やまだ
2026-05-19 10:24:46
2166文字
Public 無双オリジンズ
 

No title

董卓ルート後の紫鸞と曹操の話

 なぜだか、どうしてだか、この人は紫鸞を見つけ出す。
 じっと視線を外そうとしない曹操の前で、紫鸞は口元まで覆っていた凍った外套の襟元を少しくつろげた。それだけで寒気が骨まで沁みてくる。
「探したぞ。紫鸞」
……あなたはこんな所にいていい方ではないだろう」
 涼州はもう雪が積もり始めている。街道の泥は雪と混じって凍り、履き物を通して容赦なく脚を凍てつかせた。曹操も外套こそ立派だが、履き物はどうしても濡れている。これでは凍傷になってしまうかもしれない。
 街道にさっと目を走らせた紫鸞は、やや離れた場所に佇む夏侯惇を見つけてなんともいえない感慨をいだく。陣営の心臓である彼らが、はるばる許都におわす帝のもとを離れてよいものなのだろうか。
「そこに酒家がある。あなたも将軍も、火に当たったほうがいい。案内しよう」
「紫鸞よ。董卓の骸をどこへ隠した」
 酒家へ向けて巡らせかけていた爪先が止まる。昼間ということもあり、周辺は厳寒ながらにそれなりの交通量がある。曹操の声はよく通るが、だからこそ逆に雑踏によく紛れた。ここでは誰も、数年前に裁かれた悪逆無道の董太師の話題など耳に留めない。
 白目を爛と燃やす曹操に視線で貫かれ、紫鸞は薄く微笑んだ。
……奇妙なことを言う。あなたがたはとっくの昔に董氏一連もろともあの人の亡骸を晒したはずだろう」
 董卓の時代は終わったのだ。今や呂布さえも葬られ、賈詡や張遼は曹操の下で活躍していると聞く。戦力も充実し、いよいよ曹操は袁家に引導を渡すのではと、そういう噂がこの涼州にまで届いていた。
 それなのに、なぜか彼は今ここにいる。不思議さは愉快さへ変化し、紫鸞の微笑みが深くなる。
「あの人の脂はよく燃えたそうだな。孟徳殿」
 惨い見せしめをとは言わない。曹操がそこまで指示するとはとても考えられなかったし、そもそも生前の董卓のほうがよほど凄惨に他者を虐げていた。長く、紫鸞はそれをただ見ていた。
「奉先殿を討ったと聞いた。それであの人のことを思い出したのか」
「何も墓を暴いて骨に笞打とうという話ではない。我々はただ、確信が欲しいのだ。もはや悪夢の世は完全に過ぎ去ったという、確信が」
「まるで今の時代はそうではないかのように言うんだな」
 紫鸞は微笑んでいる。虚をつかれたように瞠目する曹操を見る。
「天下は乱れ、家は破れ、食は不足している。だというのに男手のない畑は実りが少なく、収入が得られない。戦で男が減ったが、残された女だけでは人手も増やせない」
 いつの間にか夏侯惇が曹操の真後ろに立っている。今にも紫鸞を殴り殺しそうな顔で、曹操の腕を掴んで引こうとしていた。
「あの人の世から何が変わったんだ? 悪夢はまだ続いている。孟徳殿、あなたが一番わかっているはずだ」
「言わせておけば。紫鸞、そもそも貴様が……!」
「夏侯惇。よい」
 夏侯惇が赤黒い顔で紫鸞に伸ばそうとした腕は、曹操が軽く指を添えただけで止まった。信頼し、信頼されているのがよくわかる仕草だ。紫鸞からもう失われてしまったそれを目にして、胸底に淡い羨望が滲む。
「紫鸞よ」
 山々から吹き下ろす風は肌に痛いほどだ。紫鸞すら首を竦めてしまったというのに、曹操は微動だにしなかった。紫鸞を射抜くまなざしの強さにも変化はない。
 立派な人物だと思う。おそらく曹操は、治世であればすばらしく有能な官吏として活躍しただろう。だが乱世において、彼の理知が機能する主たる先は戦場に変わってしまう。惜しいかな、紫鸞たち太平の要はそれを好まない。
「答えを聞いておらぬ。董卓の墓はどこだ」
「董仲穎の魂をなぐさめる墓など、この中華のどこにもない」
 曹操の眉間に静かに皺が寄る。
「墓はないんだ孟徳殿。骨ならば洛陽の西に散らばっているかもしれないが、もはや特定することなど」
 笛のように涼州の風が鳴る。
 そこに紫鸞を呼ぶ声が混じっていたような気がして振り返ると、人の流れのなか黒衣の女と白髪の男が手を上げていた。頷き、唇だけで今行くと告げる。
……連れを待たせすぎたようだ。もう行かなくては」
「紫鸞」
 曹操は考えこんでいる。半目で顎に手を添え、紫鸞の言葉を吟味している。
 つ、と上がった瞳は人の理性を凝縮したきらめきを放っていた。
「董卓の最期は」
 紫鸞は柔らかく目尻を下げて微笑み返す。
「鸞と和が、董仲穎を喰ってしまった」
 曹操の唇がきつく結ばれ、夏侯惇は隻眼を見開いて固まった。静まり返ったふたりに向けて紫鸞は丁寧に拱手する。
「確信とやらが欲しい人々へはそう告げればいい。嘘ではないから」
 もはやはるかに遠い日、あのよく晴れた凍える山道でのことを、余人へすっかり語り聞かせる必要はない。少なくとも紫鸞はそうすべきとは微塵も感じない。
 言葉も温度も匂いも手応えも、味も、すべて紫鸞のものだ。
「孟徳殿、酒家はこの先を左手だ。涼州の酒はあなたたちの口には合わないだろうが、体を温めることはできる」
 もう彼らと再びまみえることはないだろう。紫鸞がどうこうというよりも、おそらく曹操が諦める。
 さようなら、と呟いて曹操たちに背を向ける。同胞が紫鸞を待っている。
 呼び止める声は、ついぞかからなかった。