの元へと馬を駆けさせた。
お互いの名前を呼びながら抱き合って泣く二人と、それを囲んでざわめく人々が落ち着くのを待って、詳しい話をしようとするゼルダを制し、まずはゆっくり休むことをリンクは提案した。そうして彼女には、インパの屋敷の一室が与えられたのだった。
自身は村の宿に泊まろうとしたリンクを引き留めたのは、ゼルダ本人であった。なんだかまだ夢の中のようで、傍にいてほしいのですと。百年ぶりに会う自らの騎士に対していじらしい我儘を言う姫をたしなめられる者は、どこにもいなかった。
結局リンクはゼルダのために用意された部屋の、気持ちばかりの
衝立で遮られた半分を使って夜を過ごすことになった。もちろんインパには、「信じておるからの」と釘を刺されてだ。
厄災との戦いを終えて身体は疲れきっているはずなのに妙に目が冴えて眠れないのは、戦闘の興奮が冷めやらぬせいなのか、平和になった事実を受け入れるのに心がついていかぬせいなのか、衝立の向こうにいる姫の気配のせいなのか。リンクが眠れず静かに身動ぎをしていると、おなじく起きている気配のするゼルダからそっと声をかけられた。
「そちらへ行ってもいい?」
「
……あまりよろしくないかと」
「疲れているとは思いますが、少しだけ、いけませんか? 確認したいことがあるのです」
「
…………では、はい、
……少し」
押しに負けてリンクが快諾すると、すぐに衝立からゼルダが顔を覗かせてそのまま隣へにじり寄って来た。そして手を伸ばすと、起き上がったリンクの袖を素早く捲り上げる。
「やっぱり」
肌を隠すように巻かれた布を見て、ゼルダは咎めるようにリンクを見遣った。
「怪我をしていたこと、どうして言ってくれないのですか」
「それは
……大した怪我ではありませんし、ご覧の通りもう自分で手当は済ませてあります」
「いいえ、十分ではありません。血が滲んできているではありませんか。なぜ我慢するの」
リンクとしては、別に痩せ我慢をしているつもりはなかった。厄災と戦ってこの程度の怪我で済んだことはむしろ
僥倖であったし、討伐の喜びに沸く人達に怪我のことを告げて水を差すのも気が引けたため、手持ちの中から薬草と布を引っ張り出して自分でさっさと処置をしてよしと思っていた。全てが終わった安堵感からやや適当な手つきになったことは否定しないが。
「それでは今から清めて布を巻き直します」
心配をかけた言い訳をするようにリンクが腰を浮かせると、ゼルダがそれを押し留める。
「私が手伝います」
「お手を煩わせるような怪我ではありません。ほんの少し、擦っただけです」
「厄災が擦った傷は
ほんの少しではありません。猪の牙とは違うんですよ? 悪化して腕が落ちたらどうするんです? そんな風に言うなんて、ますます貴方に任せるわけにいかなくなりました」
動かないでくださいとピシャリと言い放ち、ゼルダは一度部屋から出ると、すぐに桶と布を持って戻って来た。そして有無を言わさぬ圧を発してリンクの腕の赤くなった布を取ると、傷口を優しく水で洗う。
「ほら、血が滲むわけです。どこがほんの少しなんです? こんな適当な薬草一枚貼って治ると思ったんですか? 百年前から貴方は自分の怪我には無頓着で、私が何度やきもきさせられたか。前線へ向かう貴方に怪我をしないよう祈ったこと、百年眠って忘れてしまったの?」
「
……覚えていますよ」
どうか無茶をしないでと。無事に私の元へ帰って来てくださいねと。何度も何度も祈り見送られた。そしてこさえた怪我がどんなに小さくても、彼女は痛かったでしょうと我がことのように悲しい顔をしてそっと治療してくれた。
ゼルダが清潔な布で傷口を優しく押さえてくれるのを見ながら、リンクはかつて肌に触れられた柔らかく熱い唇について思い出さざるを得なかった。
「覚えていてくれたなら、次から怪我はきちんと治療すること」
「はい」
素直な返事を聞いて、ゼルダが嬉しそうに微笑む。
百年ぶりに見たその愛らしい笑顔に、リンクは
治療行為について思い出したことを恥じた。
そんな胸の内を知ってか知らずか、顔を逸らした男の腕を持ったまま、ゼルダがぽつりと呟く。
「カカリコ村へ着いて、分かりました。また剣の声が聞こえなくなったこと。精霊の気配が見えなくなったこと」
「姫様
……」
ゼルダの百年前の苦しみは、リンクが自らの記憶を取り戻す過程で、まるで切っても切り離せないとでも言うように自ずと知るに至った。剣に宿る精や森のコログ、空を泳ぐ龍の存在を感じられないことが、どれほど彼女を落ち込ませたか。
