とむぢ
2026-05-15 22:18:37
10898文字
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なんてステキなミッドナイト/S▲▽

深夜、ホットミルクにマシュマロを浮かべて飲むS▲▽の話。
お腹が空いて眠れないS▽と、何でもお見通しでありたいS▲。
※ちょっとだけ怪我の描写あり
※幼少期捏造あり(幼い頃のS▽に爪を噛む癖があります)

ホットミルクを鍋で作るS▲が見たかった



 雨粒が窓を容赦なく叩きつける嵐の夜、大きく鳴り響いた雷の音を合図に、二人で子供部屋を抜け出した。
 弟の皮膚の下には、当然自分と同じ色をした血が流れている。その証拠に今、弟の指先は痛々しい赤で滲んでいる。なのに弟の手はなぜかいつも血が通ってないみたいに冷たかった。それが酷く不愉快だった。ペタペタと裸足で廊下を進み、真っ暗なリビングに辿り着くと、明かり担当のヒトモシと弟によく懐いているヤブクロンの二匹に手伝ってもらいながら、目当ての救急箱を探す。暗いからどこに何があるのかよく見えなくて、生まれ育った我が家のはずなのにまるでどこか知らない場所のように感じた。暗闇に慣れているヤブクロンが先に救急箱を見つけてくれたので、お礼を言って中から絆創膏を手に取る。エモンガの絵柄がプリントされた子供用の絆創膏が全部で5つ。1枚ずつ、弟の赤く滲んでいる指先に貼っていく。
 弟が出血するほど自分の爪を噛んでいたことを知ったのは、窓を揺らす風と雨の音で目が覚めたときだった。いつも二段ベッドの下で眠っている弟の様子を上から覗いて確認したら、弟は布団に潜っておらず、あろうことかベッドの上で座り込みながら無心で指先を齧っていたのだ。母を起こしても良かったが、何となく弟が怒られてしまうような気がしてやめた。弟の利き手である左手の親指から小指まで、すべて満遍なく血が滲み出ていて、よっぽど長い時間噛んでいたのだと分かる。こんな指では明日、モンスターボールを握るときに痛いだろうに。それでも弟はなんてことないように今も笑っていて、幼くて頼りない小さな手で応急処置をしている兄を凝視している。もしかしたら先にキズぐすりを塗った方が良かったのかもしれないと、弟の指先全てに絆創膏を貼ってから気が付いた。とにかく必死だった。早くその痛々しい傷を隠したくて、弟の困った癖をやめさせたくて、それ以外のことに頭が回らなかった。
 ──あのね、お腹すいたとき、どうしたらいいの。
 可愛らしいエモンガの絆創膏で漸く赤が隠れた弟は、笑顔でそう訊ねてきた。お前はお腹が空いたら爪を噛むのかと聞き返そうとして、口を閉じた。そうではないと、幼いながらに分かっていた。この弟は何も、本当の意味で空腹を感じているわけではないのだ。だから探した。弟がどこかへ行かないよう、一緒について来てくれたヤブクロンに見張りを頼んで、弟が爪を噛まずに済む方法を探した。
 やがて幼い兄が見つけ出した答えは、甘いキャンディだった。色とりどりの甘くて丸いそれを差し出すと、弟は声を弾ませて笑った。絆創膏だらけの指では開けにくいだろうと思い、小袋を開けて渡してやると、早速弟は中身を口に放り込んだ。弟は楽しげにそれをガリガリと歯で砕き始める。
 弟がキャンディを噛み砕く音と、勢いを増した雨粒の音と、街のどこかに雷が落ちる音。それらが混ざり合った不協和音は、まだ何者でもない無力でちっぽけな兄の──わたくしの不安を煽る一方だった。
 

▲▽
 

 ようやく住み慣れてきた家の中の廊下が、こんなにも長いと思ったことはない。ノボリは手持ちのシャンデラと共に、足音を殺しながら一歩一歩、恐る恐る歩いていた。時刻は0時を過ぎたところ。家中の電気は勿論ついていない。頭上をふよふよと漂うシャンデラの炎の明かりだけを頼りに、暗闇の中を進む。
