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2026-05-18 00:39:56
7801文字
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movie100
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099:そして光ありき
映画タイトル100題からおかりしました。
既婚のけんこゆ。書きたかったところを書きたいままに書いたのでまとまりがない
何かがいる。
声にならない声は日に日に大きくなり、ひと月前はか細い呟き程度だったものは、今やしっかりと輪郭を持った言葉に変わっていた。言葉というのは便宜上そう言っているだけで、中身はない。意味もない。ただただ、その声が何かを欲していることだけはわかった。貪欲に絶えず欲して叫んでいる。奪おうとさえしている。飢餓感のままに暴れる声が欲しているものがわかった時には、はらわたが煮えくりかえる心地だった。脳みその表面を爪で引っかかれるような不快感と違和感はもうふた月以上続いている。
声はコユキを欲している。コユキの全てを奪おうとしている。
そしてその声は、コユキといる時にだけ聞こえてくる。
〝ケンさん〟
「ん?」
不意に呼ばれ、意識が今世に帰ってくる。横を歩くコユキは不思議そうに眉を寄せ、ケンを見上げていた。誤魔化すように指を絡めてちいさな手を握る。
〝どうしたの〟
「んにゃ? 今日は何作るんかなアイツ、って考えてただけ」
〝ミカエラさんのご飯、美味しいですもんね〟
「アホみてェに時間かかるけどな」
夜道を二人、ゆっくりと歩く。ケンの右手には食材が満載のエコバッグが下がっていた。本日はミカエラの城たるビキニ御殿にて夕食会の予定だ。寒さが和らぎ暖かくなって来たことでテンションが上がったミカエラからの誘いだった。トオルとあっちゃんは既についているらしく、少し前にアイスクリームをねだるメッセージが入っていた。そのアイスもしっかりと調達し、エコバッグの中でネギや白菜と一緒に揺れている。
声はまだ続いている。コユキといる時にだけ聞こえてくる声の正体はまだわからない。目に見えない何かがコユキにとりついているのではないか、というのがケンの見立てである。
正体を暴くべく、何かと理由をつけてはコユキの職場たるギルドに居座ってみたりパトロールについて行ったりしているが、現れるのはケンより格下の吸血鬼ばかり。下等吸血鬼の大量発生があった時には結界でサポートに回ってまでコユキに張り付いていたが、コユキを狙う何者かは姿を見せなかった。そして不思議なのは、他の者が誰一人として同じ声を聞いていないことだ。ゴウセツはもちろん、ドラルクや退治人連中にも探りを入れたがまるでわからぬ様子だった。
ケン自身が何らかの催眠にかかった可能性もある。そう考えて同じ催眠術使いであるY談おじさんを探し、高い酒と引き換えにケンの中を探らせたが収穫はない。「知らなぁい」とニヤけた顔で杖を振るだけだった。
催眠に秀でた新横浜の吸血鬼──竜の一族を頼るのは最後の手段として、残りは弟たるミカエラだ。夕食会の合間を縫って確認するつもりだが、Y談おじさんすらわからない催眠をミカエラが解けるだろうか。お互いの脳みそは知り尽くしている筈、活路が見えるとありがたいのだが。
それでもわからなければ、考えられる可能性は何だろう。
〝ねえケンさん、やっぱり帰りませんか?〟
「あ?」
ぎゅ、と手に力を込められる。温かい人の子の体温が、ケンの冷たい手のひらを柔らかくほぐしていく。
〝最近なんだか調子が良くなさそうですよ〟
「ん、んー?」
〝野球拳しに外行っても、服着て帰ってくるし〟
「それって調子悪いことにならんだろ、むしろ絶好調」
