果南(カナン)
2026-05-16 08:22:48
2470文字
Public さめしし
 

ささやかな誘惑

さめしし。未使用だったワンドロ第5回(2024年8月16日)のお題「日課」「不意打ち」で書きました。つき合い始めた二人の、早朝のひと時です。




 目覚ましが鳴る前に、目が覚めた。
 サイドテーブルに手を伸ばして、スマートフォンを掴む。日課に合わせて設定しているアラームを切り、画面を消して置く。ぱちぱちと瞬きをしてから、見慣れた自分の寝室の天井を見つめた。
 元々、寝起きは良いほうだと自分でも思うが、特に近頃はこんな感じで目覚めることが多い。振動のみの設定にしているとはいえ、アラームが鳴れば村雨が起きてしまうかもしれない。そんな心配が、眠っている間も無意識に働いているのだろう。
 別に、それが嫌だってワケじゃない。
 むしろ、なんか楽しい。
……ふは」
 体をそっと横に向けて、片肘をついて上体を半分起こす。隣ですうすうと眠っている村雨を眺めた。
 寝返りを打ちかけて諦めたみたいな格好で、顔も体もこちらを向いている。硬めの黒髪が枕の上で散らばり、桜色のインナーカラーが不規則に覗いていた。
 目元の隈は、相変わらずだ。もっとも昨夜は興が乗って、かなりアレコレと頑張っていたので、お疲れだとしても仕方がない。いちおう体は拭いたものの、互いにパジャマも着ないまま、話しているうちに眠り込んでしまった。
 何もかもを見透かす深紅の瞳は、今は瞼の奥に隠れている。眼鏡もなく、無防備に寝入っている村雨は、いつもに比べてずいぶん幼く見えた。
 ——かわいい。
 自然に、そう思ってしまう。
 村雨のほうが年上だし、強ぇし、オレはこいつに抱かれているわけなんだけれど。それはそれとして。
 じっと眺めていると、胸の奥があたたかくなってくる。口元は綻ぶし、頬は緩んでるし、いま鏡を見たら、きっとニヤけた顔の自分が映る。
 誰かが見ていたら、阿呆みたいだと思うだろう。
 でも、嬉しい。
 愛おしい、って、こういうことなんだろうか。
「ん……
 村雨が目を閉じたまま、小さく身じろぎした。上掛けがずれて、裸の肩があらわになる。寒いと感じたのか、微かに眉根が寄った。
 つい先日まで残暑が厳しいとぼやいていた気がするのに、最近ではもう、朝晩は肌寒さを感じる。すぐに冬が来て、日課のジョギングもまだ暗い中を走ることになるのだろう。
 オレは上掛けを掴み、そっと村雨の肩を覆った。
「まだ、時間あるからな。ゆっくり寝てろよ」
 黒髪の落ちかかる額に、ごく軽く触れるだけのキスをする。
 寝顔をもう一度見下ろして、静かにベッドから出ようとした、その時。
……!」
 ぐっと手を掴まれて、引っ張られた。
「む、村雨?」
 完全に不意打ちで、驚いてしまった。動けないでいる間に、枕の上の頭がずりずりと寄ってきて、オレの胸にぽふ、とぶつかって止まる。
「どこにいく、ししがみ」
 かすれ気味の声が、小さく問いかけてくる。ふにゃっとした言い方で、まだ寝ぼけているのは明らかだった。
「何処、って……ジョギングして、朝メシ作るぜ。いつも通りだろ」
「そう、だが」
「できたら、ちゃんと起こしにくるから。寝てていーぞ」
……
 村雨は無言で、ふるふると首を横に振った。
 裸のままの胸で、村雨の髪が、鼻が、頬が揺れる。少しくすぐったくて、でも心地良い。離れがたくなる。
「ここにいろ」
 オレの心を読んでいたかのように、村雨が言った。
「え……でも、日課が。お前の朝メシも」
「それより、あなただ」
 ちゅ、と左の胸に口づけられた。
「ひゃっ」
 また不意打ちで、情けない声が出てしまう。村雨はそのまま、オレの胸先を口内に収めて、れろりと舐めてきた。
「あ、ふ……っ」
 ざらりとした、弾力のある舌の感触。
 濡れて、あたたかい口の中。
 軽く吸われて、びくっと体が震えてしまう。昨晩、さんざん味わわされた刺激。舌先で捏ねくり回されて、反対側も指で撫でられて、摘ままれて——その感触が、快楽が、一気によみがえってくる。
「ぁは……っ、む、村雨……っ!」
 ——でも、そこまでだった。
 舌の動きが止まり、唇の力が抜ける。
「え……?」
 オレの胸に顔を埋めたまま、村雨はまた、穏やかな寝息をたてていた。 
 小さく、規則正しく動く、薄い胸。
 喉を、空気が行き交う音。
「あー……うん、まぁそうだよな……
 オレはそっと手を動かして、村雨の頭を撫でた。
 黒髪を指で梳きながら、くり返し手のひらをすべらせていく。しっかりとした頭の骨を感じながら、頬や耳も撫でているうちに、軽く開いた唇からちゅぱ、と胸の先が外れた。
「ふっ……
 濡れた乳首に、かすかにひんやりとした感触が来る。
 でも、すぐに消えてしまう。淡い名残りだ。
 少しの間、そのまま村雨を眺めていた。
 こうしてオレのベッドで、当然のようにすやすやと眠っていて。寝ぼけたまま甘えてきて、それがとてもかわいくて。
 今日くらいは、日課なんか諦めて、このままベッドでイチャついててもいいんじゃねえかって、ちらっと思ったりもするけれど。
……やるべき事をやらないってのは、良くねえよなぁ」
 村雨とのコレは、これからも続く日常だ。
 なのに、かわいいからっていちいちサボっていたら、オレは何もできなくなってしまう。
 上に、向かっていけなくなってしまう。

 それは、良くない。
 そんな自分を許せなくなってしまうようなことは。
 
 オレは、もっと上を目指したいから。
 お前にふさわしいオレでいたいから。

 そっと顔を近づけて、さっきと同じように、額に軽く触れるだけのキスをする。少し見守ったが、今度は村雨は眠ったままで動かなかった。
 無防備で、幼く見える寝顔。目元の隈に、なめらかな頬とうなじ、裸の肩。
 ——やっぱり、かわいい。
「朝メシに、ぶ厚いハム焼いてやるからな。しっかり休んどけよ」
 囁いて、静かにベッドからすべり出た。
 エアコンのリモコンを取って、部屋が乾燥しないように設定を考えて、ゆるめに暖房をつける。クローゼットを開けてジョギング用のウェアを身につけ、愛おしい寝顔に微笑んでから、寝室を出た。