Ykanokawa
2026-05-19 09:31:26
6645文字
Public クリテメ
 

【オクトラⅡクリテメ】事実は小説よりも

・pixiv掲載「君とあなたの廻り道」
https://www.pixiv.net/novel/series/15590322
・こぼれ話その1 本編とエピローグの幕間(本編を読了済みでないと不明な設定があります)
・正式お付き合い後の初デートで初めて嫉妬を憶えるテメさん
・現パロの国柄や世界観は雰囲気
以上を承知の方のみお通りください。自衛ご注意。

 ――これも駄目だったか。
 最後の一文まで読了したテメノスは本を閉じた。温くなった薬草茶ハーブティーを一口啜り息を吐く。また駄目だった。一喜も一憂もすることなく、テメノスは読み終えた本を自室のテーブルへ積み上げた。
 面白くないだとか、登場人物に共感できないとか。そういうわけではないのだ。むしろ、物語として読むのならば、どれもとても優れていると思う。文章には人を惹き込む力があるし、描かれる情景には心抉られるものがある。
 それでも、未だにこの胸に巣食っている形も名前もない感情と合致するものがない。
 何が問題なのか。やはりテメノス自身が人としてどこか欠けているのだろうと思う。
 単なる行き過ぎた友情を勘違いしているのか、それともやっぱり〝そういう形〟のもので未練を引きずり続けているのか。形の合わないパズルのピースがいつまで経ってもすんなり嵌まらない。何とも心地の悪いものだ。
 物は試しと借りてみた同性愛に関する小説も読んだ。なかなか興味深くはあった。誰に祝福されることのない葛藤も、心を裏切って異性と付き合ってみようとする行動も、故に生まれるすれ違いも。わからなくはない。ないのだが、テメノスの抱くものを〝何か〟だと決定づけてくれるものはなかった。
 ――何が違うのだろうな。
 小説の中の彼らと、自分と。
 相手を思いやっては、いると思う。少なくともあの頃よりは。
 身体的接触にも抵抗は、ない。いや、大した接触をしているかと言えば、していないが。だって、いずれ離れていく関係だ。飯事に付き合わせて、あの子に 心的外傷 トラウマを植え付けるなんて、テメノスの本意ではない。そもそも彼には他に想っている人がいるのだし。過剰はいけない。
 見方を変えて接するときの脈拍や呼吸はどうか。……よくわからない。ほんの些細なことがやたらと羞恥を呼ぶときもあれば、手や肩が触れているのに普段よりずっと安らぐときもある。一貫性がなくて、ひどく曖昧だ。裁定が下せる範疇にない。
 ――ああ、でも。
 彼との二人きりのお茶会の時間は、楽しい。恋人とはそういう時間を過ごすものだと、知識ありきで初めてみたけれども。存外に楽しい。別に何も特別な話をしているわけではないのに。大学のどの講師の話が聞きやすいだとか、バイト代が入ったら何が買いたいだとか。ごく普通の話だ。そんな話は他の皆ともしているはずなのに。
 たまに他の住人が予定よりも早めに帰ってくるときがある。そんなときはもちろん、強制的に中断となるのだが、それが惜しく感じてしまう。何故だろう。あの頃、彼とそういった世間話を滅多にしなかったから、新鮮に思うのだろうか。
 ――コートを買いたい、と言っていたっけ。
 小説の土台となっていた分厚いカタログを引き抜く。パルテ&ロック・カンパニーが出しているメンズ向けのシーズンカタログだ。写真が映える上質な紙が使われているから、ずっしり重い。
 先日、たまたまアウトレットに出かけた際に、若き経営者の卵にもらったものだ。それなりに原価がかかっていそうなカタログだったのだが、無償でよかったのだろうか。礼だと思って受け取ってくれ、と言われたが、テメノスは今の彼に何かしただろうか。
 歯に肉が挟まった感覚を憶える。それでも、なんとなく、本当になんとなく、冬用コートのページを開いた。


