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minato_kt
2026-05-17 16:02:54
4758文字
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御景山の狐と鴉 - 第2話 失せ物さがし(後編)
*
そうして探し始めて、三日目の昼過ぎ。
「見つけた
……
!」
山を駆け巡り、獣に尋ね回ってやっと見つけたそれに、狐は息を弾ませた。
渓谷に寄り添うように高くそびえた松。その上のカラスの巣の中でかんざしを見かけたと、リスの子が言っていた。
木登りは得意だ。軽く膝を曲げ伸ばしてから、幹に飛びつき、枝を掴んで身体を引き上げる。
するすると登っていくと、鳥の巣が見えた。巣の主は今は留守らしい。
目を凝らしてみれば、巣の中に、聞いていた通りのかんざしがある。
「巣の主には悪いが、こっそり返してもらうしかないかのう」
鴉ならば、巣の主が帰ってから交渉できたのかもしれないが、生憎、狐はまだ鳥の言葉が分からない。
いや、言葉が分かったところで、説得ができるかは別の問題だ。それは盗んだ物だ、だから返せ、というのは人間の倫理である。鳥にとっては、自分が手に入れた宝物を返さねばならない理由はないだろう。
どちらの言い分が正しいか、判断することは狐にはできない。
ただ、今回はあの人間の娘の願いを叶えてやると決めたのだ。
よし、と気合を入れて、巣に向かって身を乗り出す。と、掴んだ枝が大きくしなった。
「む
……
」
慌てて幹にしがみつき、手元の枝と頭上の巣を見比べる。
他に手をかけられそうな枝はない。ここまで来て諦めるというのも癪だ。
「まあ、何とかなるじゃろ」
少しの逡巡の後。楽天的に頷いて、狐は次の枝に手をかけた。
あと少し。体重をかけてぐっと身を乗り出し、巣へと手を伸ばす。
ばきり、と枝が折れる音がした。
「あ」
折れた枝とともに、宙に放り出される。
せめて、落ちたのが松の根元側だとすればまだどうにかなったかもしれない。
しかし運の悪いことに、狐の眼下に広がるのは深い渓谷だった。
落ちていく感覚が、妙にゆっくり感じられる。
受け身を取らねば。いや、受け身を取ったところで何の意味がある。自分はこのまま谷底に叩きつけられるのだ。
そんな諦観にぎゅっと目を瞑った時だった。
ばさり、と翼の羽ばたく音がした。
「狐!」
鋭い呼び声とともに、身体が受け止められる。肩口と膝裏を支えるそれは、先程掴んでいた枝よりよほど細いのに、揺らがない安定感がある。
恐る恐る瞼を持ち上げると、見慣れた横顔が、見慣れない表情で歯を食い縛っていた。
「鴉
……
?」
ぽつりと頷くと、鴉が視線だけ動かして狐を一瞥する。
黒く大きな翼が、力強く羽ばたく。顔に当たる風が、鴉の黒髪と狐の金髪をはためかせる。
ぐるりと旋回して速度を落としてから、緩やかに着地する。
どうやら、木から落ちた自分を、鴉が受け止めてくれたらしい。そう気付いたのは、地面に降ろされた後だった。
とん、と感触を確かめるように土を踏みしめて、安堵の息を吐く。それから、狐は恐る恐る鴉を見上げた。
「た、助かった。ありが──」
「死にたいのか、馬鹿者が!」
感謝を告げるより早く怒号を落とされて、狐はぴゃっと身を縮めた。
怒っている。ものすごく怒っている。
仁王立ちで腕を組んだ鴉が、眦を吊り上げて狐を睨みつける。
「せめて獣の姿に戻れ、この考えなし!」
「おお、なるほど」
ぽんと手を打つ。
言われてみればその通りである。
狐の本性たる獣の姿と人の姿では、身の軽さがまるで違う。近頃はずっと人の姿で過ごしていたからすっかり忘れていた。
しかし、そんな狐の態度は、鴉の目には呑気に映ったらしい。
「なるほどじゃない!」
狐の呑気な反応にいきり立った鴉が、狐の胸ぐらをぐいと掴み上げる。
