夜道はみえない(服+藤)

伊東先生がいないカルデアの藤堂君と服部君の話

「おい、平助見てねえか」
「見てませんね」
 間髪入れず否定を返せば、廊下で全力疾走でもしたのか、息を切らした斎藤が不審げに服部を見上げた。斎藤はどちらかといえば長身の部類だが、服部に比べれば北海道のヒグマと本州のイノシシなみに大きさが違う。どちらも得物を振り回せば車が大破する程度の力がある、というたとえはさておき。
 服部が図書館で探し物をしていたおりのことである。
 カルデアの図書館は、読書灯にちょうどよい光源はあるが、それでも本の保護のためにすみずみまで照明が当たるわけではない。服部がいたのは書架の端で、それは単に探していたのが著者名がアルファベットの末尾に近い方の通俗小説だったからだが、立っているだけでも巨躯で通路を塞いでいるように見えたに違いない。斎藤の隈が浮いたような眼は服部の影をぎろりと凝視する。
……見てねえんだな?」
「私が嘘をつくと? あなたではあるまいに」
「ハッ、よく云う……。まあいいや。あとで平助見かけたら、近藤さんとこに顔出すように云っておいて」
……伝言だけは預かっておきます」
 さっさと立ち去ってほしいという服部の視線にもものともせず、斎藤はへらりといつも通りの悪童めいた笑みを浮かべて、おとなしくきびすを返した。背中を見せられても隙は感じなかった。そもそも斎藤は間合いにすら入っていないのだ。
 刀を抜いて背後から襲い掛かってみた場合のシミュレーションを丹念に脳内に並べながらも図書館で喧嘩を売るような真似は控え、服部は黙って左腕に抱えた本に目を落とす。
 抜き足の足音もかすかな気配もとうになくなってからさらに待ち、服部は身じろぎをした。
 小柄な人のかたちが服部の蘇芳色の羽織から這い出る。よく見れば彼は現代衣装でも幕末の羽織でもなく復讐者の霊基で、たしかに影に隠れやすかろう。
「ありがとうございました、服部さん」
 ぼそぼそと、まだ警戒をにじませて藤堂がつぶやく。まるで居所から離れがたい猫のように服部の羽織をそっとつまみ、読書灯にも眩しそうに何度かまばたきをしていた。
「構いませんよ、藤堂君」
……すみません、僕なんかのために嘘をつかせてしまって……
「それこそ些事です。斎藤君にカルデア中歩かせてうんざりさせるくらいは、バチも当たりませんよ」
 ぎこちなく、藤堂が困ったように肩をすくめた。裏表なく実直で、本音と建前を使い分けることすら苦手な、彼にとっては些細な嘘も胸が痛いことなのやもしれない。しかし服部は、藤堂が助けを求めるならば、それがたとえカルデアに仇なすことであろうとも手を取ってやりたいと心に決めている。
(伊東先生の代わりに、とは口が裂けても云えませんが)
 服部にとって藤堂のつむじはかなりの下方にあって、服部は本を抱えたままゆったりと床に腰を下ろしてみる。とん、と隣を叩くと、藤堂は一瞬逡巡してからそっと膝を揃えて正座した。
 生前とは違って、髷をばっさり失くしたざんぎりの髪にはもったいなさを覚えなくもなかったが、鎧を着込むには藤堂のような癖っ毛の持ち主にはいっそ鬱陶しいものであったやもしれない。それに洋装には似合っていた。その、犬の毛のような藍白の髪を漉くように撫でてやれば、藤堂はされるがままになっている。
 しばし無言でそうしていると、藤堂は、くしゅんと肩を震わせた。擦り切れてはだけてしまっている衣装だから冷えたのやもしれないと、服部は羽織を脱いで藤堂にかぶせてやる。座しているとしても引きずって有り余る長さを胸元にかきよせて、藤堂は微苦笑した。
「少しは落ち着かれましたか?」
……はい」
「無理に霊体化や再臨をすることはないので。近藤さんには、ほとぼりが冷めてから手紙でも出せばよろしい」
「怒りませんか?」
「なぜ? 藤堂君は悪いことをしたのですか?」
 息を詰めて、藤堂君は首を横に振った。そうでしょう、と服部は同意する。
 藤堂の霊基が不安定であることは近しい者ならば誰しもが知っていた。
 アヴェンジャーとしての気質。生まれ持った善性と後世に願われた悪性。マガツヒノカミの力はあの冷たい夜から連続したような霊基を繋ぎとめるのに役立つが、時に意思に反した暴走をした。
 目ざとい斎藤に見咎められたのには、服部は放っておいてほしいと思うが。藤堂が本気で真正面からぶつかり合い、また並び立ちたいと願うならば、意思を尊重するのも服部は努めだと考えている。……生前は、一度距離を置きたい伊東の意向もあってできなかったことだから。
 藤堂はひとつふたつ息をついて、服部のたくましい胸板にこてんと頭をつける。歳下の友人ではあるが、マガツヒに呑み込まれないよう気を張っているらしい藤堂は、ときどき年端も行かぬ幼子のような仕草も服部には見せてくれた。そのことに、服部はひそやかな優越感を覚えなくもない。
 服部や藤堂が、かつて盟主と掲げ、並々ならぬ尊敬を申し上げる、伊東はカルデアにはいない。
 他の御陵衛士の面々もいない。藤堂にはいまだ試衛館以来の隊長方と交流があるが、それでも油小路の事件から明確に線引きをしていて、もう胸の内をあけすけに語り合うような仲ではなくなってしまっている。
 二人は寄り添うように泥濘に沈んでいる。