〝だって負けてないってことは、野球拳してないんでしょ〟
「あ、あのね嬢ちゃん、勝って帰ることもあんのよ、ご存じ?」
〝ケンさん、あんなにジャンケン弱いのに
……
〟
「うおー不名誉! お前さんだけですここまで負けてるのは!」
〝でもやっぱり〟
食い下がるコユキの頭を撫でて笑うが、可愛い娘は納得していない様子だ。
「だーいじょうぶ」
〝でも〟
「珍しく、考え事がちっと多いだけだ」
欲しい、コユキが欲しい。さらにはっきりと聞こえて来たそれに舌打ちしかけて唾を飲み込んだ。
コユキが欲しいとはまた、随分と身の程を知らない吸血鬼が出たものだ。モノ扱いするつもりはないが、この娘は既にケンの懐の中にある。誰にも渡すつもりなどない。
しかし一つ腑に落ちないのは、声に敵意がないことだった。ケンの頭をかき乱す声は日を追うごとに大きくなり、コユキを欲して喚いているが、ケンに対して何かを言うことはなかった。純粋にコユキだけをターゲットとしているのだ。胸糞悪い。
なんとなく気まずい雰囲気の中、顰めっ面のコユキと並んで歩いているうちにビキニ御殿が見えてきた。寒いと街に出ず御殿に引きこもる弟と会うのは久しぶりだ。門番のビキニにじゃんけんを仕掛けて正気に戻し、慣れた順路で門をくぐる。ドアを開けると、前髪の長いビキニの男が出て来て恭しく頭を下げた。
「いらっしゃいませ御令兄、そして奥さま」
〝こんばんは〟
「いつもの部屋かい」
「はい、ご案内を」
「コユキを頼まぁ。俺はちょっと野暮用」
ひらひらと手を振って下駄を脱ぎ捨て、気配を探りながら歩を進める。ケンさん下駄揃えて! というお叱りを背中で受け止めつつ廊下を足早に抜けた。声は御殿の中でも聞こえてくる。今のところコユキに実害はないのが救いだ。とにかく早く、不快な声を何とかしたかった。
ダイニングへ向かう廊下の角を曲がったところで、目当ての男を見つけて手を振る。アダルトビデオも真っ青なシースルーのエプロンを身につけたミカエラが、ケンをみとめて怒りを隠さずに鼻を鳴らした。
「遅いぞ愚兄、既にトオルたちはダイニングに」
「なあ、飯の前にちょっと付き合え」
ケンのきっぱりとした物言いに、ミカエラは端正な眉をひそめた。腕には上等なワインボトルが2本抱えられている。ワインセラーからの帰りらしい。
「嫌だが。鍋を火にかけている」
「オッケー、じゃあキッチンで話そうや。すぐおわっからさぁ」
「おい何だ、引っ張るな!」
抗議を無視してミカエラのエプロンを掴む。ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てるミカエラをひっぱり広いダイニングに入ると、ちょうどコユキはトオルやあっちゃんと共に談笑している最中だった。
〝ミカエラさんこんばんは。お邪魔します〟
「一体何事だ」
〝え?〟
「俺は荷物を冷蔵庫に入れてくる。トオルたちとしゃべってな」
〝あ、はい〟
「ねえケン兄アイスは〜」
「買った買った」
キョトンとするコユキと満足げなトオルを置いて、ミカエラをキッチンへと引きずる。荷物を解き、勝手知ったる冷蔵庫に食材を押し込みながら、不満げな帝王がヒステリックに叫ぶ前に力を貸してくれと囁いた。
意外にも察しが良いミカエラの表情が変わる。ワインボトルをカウンターに置き、自然な動きでケンのエコバッグから冷凍品を取り出した。成る程、二人で作業するように見せておけば密談もしやすい。一歩左にズレると、空いたスペースに滑り込むようにミカエラが収まり、冷凍庫を開けた。この距離なら声をひそめても互いだけが聞き取れる。トオルが幼い頃、聞かせたくない話をするときはよくこうして共に台所に立ったものだった。
「何事だ」
「声がすんだよ」
「声? どんな」
「コユキが欲しい」
「は? 貴様私の館で猥談は許さんぞ」
「ちーがうって、マジでそういう声がするんだ。あいつといるときだけ」
「はあ
……
」