 遡ることほんの数時間前。同じ職場で働くクダリと共に帰ってきて、今日は久しぶりに二人で落ち着いて食事を取ることが出来た。とは言っても夕食のメニューはレトルトのカレーライス。電子レンジで温めるか、湯煎するかの二択で手軽に作ることが出来る、時間のない人間の味方だ。言わずもがな日々を忙しく過ごしているサブウェイマスターの二人も、レトルト麺と同じくらいレトルトカレーには世話になっている。明日は休日なのでちゃんとクダリの好物を作る気でいるし、溜まりに溜まった洗濯物も回すのだと誓いながら、ノボリは疲れた頭で二人分のレトルトカレーを鍋にぶち込んで湯煎した。クダリも疲れが溜まっているのか、カレーライスを食べている間いつもより口数が少なかった。ノボリはリビングを後にするクダリに、明日は休日だが調子に乗って夜更かしをしないよう言いつけた。それから自分も今日は早めに眠ることにして、お互い順番にシャワーを浴びてから寝室へ向かった。毎晩疲れた身体を優しく受け止めてくれるベッドに吸い寄せられるかのように倒れ込んで、アラームをセットして、朝日が昇るまで爆睡する。そのはずだった。
 一体いつ自分が眠りに落ちたのかすら分からぬまま、突然聞こえてきた物音に驚いたノボリは飛び起きた。寝室のドアは当然の事ながらしっかりと閉めていたのに、眠るノボリの耳まで届いた音だ。相当大きい。流石に気の所為にして二度寝することは出来ず、ノボリは腹を括りベッドから抜け出したのだった。こんな夜更けに泥棒か? もしくは何処かから家の中に入り込んだゴーストタイプのポケモンによるイタズラか? 後者ならどうとでも対処出来るが、前者なら厄介極まりない。モンスターボールからシャンデラを出しつつ、一応いつでも通報出来るようにライブキャスターの電池残量も確認しておく。とにかく、今頃ぐっすり熟睡しているであろうクダリが起きてこないことを祈って、ノボリは謎の物音と対峙することにした。なるべく弟は巻き込まず、自分一人で解決出来るならそうしたい。いくつになっても生意気な、ああ言えばこう言う弟でも世界で一番かわいい片割れだ。愛しい人間だ。クダリが黙って兄に守られるようなか弱い存在ではないことは百も承知の上で守ってやりたいし、世界を敵に回しても自分だけはクダリの味方でいたい。そう当たり前のように思うのは兄の性か、もしくはノボリ本人の個人的な感情から来る意思なのか。
 物音は間違いなくリビングの方から聞こえてきた。更に今でもずっと何かを漁っているような微かな音が聞こえている。あと数歩でキッチンへ辿り着くというところでノボリは一度振り返ると、ここまで嫌な顔一つせずついて来てくれたシャンデラを呼んだ。
……シャンデラ。もし、万が一私に何かあったときは、クダリを叩き起こしてください。多少乱暴でも構いません、私が許可いたします」
 秘密の作戦会議をするときみたいな囁き声で紡がれたノボリからの指示に、シャンデラは人間が頷くような仕草を見せた。それを横目で確認してから、ノボリは自らを奮い立たせる為に深呼吸をする。そうして物理的な距離が近づくにつれて物音が大きくなっていくリビングへと、ついに足を踏み入れた。

 リビングの端にある、キッチンの方が何やら光っている。ノボリが目を凝らすと、扉を開けた冷蔵庫の中に上半身ごと突っ飲んでいる人影と、その傍らには大きな黒い影──ダストダスが見えた。まず真っ先に、冷蔵庫から漏れ出す光に照らされているダストダスと目が合った。ダストダスはやって来たノボリとシャンデラを見て、明らかに「あ、やばい」という顔をした。未だに冷蔵庫を覗いている人物に、その長いゴミの塊で出来た触手を大きく動かして、ダストダスは何とか緊急事態に気付いてもらおうとしている。しかし冷蔵庫の中を漁るのに夢中な人間は気付く素振りを見せず、ただ時間だけが流れていく。
