guttaru
2026-05-17 13:06:23
10113文字
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【ディオジョナ】蒼々(短編)

ワンドロ『蒼々』をテーマにしましたがタイムオーバーしてます(3倍は…)、すみません💦


「すっかり青くなったよな」
隣から聞こえてきた声に、ディオはひと呼吸分遅れて反応した。
「え?なんだって?」
思わず聞き返したディオを、肩を並べて歩いているエドが見上げた。髪と同じ赤茶色の眉が弓なりに持ち上がっている。含みのありそうな笑いを口元に忍ばせながら、エドは辛抱強い大げさな口調でもう一度言った。
「いやだなディオ、この距離があるせいで聞こえないのかい?」
エドは片手を軽く上下させて、自分の背丈と長身のディオの高さの違いを皮肉った。ディオの後ろをそぞろ歩いている他の数人のメンバー──大学入学早々から自然とディオを取り巻いている、いつもの顔ぶれだ──が、エドの自虐に笑い声を上げる。その短い余韻が消えないうちに、エドは続けた。
「フィールドだよ。もうすっかり芝生も青くなってきたな。君みたいに走れるなら、僕も駆け回りたいね」
 お前が校庭を駆けまわったら即席のドッグランにでも見えるからやめた方がいい、という言葉は呑み込んで、ディオはエドの向こうに広がる校庭に目を向けた。

 恵まれた体躯を持つ彼は半ば必然的にラグビー部に所属していた。入学とほぼ同時に入部しており、まだ一年の彼にとってラグビーでの練習期間はおよそ八カ月ほどだが、すでに一年分はフィールドを駆け回った気がしている。ラグビーは過激なほど肉体を衝突させ合うシーンが多いゆえに単純なパワーとスピードの力比べに見えがちだが、実際はチームの戦略や連係プレーが勝敗の鍵を握る知的なスポーツだ。だからこそ世間が熱狂する競技の一つになっている。ディオは自分の体格が有利に働き、かつ名前を売りやすいという観点でラグビー部への入部を決めた。
 その決定を、入学から二日目の夜、寮にて、ディオは“親友”のジョジョに夕食に向かう道すがら話した。話しながらも、ディオはジョジョの反応は見るまでもないと思っていた。ジョジョはディオと同程度か、もしくはそれ以上に上背のある彫像のような体格をしており、彼が活躍できる場も間違いなくラグビーだった。だから、彼が「僕も同じことを考えていたよ」と返してきたとき、『まともな選択もできるじゃないか』と木で鼻をくくるような返しをしないように気をつけたことを覚えている。
 そして何より、反射的に浮かんだ妄想に笑いださないよう、気を落ち着けなければならなかった。ジョジョとラグビーが明確に結びついた瞬間にディオの頭の中に浮かんだのは、二人が出会ったばかりの頃にやったボクシングの試合のことだった。あのときに奪い損ねたジョジョの視力を、スポーツ事故を装って今度こそ奪ってやれたらどんなに気持ちがいいだろうか?──青々とした芝生の上を、手を真っ赤に滴らせながら悲鳴を上げてのたうち回るジョジョを想像するだけでディオは笑い声を上げてしまいそうだった。湧いた感情をすべて肚の底に押しとどめて、ディオはただ「君もそう言うと思ったよ!心強いな、一緒に頑張ろう」など、口先で応えたのだった。
 
