senaka_bone
2026-05-18 23:07:23
3233文字
Public
 

その名は北さん

ひさしさんお誕生日おめでとうございます!!!



 北さんが俺のことをどう思っているか――長い間、本当に長い間、ずっとずっと知りたかった。
 後輩として気に入られているのは知っていた。大切な米の卸先として信頼されているのも。飲み友達として好かれているのも。
 だけど、北さんが俺に向ける視線の意味だけは、ずっとずっと確かめられずにいた。

 答え合わせができたのは、つい先日のこと。
 嬉しくて、たまらなくて、勢いで抱きしめてキスをした。北さんも舌を絡めて応えてくれた。
 キスの合間、低くて聴き心地のいい声で「好きや」「ずっと好きやった」とささやかれ、俺の背中に回した腕をそっと腰まで下げ、「治のこと一生幸せにするからな」とばら色の頬で宣言され……正直、おや、と思ったが、そんなことより北さんと思いが通じ合ったことのほうが嬉しくて、その場では流してしまった。
 流したらあかんかったかも、と思い直したのはその日の夜中だ。
 俺は男だ。北さんも男。あるべきものは付いているし、不能という話も聞かない。
 俺は北さんにそういうことしたいと思って過ごしてきたが、北さんだって同じかもしれない。
 男前でかっこよくていつでも背筋の伸びた北信介という男。それが北さんだ。好きという気持ちを募らせるばかりだった女々しい俺と違い、腹をくくって告白に踏み切ったのも北さんだった。
 そんな彼の頭に、男に抱かれるなんて発想があるだろうか――いや、無い。あるはずがない。
 俺は早々に見切りをつけた。北さんが俺に抱かれるとは思えない。北さんといつかそういう行為をするとしたら、きっと俺がボトムだ。それでもいいのか。一晩考えて、俺は答えを出した。
 イエスだ。イエスしかない。北さんのそばにいられるなら、セックスポジションなんて二の次だ。
 そうと決めたら準備が必要だ。幸いなことに北さんを抱くイメトレだけはバッチリだったので知識はある。男同士で行為をするために必要なもの。気合いと、清潔さと……尻穴の拡張だ。
 洗浄に必要な諸々は都心のドラッグストアで調達できた。茶色い紙袋に包まれたそれをトートバッグに仕舞い、俺はその足でドンキホーテに向かった。
 自分ひとりの力で拡張を完遂させる自信はない。だから道具に頼ろうと思った。ドンキの暖簾の向こうにそういうグッズが並んでいることは知識として知っていた。だから意を決して、人生で初めて、あのアダルトな空間に足を踏み入れた。
 そこで俺は愕然とした。
 都心のドンキには多種多様なディルドが並んでいることに。
 ――そして自分が北さんのチンコのサイズを知らないということに。