 金目のものを盗りに来た泥棒でも、ゴーストタイプのポケモンによるイタズラでもないと察したノボリは、呆れ顔でリビングの電気のスイッチをつけた。もうシャンデラの炎を頼りにしなくても良いくらい明るくなったキッチンで、漸くクダリが開けっ放しの冷蔵庫から顔を出した。腕を組んで立っているノボリと視線が交わって、そこからお互い見つめ合いながら5秒間の沈黙。この奇妙な沈黙を先に破ったのはノボリだった。
「色々、訊ねたいことはありますが。まずそこで何をしているのですか?」
 突然現れたノボリにクダリは一切物怖じすることなく、冷蔵庫の扉を閉めながらあっけらかんと“今ここに立っている理由”を言い放つ。むしろクダリの隣にいるダストダスの方が、怒られ待ちの子供みたいにシュンとしていた。そのキッチンの天井ギリギリまである巨体でノボリから隠れようとクダリの背後に立つが、言わずもがな丸見えである。
「あのね、ぼくお腹すいた」
 偏食且つ少食の傾向があるクダリの口から今しがた飛び出た言葉に、ノボリは耳を疑う。そのせいで次に取るべき反応が遅れてしまった。ノボリは頭に浮かぶ一つ一つの疑問点を丁寧にクダリへ問いかけて確認していくことに決めた。クダリの様子が何やら普段と違うときは、大抵何かを隠しているときだと知っている。共にこの世に生を享けてから二十年と少し、クダリの兄として生きてきた勘が働く。
……夕食、食べましたよね? 私と一緒に」
「うん、食べた。ノボリがまちがえて買ってきた子供用のカレーライス。ぼく大人なのに」
「間違えたわけではなくて、甘口カレーのパッケージにお子様向けと書かれていただけです。大人が食べてはいけないなんて決まりはありませんし、そもそもお前は子供舌なんですから、辛口より良いでしょう」
「あのね、無理して辛口食べて泣くくらいなら、ノボリもぼくと同じ甘口にしたらいいと思う」
「む。無理はしていません。思っていたよりもほんの少し辛かっただけです。それに……
 いつもの調子でクダリと話している途中、本来の目的を思い出したノボリが口を噤む。しまった、また話が脱線しかけている。クダリがいつも余計な一言を添えるから、それに反応してノボリもベラベラと余計なことをつい口走ってしまうのだ。ノボリはだらけた空気をリセットしようと咳払いをして、話を元のレールに戻した。降りるべき駅を間違えて途中下車することなく、本来の目的地を目指して走らなければ、サブウェイマスターの名が廃る。
……すみません、話を戻します。もしかして量が足りませんでしたか?」
 夕食にきちんとした料理を作ってやらなかったことに対する罪悪感で、今になってノボリの胸がチクチクと痛みだす。料理は明日やるからと決めて今日を疎かにしてしまった。二人で家に帰れる日はリクエストを聞いて何でも料理を作ってやろうと、正式に運営が始まったバトルサブウェイへ初出勤したときに決めたはずなのに。生活に慣れてくるとこうも初志を忘れてしまうものなのか。これではいけない。一人で思い悩むノボリの気持ちなんて知らん顔で、クダリは首を横に振って否定した。
「ううん。足りた」
……?」
「でもね、お腹すいた。ちゃんと食べたのになんでだろ。お腹に穴が空いたみたい」
 買い込んだ食品などが沢山入っている冷蔵庫の前に立つクダリが、その薄い腹をおもむろに摩り始めた。上下に鳩尾から臍の部分を行ったり来たりするよう摩っていた手を、クダリは次に自身の口元へと持っていくのが見えた。その瞬間、ノボリは咄嗟に動いていた。何かを考えるよりも先に足が前へ動いて、即座に利き手が前に出て、クダリのその細い手首をしっかりと掴み、口元に行くのを阻止する。