 ディオにとって予想外だったのは、ジョジョが早々に活躍する選手として部内で注目されたことではない──ジョジョが運動好きでそれなりに動けることは、彼と出会った日に気付いていた。ジョースター邸で出会った日に、ジョジョが犬と走り回る様子を見たのだ。墓に入れてやる価値もなかったあのクズの店で残らず金をかき集めたとしても手が届きそうにもない高価な上着を汚しながら、彼は広大な庭(庭!スラムでは家すらない連中が蔓延っている)で犬の涎と土まみれになって遊んでいた。他にも、彼が動けることはそれこそ例のボクシングや、そして忘れようもないあの高慢ちきな田舎娘の件……で証明されていた──、彼が最もディオをフォローすることが上手かったことだった。
 ジョジョなぞに不意を突かれたことは決して多くないが、ラグビーでの彼の動きは数少ないそのうちの一つだったといえる。ジョジョはまるでディオに呼吸さえ合わせられるかのようだった。彼はディオが欲しい時に欲しい場所に道をつくり、ボールを回してきた。なにも二人で特別な練習をしたわけでもないというのに、ジョジョは、ジョジョだけが、初めからディオとの連携プレーが上手かった。
 初回の練習だというのにまるで何度もトレーニングを積んだかのような連携を見せたジョジョに対し、ディオはどうにも気まずいと思った。そして、練習後に顔を合わせた時、ディオが完璧に気さくな笑顔を準備して向き合ったのに対しジョジョの方は頬に『どうにも気まずい』と書いているのを隠しきれていなかった。その顔を見た瞬間、ディオはほとんど無意識のうちに大きく踏み出してジョジョの横を陣取り、彼の肩を掴んだ。
「連携が決まったな、ジョジョ!あんなに上手く合わしてくれるなんて、君が普段から僕の動きをぜんぶ観察してるんじゃあないかと思ったよ」
思わずジョジョの顔を覗き込みながらディオは冗談めかして言った。期待通り、ジョジョの顔に半笑いと気まずさがさらに広がったのを見て、ディオの胃の辺りはスッキリとした。一方で、肚の奥には何か重たいものが過った気がした。

 エドが言う通り、フィールドの芝生はすっかり青くなっている。ディオが口を開く前に、後ろの二人が「エースの座を脅かしてるよな」「ああ、ディオなら今年にもエースに選ばれる」などとディオを阿諛の対象とした賞嘆の言葉を口にするのが聞こえてきた。ディオはすぐに顔を引き締めて微笑んだ──内心、“友人”におべっかを使わせる間を開けるなんて、今日の自分はどうにも集中力が欠けていると思っていた。
「どうかな?先輩に潰されるのが先かもしれない」
ディオが肩をすくめて言ってみせると、一同は笑い声を上げた。隣のエドは吠えるような短い笑いが引っ込むと、唇をめくってニヤリとしてきた。
「ディオ、今日は上の空だな?」つい先ほどディオ自身が自覚したことを、エドはわざわざ指摘してくれた。ディオが応える間を置かず、彼はさらに続けた。
「分かるよ、ジョジョが心配なんだろ?」
 ジョナサンは珍しく風邪を引き、今日は寮の部屋にこもっている。ディオは内心、『そりゃあ上の空にもなるさ』と思った──これを機に義弟も墓の下に送れないかを考えるのに忙しかったからだ。だがあいにく学校から貧民街にクスリを買いに行くには、ジョースター邸からならまだしも、距離が遠すぎる。そのうえ学校は屋敷よりも何十倍も人の目がある。学内で事を起こすことは現実的ではないと結論づけ、断念していた。
「彼が風邪をひくなんてな」
ディオはたっぷりとため息を吐きながら応えた。心の底からのため息だった。
「ジョジョは風邪すらタックルで倒せそうなのにな」後ろで友人が言う。
「本当に帰らないで大丈夫なのか?彼は」もう一人が声を上げる。ディオはその言葉に対しゆるく首を振った。
「父さんにうつしたらいけないからって言い張ってる。まあ、今朝先生が連れてきた医師に診てもらったらしいし……あたたかくして寝ておけばいいんだとか」
 午前にジョジョの部屋の戸口で交わした会話を思い返しながらディオは言った。ベッドに近寄らないようにと主張してくる彼に『頼まれても近寄らないさ』と思いながら、ディオは苦し気なジョナサンの声を聞いていた。あのまま目を閉じていたら立ったまま寝ていたかもしれない。ジョジョの苦し気な声は不思議と気を落ち着かせる何かがあった。
「大事じゃないならよかったよ」後ろの声に、ディオは反射的に「ああ」と同意した。
「この後で、お見舞いに行こうかな?」
エドが心配と好奇心の混ざった声で言った。ディオの頭の片隅に、望まぬ客が来てますます苦し気にするジョジョの顔が浮かんだ。口を開いたとき、ディオは「それはいいね、皆で行こう」と言う用意ができていた。
 だがその言葉を紡ぐ直前に、彼は考えを変えた。ジョジョが望まないのは、“皆”より“ディオ”のはずだ。ジョジョの調子が一番いいのは、ディオとの間に他の友人たちという緩衝材がある時だ。彼が必死に隠しているのを見る度にディオの方は調子がよくなるのだが、ジョジョは過去のちょっとしたすれ違いのせいで──特にあのクソ犬の“火葬”後から──ふとした拍子にディオを前に緊張を見せるようになっていた。
 ジョースターの一人息子を腑抜けにするとうディオの当初の予定から現状は大きく逸れてしまったものの、“血統書”付きのジョジョがディオを前に緊張していることを嗅ぎとる度、ディオはちょっとした蜜を味わうことができた。弱っている時なら尚更、ジョジョはディオと一対一で向き合うことを望まないだろう。今日の彼が何を見せてくれるかディオには興味があった。普段取り繕っているものを隠せず、決定的な言動をしてくれれば、ある種の武器をディオは手に入れられる。ジョナサンの立場の「恥」は、ディオには交渉という名の脅迫の材料になる。
……いや、彼は皆にうつしたくないと思ってる。今朝だって、僕を部屋の戸口に立たせて、中に入れようともしなかったんだぜ」
ディオは残念そうに言った。エドは「彼らしいな」と相槌を打った。ディオが言うまでもなく断られることは想像ができていたらしい。この友人はジョジョのことを随分と分かっているつもりのようだ。ディオはエドに微笑んで言葉を重ねた。
「でも、心配だから、後で僕が顔を出しておくよ。葬式になりそうだったら仕方がないから君らも呼びに行くさ」
「はは、呼ぶなら明日にしてくれ。今日はたっぷり寝たいから」
ディオの冗談に笑いながらエドが応えた。後ろでも「そうだな、今日は用事がある」「僕も煙草を買いに行かなきゃ」と声が続く。一行は笑いながら校舎から寮への道のりを移動した。