 敵前逃亡するわけにもいかず、ひとまず男性用の潤滑剤と、比較的小ぶりなディルドを一本購入し、俺はそそくさと家に帰った。
 そう。買ったのだ。ディルドを。
 おそらく女性向けだろうディルドは、細身で先端もつるんとしていて、一見しただけではそうとわからない製品だ。サイズもそれほどデカくない。男の平均サイズより二回りは小さいだろう。それでも初心者の俺にとっては充分ビッグマグナムだ。
 怖気づいていては先に進めない。
 親しみをこめて、俺はディルドをキタサンと名づけることにした。
 ピンクか黒かで迷わず黒を選んだから、正式にはキタサンブラックだ。ちょっとまずい気もしたが誰に教える名でもない。俺は毎晩キタサンブラックを、いやキタサンを抱いて寝た。少しでも早くこの存在感に慣れたかった。少しでも早く、北さんと愛し合いたかった。
 数日経って、ようやくディルドとの生活に馴染みが出てきた。最初は無機物にしか見えなかったディルドが、だんだん北さんの息子に見えてきたのだ。先端の丸みが可愛らしく思えてつい撫でてしまった。キタサンは物言わぬディルドだが、北さんの北さんだったらきっと涙をこぼして喜んでくれるだろう。
 そうだ。そこで俺はひらめいた。考えてみれば挿入にこだわらなくたって良いのだ。初日は触るだけ。次に舐めたり扱いたりまあ色々とほどこして、最後に挿入だ。そしたら北さんのチンコサイズを把握したうえで事に及べる。『ハジメテで怖いから最初は触るだけにしませんか』と事前に相談しておけば、〝ちゃんとやんねん〟が信条の彼のことだ、可愛い後輩に無体をはたらくことはしないはずだ。
 俺は浮かれた。これでようやく北さんの体に触れられる。俺が受け入れる側だったとしても、長年にわたって恋焦がれた人の裸をついに見ることができるのだ。
 その日のうちに北さんに連絡をとり、飲みに行く約束を取り付けた。よく考えなくても初デートだ。初デートでホテルに行く。積極的すぎるだろうか。北さんは肉食系男子は嫌いだろうか。緊張とドキドキと胃痛で数日眠れなかった。ゼリー飲料ばかり食べたせいで、俺は若干痩せた。
 デート当日は曇り空だった。夕方に駅で待ち合わせ、創作和食の店に行った。カジュアルフレンチと迷ったがワインより日本酒がいいとねだられてこちらに決めた。北さんは酒に強いほうだが酒豪というわけでもない。慣れないワインでべろべろに酔わせてしまっては計画が台無しだ。
 通されたテーブルは半個室だった。それを良い事に、俺たちはテーブルの下で手を繋いだり、店員の目を盗んでこっそりキスしたりした。中学生みたいな触れ合いでも俺の心臓は鳴りっぱなしだった。北さんは恋愛ごとに不慣れで、俺が顔を近づけるたびに恥ずかしそうに目を伏せた。それがたまらなく可愛くてついつい意地悪をしたくなった。やけに喉が渇いて、いつも以上に酒が進んだ。気づいたら北さんと同じかそれを上回るペースで酒を飲んでいた。
 べろべろになったのは俺だった。
 北さんの肩を借り、電車を二本乗り継いで、一人暮らしのアパートに帰った。湿度のせいか全身が汗でべたついていて、北さんからは「寝る前にシャワー浴びといで」と助言をもらった。最悪だった。何もかもが台無しだ。
 幸いだったのは北さんが部屋まで着いてきてくれたことと、「シャワー浴びとる間に倒れたらあかんから」と心配して帰らず待っててくれることになったことだ。まだいける。まだワンチャンある。「しんどなったら声かけや」と優しい言葉に甘えて、俺は風呂場で全身を洗った。この後のことを考えると興奮してのぼせてしまいそうになったが、冷水を浴びてどうにか堪えた。
 風呂上がりの俺は、ほどよくアルコールも抜けて上機嫌だった。「もう少し一緒にいたいです」とあざとく誘うのがいいか、「俺とエッチなことしませんか」とストレートに誘うのがいいか、そんな馬鹿なことで頭を悩ませた。
 部屋に戻ると、北さんは布団の上で正座をしていた。
 その手にはキタサンの姿があった。
「なんやこれ」
 北さんは冷たい声で尋ねた。「前の女に使っとったモンか」
「んなわけないでしょ! 俺にはずっと、ずっと……北さんしかいません」
「ほんなら何なんやコレは」
 北さんは眉間の皺を少し緩め、けれど未だ嫌そうな顔でディルドを俺に突き出した。浮気を疑っているのか。そうじゃないんだと熱く弁明しようとして、俺は、北さんの唇が固く引き結ばれていることに気づいた。
 北さんの形のいい唇が震えている。
 俺を失うんじゃないかと怯えている。
「北さん……違います」
 ディルドごと北さんの手を包み込む。その手はさっきまで冷水を浴びていた俺より冷えていて、胸がぎゅっと苦しくなった。
 もう何も怖くなかった。
「これはキタサンです」
……なんて?」
「これは、北さんの北さんなんです」
「治。……このおもちゃが、何やって?」
「やから、これが! 俺にとっては北さんのチンコだったんですよ!」




 北さんが俺に抱かれるつもりだったと知ったのはその翌朝だ。
 キタサンブラックは、一度も使われることなく、俺たちの愛の勲章として、俺の部屋の窓際に今日も飾られている。