kitsunetyu
2026-05-15 16:43:19
6219文字
Public テュオキサ
 

いつかの夢見星【テュオキサ】

一緒に暮らしてるテュオキサが見てぇ~~~~!となった話 場転までが一番書きたかったところ

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いつかの夢見星
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 薄黒く分厚い雲が、風に押されて空を泳ぐ。
 徐々に形を変えゆくそれの隙間から光が指して、やわらかな遮光布のように降り注ぎ、収穫の頃合いに色付いた小麦畑を煌めかせる。
 一枚の絵画とも見紛う光景に、帰路の途中であったテュオハリムはたまらず足を止めた。抱えた紙袋の中で、食材と共に納まる瓶が擦れ合い、まるで帰宅を促すように甲高い音を立てるが、大自然が生み出した芸術に心ごと奪われた彼には聞こえない。
 心揺さぶるものに出会えた時、テュオハリムの頭には五つと七つ、加えて五つの言の葉が下りてくる。かつてダナに存在した国で栄えていたとされる音の重なりには、絵画のような色彩も、小説のような言葉の連なりもない。けれど、たった十九文字で綴られた詩から、情景や事件、作者の情動が伝わってくるのだ。初めて詩に触れた時の感動は、彼の心にしっかりと刻みついている。
 三百年前のダナ侵攻によって多くのものが焼却され、現代に残る詩集も、先祖より正しく継承してきた者もほぼない。レナ人がダナ人であった真実を思えば、レネギスやダェク=ファエゾルに暮らしていた者たちの中に受け継いだ者もいた可能性はあるが、彼の周りにいた同胞達はあまり興味を示さず、虚空に生きるご先祖様に会う手段は今もまだ失われたままだ。
 自分達の出自や星霊力を繰る技術の真実に動揺していたが、あの時にもっと聞いておけば良かった。ひょっとすれば焼却されてしまった資料もデータに変換されて残っていたかもしれない。そう後悔する気持ちはゼロではないが、幾つかの詩集は彼の手に渡り、アウテリーナ宮殿の図書の間で大切に保管されている。
 それに、テュオハリムの傍には、関心を持たずともその詩に込めた想いを正しくくみ取ってくれる者がいるのだから、それだけで十分だった。この美しい風景を彼女に伝えるならば、どんな音が良いだろうか。腕の中の重さすら忘れて、暫くの間、彼はその場に縫い留められていた。
 やがて夜を含んで温度の下がった風が髪を揺らす頃、テュオハリムははたと帰路の途中であったことを思い出した。これでは心配をかけてしまう、と少々遅い気付きを得て、再び舗装された丘の道を歩き出す。
 ――と、向かう先で背の高い緑の海が揺れた。その隙間から微かに、黒く長い尾が見え隠れする。みるみる内に近付くそれを警戒することなく待っていると、やがて茂みの中から一頭の黒猫が飛び出してきた。
「ザァレ」
 呼び声に耳を揺らしてこちらを見た黒猫は、足元にすり寄ってくるでもなく、ひと任務終えたと言わんばかりに道端に座って顔を洗いはじめる。それがひと段落付くと、金の瞳でテュオハリムを見上げてきた。
「迎えを寄越されてしまったか」
 言いながら歩み寄り、かがんで黒い毛並みに手を伸ばすも、ザァレはひらりと身を躱して距離を取り、じぃっと顔を見つめてくる。鳴き声も表情もないものの、急かされているような、呆れられているような、「撫でる暇があるなら歩け」と言われている気がしてくるから不思議だ。
「すまない、帰ろう」
 こちらの言葉を理解しているのか、ゆるやかに立ち上がるテュオハリムを待たず、黒猫は長い尾をさながら旗印のごとく高く上げてせかせかと歩き出す。かと思えば、少し先で立ち止まって振り返るのだ。ちゃんと着いて来られるのか、とでも言いたげなしぐさに、つい軽く吹き出してしまう。