 結果としてカタログをもらっておいてよかったし、目を通していてよかった。たった今、痛感している。パルテ&ロック・カンパニーが管理するアウトレット内のメンズ向けブティックの一角で。
 目の前にはずらりと並んだ冬用のコート類一式。傍らにはつい先日、正式に恋人の肩書きを得た年下の恋人。テメノスは居並ぶコートの群れからハンガーを抜き取っては、恋人の身体に宛がい、頭の片隅に〝保留〟の文字を書き込む作業を繰り返している。
「あの、テメノスさん。そんなに迷わなくとも。僕は寒さをしのげれば文句なんて言いませんよ……?」
「私が迷うし、拘りたいんです。私が選んでいいと言ったのは君でしょう?」
「そうですが……
 元を正せば、君が格好いいのが悪い。
 喉元まで出かけた、どこから聞いても恥ずかしい一言は飲み込んだ。でも、事実だ。
 今の世でも体格に恵まれた彼はスタイルがいい。スポーツをしているからか、がっしりとしつつも健康的に引き締まっている。背も高いものだから、コートのシルエット次第では十分スマートにも見える。顔だってずるい。端整なのに甘めな可愛らしい面立ちをしているものだから、若々しくカジュアルなデザインでも通用する。色だって選び放題だ。そんなものだから、テメノスは苦慮している。


 事の発端は、ロイの事務所でアルバイトを始めたクリックが初任給をもらったことだ。これで冬用のコートが買えます、と嬉しそうに笑う恋人の顔を見て、彼の古く薄っぺらなコートが無性に気になった。
「前のコートは、誰かから譲ってもらったものですか?」
 気にはなっていたのだ。
 彼の懐具合からして、生地が安価で薄いというのは仕方がない。それはそれとして、肘の部分は妙に擦り切れていたし、肩幅もやや窮屈そうだった。色味やデザインだけは彼に似合っていたが、彼自身の身体に合っていない。活動的な性分なのだから、よく身体を動かすだろうに。その辺りのことは考えられていなかった。
 誰かから譲ってもらったもの、というのであれば、納得もいくものだが。
 そう思って問いてみたのだが、クリックは気まずげに頬を掻いて首を振った。
「いいえ、あれは、その……。以前、ブティックで働いていた友人……というか、知り合い、がいまして……。その、強くお勧めされて。これにするなら、いくらか安くするから、と」
……ふぅん」
 なんだか歯切れが悪い。目が泳いでいる。なるほど、なるほど。これはおそらく。
「その知り合い、女性でした?」
 ぐう、と厚めの唇が真一文字に引き締められる。幾年経とうとも、相変わらずクリックという青年は嘘がつけないらしい。それが彼の美点ではあるのだけれども。
「女性、でしたけど。実際に知り合いくらいの関係で、売上のノルマがあるからと……。ぼ、僕だけではなく、他の男性にもそういった感じで。断じて、何かがあったわけでは」
「口数が多いと余計に怪しく見えますよ?」
 うぐ、と呻いたクリックが項垂れる。ふわふわとした巻き毛が、心なしか萎れているように見える。眉根を下げ、青玉を潤ませ。子羊というより、見捨てられた子犬のような眼差しがテメノスを見る。この子羊は、テメノスが魅力的だ、なんて妄言を言うくせに、自分の可愛らしさには気づかないのだろうか。
 あまりにも愛くるしくしょんぼりとするものだから、両頬をむに、と軽く摘まんだ。
「別に怒っていませんよ。大体、私と出会う以前の話でしょう。そんなこと――
 じりっ。
……?」
 気にしていない、と言いかけて引っ掛かるものを憶えた。歯に挟まった肉のような、喉に残る魚の小骨のような。心臓の奥底が不自然に焦げつき疼いた、ような。知らない感覚だ。知らない、はずなのだけれど。
 ――まさか。
 気にしていないのは真実だ。彼が嘘を吐いているようには感じないし、第一、気にしたところでどうなるわけでもない。その女性が強かで、クリックの外見に興味があったことは事実だろうけれども。特別に、彼を理解しようとしていたかは怪しい。古いコートの形状がそれを物語っている。
 見る目のある女性が、彼の外見を注視して、彼の財布に見合った衣服を見繕った。たったそれだけの話だ。
「あの、テメノスさん?」
 摘まむのをやめ、しかし、頬から手を離さないテメノスに怪訝そうな子羊が声をかけてくる。思考の海に潜りかけていたテメノスはさっと手を下ろした。なんだろう。何か。何かが呑み込めなくて、口がひとりでに動いていた。
「ねえ、クリック君」
「はい」
「新しいコートは、私が選んでも?」
……はい?」