意味がわからない、といった様子のミカエラが最後のアイスクリームを冷凍庫に収める。野菜室に白菜とネギを放り込みながら、ケンは更に声を低くした。
「俺だけに聞こえる。俺がおかしくなってるのか、コユキに良くないもんがついてるのかがわかんねえ」
「いつからだ」
「二ヶ月くらい前から」
ミカエラはくだらないとばかりに鼻で笑った。既に手が空いたミカエラは冷蔵庫から離れ、ケンに背を向ける形でコンロにかけている鍋を気にかけていた。野菜室のドアを閉め、食器棚から皿を取り出す。それじゃない、と叱られて、どれでもいいだろと言い返すとレードルを押し付けられた。
「そんな長期間お前の頭を弄れる奴が新横浜にいてたまるか。できてY談か
……
竜の一族くらいだろう」
「だから困ってんだろォ〜? ちなみにY談のオッサン曰く俺の頭は正常らしい。それにアイツらはしねえよ、メリットねえもん」
「正常
……
? 野球拳を辞める日が来たか」
「野球拳は俺の魂だから無理」
「
……
あの男にわからないなら」
「なあそう言うな。後生だよミカエラ」
ぴくり、ミカエラの耳が立つ。ミカエラは渚の帝王を自称するだけあり、自尊心とプライドが高い。ケンがなりふり構わず頭を下げれば絶対に首を縦に振る。確信がある。
「頼む。もうお前しか頼りがない」
「
……
しかし兄さんにもわからないんだろう、私では」
「俺の催眠は動作優位だけど、お前は精神優位だろ。属性が違う。俺じゃわからないこともきっとわかる」
頼む、と縋る気持ちで頭を下げた。打算的な行いだが、本心であることも間違いない。
声はまだ聞こえている。欲しい、コユキが欲しい、全てが欲しいと叫んでいる。
すったもんだの末に繋がった異種族の娘。鋼よりも頑固で強く、ケンに惚れている頭がポンチなかわいい娘。あの娘はケンにとって、弟妹と同じくらい大切なものだ。ようやっと手に入れた。失いたくなかった。あんな得体の知れない何かに奪われてはたまらない。
ミカエラは少し目を瞠ると、一つ息を吐いてわかったわかった、と手を振った。
「頭を上げろ、殊勝な貴様は気持ち悪い」
「下げてどうにかなる頭なら下げた方が得だろ」
「そういうところが腹立たしいが
……
一度見てみる。期待するなよ」
「助かる」
「給仕をしておけ」
ほんの少し眦を下げたミカエラは、ワインボトルとグラスを持ち出ていった。
ミカエラが出した皿にビーフシチューを盛り付けながら、カウンターの向こうで話すコユキとミカエラへと視線を移した。声が聞こえ始めてからの二ヶ月、コユキの体調に変化はない。ということは、この声はコユキには聞こえていないはずだ。野球拳を広めるために鍛えた力、催眠術師としての実力には自負がある。勘違いや幻聴ではないという確信がある。だからこそ、ミカエラにわからなければお手上げだ。VRCで精密検査を受けさせることも考えなくてはならないだろう。ただの人間ならまだしもマッドサイエンティストな犬仮面頼るのは癪だが仕方がない。
丸パンをトースターに放り込み温めながらシチューを人数分盛り付け、用意されていたブロッコリーと人参を添える。野菜の横に、律儀にもミルクピッチャーに入れた生クリームが準備されていた。これをまわしかけて最後だろう。面倒臭いが、頼んでいる以上ミカエラの意に沿うのが筋だ。じゃんけん模様にでもしてやろうと繊細な細工の陶器をつまみ上げる。
「おい愚兄!」
ミカエラの焦ったような声が耳に飛び込んできた。反射的に床を蹴って飛び出す。何かを倒した気がするが、どうでもよい。
ダイニングへ駆け込むと、椅子に座ったコユキの前に膝をついたミカエラがぎろりとケンを睨みあげた。
「なんかわかったか!」
「え、何々どしたの」
「ケンにい おかお こわい」
トオルとあっちゃんが困惑する声に返事する間も惜しい。ミカエラの横に膝をつきコユキの手を取る。コユキは何が何だかわからないといった面持ちで、ケンとミカエラを交互に見下ろしていた。