 果たして、依頼主から何と説明を受けてテュオハリムの捜索をしていたのか。先程までと違い、草原へもぐりこむでなく道をきちんと歩くその様は、迷い子の案内人のようだ。実際、ヴィスキントで親とはぐれていた子どもを導いて再会させたこともあるという。さすがは兄の躾だと、嬉々として語るキサラを思い出せば、しぜん歩調が速まった。
 やがて空で茜と群青が混ざり合う頃、ザァレは完全にテュオハリムを置いて駆け出した。
 黒い毛並みが向かう先は、丘に建つ一軒の家。縁に植木鉢が飾られた窓からは、室内の明かりが漏れており、誰かが中にいることを示している。その眩しさに目を細めている間に、身軽な猫は草花を模した鉄柵の隙間をすり抜けると、細く開けられた窓を潜り抜けて家の中へと入っていった。遅れて到着したテュオハリムが門を押し開けたと同時に扉が開かれ、夕闇に染まりつつあるアプローチに、やわらかな灯が家の中から伸びる。
「おかえりなさい、テュオハリム」
……ああ、ただいま。キサラ」
 足元にどこか誇らしげなザァレを連れて現れたそのひとに微笑みを返し、まずは先程の絶景を伝えようと、テュオハリムは軽やかに歩み寄った。

* * * * * *

「薔薇の精油、ですか」
 食事を終えて、片付けを済ませたキサラに披露されたのは、薄い紅に染まる精油が入った、幾何学模様の装飾が施された細身の小瓶だった。店で買ってきた物かと思いきや、そうではないらしい。確かに、よくよく見てみると瓶自体はヴィスキントでよく見かける薬の瓶だ。
 ソファに並んで腰かけた彼は、機嫌の良さが窺える声音で語る。
「アウテリーナ宮で花の世話を熱心に見ていた女性を覚えているだろうか」
「はい。確か、何年か前に装甲兵の青年と結婚して退職しましたよね」
「ああ。その女性からの貰い物だ」
 市でたまたま出くわしたというそのひとから、何故精油を貰う話になったのか。老若男女に人気なのは、今も相変わらずらしい。あたたかい、と呼ぶにはまだ温度の高い紅茶で唇を潤わせつつ、テュオハリムの話に耳を傾ける。
「以前からもっと薔薇を楽しむ方法はないかと考えていてね。切り花として飾るにしても、限度はあるだろう」
 鳶色が向けられた、大きな窓から見える庭には、薔薇をはじめとして多くの花が根を伸ばしている。それを育てているのは、キサラではなく彼の方だ。
 彼女とて花は好きだが、育てるとなるとどうしても、目を楽しませる花よりも、腹を満たして食費の助けにもなる野菜へと関心が向いてしまう。家庭菜園——と呼ぶには少々立派すぎる広さの畑でキサラが野菜を育てているのを見た彼が、植物の生育に興味を持ち、せっかくの庭を他人に任せるのではなく自分で彩ろうと考えるに至るまで、そう時間はかからなかった。いつだったか、ボクデルから貰った野良着に身を包んで庭に立つ彼も、すっかり見慣れた光景となっている。
 元々地の星霊力と相性が良いことも幸いしてか、彼が手入れする土壌は植物が良く育つ。
 一年を通して比較的温暖なメナンシアでは、他領に比べて多くの花が時期を問わずに咲いている。単に育てるだけであれば苦労は少ないが、その香りや色艶は、生産者によって変わるのだという。現に、テュオハリムが育てる花は香りも高く、街で見かけるものより色が濃く瑞々しい。
 とりわけ薔薇は、病気にかかりやすく、虫にも好かれやすい。と世話がかかるが、手をかけただけ美しい花を咲かせるというところがお気に召したようだ。様々な種類が植えられて、咲いていない日がない。と言っても過言ではない程に、日々庭に彩りを添えている。テュオハリム曰く、休眠期間も計算に入れてそれぞれの株を植えたのだそうだ。彼の芸術家肌が良く出ているな、とキサラは苦笑しながら聞いたのだった。