それを思うと、リンクはゼルダの言葉に何と返すのが相応しいのか、全くもって検討がつかなかった。一度記憶を失った代わりに得たよく回る口も、彼女の前では百年前と等しくだんまりになってしまう。
リンクが己の口下手さに
辟易しているのに気づかず、ゼルダは手にした彼の腕をじっと見つめ続けた。
「きっともう、力は必要ないということなのでしょう。
…………ですが
……もし、まだ残っているものがあるなら」
囁くようにそう言うと、ゼルダの顔がゆっくりと傾く。
百年前の傷と百年後の傷が入り交じり、硬くなった皮膚。日に焼けて、昔よりも少しだけ濃くなった肌。かつての身体を取り戻さんと剣を振るって、より太くなった腕。そこに、柔らかな唇が寄せられる。ふっくらとした隙間から、まるでミルクを舐める子猫のように赤い舌が覗いた。
察知して、駄目ですとリンクの口が動くのと、肌にぬくい温度が走るのは同時だった。つぅ、と傷をなぞる舌に男の背中が痺れる。咄嗟に顔を背けて、駄目ですともう一度こぼす。しかしゼルダは聞こえないふりをしたまま、そこを舐めるのを止めなかった。
「ひめ、さま」
本当に嫌なら腕を抜けばいい。しかしリンクのそこは骨を失ったように、ゼルダの緩い拘束から逃れられない。握られた手にきゅうと力を込められれば、まるで応えるように握り返してしまう。
ほんの数秒の出来事だった。
「どう、でしょう
……? 少しは痛みが引いたりしますか?」
気遣うような、不安そうな声を出され、リンクはぎこちなく頷いた。
「よかった
……まだ貴方を癒やす力は残っているのですね」
ほっとしたように微笑むと、ゼルダは再び傷口に顔を近づける。
「いけません」
リンクは今度こそ腕を引いて、彼女の視界から隠すように背中へ追いやった。
「もう、このようなことをなさる必要はありません。御身を大切になさってください」
「このようなって
……」
「厄災は封じました。姫様がこれ以上犠牲を払う必要はないのです」
「私が貴方の傷を治したいことと厄災と、どう関係があるというのです? 犠牲を払う? なぜそのような考えになってしまうの」
ゼルダは怒ったように眉根を寄せると、強引にリンクの背中に隠した腕を引っ張り出した。
「姫さ
——」
「しっ!」
そして制止しようとするリンクの唇に指を一本当てると、簡単にその抗議を止めてしまう。再び傷口に口づけて、物言いたげな男を睨んで黙らせる。負けたリンクが腕から力を抜いたのを確認すると、ゆっくりと舌を肌に這わせていった。
このようなことをさせてはいけないと思うのに、身体に刻まれた傷は受け入れるようにじくじくとした痛みを消していく。それをリンクは半ば自己嫌悪するような気持ちで眺めた。
自分の斜め前に座ったゼルダの頭が揺れるたび、妙な気持ちになるのを堪える。せめて情報を減らそうと目を瞑るが、耳と肌感覚が過敏になっただけで意味はなかった。
早く終わってほしいと願うリンクの暗い視界の向こうで、癒やしのための唾液を生もうとゼルダが時折喉を鳴らす音が響く。唇が肌に吸いついて、ちゅ、ちゅう、と可愛らしくさえずった。
体温がみるみる上がっていくのを抑えようと、悪足掻きで息を止める。より強く瞼を閉じる。そのせいで再び身体が硬く緊張したのを感じたゼルダが、そ、と頭を上げて顔を覗き込んだ。
「リンク? 痛かった?」
不意打ちで顎下へ寄せられた声に、リンクは思わず目を開き、止めていた息を強く吐き出してしまう。それが耳を掠めて、ゼルダが小さく鳴いた。
「
……ごめ、なさい」
口元を押さえて恥ずかしそうに謝罪する声は、リンクの耳にはろくに入ってこなかった。半ば言葉を重ねるようにして、強引にこの場を終わらせる。
「こちらこそ失礼しました。あの、もう、痛みは引きましたので。これで」
「え、ええ。そうですね、では」
「はい、ありがとうございました。おやすみなさい。失礼します」
一度も目を合わせることなくピシリとした礼を残像にして、驚いたゼルダの「あの、どちらへ」という疑問にも答えず、リンクは転がるように部屋を飛び出した。そのまま屋敷の外へと繋がる扉を蹴破るようにして開け、階段を飛ばすように降りて、そして
——
「待てぃ」
脇からにゅっと差し出されたインパの杖に引っかかった。うわ、と情けない声を上げつつ、綺麗に身体を捻ると危なげなく地面に着地する。
「何するんですか!」
「何とな? 其方こそ、こんな夜更けに散歩でも行く気か?」
カッカッカッと笑って、インパが杖で脛を小突く。
