メガスミノ
2026-05-17 23:52:05
1125文字
Public 自語り
 

好きな創作やってたらなぜか他人にも好きと言われた人って


 いつでも好きな創作をやっていた。初めて創作を経験したのは小学三年生、そして現在22歳フリーターに至るまでの人生でずっと頭の中を支配していたのが、妄想上で未だ誰にも理解されたことのないキャラクター群だった。イタいやつだなと他人から指を刺されたことは無い、思い返す限りは。でもずっとイタいやつだと自分を焦らせ続けていた、その何らかの意識はあった。だって創作というのは、基本的に他人から分かられることは期待しない、ひとり遊びの領域に属する営為だ。自分にとって良いものなんて他人から見れば全部独善的だ。まあ仲間同士ならその独り善がりを共有して楽しむことができる。でも私はそうじゃない。仲間なんて求めようがない。だから私は甘い妄想を振り払おうと慣れない部活にも参加したし、苦手な勉強も努力と集中力が足りてないと自分を追い込もうとしていた。しかし、少しでも自分の情けなさが露呈してしまうと、すぐに意欲が引っ込んでいく。焦燥があっさりと絶望を招く。私は焦る自身に何か劇薬を与えてあげたくて、目に入る「なにかそれなりの価値や経験」をかき集めていた。そうすれば努力をしている風の自分が得られ、そして明らかに自分よりも遥かに社会を達観して冷静に努力している人たちに迎合することができるはずだと信じていた。上っ面だけの人間なんて、本物がすぐ見抜いてしまうというのに。

 なら、ならどうしたらいい。私がかき集めた「価値」も「経験」も意味がないというのなら、私はどこに行けば良い?この社会はとても複雑怪奇だ。人がイライラすれば理性を忘れて暴挙に出たり、数千万の命を見殺しにすれば金が手に入るやつが素知らぬふりして生きている。そんなのは一握りだと考えがちだがそうではない。タテヨコから為されるこの社会が平気でやっていることである。私は今生きているこの場所すら気持ち悪く感じているのに理性的な判断などできようもない、絶望だ。
私は絶望を感じるときにこそ、絵を描き始める。なんだかこの線は下手で汚いけど、それは大いなるものによって許されている。完璧であれという合理性に惑わされることがない。歪んだものの美には、私を絶望からすくい上げる魔力がある。絵が出来上がった、独り善がりの戯れなんていっておきながらまあそれでも少しはオープンな場所に置いておこうか。私はこの帰結にあまり考えを入れない派ではある。コミュニケーションは、面白いと思うものの発表が成した結果だ。
空リプらしい投稿が私のタイムラインに流れていったのを見る、あっと思ってスクロールする。「好きだ。」
は、そうですか。思ったと同時に、ハートを押した。
コミュニケーションは、面白いと思うものの発表が成した結果だ。


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