来羅
2026-05-18 14:29:52
2703文字
Public グオメ
 

To the World with You(AA)

S3のネタバレ注意!




 昔から好きなものは一貫していた。
 たとえば、星。
 両親に放り込まれて行ったサウスダウンズのサマーキャンプで、ロンドンにいては見ることのできない満天の星空というものを初めて見た幼き日の、あのときの言葉にならない感動をアンソニーは今でも覚えている。
 いったい誰がこの美しく壮大な空を作ったのだろう。
 きっと緻密な設計図があったに違いない。寸分の狂いもない距離、動き。当時、それなりの子供らしくスピットファイアのプラモデル作りにはまっていたアンソニーにとって、その目の前に広がる空は、大きな図面に見えたものだった。
 けれども友達はおろか、先生だって、この星空を作った人を知らなかった。微笑ましそうに笑うばかりで、アンソニーに答えをくれる人はいない。
 だから知りたくて、もっと知りたくて、およそ子供らしからぬ星への情熱は、アンソニーを研究へと駆り立てたのだ。





「また振られたのか?」
 友人がまた言った。
 また、だ。また。しかたがない。
 アンソニーは肩を竦めて曖昧に笑う。
 愛していたわけではなかったけれども、大事にはしていた。望遠鏡を持って星を観に連れて行ったこともあるし、食事だって少し背伸びしたレストランに連れて行ったりもしたのだ。いつだってそうだった。
 それでも歴代の恋人たちは、皆同じようにアンソニーに背を向ける。
「お前が悪い」
 そして話を聞くたびに友人は顔を顰め、アンソニーはやはりよくわからないと首を捻るのだ。
 好きな人には、好きなものを教えてやりたいし、好きなものを与えたい。
 たとえば、食事。
 アンソニーは好きな人が美味そうに何かを食べる姿が好きだった。
 大口開けて齧り付くのもいい。ちょっと気取ってちょこまかと忙しなく口に運ぶのも悪くない。
 口に入れた瞬間の、ほどけるような笑みが好きだ。
 唇の端についたソースを、行儀悪く舌で舐めとって、少し恥ずかしそうにナプキンを取り出すのだって可愛らしい。
 だからアンソニーは付き合った恋人たちは例外なく、食事に連れ回す。その結果は、いつも同じ。
 だから、しかたがない。





 たとえば、本。
 プレゼントには本を贈ることにしている。
 幼い頃からの習慣だ。
 両親は教育熱心、というわけでもなかったけれども、アンソニーが星の図鑑を見ている間だけは(あれやこれやと星の質問が飛んでこなくて)静かだったので、喜んで本を与えてくれた。祖父母はあっという間にプラモデルから卒業したアンソニーを惜しんだものの、可愛い孫が欲しがるならばと、ロンドン中探して古い本を見つけてきてくれた。
 本はいい。
 知識欲を満たしてくれるばかりか、その感動を人と共有もできる。
 アンソニーは熱中した本をキラキラとした眼差しで語る学友たちが好きだったし、それを他人にも求めた。
 けれども、誰もが本を好きなわけでないし、本が全てだと言わんばかりに本に恋する人間は少ない。
 リボンを解くときの期待が、僅かな落胆に染まる瞬間を何度も目にして、それでもなぜだか諦められずにアンソニーは本を贈る。
 




「────らしいんだ。だから私は、」
 瞳を輝かせ、気持ち前のめりに語るエイザが、はっとしたように言葉を切った。おどおどと視線を彷徨わせるのは、言葉を探すときのエイザの癖だ。
 食事に誘われた出会いから、四度目。二度目はアンソニーが先日のお礼にと誘い、三度目はエイザから。今回はもう言い訳すらできずに、美味しい魚介を出す店があると直球で誘ったアンソニーに、スマホの向こうでほうっとついた吐息は喜びにあふれていた。
「エイザ?」
「あ……いや、私ばかりしゃべってしまって」
「いや、いい。だが、まずは乾杯して、ひと息つくのはいいかもしれない」
 揶揄い交じりにウインクすれば、ぽっと赤く染まった頬はまろい。年齢相応に寄った目尻の皺は照れくさそうに笑うとより深く刻まれて、手を伸ばしたくなって困った。
「すまない、君との食事が嬉しくて、つい」
 エイザ・フェルはよく食べる。
 エイザ・フェルはよくしゃべる。主に本について、は、だけれども。
 それでも、それだけでも、アンソニーを舞い上がらせるには十分だった。その唇が自分を呼ぶたびに、その声がアンソニーを知りたがるたびに、鼓動がひとり歩きするみたいに早鐘を打っていることを、知っているだろうか。
「君のことも知りたい。いつもはどんなことを?」
 星を閉じ込めたかのようにキラキラとした瞳がアンソニーを見つめる。エイザならばきっと、アンソニーが語る星々を呆れたりはしないだろう。
 きっと、なんの理由もなく贈る本を、その煌めく瞳に喜びをあふれさせるだろう。
 きっと何度食事に誘ったって、毎回新鮮に喜んでくれる。
 そして、きっと、ずっと、こうして一緒にいるだけでも心が躍るのだ。
 だから、きっと、きっと。
 アンソニー・クロウリーの一貫した好きなものを集めて形作ったら、きっと、エイザ・フェルの姿をしているに違いない。
「アンソニー?」
 見つめていたら、またエイザの視線が彷徨った。
 今度のそれは、気まずいときのそれだ。
 だからそっとその手を取って、アンソニーは軽く重ねる。びくりと大きく揺れた手の平に小さく笑ったのは、それがスイッチだったみたいにエイザの顔が真っ赤に染まったからだ。
「まずは乾杯を?」
「そ、そうだな。うん、そうしよう」
 グラスを取る振りでするりと解けてしまった手が、残念そうに二度、三度ぎゅっと握りしめられる。
 言葉にしなくても、エイザの気持ちは手に取るようにわかった。エイザがわかりやすすぎるというのもあるけれども、そうであったらいいなとアンソニーが思っているから、それが答えだ。
「あの、アンソニー」
「うん?」
「君と、またこうして会えて、うれしい」
 幸せだ、という、とろけるような笑みは泣きたくなるほどに愛おしい。
「だから、今日というこの日に、乾杯を」
 差し出されたグラスから立ち昇る気泡がくるくると踊って弾けていた。
「それなら、私は、」
 フルートグラスを傾けて、アンソニーは、カチン、と小さな音を立ててグラスを合わせる。
「君のいるこの世界に、乾杯を」
 呆けた顔が、見開かれた瞳が、震える唇が、ただアンソニーと呼んだ声が。
 こんなにも恋しい。
 こんなにも愛おしい。
「エイザ?」
……君、早すぎる……!」
 甘さの滲んだ文句にアンソニーは笑う。
 嫌じゃないだろう、とはまだ言わなかった。