「忙しなく走りおって。犬かと思うたわ」
気まずそうに黙るリンクに向かって、インパはやれやれと首を振った。
「
あの治療なら、百年前から慣れておるじゃろうが。何を今更動揺して。みっともない」
「聞いて
……ッ」
「会話なんぞ聞こえてなくとも察しがつくわ。其方を手当てすると仰った姫様に、水や布を渡したのは誰だと思うておる。こちらでやりますとお声がけしたのに、頑なに私がと言い張った姫様が考えることなどお見通しじゃわい」
どこか得意気に見えるインパを、リンクは恨めしげに睨んだ。
「それなら止めてください」
「信じておると最初に言うたじゃろう? 其方のために何かしたいという、姫様の健気なご意思は尊重したいでな」
「そんな言葉一つで!? 何か間違いでも起きたらどうするつもりだったんですか!」
実際危なくなって逃げてきたリンクとしては、インパの呑気さに文句の一つも出るというものだ。しかし彼女はそれを鼻で笑い飛ばした。
「何か起きるなら百年前に起こっておろうが。記憶を飛ばしてようやっと少しは男気を得たかと思うたのに、傍にいてほしいなどと姫様の口からねだらせて全く。もう離れたくないくらい自分から言えんのか。情けない」
「な、な
……っ!?」
「そもそも百年前より事情が事情とはいえ、若い男女があのようなことをし合ってよう何も進まなんだ。何かあったらと見張っていた侍女達もあまりにも何もないので呆れておったわ。万が一の責任は厄災を倒せば取れる地位まで与えてやれるだろうと仰っていた陛下も、草葉の陰で泣いておるて」
口をサンケゴイのようにパクパクと動かしているリンクに向かって、インパはさらに容赦なく畳みかける。
「百年ぶりにここへ訪ねてきた其方はもうちっと度胸のある男に見えたがの。覚えてもおらぬ厄災に飛び込もうとするくらいには。それなのに記憶を取り戻すにつれ、どうじゃ。つまらん澄まし顔まで一緒に取り戻しおって。んなもの百年前に見飽きたわ。せめてせめて、お助けした姫様を抱き寄せるくらいはしたかと思いきや、はぁ
……そんなことがこれっぽっちもなかったことが察せられようとは。何が俺はそこの宿に泊まります、じゃ。姫様に寂しそうなお顔までさせて。ん? 何か申し開きでもあるか?」
片眉を上げて煽られ、リンクは悔し紛れに反論した。
「そ、れなら
……っ信じてるなんて釘を刺さないでもらいたい!」
「ほぉ~釘がなければどうにかなったとでも?」
ならない。確実にならないが、しかし刺された釘がリンクの中で大きかったことも事実である。
「厄災を封じ続けて百年、まだお身体の具合も分からぬ姫様に安静にしていただきたいのは事実じゃ。無体なことをしようものなら、クナイの一本でも飛ばしてやろうと思うておったが。いやしかし本当にないとは」
「どっちですか!!」
耐えきれず突っ込んだリンクに向かって、インパがおかしそうに笑った。まるで孫をからかうような柔らかさであった。
「ま、眠れぬというなら散歩でもしてくるがよい。姫様には腹でも下したようだと言っておくでな」
「腹
……」
「よからぬ気持ちが湧いたので頭を冷やすために出て行ったようですと言い直してほしいか?」
「止めてください」
ニヤリと笑うインパに力なく反論して、なんか疲れたなとぼやきながらよろず屋の前を抜けて村の出口へ向かう。そんなリンク背中を、インパは嬉しそうに見送った。
〈中略〉
ところでそんな彼の最近の悩みは、ゼルダが自分の呼び方を変えるよう言ってくることと、寝る場所についてであった。
そしてそれは今、同時進行で襲ってきている。
「何度も言っていますが、姫様ではなくゼルダですよ。シモンの遠縁のお嬢様が姫様なんて呼ばれていたら、おかしいではありませんか」
二階の床に敷いた寝具の上に正座させられて、リンクは叱られていた。
そもそもなぜ未だに同じ場所で並んで寝ているかというと、ベッド作製を依頼したサクラダが多忙だからである。弟子の結婚を見届けて引退宣言をした彼だが、各地の顧客から惜しまれてそれはしばし保留となっていた。そのためリンクのベッドをもう一つ作って欲しいという依頼も引き受けてはくれたのだが、「取りかかるのは順番ネ」と列の後ろに回されることとなったのだ。
そしてそれを聞いたゼルダから、「私、実は貴方とああして並んで寝たのがとても楽しかったのです。まるで話に聞く女子会のような