 どうして、あんなことを言ってしまったのか。自分で自分がよくわからない。
 頭を冷やすために入ったレストルームで、テメノスは深く溜め息を吐いた。鏡の中の自分が呆れた目をしている。何をしているんだ、と馬鹿にしてきそうだ。他人事であったなら、とっくに言っている。残念なことに我が事なので、口にしたところで自身に突き刺さるだけだが。
 ――何をしているんだか、私は。
 何とか三着にまで絞り込んだところで我に返った。店に入ってから一時間は経とうとしていた。選んでいる間、当たり前のようにクリックは隣にいたけれども、ずっと困ったように笑っていた。温和な彼だから黙って着せ替え人形になってくれている。が、これでは無駄に時間を消費する面倒臭い恋人だ。
 苦学生の彼にとっては、時間さえ金に等しく貴重なものだというのに。
 我に返って、現状を把握して、顔から火が出るかと思った。顔と頭を冷やすために、こうしてレストルームに逃げ込んだ。これもこれで時間を食わせてしまっている。そろそろ自分どころか、彼自身にも失望されてしまうかもしれない。
 ――絞った中から、自分で選んでもらうか……
 もう、それが手っ取り早い。どれも彼の体格に合っているはずだし、デザインも色味もおかしくはない、はず。金額も彼が言っていた範疇に収めた。本音を言えば、いくらかテメノスが上乗せして良いものを使ってほしいけれど。まあ、その辺りは男のプライドというものがあるだろう。それくらいは理解する。
 これ以上、彼に余計な浪費をさせることもあるまい。
 何故、あんなことを言ってしまったのか。こんなにやたら熱くなってしまったのだろう。
 ぺちり、と頬を叩く。鏡に映る自分の顔がいつも通りであることを確認し、一度、深く呼吸する。
「よし」
 戻ったら一言、告げるだけだ。この中から君が選んでください。それだけ。
 かける言葉を反芻しながら、レストルームを出る。メンズ向けのブティックは目と鼻の先だ。人の波を避け、店頭に近づくと、じっとディスプレイを見つめるクリックの姿があった。何やら真剣だ。クリック君、と唇を動かそうとして、その息が止まる。
 彼の傍らに女性がいた。女性と言っても親しい仲らしき人がいたわけではない。服装からそうとわかるブティックの店員だ。上品な服装とアクセサリーがよく似合う落ち着いた雰囲気の美人だ。
 つきりっ。
……!」
 まただ。心臓の奥底から湧き上がる違和感がある。いや、違和感ではない。これは痛みだ。疼くような鋭利な痛み。
 ――どうして。
 女性がにこやかに笑っているのは、ただの接客とわかっているし。
 その笑顔にクリックが鼻の下を伸ばしているというわけでもない。単に、横に並んでいるだけ。
 男らしくも整った顔立ちの彼と、嫋やかに微笑む美人はそれだけで絵になる。たったそれだけ。それだけだというのに。
 テメノスは恋をよく知らない。けれど、恋をした人がどんな感情に囚われ、どんな行動に走るのか。それだけは山ほど読んできた。それに照らせば、これは、この痛みは、この衝動は。でも。
 ――どうして〝嫉妬〟なんか。
 女性の目にも、クリックの目にも、そんな色など浮かんでいないのに。どうしてこんなに胸に疼くのか。
 認めてしまったせいで、じりじりと胸が焼けていく。そこに立たないでほしい。彼に微笑みかけないでほしい。声をかけないでほしい。彼は優しく微笑み返すし、人の声には応えてしまうから。その微笑みに、誠実に、心が動く女性は両手で足りると思えないから。
 胸の裡の熾火が風に煽られる。奥底からちりちりと火が身体を伝って燃え広がっていく。鏡で見たばかりなのに、今、自分がどんな表情をしているかわからない。口を開いたところで、きっと、ろくな言葉は出て来ない。胸元を押さえ立ち竦む。情けない。自分がこんなに弱い人間だなんて。
 こちらを見ないで欲しかったのに、店員と会話を終えたクリックはあっさりとテメノスに気づいてしまう。その表情がぱっと明るく華やぐ。