 再び訪れる気まずいヘンな沈黙。幻聴に違いないが、あの日の雨粒が窓を叩く音が遠くの方で聞こえた気がした。クダリは突然ノボリに力強く掴まれた手首に視線を向けてから、次にノボリの方を見てコテンと首を傾げた。それがやけに幼い仕草に見えたのは、幼い頃のクダリと重ねて見てしまったからかもしれない。
「ノボリ、急に何」
……いえ……、申し訳ありません」
 無意識のうちに身体が動いた自分に驚きつつ、ノボリは謝罪の言葉を口にしながらクダリの骨張った手首から手を離した。ノボリが掴んだときに出来た手の痕が若干残っている手首を軽く回して、ポキポキと骨を鳴らしているクダリに、ノボリは気になっていることを問う。
「クダリ。つい10分ほど前、寝ている私を起こすくらい大きな音がしたと思うのですが、あれは一体……?」
 クダリはキッチンのカウンター部分に自分で置いたミキサーを横目で見ながら、素直に答えた。
「それね。ノボリがキッチンの上の棚にしまったミキサーを取ろうとして、ダストダスと協力したら、ぼくごと落っこちた音かも」
「ああ、なるほど…………、クダリごと!?」
「あのね、ダストダスの体ネバネバしてるから、足滑らせただけだよ」
 容易に想像が出来てノボリは頭を抱えた。普通に危ない。だが見ている限りではどこも怪我はしていないようたから、ひとまず安心する。取ろうとしていたのが皿とかガラス製のコップとかじゃなくて良かった。今度から何かに登らなければ手が届かない棚に、クダリが使いそうな物をしまうのはやめておこうとノボリは誓った。
 ふとノボリがクダリの背後に意識を向けると、今しがた会話の中で名前が出てきたダストダスが限界まで体を縮こませていた。どうやら事故とは言え“おや”であるクダリを落としてしまったことに罪悪感を抱いているようだ。溜息を吐いたノボリは、クダリの背後にいるダストダスになるべく優しげな声を掛ける。
「大丈夫ですよ、ダストダス。話を聞く限りではクダリが勝手におまえの体をよじ登って勝手に落ちただけでしょう。おまえが気に病む必要はございません。寧ろ怒っても良いくらいです」
「音の正体を確認するのに、シャンデラと一緒に来ちゃうくらい怖がりなノボリに?」
「訂正いたします。私たちはもっとクダリあれに怒るべきです」
 生意気な弟を親指で指差して、ノボリがシャンデラとダストダスに静かな苛立ちを訴えた。ついでに苦労して取り出したらしいミキサーの用途を、一応ノボリはクダリへ訊いてみることにする。
……それで、お腹を空かせたお前はこんな夜中に何をミキサーにかける気だったのですか」
「えっとね、アイスキャンディーとヒウンアイスとモーモーミルクとチョコレートとイトケのみとミックスオレとブルーチーズとマシュマロとヤドンのしっぽと」
「もう結構、結構です。怪しげな鍋を煮込む魔女ですかお前は。出来上がってしまう前に来て良かったことだけ分かりました」
 クダリの口から延々と呪文が続きそうだったので、耐えかねたノボリが声を遮る。やっぱり聞かなきゃ良かった。まだ使われていない、綺麗な状態のミキサーを横目で見てノボリはまた違う意味で安心した。クダリの名誉の為に言っておくと、これでもクダリは料理の手順が載ったレシピさえ渡せば、ちゃんと完璧に作れるのだ。今までクダリが作った料理で不味かったことは一度もない。一度レシピを暗記したら次同じものを作る時にレシピを見返すこともしない。ノボリは何度か過去にやらかしたことがあるが、調味料や火加減を間違えるようなミスもしたことがない。ただ今みたいに好奇心が勝ってしまったり、ちょっとしたオリジナリティを出そうとすると、キッチンが大変なことになるだけだ。
「あのね、ぼくはノボリに邪魔された気分」