 部屋主の調子の悪さは、どうやら空気中に伝播するらしい。ジョジョの部屋の戸口に立ち、室内全体がどことなく悄然としているのを感じながら、ディオはもう一度辛抱強くノックをした。すでに二回はノックをしたが反応がなかったので勝手に扉を開けたのだ。ジョジョのルームメイトは昨晩時点から避難のために一時的に部屋を移っており不在で、決して広くない奥に伸びた長方形の部屋にはジョナサンしかいなかった。だが今は、彼の存在すら感じない。寝入っているのだろうか?それとも、寝たふりだろうか?
「ジョジョ?」
ディオは再度声を掛けた。部屋に唯一の煤けた小さなガラス窓は細く開けられている。カーテンはなく、窓は雲の向こうからこもった橙色を放つ夕焼けのかすかな陽光でぼんやりと輝いていた。窓以外はほとんど闇の中だ。まだ用務員は来ていないのだろうか?病人のランプに火を灯すことも惜しむほど忙しいか、給与を貰っていないに違いない。もしディオが床に臥すなら即座に誰かを呼びつけて金を握らせ、快復までの期間の小間使いをつくるが、ジョジョはそんなことを挑戦しようともしなかったに違いない。
 返事がないことを良いことに、ディオはこのまま踵を返して自室に戻ろうかと思った。だが、もし本当に瀕死なら?いや、今朝の様子ではとても期待できない。それなら寝たふりだろうか?あの“紳士”のジョジョが?
 ディオはさっと廊下を見回し、誰も居ないことを確かめてから部屋の中にするりと身を滑り込ませた。すでにノックの音を立ててしまっていたが、この時間帯はあちこちで誰かが誰かの扉を叩いて夕食に誘いだしているので気にするほどの音ではないだろう。