大きな翼が威嚇するように広がって、ぶわりと羽毛が逆立った。
「す、すまなかった」
狐より身長の高い鴉にそれをやられると、首が絞まって地味に苦しい。
少しでも力を緩めようと、衿元を掴む鴉の手に、宥めるように手を重ねて、狐ははっとした。
細い指先は、ひどく冷え切っていた。
思わずまじまじと見つめた狐の視線に気付いたのだろう。鴉がふいと目を逸らして斜め下を向く。
垂れた髪の影になって、表情が見えない。
「お前まで、──
……
」
ぽつりと漏れた声は、掠れてひどく聞き取りにくかった。
畳まれた翼の先が地面を擦る。
掬い上げるように手を握れば、力の抜けた指は簡単に衿から外れた。
怒っているのは、心配してくれたからだ。そう気付いて、申し訳ないような、嬉しいような、擽ったいような複雑な心地になる。
「すまなかった」
血の気の失せた鴉の指先を握りしめて、謝罪を重ねる。怒られたからではなく、心からの反省を込めて。
いや、と短く答えて、鴉が顔を上げる。
その瞳にいつも通りの落ち着きが戻っているのを認めて、狐はこっそりと安堵の息を吐いた。
「で、探し物は見つかったのか?」
「ああ。あそこに」
淡々とした問いかけに、頷いて樹上を指し示す。
先程の一件で谷底に落ちたかと思ったが、無事だったらしい。
狐の指先を辿って、鴉が上を向く。真っ直ぐな黒髪が流れて、髪飾りの鈴がしゃりんと澄んだ音を立てた。
「あれか。分かった。少し待て」
言い置いた鴉が、とん、と地面を蹴って跳躍する。
黒い翼が風を含むとともに、奇術のように少女の姿がかき消えて、代わりに黒い大きな鳥が飛翔する。
鳥は難なく木の上に辿り着くと、主のいない巣の中から目的のものをついと引き抜き、嘴に咥えた。
「これか」
「これじゃ! 礼を言うぞ、鴉!」
一瞬で少女の姿に戻った鴉にかんざしを差し出されて、狐はぱあっと顔を輝かせた。
それからはたと我に返って、肩を落とす。
「しかし、これでは我の力で人助けをしたことにはならぬな。結局そなたに手伝わせてしまった」
自分でやる、と言ったのに。
しゅんと項垂れる狐に、鴉が呆れたように眉を顰めた。
「私はお前に手を貸しただけだ。あの人間を助けたわけじゃない」
「我を助けたのは良いのか
……
」
「そういうことは、持ち込んだ面倒事を自分で片付けられるようになってから言え。まったく、次は手出ししないからな」
「
……
努力する」
神妙に頷く。
とはいえ、次も何かあれば手出ししてくれるのではないか、という予感もする。何だかんだで面倒見が良いのだ、彼女は。
そんな狐の内心に気付いていたかいないか、鴉は諦め交じりの溜息を吐いて、邪険に手を振った。
「お前の役目はまだ終わってないだろ。さっさと届けてやれ」
「ああ!」
そうだった。
元気良く返事をする。かんざしを大切に持ち、狐は社に向かって駆け出した。
*
「本当に、ありがとうございます
……
!」
手渡されたかんざしを胸元に抱いて、
美珠
みたま
は目を潤ませた。
参道に跪いて頭を下げる。社に続く階段に腰掛けた子供が、ぱたぱたと足を揺らした。
「良かったな。大切なものなのじゃろう?」
「はい、とっても」
顔を上げると、金色に輝く眼と視線が交わった。
美珠の喜びを自分のもののように嬉しそうに笑う顔は明るく無邪気で、まるで普通の子供みたいに見える。
ふと、幼いうちに死んでしまった一人娘のことを思い出した。
たった三つで、命を終えてしまったあの子。もしもあの子が生きていたら、これくらいの年だろうか。
そう思った時には、するりと問いが零れていた。
「御使い様は、この社に住んでいらっしゃるのですか?」
「む? そうじゃな」
問いの意図が分からなかったのだろう。子供が首を傾げつつ、素直に頷く。
では、と美珠は身を乗り出した。
「おひとりで、寂しくはありませんか。もしよろしければ、私の家に──」