 ここに来て初めてクダリが機嫌を損ねたようなムッとした顔をした。双子のノボリには分かる。クダリはノボリにだけ分かるくらい僅かに唇を尖らせて文句を垂れた。
「ダストダスが嬉しそーに生ゴミ食べてるの見てたら、ぐちゃぐちゃに混ぜて食べるの美味しそうだなって、思っただけ」
 道理でキッチンがちょっと生ゴミ臭いわけだ。そんなことは一切気にも留めず、ゴミ箱の蓋を開けっぱなしにしたまま、クダリは家の中に溜まっていた生ゴミをダストダスに食べさせた。仕事で疲れて眠っている兄を起こさないように、一人と一匹でこっそりと空腹を満たす為に。
……わかりました。クダリはそこの椅子に座って待っていてください」
 突然腕捲りをしたノボリは、未だに冷蔵庫の前を陣取っているクダリに、そこを退くよう言葉を投げ掛ける。ノボリの思考が読めず、クダリは頭上にクエスチョンマークを浮かべた。なんで? と言いたげだ。その様子にノボリは目を細めた。ポケモンバトル中の直感や、野性的な勘は鋭いくせに、こちらの想いが伝わってほしいときには急に鈍くなるクダリが憎たらしい。憎たらしいほどに可愛いから、困っている。
「お腹が空いているのでしょう。私がなにか作ります」
 分かりやすく喜びこそしなかったが、クダリは大人しくノボリの言うことを聞いた。先に夜食を済ませたダストダスをボールに戻してから、ダイニングテーブルの方へと移動する。それを見届けたノボリも、まずここまでついて来てくれたシャンデラに礼を言ってボールに戻し、自分たちよりも先に寝てもらうのだった。
 
▲▽
 
 鍋に新品のモーモーミルクを入れて、火加減を弱火に設定する。電子レンジで温める方が早く出来上がるし実際に楽なのだが、夕食を簡単なレトルトで済ませたのでこっちは丁寧に作ってやりたかった。焦げ付いたりミルクに膜が張ったりしないようスパチュラで混ぜながら、沸騰直前になると火を止める。予めカウンターに用意していたクダリが気に入っているマグカップに、しっかり温もったモーモーミルクを移し替える。余った分は自分のマグカップに注いで、ノボリは二人分のマグカップを持ってクダリの元へ向かった。椅子の上で両膝を立てて座って待っていたクダリは、マグカップの登場に驚いて、ノボリに不満の声を漏らした。
「あのね、ノボリ。これホットミルク。食べるものじゃない。ぼくお腹すいたんだけど」
「昔から思っていたのですが、お前のそれは本当にお腹が空いているわけではなくて、ただ口寂しいだけではないですか?」
 ノボリには考えがあった。せっかく作った熱々のホットミルクになかなか手を出さないクダリの目の前の席に座って、見せつけるようにマシュマロの袋を取り出した。思った通りクダリの視線を誘導することに成功した。袋を開けて、ふわふわのマシュマロを何個かホットミルクに落としていく。クダリの視線がこちらに釘付けになっていることを確認してから、それを先に飲んでやる。熱くて舌を火傷した気がするが一旦平気なふりをして、優雅にマグカップをテーブルの上に置く。伏せていた視線を上げるとクダリと目が合う。ノボリは最後に板チョコを取り出した。
「なんとチョコレートもあります」
「へーー、楽しそうだからぼくもやる」
 かかった。ノボリは内心ガッツポーズをしながら、どうぞどうぞと甘いトッピングを差し出した。他人が口にしているものは美味しそうに見えるっていうアレだ。それに下の子は上の子の真似をしたがるものだ。これは今まで兄をやってきたノボリの経験談である。クダリは自分のホットミルクに好きなだけマシュマロを浮かべて、その上から板チョコを割って落としていった。見ているだけで甘すぎて胸焼けしそうだ。あまり甘味が得意ではないノボリは、さっき手本として入れた少量のマシュマロでさえもちょっとキツい。ホットミルクを飲もうとするクダリにノボリが注意を促す。