……もちろんリンクが男性なのは分かっていますよ! ですが誰かの隣で眠る安心感を幼少ぶりに感じました。せっかくですから、ベッドが新しく増えるまでは一緒に寝てくれませんか? 旅のことも毎晩話してくれるのでしょう? こうして寝転びながら聞きたいと言ったら、お行儀が悪いかしら?」と直球でおねだりをされ、それを切り捨てられるリンクではなかった。隣で安らかに眠られることに思うことがないわけではなかったが、寄せられる信頼はどうしたって嬉しかったし、辛抱するのは得意であった。
早めにベッドが届けばいいと思いながら、この夜もそうしてゼルダに旅の話を語っていたのだが、何度目かの姫様はという呼びかけについにゼルダが苦言を呈したのが今である。
彼女の言うことはもっともであったが、しかし一度記憶を飛ばしても結局はこの呼び方に戻ってきてしまったくらいだ。今更変える方が難しい。
「
……今のは、つい
……ですが家の中だけです」
「内と外とでそんな器用に呼び分けられるならいいですけどね、出来ていないから村の子達に、リンクにとってゼルダちゃんはかわいいお姫さまなんだよねとからかわれているのでしょう。そのせいで貴方、外では極力私の名を呼ばないようにしていますよね? 不自然ですよ」
別に子供らが言っていることはあながち間違ってはいないとリンクは思ったが、ややこしいことになるので黙っていた。
「幸いにも村の方々がおおらかなおかげで、私が何と呼ばれているかあまり気にされず普通に接していただけていますが
……」
ならば姫様のままでも構わないのではないかということも、リンクは黙っておくことにした。重要なのは彼女自身がどう呼ばれたがっているかであり、どうやら名前を希望しているということだったからだ。以後より一層気をつけますと謝って、お叱りを逃れようとする。しかしそこで終わらせてくれる姫様ではなかった。
「呼び慣れないのだということは分かります。なので、練習したらいいのではないでしょうか?」
「
……練習、とは」
嫌な予感しかしなかったが、会話を繋げるしかリンクには術がなかった。
「ゼルダって呼んでみてください。今」
「今
……」
「別に難しいことではないでしょう?」
初日の夜と変わらず一人分の寝具に衣服を重ねて足した簡素な寝床で、ゼルダが色とりどりの布を映したような目でこちらを見てくる。期待する眼差しに、リンクはぐっと息を詰まらせた。彼女の名を呼ぶのは慣れていない。たった三音がむず痒くて、人前で仕方なく呼ぶ時にも口の中で一度練習する始末だ。そういう意味ではとても難しい。何より今保っている距離を超えそうで
——怖いのだ。
しかしゼルダにはそんな苦渋は理解出来なかろうと、リンクは名前を絞り出した。
「
…………はい
……ゼルダ様」
それは大層渋々とした響きだったにも関わらず、呼んでもらえた当人はにっこりと目を細めてみせる。
「はい、リンク」
弾んだ返事に、頬がふわっと染まって持ち上がる。
何というか
——すごく、可愛い。
リンクはただ
朴訥とそう思った。
こんな風にたった一言を呼ぶだけでそんな笑顔を与えることが出来るのかと、胸に驚きとこそばゆさが込み上げてくる。先ほどまでの葛藤をあっという間に上書きして、リンクはつられて笑みをこぼした。
「さぁ、もう一度」
「もう一度ですか」
「練習なのですから」
「
……ゼルダ様」
「ふふ。はい、リンク。上手ですよ。ほら、もう一度、ね?」
「ゼルダ様」
「はい。呼び慣れてきましたか?」
「どうでしょう
……ゼルダ様、は
……どう思われますか?」
ぎこちない問いかけに、ゼルダはくすくすと笑い声を漏らした。
「まだまだですね。ゼルダ様って言う時の貴方、すごく緊張した顔をしていますよ」
まあ数回練習した程度ではなとリンクは眉を下げる。そう簡単にするりと呼べるのなら、子供達にからかわれ村人から生暖かい視線を寄越されるまで失敗を繰り返すものか。
小さく吐き出されたため息を払うように、ゼルダの手が伸びる。
「けどね」
細くたおやかな指が、リンクの精悍な頬を優しくつねった。
「まるで鏡みたい。おっかなびっくり呼ぶ癖に、私が笑って返事をすると、貴方も笑うんですから」
「
……そうですか?」
「そうですよ。気づいていなかった?」
青い瞳をぱちりと瞬かせてから、リンクは照れ臭そうに笑った。そして鏡のように手を伸ばして、彼女の頬を人差し指の甲で撫でた。
何を考えたわけでもなく、ただ惹かれるように動いただけの仕草だった。
ゼルダの髪がさらりと動いて、その一本の支えに寄りかかるように首が傾けられる。
「ちゃんと、私の名前、呼んでくださいね」
リンクは頷いて、それから彼女の名を呼んだ。