 好奇心が、ディオの胸で存在を主張していた。もしジョナサンが狸寝入りをしているならその顔を見ずには居られない。ディオの足はジョナサンのベッドに引き寄せられるままに前へと動いた。二歩進んだ時点で、ジョナサンの呼吸音が聞こえ、ディオは思わずため息を吐いた。安堵のため息だ。少なくとも今朝話せるほどにはエネルギーがあったジョナサンを一日で殺すような病気はここにはないようだ。
 ベッドは、窓側に頭を向けて扉側に足を向ける向きで置かれていた。夕焼けの茫洋としたオレンジ色はジョナサンの腹の辺りから足までを染めており、そこに光が当たっているせいでジョナサンの顔は陰になっていた。ジョナサンの胸が呼吸で上下するのが見えるほど十分に近づいてから、ディオはジョジョの顔を見下ろした。ラグビーでさんざん日焼けしたはずなのに、ジョジョの顔は暗がりの中でうっすらと白くほの浮かんで見えた。一度彼の顔を見てしまうと、今にも闇に呑まれそうな部屋の中でその顔だけがひどく目を引くようになった。周囲を観察していたディオの意識が知らずのうちにジョジョの顔の上に収斂し、彼の顔しか見えなくなったかのようだった。白っぽく見えるジョジョの顔は、それが彼の元々の肌の色なのか、それとも風邪のせいで血の気が失せた色なのかは分からなかった。
 ほの浮かぶジョジョの顔はまるで死体のようだった。だが、ただ無防備だけが浮かんでいる彼の表情は、むしろ日頃の彼よりも生き生きとして見えた。いつもよりぐっと幼く、頑是ない表情に見える。ジョージの鞭に泣いている頃の彼を思い出させる顔だ。容体は決して──あいにく──深刻ではないらしく、ジョナサンの顔には汗の一つも浮かんでいなかった。呼吸も正常のリズムだ。
『瀕死なら、枕で窒息死させる手もあったかもな』
ディオは鼻で笑い、なんらの危機感も覚えていない間抜けな表情を見つめた。
 見慣れすぎて感覚は鈍麻していたが、ジョナサン・ジョースターの顔は校内新聞に載った集合写真をきっかけに話題を呼ぶほどには“見れたもの”であることをディオは思い出した。もちろん、話題の中心はディオだったが、新聞掲載後に増えた観客の中にはジョジョを見るために来た者も居たようではあった。
 にわかにラグビーの観客を増やした顔が、一定のリズムで静かな寝息を立てている。どうやら狸寝入りではないようだ。まっすぐで高い鼻梁の横でしっかり下ろされた弓なりの瞼を、黒く長い睫毛が縁どっている。周囲の闇に溶け込みそうな豊かな黒髪がゆるくカーブを描いて白っぽい額や高い頬に掛かっている。太めの眉は眼窩に沿って普段の凛々しさを保っている。立場が違っても、と、ディオはふと思った。
 もしジョースター邸ではなく別の家の養子になっていたなら──あのジョージのようなイカれた“紳士”が他に居るはずもないことはさておいて──、それでも自分は、このジョナサン・ジョースターとは“仲良く”しようとしていたに違いない。何よりも家柄だが、この顔立ち、この身体だ。どれほど意地悪い見方をしたところでジョジョは明らかに貴族だ。黙って微笑めばそれだけで使用人に支持され、世話を焼こうとされる、そういう類の男だった。
 もし入った巣が同じでなければ、本当に親しくしていたかもしれない。“親友”なぞではなくディオに付き従う“友人”になるのであれば、ジョジョほど魅力的なアクセサリーは同年代で他には居ない。ジョージの砂糖漬けの教育のもと彼がどう育ったかは知らないが、そうは言ってもあの父親だ、大学に送り出す前にはそれなりの立ち居振る舞いを身につけさせていたに違いない。ディオと出会った頃のあの激しすぎるマヌケそのものの笑顔も、いま目の前のすっかり大人びた顔で見せれば、必ず周囲を惹きつけただろう。あのガキの頃とは違い、ジョジョの面貌からは甘ったれた雰囲気は消え、他の種類の甘さが見え隠れしている。小ぶりだがやや厚めの唇なんて特にそうだ。骨格は男そのものだが、この柔らかそうな唇はどうにも──
「ん……
 ジョジョが身じろいだ瞬間、ディオは咄嗟に口を片手で覆った。
 思考が追いつく前に、背中からうなじまで一気に汗が噴き出た。心臓が肋骨を叩いている。手のひらに当たる吐息が驚くほど熱く、湿っていた。肚の奥で筋肉が引き締まるような妙な感覚をディオは感じていた。腕に鳥肌が立っている。気を抜いたら、うっかり自分も声を漏らしてしまいそうだった。
 かすかに身じろぐついでに漏れたジョジョの声は砂糖でもまぶしたかのようだった。男らしく低い声帯を持つ彼の甘ったるい鼻声。突然、ディオの目はジョナサンの顔から離れ、下の首筋に向けられた。くっきりとせり出した喉仏の目立つ首筋が見える。先ほどまで気にもしなかったはずなのに、医者の『あたたかくしろ』という忠告にも拘らずボタンを三つも開けられたシャツがひどく目立つ。肘で緩く曲がったジョジョの右腕が腹に乗っており、その腕の上に鍛えられて盛り上がった胸筋が見えた。だらりと力なく横たわる腕の、その下に、くしゃっと皺をつくっている薄い生地のボトムスが続いている。布はその下の身体の隆起を明確に拾いあげていた。引き締まった長い脚。その下に、ボトムスと肌掛けの間から、日にまったく焼けていない白すぎる足の甲がほんの少し覗いている。
 まったく自覚のないままに、ディオはジョナサンの肉体の輪郭を何度も視線でなぞっていた。その往復を繰り返すうちに、彼の目は露骨で危険な光を帯び始めた。無意識のうちにディオの喉仏が小さく上下したとき、ジョナサンが二度目の身じろぎをした。
 その意識の半分戻ってきたような寝返りを前にした瞬間、ディオはハッと自分の意識を掴まえた。二秒ほどの間をおいて、ジョナサンが瞼を持ち上げた。青白い頬の上でゆるく開いた目の、その蒼が、ひときわ目を惹いた。

