テレビ局の仕事は決して「楽」に分類されるものではない。向き不向き、人間関係の複雑さ、何より拘束時間の長さや、場合によっては早朝深夜に勤務するといった不規則さ故に退職を選ぶ者も多い。
ウルフウッドの所属する報道局はまさにそれら退職に値する理由が詰まった部署で、同期と呼べる人間はいつの間にか一人もいなくなってしまった。それほど年齢を重ねたわけでもないのに中堅どころのような扱いで、上司と部下の双方に気を遣う毎日。そんじょそこらの人間なら耐えかねて早々に転職を選んでいただろう。しかし、生来頼られる方が向いている男――ニコラス・D・ウルフウッドには今のポジションは向いているとさえ言えた。
上司に理不尽な叱咤を受けた後輩たちを励ますべく何か甘いものを――。そう思い立ち社内のコンビニに立ち寄った。さすがに彼らの好みまでは気にしていられないから適当に見繕った品を次々とカゴへと放り込んでいく。いちご大福、チーズケーキ、エクレア、どらやき、ゼリー。そして――。
「アッ!!!!」
狭いコンビニの店内に悲痛な叫び声が響く。思わず後ろを振り返ると、皺一つない水色のワイシャツを身につけ、金髪を逆立てた派手な男がそこにいた。社内で一二を争う有名人お天気キャスターが、ウルフウッドの手にした最後のプリンを苦々しい顔で見つめ、絶望とも言える表情で肩を落としている。
「譲ったるわ」
「……いーの?」
「別にワイが食べるわけとちゃうしな。代わりにもひとつ甘いもん選んでくれへんか? どれがええんか分からんねん」
金髪男はカゴの中の品々を一瞥すると、下から二番目の棚に陳列されたロールケーキを指差した。
「これ、この前食べたけど美味かったよ」
「おおきに、助かったわ」
「いや、こちらこそ……。譲ってくれてありが……と?」
男の手からプリンをふんだくり、レジの店員へカゴを差し出す。ものの1分もかからず会計を終えた後、首を傾げたままの男の手にプリンを返した。
「えっ、あれ、ごめん、お金……」
「ええねん。代わりのもん選んでもろたし。オモロいもんも見れたしな」
「おもろ……?」
青い瞳がわずかに歪む。
「まいにち完璧な笑顔でテレビに映っとるイケメンお天気オニーサンがプリン一つで喚いて百面相しとるなんてオモロすぎるやろ?」
普段ロクに絡むことのない社内の有名人を少し揶揄ってやろうとしただけなのに、一瞬だけプリンの容器を握る指先がひくりと動き、蝋燭の火が消えたみたいに笑顔がなくなった。たった一瞬。こちらが次の句を紡ごうとした時にはもう口元は緩く弧を描いていた。
「……おまえ、ちょおこっち来い」
「は?」
シャツの袖口が皺になるのも気にせず手首を強く掴み、動揺する男を連れて階段へ。無言で2階分のぼり、外へと繋がる戸を開けた。
鼻先が冷たい外気に触れた途端、身を震わせた男の柔らかい金糸が揺れる。従業員の休憩スペースとして用意されたその場所は人工の植物が植えられており、赤いベンチがいくつか設置されている。日の当たらない時間帯は冷えることもあってかひっそりと寂しい雰囲気さえ感じる。
「ここで待っとれよ。差し入れ後輩たちに渡してすぐ戻ってくるから……あー、せや、な」
状況を理解できずそわそわとその場で脚を動かす男の両肩を掴み、角に置かれたベンチへ座らせる。そして雑に脱いだ黒いスーツのジャケットを羽織らせた。
「煙草臭いんは堪忍や」
拒否する間も与えず報道部のある階へと全速力で走る。途中、誰かから「危ないから走るな! 」と至極尤もな呼びかけを背に浴びたが、あの男が逃げてしまう可能性を考えると脚を止めることはできなかった。
「……早いな、報道部まで行ってきたんだろ?」
ジャケットを預けていたこともあってか、男は大人しく両手でプリンを持ちベンチで待っていた。軽く息を切らす姿を見て呆れたような笑みを浮かべている。
「なんや、おどれワイのこと知っとるんか?」
「そりゃあ、まあ、君、声でかいし特徴ある訛りしてるし、存在は前から知ってたよ。えーと、ウルフウッドだろ?」
少し距離を空けて隣に座ると、男はプラスチックのスプーンを袋から取り出し、薄黄色の滑らかな面に突き立てる。一口、また一口と頬張るごとにみるみるうちに肩の力が抜けていく様子が面白くて思わず凝視する。
「……ほーん、光栄やわ。あの、イケメンお天気オニーサンに名前知ってもろてるとは」
「そ、そのイケメンってぇの、ヤメロよ。ヴァッシュ! 名前くらい知ってるだろ?」
「まぁ、そらな。話したことはなくてもほぼ毎日そん顔見とるしな」
「……今の朝の番組さぁ、顔で選ばれた、って専らの噂なんだ。誰が広めたのかも本当か嘘かも分かんねぇ。こっちはただ必死にまいにち自分のできることをしてきただけなのに」
ヴァッシュは口を尖らせる。毎朝の完璧な笑顔からは想像し得ない不満げな声と眉間の皺。
「どれだけ勉強して、研究して、練習してきたと思ってんだ。それを顔だけ……って」
「なるほど、ほんで腹立って甘いもん買いに来とったんか」
改めて言葉にされたのが子どもっぽくて恥ずかしかったのかヴァッシュは軽く俯く。
「ま、甘いもん食べるだけで気ィ済むならそんでもええけど。今みたいに吐き出すのも大事なんとちゃうか? 幸いワイは社内の派閥にもお偉方にも、噂にも興味あらへんし、地蔵に向かって話すと思って吐き出してくれても、かまへんで」
「確かに君は口が堅そうだ」
「せやろ?」
「なんでだろう? おしゃべりに見えるのにな」
ふっと頬を緩ませ眉を下げたヴァッシュは気を抜いているように見えた。つくりものではない柔らかさを目の当たりにし、胸のうちにじわりとあたたかいものが滲む。
「そ……」
そういう素直な顔を色んな人に見せたらいいのでは――。そう言いかけようとして喉の奥で言葉が絡まった。ヴァッシュは不思議そうに大きな瞳を瞬かせて中途半端に投げかけられた言葉を待つ。
「そ、そーいや会議入っとったの忘れとったわ! ほなまた!」
「えっ!? あ!ちょっとまてっ!」
駆け抜けるように行ってしまった男の背を眺め、ヴァッシュは大きく溜息をつく。程よく肩の力が抜けていて、もやもやしていたことが嘘のように頭がスッキリしている。おそらく甘い物を食べた効果だろう。そう思いたい。
「あーあ、ジャケット忘れていきやがったアイツ」
絶対自分では選ばない黒のジャケットの肩口をつまみ、ふっと笑みを漏らす。
「また会わないといけねーじゃん」
初めて話したというのに、自然と口が悪くなるのも、これまで誰にもこぼしたことのない弱音を打ち明けてしまった理由も、ヴァッシュにはまだ分からない――。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.