 ただ、どれほど計算して植えようとも、甘い芳香を放ちながら咲き誇っていようとも、幾日かを過ぎれば、次の開花の為にも花を摘まねばならない。基本的には切り花として家に飾ったり、シオンやリンウェルに贈ったりとしているが、他にも飾る花があることと、花を飾るには花器が必要だから、と理由を付けて――気付かないうちに増えていることもあるが――数を増やされないよう管理しているのもあって、いつかは花瓶が足りなくなる日も来る可能性はある。
「ただ捨てるばかりではせっかく咲いた薔薇も浮かばれまい。故に、何か良い方法はないかと尋ねたのだ」
 件の女性は今も自宅の庭で花を育てているらしい。キサラも、アウテリーナ宮殿の花壇でたまに姿を見ることがある。自分の手を離れても、様子が気になるのだろう。それだけ花を好む彼女であれば、確かに活用する術を知っているかもしれない。
「それでこの精油を?」
「ああ。と言っても、店に卸すような本格的なものではないそうだがな」
 もう一本、キサラの前に置かれた小瓶とは違う、小花柄の装飾が施された小瓶を持ち上げるテュオハリムの顔は、好奇心に満ちている。
「図書の間で調べてきたが、本格的なものを作るとなると専用の釜が必要になるらしい。花も、この庭どころか丘を埋めるほどの量が必要になるようだ」
……興味を持つのは構いませんが、手は出さないでくださいね」
 かつてキサラがひとりで暮らしていた頃は、何もない広い庭だったはずが、今や庭の一角には陶芸用の小屋と窯があり、家に入りきらなかった遺物――と彼は呼ぶが、キサラにはへんてこな像にしか見えない――が花と共に暮らしている。そこに精油用の釜が増えるとなると、今ですら異質な様相だというのに、ますます混沌とした庭になりそうだ。
 半眼で釘を刺すキサラに、テュオハリムは笑みを見せた。
「安心したまえ。興味はあるが、流石に〝咲いた花の活用〟の範疇を超えてしまう。今はこちらで十分だ」
「興味はあるのですね……
「今は」とのことだが、将来的に本気で取り組む可能性があるということだろうか。これが幼いこどもであったならかわいい夢物語で済むのだが、テュオハリムであれば本気でやりかねないのが困りどころだ。なんだか頭が痛くなって気がして、こめかみに指をあてる。
 眉を寄せるキサラには触れずに、「こちら」と手にした小瓶を軽くゆすったテュオハリムがコルク栓を抜いた。押し込められていた華やかな芳香が、ふわりと部屋に広がる。生花と比べると薄くなってはいるが、十分に香りを楽しめそうだ。
 栓に染みついていたものが指先を僅かに濡らしたのか、擦り合わせて薄く伸ばす仕草を見せた彼がこちらを向く。手拭いを用意しようと立ち上がりかけたキサラはしかし、伸びてきた男の手に、そうっと横髪を絡めとられて、息を飲んで固まった。色の濃い指が艶やかな金糸を恭しく持ち上げ、決して傷つけることのないよう、指の腹でやさしく挟み、揉みこむ。指先から、薄らとした花の香りが漂う。
 やおらテュオハリムが身体を傾け、毛束に鼻を近付けた。微かに息を吸う音がして、ぐっと距離が縮まった鳶色が、先程までにはなかった感情の混ざった眼差しを向けてくる。
「こうして髪の手入れに使うと良いそうだ」
 口角の上がった唇の動きを間近で見降ろしたキサラの頬に、じわじわと熱が昇っていく。
 どうにも、彼の繰り出す不意打ちには慣れることが出来ない。戦闘と同じく、相手がどう来るか理解していれば待ち構えることが出来るのだが、テュオハリムが不意を突いてくるせいで、受け流せずに狼狽えてしまう。彼は大抵の場合、そうなると分かっていて仕掛けて来るのだから、余計に質が悪い。
 共に暮らすようになって暫く経つが、未だ彼の思惑通りに反応してしまう悔しさと気恥ずかしさから、キサラは眉を寄せた。
……口で説明していただければわかります」