「熱いのでお気を付けて」
「大丈夫。ノボリみたいに火傷しない」
 平常心を装ったつもりがしっかりとバレていて、ノボリは舌打ちをした。クダリの隠し事がノボリにはお見通しなように、ノボリの誤魔化しもクダリには通用しないのだ。不満そうだった先程までと打って変わって、上機嫌な笑みを浮かべるクダリは激甘ホットミルクを火傷しないようちびちびと飲む。騒がしかったのが嘘みたいに穏やかな時間が流れる。ノボリはそろそろ頃合いかと判断して、本題を切り出した。
「何か、ありましたか」
 クダリはマグカップに口をつけながら、返事をする代わりにノボリを見た。ノボリの表情は先程から何も変わらないが、普段よりも話すスピードを落とし、慎重に言葉を選んでいた。
「お前が口寂しくなるときは、昔から大抵なにかあったときですから」
「なにかってなに?」
「それを今聞いているのでしょう。お前が何かを隠していることまでは分かりますが、それが何であるかなんて、私がタブンネでもない限り分かりません」
「そういえば今日、ぼくと戦った挑戦者の手持ちにタブンネいたよ。味方のサポートだけじゃない、アタッカーの役割もこなしてた。ちょーーっとだけ、ぼくヤバかった」
「ほう? お前にそこまで言わせるなんて、私も是非お手合わせ願いたいものです。機会があればシングルトレインにも挑戦していただきたい」
「でも、……
 それまで淀みなく話していたクダリが、何を思ったのか突然俯いて黙り込んだ。ノボリは慣れない甘味を喉の奥で味わいながら、クダリが再び話し始めるのを待つ。クダリはマシュマロとチョコレートの欠片が入ったホットミルクを、ティースプーンでぐるぐると掻き混ぜていた。ノボリがそうしたように、あの歯に衣着せぬ物言いばかりするクダリもまた、言葉を選んでいるかのように見えた。実際には相手に配慮して言葉を選んでいると言うよりも、今の自分の感情を表す言葉を生み出すのに時間が掛かっているようではあったけれど。それでもノボリは辛抱強く待った。クダリが言いたくなければそれでもいいとさえ思った。そんなノボリのクダリを想う気持ちに、クダリは甘いホットミルクで温まって解れた心で応えてみせた。
「あのね、ノボリ」
「はい」
「最近、ノボリとぼく、一緒にバトルしてない」
…………はい?」
 耳を疑うのは本日二度目だった。聞き取れなかったわけではない。単純に驚いたからだ。ついノボリは前のめりになってクダリに聞き返してしまう。一度口に出してしまえば後は簡単なもので、クダリは堰を切ったように自分の気持ちを語り始めた。
「だってマルチトレイン全然動いてない。だからサブウェイマスターに辿り着く挑戦者もこない。ぼく、ポケモンとポケモンのわざを掛け合わせて戦うダブルバトルが大好き。だけど、ノボリと息を合わせて一緒に戦うのも大好き」
 知らなかった。クダリがノボリと共に戦うマルチバトルを好んでくれているなどと、そんな話は初耳だった。開いた口が塞がらないとは正にこのことかと、ノボリはただ黙ってクダリの話に耳を傾ける。
「それに肝心なところでヘマするノボリのフォローして戦うのも好き」
「お前はいつも余計な一言が多いんです」
 いつものクダリらしい純度100%のチクチク言葉が胸に突き刺さって、ノボリはやっと声を発することが出来た。それから思い出したかのように腰を上げると、クダリの隣の席へ移動した。急に自分の真横に来たノボリの方へ身体ごと向けるクダリの左手を、ノボリは優しく手に取った。ノボリの視界に映るクダリの指先には、もう痛々しい赤は滲んでいない。相変わらず皮膚は冷たいが、絆創膏の貼られていない指先は綺麗なままだ。何の刺激もなくて退屈なとき、本人も気付かぬうちにストレスを抱えているときなどに表れたクダリの爪を噛む癖は、ノボリがキャンディをクダリのズボンのポケットに入れておいてやることで、ミドルスクールに上がる前には完全にやめさせることに成功した。サブウェイマスターとなってからは勤務中は手袋で物理的に手を保護しているし、クダリもサブウェイマスターの制服を大層気に入っているから、噛もうという発想にも至らないだろう。それに毎日やってくる挑戦者と大好きなダブルバトルも出来て、クダリは退屈やストレスとは無縁の毎日を送っているのだと思っていたのだけれど。
