横浜の夜景を一望できる展望レストラン。真っ白なテーブルクロスの上には磨き上げられた銀食器と曇りひとつないワイングラス。壁際には正装した給仕がいつでも客の要望に応じられるよう控えている。今夜は貸切で、客は中也と太宰の2人のみ。静かな空間には静寂が気にならない程度の穏やかなクラシックが流れる。
給仕がメインディッシュの皿を下げに来て、中也が目線で合図をする。事前に打ち合わせをしていた給仕は得心顔で頷くと、バックヤードに消えた。程なくして、真っ赤な薔薇の花束を持って現れる。中也はそれを受け取って、太宰の前に跪く。
「太宰、俺と結婚してくれ」
渾身のプロポーズだった。1年先まで予約が取れないと噂されるレストランにポートマフィア五大幹部の権限を利用して予約を捩じ込んだ。胸ポケットには婚約指輪。下準備は完璧なはずだ。これなら太宰も首を縦に振るに違いない。
太宰は跪く中也を頭のてっぺんからつま先までじろじろと値踏みするように観察し、顎に指を当てた。
「うーん、10点」
「なんッでだよッ!」
太宰の辛辣な返事に、持っていた花束を思わず床に投げ捨てた。衝撃で花びらが無惨に散らばる。
「気合い入りすぎててダサい」
「かっこいいだろ!」
「断られた後の反応がスマートじゃないね。マイナス20点」
「手前がさっさと了承すればいいだけだろッ!」
怒鳴り散らす中也がお気に召したようで、太宰は満足そうに口角を上げる。ゆったりとワイングラスを揺らして香りを楽しみ、のんびりと口に運ぶ。
事の始まりは1年程前に遡る。お互いに良い歳だし、付き合いも長い。そろそろ結婚でも、と思いはすれど、中也はそれを言い出すことができずにいた。太宰に人並みの結婚願望があるとは思えない。世間話の類でもそういった話題が上がったことはなく、まずは太宰にその気があるのか探りを入れたい。
そうやって機会を伺っていたタイミングで、部下から結婚式の招待状を受け取った。都合のいいことに太宰とも面識がある。話題に出せば太宰も興味を示し、中也の受け取った招待状に目を通している。聞くなら今がチャンスだ。
「あー、なんだ、その、どうだ? 俺らも」
言ってから後悔した。これでは探りというよりプロポーズだ。しかもプロポーズにしてはダサすぎる。太宰はきょとんと中也を見つめ、しばし考えた後にぼそりと呟いた。
「70点」
「な、70……!?」
「結婚するならせめて80点は超えてくれなきゃ」
「80は高くねぇか……!?」
「そうかな。合格点としては妥当だと思うけど」
妥当かどうかはともかく、その気がないわけではないらしい。プロポーズは事実上失敗だったが、これは中也にとっては朗報だった。
「わかった。じゃあ80超えたら結婚な」
それから中也は幾度もプロポーズを行い、その全てで失敗した。ホテルのスイートルーム、初めて出会った擂鉢街の路地、観覧車の頂上、フラッシュモブ、宝飾店で指輪の試着中、そして今回の展望レストラン。
これ以上プロポーズのシチュエーションなんて思い浮かばないくらいにはありとあらゆるシチュエーションを試した。しかし太宰は一向に首を縦に振ることはない。どころか、だんだん点数が下がっているような気さえしている。
「大体、採点適当すぎんじゃねぇの? なんだよ、最初のが70点で今日のがマイナス10点って」
「あ、マイナス20点てのは最初のから引くって意味じゃなくて引いた後の点数ね」
「どっちでもいいわ!」
太宰は楽しそうにけらけらと笑っている。完全にいつもの揶揄いモードだ。ぽんぽんと脊髄反射のように飛び交う会話は心地よくはあるが、真面目な話をする雰囲気ではない。
「もういい加減にしろよ。希望があんなら言いやがれ。大抵のことは叶えてやっから」
「えー、そこは中也が自分で考えることに意味があるんじゃないの?」
「ならせめてヒントくらい寄越せ」
「出してるつもりだけどな。採点基準もはっきりしてるし、今までの結果を省みれば十分合格点は狙えるはずなのに、的外れなことばっかりしてるのは中也の方じゃないか」
「どこが的外れだよ」
「自分の胸に手を当ててよく考えてみたまえ」
太宰は中也の胸を小突くと、流れるような仕草でするりと胸元に手を滑り込ませる。取り出されたのは胸ポケットに入れていたベロア生地の小箱。以前婚約指輪のつもりで一緒に選んだものだ。婚約指輪だと言っても否定のひとつもしなかったくせに、なら結婚だと言えばそんな話はしていないとごねにごねて宝飾店の店員を困惑させたのは記憶に新しい。
「ああ、せっかくだからこれはもらっておくね」
小箱に口付けをひとつ。そんな気障な仕草さえ様になるのがこの男だ。
「返せ! それは了承したらに決まってんだろ!」
「やぁだ。私のなんだから私がもらっておくべきでしょ。もう1個欲しいなんて贅沢は言わないから安心したまえ」
「そういう問題じゃねぇええぇぇえええ!」
高級レストランには似ても似つかない中也の絶叫が響き渡る。
中也は知らない。最初のプロポーズに、太宰が不覚にもときめいてしまったことを。それが悔しくてつい「70点」なんて言ってしまっただけだということを。
中也は知らない。太宰へのプロポーズに励む中也がどうにも可愛くて、応じてしまうのが惜しいと思ってしまっていることを。
中也は知らない。こんな手の込んだかっこつけたプロポーズじゃなければ、いつだって合格点を出すつもりだということを。
中也は知らない。中也が自力で合格点を出すまで、太宰はいつまでも待ち続けるつもりでいることを。
はてさて、結婚するのはいつになることやら。
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