「ミカエラ、おい」
「声はどこからする」
「は?」
ミカエラの問いの意味がわからない。声はどこからするか。先ほど散々伝えた通りだ。声はコユキからする。コユキと共にいるときにだけ。
「なぜ私でもわかることがわからない
……
」
ため息をついて立ち上がるミカエラは、呆れと苛立ちを隠さずケンの頭を引っ叩いた。いっでぇな、という文句にいつものヒステリーは返ってこない。まるで諭すかのように静かにケンを見下ろしている。
「禿頭絞って考えろ」
「あ?」
「意識を尖らせてみろ。耳を澄ませ。お前が聞いた声は、どこから聞こえる」
渋々、ミカエラの言う通りに意識を集中する。目を閉じ、傲慢で貪欲な声に耳を傾ける。声はどこから聞こえるか。コユキに負荷がかからぬよう、表面を撫でるように源を探す。脳ではない。心臓も違う。肺、胃と順々に降りていく。段々と声は大きくなる。
紐を手繰るように腹のあたりに意識を持っていったところで、ボリュームが壊れたかのような大声がした。ここだ。腹のなか。コユキの腹の中から声がする。
厳密に言うと、ここはなんだっけ。確かここは、確か。
「
…………
は」
答えを掴んだ爽快感と、そんなバカなことあるかという当惑が同時に襲う。
目を開け、ミカエラを見上げる。見るに耐えない情けない顔でもしていたのだろうか。ミカエラはケンにしかわからない程度に目尻を緩めた。
「解っただろう」
絵画に描かれても不思議ではない。そう思えるほどに優雅な仕草でコユキの腹を指さし、告げた。
「妊娠している」
暫く、広い部屋には時計の秒針音だけが響いていた。
かち、かち、というそれが、たっぷり三十は繰り返された後──ようやく口を開いたのはコユキだった。
〝
…………
えっ〟
「えっえっ、マジ? コユキちゃん
……
」
「おなかに あかちゃん!」
〝え、ええ
……
!?〟
「病院で確認した方がいいだろうが
……
まあ、九割がた、当たっていると思ってくれていい」
「え、えー! 俺なに、おじさんになるの!? マジかマジか」
弾けるようにギャアギャアと騒いでコユキを囲むトオルとあっちゃんに場所を譲り、よろけながら立ち上がる。なんとかテーブルに手をつき、目についた水のグラスを掴んで一気に飲み干した。息を吐く。気持ちが落ち着かない。未だに聞こえる声がこれは現実だと、これでもかとばかりにケンに教えてくれる。
「昔、母様がトオルを身ごもっていた時に教わった」
いつの間にか、ミカエラが隣に立っていた。密やかな声は緊張を孕みつつ、どこか穏やかだった。
「宿主から全てを奪おうとするのだと」
「
……
なんだそれ」
「宿主の血肉を貪欲に欲しがって奪おうとする。何もかもを己の糧にして育つ。だから強いのだと、母上は仰った」
ミカエラの口から母という単語を聞くのは何年ぶりだろう。生家を出て百余年、今や生きているのか死んでいるのかもわからない母親は、ケンとミカエラにとって愉快な存在とは言えない。ミカエラは特に、出来る限り触れたくない代物のはずだ。
それでも、必要だと思ったから口に出した。ケンにも解る。
「俺はそんなこと
……
教わってねえんだけど」
「知るか。お前だけが全てを知っていると思ったら大間違いだ。自惚れるな」
「言い方ァ〜
……
」
らしくなく冗談めかしたことを言う弟は、きっと自分を気遣っているのだろう。いや、心の底からそう思っているのかもしれないが、どちらにしろ今のケンにはありがたかった。
「おめでとう
……
と、言うべきかな」
「わっ
……
かんねえ
……
」
「野球拳をやめろ」
「それは無理」
「馬鹿者が」
ミカエラは一つ舌打ちをすると、話は終わりだとばかりにキッチンへ引っ込んでしまった。ケンが放り出してしまったビーフシチューを温め直すつもりだろうか。何かをひっくり返してしまった気がするので後でこってり絞られるだろうが、甘んじて受け入れなくてはなるまい。