(まさか、私と共にバトルすることを、クダリが望んでいたなんて)
 車掌にとって手は大事だ。指を差して駅のホームや線路内に危険がないかを確認し、電車を利用するお客様を安全に目的地まで連れていく義務がある。それはバトルサブウェイでも同じことだ。
……そのうち、きっとマルチトレインにも、私どもまで辿り着く挑戦者の方々が現れますよ」
 今は傷一つないクダリの左手をノボリがそっと離す。そして先程クダリが打ち明けてくれた心の内側を受け止め、ノボリはクダリの目を見て話の続きをした。
「そのうちっていつ?」
「そうですね……マルチトレイン強化週間でも設けてみましょうか。勿論シングルトレインとダブルトレインも通常通り運行しますが、マルチトレインで勝利した際に得られるポイントを倍にしてみるとかどうでしょう」
 バトルサブウェイへ足を運ぶ客数は安定しているが、今のマルチトレインの運行数の少なさには、ノボリも少々思うところがあった。それが直接クダリのストレスに繋がっていたとは思ってもみなかったが、今回を機に何か一石を投じてみる必要が出てきた。すると、心のモヤモヤを吐き出したことで今日一番スッキリとした顔をするクダリが、ノボリに続いて案を出した。
「あのね、バトルサブウェイで知り合ったひと同士でも挑戦しやすくなるように、誰でも気軽にタッグを組む相手を募集できるアプリとか作ってみるのは? ライブキャスターから簡単にダウンロードできるようにしたら楽だよ。昔からの友達同士、知り合ったばかりの友達未満同士、きっとタッグの数だけバトルの戦術があって面白い」
「おお……なるほど。確かにバトルサブウェイ専用のアプリがあっても良いかもしれません。まずマルチトレインに挑戦するまでのハードルの高さから見直していく必要がありそうですね」
 マルチバトルでノボリと共に思い切り戦いたいという本音が裏にあったとしても、クダリがこんなにも真剣に、そのよく切れる頭を使って仕事の話をしている。その様子に胸を打たれたノボリは、何がなんでも次の企画会議に出席して上にこの話を通してみせる覚悟を決めた。
「しかしクダリ。もしお前が今言った案が上手くいった場合、恐らく今の倍くらい忙しくなりますよ。家に帰れない日も増えるかもしれませんが、構いませんか?」
「あのねノボリ。いっぱいバトルできて、いっぱい電車乗り換えて、ノボリと一緒にいる時間が増えるだけ。それってなにか問題ある?」
 迷うことなく返ってきた片割れからの頼もしい答えに、ノボリは今度は目頭が熱くなった。今なら弟を目に入れても痛くない。ちょうど良い感じに眠くなってきたのか、欠伸をしたクダリはテーブルの上のぬるくなったホットミルクを飲み干した。それからマグカップの底に残った原型を留めていないふにゃふにゃのマシュマロを、美味しそうに平らげる。いつもなら全く食欲をそそられない甘味それが、今だけはなかなか悪くないとノボリは思った。
「ごちそうさま、おやすみなさーい」
 ノボリがクダリの横顔を眺めていると、満足したクダリはさっさとマグカップをシンクに持って行って、そのまま自分の寝室へ帰ろうとしていた。ノボリは慌てて立ち上がる。こんな夜中にあんな甘いものを食べて飲んだのだから、もう一度歯磨きをさせる為に、クダリの首根っこを捕まえに行った。