 瞬間、ジョナサンは弾かれたように上体を起こした。その動きでいつの間にか室内に高まっていた湿った緊張も弾け飛び、その代わりに、二人が向き合うときのあの独特な空気がさっと部屋を満たした。ディオは咄嗟にジョジョからさっと目を逸らし、わずか二秒の間に考えた台詞をさっと口にした。
「ジョ、ゲホ、ジョジョ。驚かせてすまない、ノックしたんだが」
ディオは扉を振り返るジェスチャーをしながら、反射的に目を逸らしたことを誤魔化そうとした。いつの間にか自分が手を軽く挙げて弁明じみた態度を取っていることに気付き、内心舌打ちをしながら、その手でサイドテーブルを指さした。
「返事がないから心配で。ちょうど、明かりをつけようかと」
わずかな沈黙──針の落ちる音さえ聞こえそうな耳に痛い沈黙──が流れた。ディオはいつもの笑顔をなんとか取り繕った。部屋が暗くてよかったと思った。頬の妙な痙攣を目立たせないで済んだからだ。
 ジョナサンはまだショックの最中のようだったが、ややあって慌てたように話し出した。
「でぃ、ゲフっ、ディオ、驚いたよ……
先ほど身じろいだ時に声を漏らした人物と同じとは思えないほど汚らしい咳ばらいをした後、ジョナサンは言った。ディオは妙にホッとした──あのシュガーまみれの声よりも、この普段のどことなく緊張のある怯えた声の方が安心感がある。ディオは自分がコントロール権を握ったことを明確に感じ取った。いつも通りに。
「悪かったよジョジョ、暗いから驚いたよな。ずっと寝ていたのか?もうすっかり夕食の時間なんだぜ」
ディオは気さくな調子を保って言いながら、サイドテーブルに近づいた。ジョジョが目で追いかけてくるのが心地がいい。ランプを開け、マッチを擦って火を移す。ポッと明かりがつき、壁を橙に染めると、空気はさらに“いつも通り”になったように感じられた。ディオは余裕を取り戻し、まだ驚きから抜けないらしいジョジョがもごもごと「ああ、そんなに……」と言っているのに対し、完璧な笑顔を向けることができた。
「少しはマシになったか?皆心配しているよ……もちろん、僕もだが」
「あ、ああ、うん、ありがとう……うつしたら悪いと思って、こんなことしなくてもよかったのに……
失礼だと感じたのか、ジョナサンの言葉尻は弱くなった。
「水臭いじゃないか、ジョジョ、僕らの仲だろう?そんなことを気にしないでくれよ、家族じゃないか、心配くらいさせてくれ」
ディオの大仰なまでの心配な表情に、期待通り、ジョナサンはぎこちない愛想笑いを浮かべた。ジョジョの弱みを握っているような感覚は病みつきになるものがある。ディオは口の端を持ち上げた。
「熱は?」
 ジョナサンに片手をサッと伸ばした時、ディオは自分でもやり過ぎだと思った。だが、ギョッと竦むジョナサンを前にすると、手は止まらなかった。とりわけ、あの身じろぎの声を聞き、彼の全身の輪郭を目でなぞった今は──
 黒髪の間に見える額に手を押し当てた瞬間、ジョジョの肌の滑らかさにディオの方が息を漏らしそうになった。掌の下でみるみる温度が上がってくるのも心地がいい。明らかに緊張で全身を強張らせているジョジョのぎこちなさも、ディオの気分をますます高揚させた。
「ん~、ないようだな?」
「て、手でわかるのかい?」
 ディオの手首に近いところに、ジョナサンの睫毛の先がかすかに触れた。ぞくっとしたものが背中を走る。瞬間、ディオはゆっくりと手を離した。手の下から見えた、こちらを見上げる明るい色の瞳は、ランプの灯火のせいでいつもと少し違う色に見えた。透明で、瞳の底の光彩がハッキリと見える。そのせいだろうか?ジョナサンの緊張や怯えがいつもよりクリアに感じられて、ディオは鼻唄でも唄いたい気分になった。