「実践に勝る説明はあるまい? それに、数滴とはいえ、せっかく譲り受けたものを無駄にするのは気が引ける」
「でしたら、ご自身の髪に使えば良いでしょう」
 などと意地を張ってみたところで、余計に恥ずかしさが増すだけだ。テュオハリムも気にした様子はなく、寧ろ笑みを深くして見上げてくる。
 横髪を放してもなお、まだ彼に残る薔薇の香りが、やさしく唇をなぞった。
——良いだろうか」
 何を、とまでは明言されない問いかけはしかし、ほんの数舜前にはなかった艶めきが含まれている。察していようが結局跳ねてしまう鼓動を感じながら、キサラはゆるやかに瞼を閉じることで答えた。
 ふ、と吹き出された吐息が唇を濡らし、間を置かずやわらかな感触が音なく重なる。数拍を置いて離れていったぬくもりに瞼を上げれば、満足げな笑みを浮かべたテュオハリムと目が合った。きっと、キサラも同じような顔をしているのだろう。
 名残惜し気にゆるんだ口角を親指でなぞった彼は、ゆるく芳香を放ち続けていた小瓶の栓を閉め、再度キサラの横髪を掬い上げて流すと、興味深そうに「ふむ」と呟いた。
「明日剪定したもので早速取り掛かるとしよう」
「そんなに気になりますか?」
 普段購入する精油を手作りする、となれば彼が興味を持つのは頷けるけれども。
 浮足立つテュオハリムに問えば、僅かに細まった。
「私が愛を込めて育てた薔薇を使用した精油を君が纏う。つまりは、私の愛を君が纏っていることと同義と言えよう」
……は?」
「それはとても艶麗だと感じてね。実現する為にも、早急に取り掛からねばなるまい」
 固まるキサラを置いたまま、テュオハリムは「そういえば」と何かを思い出して顎に手を当てた。
「彼の女性は精油を風呂に垂らして香りを楽しむのも良いと勧めてくれてね。それで思い出したのだが、薔薇の花弁を湯に浮かべて入浴する薔薇風呂と呼ばれるものもあるのだ。君もアウテリーナ宮で経験があるだろう?」
 先に告げられた発言の衝撃が抜けきらず、キサラは答えることが出来なかった。確かに、何度か入った覚えはある。奴隷の頃はせいぜい水を浴びるくらいで、あたたかな湯に浸かるという行為すら新鮮だったかつての時代に、こんな贅沢もあるのだな、と驚かされたものだけれど。
「美容と気を落ち着ける効果があるとのことだ。君も一緒にどうかね、キサラ」
 彼の声には、恥じらうキサラを揶揄うような調子はない。他の色が混じっているとはいえ、ただ純粋に、せっかくならば共に楽しみたいと想ってくれているのだが、どうしたってこの人は、平気な顔をしてとんでもないことを言えるのか。
……貴方の長風呂に付き合っていたらのぼせてしまいます」
「ふむ。では、早めに上がるとしよう」
「掃除はご自身でお願いしますね」
「ああ、勿論だとも」
 微笑むテュオハリムには、嫌がっているわけではないことも伝わっていて、余計に気恥ずかしさが増した。ぐぅ、と飛び出しそうになる様々な想いを押さえつけ、なるべく平静を装う。
 誤魔化しに飲んだ紅茶はぬるくなっており、嵩の減った水面には、苦笑する自分が映っている。顔色こそわからないが、きっと赤くなっていることだろう。
 残ったそれも飲み込んだのと同時に、まるで空気を読んでいたかのように、夜散歩に出かけていたザァレが窓の隙間から帰ってくる。キサラとテュオハリムを一瞥したあと、ソファの横に置かれた己の寝床で丸くなったので、今日の見回りは終わりらしい。
 戸締りをしようと窓辺に向かったキサラは、風に乗って流れてきた薔薇の香りを意識して、ぐ、と唇を噛んだ。結局のところ、内容は別として、自分だって何気ない明日の約束が嬉しいのだ。
 いつもはテュオハリムに任せている薔薇の手入れを、明日は手伝わせてもらおうか。
 そんなことを考えながら、キサラは遮光布を閉めて庭に別れを告げた。


END