「テメノスさん! ……どうか、なさいましたか?」
 眩しい笑顔を浮かべていたと思ったら、テメノスの顔を覗き込んで、くしゃりと眉を寄せる。温かな両手で、こちらの手を取って、少し休みましょうか、なんて問いてくる。こんなに我儘で身勝手で、面倒な年上の男相手に。
……いえ。疲れては、いません。早く選んでしまいましょう」
「それなんですが、テメノスさん」
 ああ、テメノスが何も言わなくとも彼はもう選んでしまったのかな。彼が稼いだ金で買うのだし、最初から彼が選ぶのが一番だった。そうするべきだったのだ。最初から。
 そう考えたのに、クリックはテメノスの手を引いてディスプレイの前へ連れていく。彼はその脇のラックから、マネキンが着ているものと同じハイネックのセーターを抜き出した。無地でシンプルなモスグリーンのセーターだ。手触りがいい。質の良さの割に、ついている値札は良心的だ。
 欲しいのだろうか。と、首を傾げていたら彼は、テメノスの肩口にそのセーターのハンガーを軽く添えた。嬉しそうに口元が綻ぶ。
「あの、よくお似合いなので……。今日の御礼に、プレゼントさせてもらっても?」
 サイズはこちらで合っていますか。
 楽しそうな弾んだ声を上げるクリックに、呆けて口を開けてしまう。
……私に?」
「はい。あまり高くないもので申し訳ないのですが……
「私が選ぶのが遅いから。付き合わせて、待たせて、退屈させてしまったのかと」
「はい?」
 青玉を瞬かせ、クリックは当然のように首を横に振った。
「まさか。そこまで悩んでくださるのか、と吃驚したのはそうですけど……。あれだけ考えてくださるのは、すごく嬉しいです」
「君の時間を、無駄にしたのに?」
「恋人とのデートの時間を無駄なんて言いません」
 ――デート。恋人との。
「デート……
「え、あ……す、すみません。二人でとのことだったので、そうだと舞い上がってしまって。違いましたか?」
 そうか。恋人で、二人きりで、予定を空けて、買い物に来て。確かにこれはデートと呼べるものではないだろうか。〝ごっこ遊び〟をしていた頃に、揶揄い半分に口実にしたそれとは違って。
 胸の裡から押し寄せる波に翻弄されて、すっぽり頭から抜けていた。
……いえ。その、恋人と二人で出かけるのは、デート、ですね」
 ほっと安堵の息を吐いたクリックが、マネキンの影でまた手を握ってくる。ただ、先ほどのそれとは違って、指と指の間に彼の指が差し込まれ、きゅう、とほんの少し力を籠められる。平熱は低いはずなのになんだか暑い。
「僕のことを考えて、悩んで、選んでくれて、ありがとうございます。そのうち、三着くらい全部、買えるようになりますから!」
 感情とは、ここまで乱高下が激しいものだったか。あれだけ胸を焼いていた火が、嘘のように小さく大人しくなっている。ただ、心音だけはばくばくと変わらずに五月蠅い。聞こえてしまうそうで怖いくらい。鼻の奥がつんとする。
 ここで涙なんて見せたら、彼は困惑するだろうし、恋人との時間が減ってしまう。だから、意地でも溢さないけれど。
「では、今度は試着してもらおうかな。君が使うものなのだから、君の意見も聞かないとね」
「はい、お任せください!」
「フフ。なかなか頼りになりそうだ」
 一瞬だけ、きょとんとしたクリックが、本腰を入れてくださいね、と頬を緩ませる。ただでさえ五月蠅い心臓が、また音高く鳴る。今日一日、この女々しく弱々しい心臓は破れずに保ってくれるだろうか。
 恋というものがなんなのか。まだまだよくわからないことばかりだけれど、ひとつだけわかったことがある。
 小説よりも、よほど鮮やかで、激しくて、奇なるもので。こんな感情に振り回されながら日々を過ごしている世間の恋人たちは凄い、ということだ。


「ところで、君は首元を隠すような服の方が好みなの?」
……ええ、まあ。そう、かもしれません」
「ふぅん……?」
 ――首元までとても綺麗だから、虫除けにならないかと思った。……なんて、言えないよなぁ。