言い終える前に、我に返った。
子供がきょとんと美珠を見下ろす。その無垢な視線に、頬が熱くなるのを感じた。
「申し訳、ありません。つい、出すぎたことを
……
」
「いや。気持ちは嬉しかったぞ」
ひたすら恐縮する美珠に、子供がころころと笑う。
とん、と軽やかに参道に降り立った子供が、美珠の前にしゃがみ込む。
そのまま覗き込むようにして美珠を見上げ、彼女は柔らく微笑んだ。
親が子を慈しむような、祖父母が孫を愛おしむような、優しい笑みだった。
「しかしな、我はひとりではないぞ」
続けられた言葉に、美珠はぱたりと瞬いた。
次いで、はっとする。
そうだ。彼女は山神の御使いだった。ならば当然、社には山神がいるのだろう。もしかしたら、彼女以外の御使いもいるかもしれない。
「実はな。そのかんざしを取り戻すのも、そのひとに手伝ってもらったのじゃ」
打ち明け話をするように、子供が声を潜める。
下がった眉は、どこか気まずげな色がある。まるで、姉に仕事を手伝ってもらった妹みたいだ。
しかし、綻んだ目元に浮かぶ笑みは見覚えのある類いのもので、つられて美珠まで口元が緩んだ。
「大切な方、なのですね」
美珠の言葉に、子供が金茶色の睫毛を瞬かせる。
それから、ぱっと笑みを閃かせた。
春の花が咲くような、笑みだった。
「ああ。大切なひとじゃ」
噛みしめるように、思いを馳せるように、金の瞳を細めて、狐が言う。
美珠は穏やかに笑みを返した。
「でしたら、良かったです」
申し出が断られたことに、少しだけ寂しい気持ちはあるけれど。
この子供が、幸せであるのならば。
衣の裾を払って立ち上がる。
戻ってきたかんざしで、いつものように髪を纏め直す。
子供に別れを告げて、鳥居をくぐり、もう一度頭を下げる。
そして山を下り、美珠は日常へと帰っていった。
*
「行っても良かったのに。おまえは人間が好きなのだから」
帰っていく彼女の後姿が見えなくなった頃。
狐の頭上から、静かな声がした。
振り仰げば、社の屋根の上から、鴉のあやかしがこちらを見下ろしている。
「そんなことを言って。我がいなくなったら寂しかろうに」
狐はむっと唇を曲げ、腕を組んで鴉を見上げた。
『お前まで、──
……
』
木から落ちた狐を受け止めてくれた後、鴉が何と言おうとしたのかは分からない。
ただ、何となく。
自分は鴉をひとりにはするまい、と、そう思ったのだ。
「図に乗るな」
勝手な決意を固めた狐を、鴉がじろりと睨む。
「昔に戻るだけだ。
……
お前を拾う前に」
素っ気なく言い捨てて、鴉がそっぽを向く。
その横顔を見上げながら、狐は考え込んだ。
(本当に、昔に戻るだけなのじゃろうか)
ひととひとが出会い、共に過ごし、別れたとして。その後は、出会う前に戻るだけなのだろうか。
たとえば美珠だ。彼女にとって夫や娘は、はじめから一緒にいたわけではない、人生の途中で出会った相手だろう。けれど、夫や娘を亡くした彼女が、彼らに出会う前に戻っただけかと問われれば、それは少し、違う気がした。
きっと、出会いはひとを変えるのだろう。良くも悪くも。
……
鴉にとって狐がそれほどの存在なのかは、また別の問題として。
うむ、と頷いて、狐は屋根の上へ駆け上った。
「少なくとも、我はそなたが一緒でないと寂しいぞ」
「引っ付くな、暑苦しい」
腕に抱き着いてぐりぐりと頭を押し付ければ、鴉が居心地悪そうに身じろぐ。
だが、振り解きはしない。
ぽすりと肩口に寄りかかると、細い指が髪を梳いた。
薄い肩は硬く、あまり寝心地が良くないが、黒い外衣は羽のように滑らかで触り心地が良い。
春の日差しはぽかぽかと暖かく、眠気を誘う。
抗わずに目を閉じる。落ちるなよ、と苦笑する声が、遠く聞こえた気がした。
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