 ジョジョの緊張がいつもより高いのは、事実そうであったからだ。この部屋にまでは滅多に入ってこない相手が知らぬうちに入室しており、こんなにも近くに立っていることによるプレッシャーがあった。さらに、ディオは普段の彼よりも近い距離に立っていた。ディオの身体は日頃見下ろすことのないジョジョを見下ろすチャンスに反応し、彼が頭で思うよりもずっと近い位置に彼を立たせていた。

 ディオは距離を計算することも忘れて、目の前の明るい瞳をじっと見た。
「もちろんさ、ジョジョ。冷たかったら死体で、温度があれば生きている。朗報だ、君は生きているぜ」
ジョジョはようやく微笑んだ。風邪のためだろうか?常の彼より力みのない笑顔に見えた。
「生きてることを教えてくれてありがとう」
「どういたしまして。忘れていたらいけないからな」
「そろそろ忘れるところだったよ」
冗談に笑みを深めつつ、ジョナサンは窓を振り返った。
「いつの間にか陽が落ちそうだ。僕は夕食は用務の人が持って来てくれると言っていたから、ここで待つよ。君は……
「もう食堂に行くよ。なんにせよ、元気になってきたようで……何よりだ。ところで、仮病かい?」
「まさか!違うよ」ジョジョが笑った。ディオはそれを皮切りに、踵を返し、扉に向かい始めながらジョジョに応えた。
「フフ、冗談さ。今朝の君は珍しく青白かったからな……さて、元気になったと思って、急に無理をしないようにしてくれよ、ジョジョ。君を看病するのは骨が折れそうだからな」
ディオは扉の取っ手を掴んだまま振り返って言った。ジョジョを看病だなんて思ってもいないことをよくスラスラ口にできたものだとディオは自分に感心した。そして、半呼吸分おいて、意外と悪くないかもしれない、と思った。あのボディを拭いてやるくらいは別に苦ではない。むしろ、それなら──
「心配をありがとう。君にうつしてしまってないといいんだけど」
ジョジョがホッとしたような顔で言った。ディオが出て行くことに安堵しているのだろう。反射的に、ディオの中で意地の悪い気持ちが沸き起こった。
「そういえば君、言うのもなんだが、寝言で悦がり声を上げていたぜ。どんな夢を見てたんだ?」
「え?」
ジョナサンはポカンとした。そのマヌケな顔に、ディオは吊り上がる口角を隠すために前を向き、取っ手を確認するフリをしながら続けた。
「男として、そういう気分になるのも分かるさ」
「え、本当に?」ジョジョが素っ頓狂な声を上げる。ディオは無視して畳みかけた。
「ハハ、皆には言わないでおくから、俺が風邪になった時には看病を頼むよ」
扉を開けて戸口に立ち、肩を翻すと、眉を下げたジョジョと目が合った。身に覚えはないのだろうが、生理現象は誰しもある、自分を責めているに違いない。これまでで一番気まずそうな顔をしているジョジョを前に、ディオの肚の底の何かが満足の喉を鳴らした。
「ジョジョ、“元気”になってよかったよ。また明日な」
「うん……ありがとう、おやすみ……
「ああ、おやすみ」

 扉を閉める直前、ディオの目は俯いたジョジョの額をさっとなぞった。手のひらに、見た目よりも柔らかく感じる滑らかな肌の感触が甦る。
 振り返り、歩きだすと、開け放された廊下の窓からやわらかな風が入り込んできた。どことなく、青々とした緑の匂いがした気がした。


☆☆☆

草の青、顔色の青、瞳の蒼です(説明すな~!)。
自分が興奮したという「恥」をジョジョの「恥」にすり替えるゲロ以下の行動!笑