     *

 早朝にシミュレーターで汗を流した後、服部は再臨を変えて廊下を歩いていた。
 戦闘時は全身武装した再臨で出ることが多いが、カルデアの施設内ではあちこち出っ張りがあって通行に不便なので、たいていは最も軽装な御陵衛士時代を模した再臨でいる。これも緊急事態に備えて帷子や兜を着込んではいるが。さいわいなことに、こうした戦装備で素顔を隠すサーヴァントはカルデアではめずらしくもない。
 茶をもらおうと食堂に寄ると、いつもの喧騒に混じって聞き覚えのある笑い声が聞こえてきた。耳をそばだてているのでもないが、自然と服部はそちらを見やった。
 ……近藤を中心に、隊長たちが囲んでいる。菓子を手に談笑しているようで、近藤の晴れやかなかんばせや沖田の無邪気な笑顔は、服部から見ても好ましく映った。戦国の英傑に人斬りサークルなどと揶揄されるような重苦しい雰囲気よりは、ただの大学サークルのような明るさの方がずっといいものだ。
 その中に、浅葱の羽織をまとう藤堂の姿も混じっていた。
 服部は視線をずらし、ブーディカに頼んで緑茶をテイクアウトで淹れてもらった。それほどかからず、魔法瓶が受け渡された。
 賑やかな食堂を離れ、服部がさて落ち着いて休憩できる場所を探して温室の方へと足を向けようとすると、草履を擦る軽い足音が後を追ってくる。
 服部は立ち止まって振り返った。
「藤堂君」
 はい、とはにかんだ藤堂は、先の浅葱ではなく、服部と揃いの羽織に変えている。藤堂にこんな気遣いをさせていることにかすかに気が咎めたが、藤堂は小走りで乱れた息をついてまっすぐに服部を見上げた。
「服部さん、おはようございます。お食事はされないんですか?」
「おはようございます。今日はあまり、気分が湧かないもので。お茶はいただきました」
 魔法瓶を見せると、ああ、と藤堂が頷いて、袖から懐紙を取り出した。
「マスターから、琥珀糖をいただいたんですが。良かったらご一緒したいんですが……これなら食べられませんか?」
 藤堂がその場で開いて見せてくれた琥珀糖は、服部が知るクチナシで色づけたものとちがって、鉱石のようにカラフルな色をしていた。よいものですね、と服部が云うと、実のところ甘いものに目がない藤堂は嬉しそうに声が弾む。
 相槌をうちつつ、談話室に着いてしまったところで、服部は切り出した。
「よかったのですか? 皆さんとお話をされていたのでは」
 ぶんぶんと尻尾を振っていた犬が唐突にしゅんと尻尾を落としたような。藤堂ははっとしたように眼を泳がせて、相変わらず嘘はつけない子だ、と服部はいっそ微笑ましささえ思う。
 責めたいのではなかった。藤堂は服部のように新選組と決裂したわけでもなかった。時流に急き立てられるがままに選び取った末があの最期。それとて藤堂は一度は見逃された恩がある。畢竟、藤堂の意思に反していようが恩師を殺されていようが、向けられた厚意を無碍にはできぬのが藤堂の美徳で、脆さだった。
 見るからに罪悪感で押し潰されそうな藤堂を見ていると、服部はまるで、頑なな自分こそが復讐者なのではないかと錯覚することがある。
 誰とも憎めずにいる、藤堂だけに復讐の炎を押しつけているのだと。
 藤堂は籠手をつけたままの手を握ったりひらいたりと繰り返し、元より白い相貌をさらに白くして、意を決したように服部と視線を合わせた。背丈に大きくちがいがあるせいか、藤堂はぐっと背筋を伸ばす。
「さっきの琥珀糖……
「はい」
「実は、ちょっとしかないから、服部さんと食べようと思ってとっておいたんです。皆には内緒なんですよ」
「そう、だったんですか」
「服部さんのご迷惑でなければ、ですが」
「藤堂君のお誘いに迷惑だなんて、ちっとも思いませんとも。私も菓子は好きです。試すような真似をして申し訳ありません」
 心からの言葉だった。藤堂がまとう空気がやわらいで、ふと、服部も自分が殺気立っていたように気づいた。談話室の設定を和室に変えて手招くと藤堂が飛び跳ねるような足取りでついてくる。
「あのですね、もし服部さんさえご都合が良ければ、後で手合わせもお願いしたいのですが」
「もちろん、受けて立ちます。藤堂君といえども、手は抜きませんよ」
「ぜひ! 服部さんに学びたいことはたくさんあるんです、伊東先生にも……
 口を滑らせた、という顔色で藤堂は口籠った。負い目のある近藤らと違い、服部にとっては構いやしないというのに。
 いずれ。きっと。一瞬ばかり安堵させるような言葉は、藤堂に対して誠実でないように思え、服部は他愛ない冗談を織り交ぜる。
「伊東先生も悪いお人ですね。藤堂君を待たせておきながら一向に姿を見せてくださらないのは。まさかまた三日三晩と云わず遊び呆けているのでしょうか」
 まばたきをした藤堂は、くしゃりと雨上がりの晴れ空のような笑顔をこぼす。青々しい期待を込めた仕草はまるで昔の藤堂に似ていながら少し大人びていて、服部は眩しく眼を細めた。
「ええ、本当に……