コユキの前に膝をつき、大丈夫かと声をかける。ビキニのおっさんから人生の大事件の告知を受けたせいか未だに呆けているが、ほんの少し頬が赤い。
〝け、ケンさんあの、わたし〟
「あー
……
ハハ、なんだァ、その」
何と言って良いかわからない。こども。子供か。
自分の血を分けたモノが今、目の前のちっちゃな人間の小娘の中にある。もちろんそうなっても良いと思って行為を重ねてきたわけだが、実際目の当たりにすると不可思議やら恐ろしいやら、何とも言い難い心地だ。
膝の上に揃えられた小さな手をとる。ところどころに肉刺のあとがある、柔らかさと固さが同居した退治人の手。先ほど繋いでいた時よりもずっと温かい。
ちょっとごめんね、と断ってからまだ薄い腹に手を当てて目を閉じると、早くよこせという声がする。確かに、今となってはなぜ気付かなかったのかと苦笑する。こんなにもハッキリ主張していたというのに。全くお笑い種である。親に似たのだと言われたらそれまで、全てに合点がいった。
顔を上げる。珍しく自分よりも上に位置するどんぐり色の大きな瞳に映る自分は、ミカエラに笑われても仕方ないほど情けない顔をしていた。
「明日、病院行こうな」
〝うん〟
「それから、とっつぁんに言わんとね」
〝
……
うん、ありがとうございます、ケンさん〟
「
……
もうほんとにお前、俺から逃げらんねえぞ」
〝あはは〟
「もうちょっと言い方あるだろバカハゲ! なあ乾杯しよーよ乾杯! おめでたい事だし」
「かん ぱい!」
「でもお前、酒はアレだろ」
はしゃぎ回るあっちゃんとトオルを諌める。子を孕んだ体にアルコールは毒だ。先ほどミカエラが選んだ赤ワイン、あれをコユキに飲ませるわけにはいかない。
しかし乾杯したいと望む弟妹の気持ちもわからなくはない。何かジュースでも見繕うからと立ち上がったところで、赤い液体が揺れるワイングラスが二つ、ケンとコユキに差し出された。ミカエラだった。
「おい、これ」
「安心しろ、贔屓のワイナリーから取り寄せている葡萄ジュースだ。あっちゃん用のとっておきだが
……
」
受け取って匂いを嗅ぐ。確かに酒は香らない。濃くむせかえるような甘ったるい香りが鼻をついた。ケンには甘すぎるが、今のコユキにはうってつけだ。
「今日ばかりは貴様らにも譲ってやる」
「俺はいいよ」
「バカ言うな、貴様も今日から生まれるまで酒は許さん」
「エッ」
「あったりまえでしょコユキちゃん飲めないんだからね」
〝私は気にしませんよ、ビーフシチューでしょ? ケンさんはワインで〟
「黙れ娘、少しはこいつも搾り上げたほうが良い」
「エッ」
「後で俺らがビール回収に行くから安心してね!」
「えー
…………
」
弟二人は既に団結し、ミカエラに至っては酒を回収する手筈を馴染みの下僕に言いつけている。ここ数十年、飲まずに過ごした日の方が少ないケンにとって厳しい仕打ちだ。こういう時ばっかり可愛く結託しやがってと眉根を寄せると、コユキが申し訳なさそうに頭を下げた。
〝な、なんだかすみません〟
「んにゃ
……
いいよ。そーするわ」
〝でも〟
「そのくらいすりゃあ、とっつぁんに殴られないかもだしね」
じゃあ俺たちは何飲む? トオルにはこれがおすすめだぞ、1985年の
……
。
盛り上がっている弟妹たちをよそに、ワイングラスをくるりと回してから煽った。とろみのある甘さが舌を刺す。やはりケンには甘すぎる。水で口を洗い流したいが、記憶に味を刻みつけてからにしようと決めた。
声はまだ聞こえてくるが、もう不快感はない。むしろ息災で何よりだとまで思うのだから現金なものだ。
まだ乾杯してねえだろハゲ! というトオルの怒号の方が、はるかに耳に痛かった。
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